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短編小説

Don't Cry Baby

作者: zaizai

 ウルウルと目に涙を浮かべて「ママ、ママ」と泣き続けるガキをどう慰めたらいいのかその頃の俺には皆目見当もつかなかった。

 呆然と見守るしかない俺のすぐ隣で飽きもせず泣き続ける小さな女の子は俺の頼りない腕を引っ掴んでぎゅっと握り締めてくる。

 ガキのくせに思いもよらない力強さで俺のお気に入りのTシャツが引っ張られ、たるーんと間抜けにのびた袖が出来上がる。


「慧ちゃんこれどうしたの」


「知らない。いつの間にかこうなってた」

 母親に聞かれても本当のことは言えなかった。

 ガキにだってプライドはある。

 普段は気丈に振る舞い、寂しさなど微塵も見せない健気な女の子は今は仮面を被ってお姉さん気どりの真っ最中だ。


「慧ちゃんは女の子に大人気だから放課後取り合いされてるもんね」


「……」

 余計なことをチクりやがって。空気が読めないとはこのことだ。俺の気使いを仇で返してきやがる。何て女だと呆れかえった。


「あらまあ、そうなの? 困ったわね。これ慧ちゃんのお気に入りでしょう」


「いいよ。また新しいの買ってよ。今度は夏の青空みたいな色がいい」


「そうね。みんなでお買い物に行きましょう」

 ある意味美味しい話のようにも聞こえるが、家族仲良くお出掛けするにも限度がある。多感な少年の心を母親は理解出来ていない。

 でもそれは仕方のないことだ。

 俺の母親と女の子の父親が結婚して新しい父親と同い年の姉と暮らし始めて数か月が経った。

 急拵えの新米ファミリーの誕生だ。

 母親はぎこちない家庭を補強して確固たる盤上に積み上げようと必死になっている。


 どうしたら俺のTシャツが死守できるのかそれから俺は考えた。

 泣き出すと決まって何かに縋ろうと手を伸ばすその小さな手を先回りして今度は俺がひっ捕まえた。捕まえたまでは良いが、それからどうしたものか分からない。紅葉みたいに可愛い掌を包むように両手で挟んでとにかく泣き止むのをジッと待つ。冷たかった掌がほんのり温かくなってくるとようやく涙は止まっていった。

 上手い慰めの言葉を持たない俺はこの一点のみで苦行のような日々を乗り切った。小さな女の子はお礼なんて言ったこともないし、泣いたことを恥じることもしない。ただ泣きたくなると泣いて俺にその手を差し出してくる。

 行き場のない感情を垂れ流して心の中から追い出してしまう。

 ガキの俺たちに出来る事なんてそんなことくらいしかなかった。


「ふたりとも学校の支度は出来た?」


「はーい」


「……寝みぃーよ」


「ご飯は用意したからね。ちゃんと食べて学校に行くのよ」


「うわっ、この大量のトマトは何だよ」


「職場の人に頂いたのよ。無農薬でとっても甘いんですって」


「美味しそう~ありがとうお母さん」


「美容にも良いのよ。それじゃ行ってきます」


「いってらっしゃーい」

 女同士の上辺だけの会話も慣れっこだ。

 泣き虫のガキんちょは親の前ではいい子ちゃんの嘘つき少女になる。おかげさまで俺の目の前には二人分のトマトが並んでいる。


「何だよこれ」


「だって私トマト苦手だもん」


「だったら母さんにそう言えばいいだろう」


「そんなこと出来ないよ。私たちの事を思って出してくれたんだよ。だから慧が私の分も食べてね」

 俺が女に理想を追い求めないのはこいつの所為だと断言できる。

 都合よく猫を被り素直な自分を演出する手腕は映画の主演女優のようだ。

 学校で人気の女子が愛想を振りまいてどんなに可愛さを売りにしても俺にはそれが嘘臭く見えてしまう。俺を好きだと言う女子たちの根拠が何なのか俺にはサッパリ分からなかった。


「慧に言っておくことがあるんだけど」


「何だよ」


「私と家族になったことを友だちに言ったらダメだからね」


「なんで?」


「こっそり教えてあげた友だちが煩いの。慧と会わせろとか、家に遊びに来たいとか。慧が目当てで私に近付いて来るんだもん」


「そんなの俺の所為じゃ……」


「言ったら一生---十年口利かない!」


「はあ?」


「約束だからね。学校では声を掛けちゃダメ。分かった?」


「……」

 一方的な宣言に呆れかえって開いた口が塞がらなかった。

 十年って何だろう。

 随分と中途半端じゃないか。

 この場合一生口を利かないとか言うべきだろう。

 小学校低学年の俺にも分かる凡ミスにこいつは気が付かない。

 この女はどこか抜けていて、まともじゃないのだ。


 この宣言の所為でとんでもない羞恥の刑に晒されることをこいつはまだ知らない。



 ◇◇◇



 あれから10年が過ぎた。

 約束通り俺は新しい家族を友人に紹介する機会もなく順調に成長した。我が家は建前だけは平穏で他人には幸せな家族に見えているようだ。

  

 泣き虫の嘘つき娘は大きくなってあまり泣かなくなった。

 悲しみが尽きたわけではなく思春期の乙女らしく恥じらいを覚えたらしい。


 パン一で風呂上りもウロウロしていた奴がいつの間にか着替えを持って浴室に行くことを覚え、すっぴんの腑抜けた間抜け顔には薄っすらと化粧が塗られるようになっていた。

 ただ残念なことに外見だけは人並みに見えるのに中身はガキの頃と何も変わっていない。 

 相変わらずトマトは苦手だし、親の前では良い子を演じる。

 思うに大人になるというのは自分を偽ることなのかもしれない。

 

 年相応に色気付いた同級生は女子を恋愛対象として値踏みする。

 容姿とスタイルが合格ラインなら性格なんて二の次だ。

 先ずは付き合ってみて、それから相性の判断をすることが多い。

 放課後にチラリとあいつの名が話題に上れば物好きな奴が世の中にはいるもんだと関心する。男はとにかく単純だから見た目についつい騙される生き物なのだ。


 中身を知る俺にはあいつの姿が不格好で危なっかしく思えて仕方なかった。チャラ男に狙われないように、ダサくすっぴんのまま三つ編みでもしていればいいものを、朝の忙しい時間に念入りに鏡を覗いている。

 何故俺がこんな心配をしなくてはならないのか、考えただけでムカついてくる。


 だがしかし、逆らわない出来過ぎた弟は今日で終わりだ。

 俺は何食わぬ顔をしてあいつの元へ出向いて行く。

 ローカから教室の中の様子を確認すれば、今日もアホ顔を晒してボーと前の席を見やっている。


「いろは!」


「慧---?」

 予想通りいろはは目ん玉が飛び出るくらい驚いている。

 よもや学校という公衆の面前で声を掛けられるなど夢にも思っていなかっただろう。

 ざまあみろ。

 機嫌を良くした俺の反撃はヒートアップしていく。


「今日は何日か知ってる? 6月24日。いろはと約束して10年経った。だから、あの約束は時効だ。俺は自由に公言してもいいんだよな」


「そ、そ、それは---」


「俺たちの関係をバラしてもいろはは文句を言えない」


「それでも駄目! やっぱり言っちゃ駄目」


「どうして?」


「だって、……慧は私の弟じゃない。本当の姉弟じゃないもの」


「だったら、いろはにとって俺って何? 弟じゃない俺は何者なの」


「それは」


「いろは」


「ッ……」


「言えよ」


「---慧が、好き。大好き」

 してやったり。

 嘘つきの目から涙が零れる。

 思いを言葉で伝えられないいろはは、まるで色気のないキスをしてくる。

 ぶつかり稽古のように唇が押し付けられるだけの行為。

 こんなに密着しているのにぎゅっと目を閉じたまま心を閉ざして意味のない触れ合いをするのだ。 

 泣かなくなった弱虫は吐き出したい思いを閉じ込めて傍にある温もりだけを確かめる。

 キスはもっとこう、甘ったるくてこっ恥ずかしい、お尻がムズムズするような行為なんじゃないだろうか。

 電流に打たれて痺れるような激しいキスをスクリーンの中の恋人たちは交わしている。こんな我慢比べのような触れ合いをキスと呼ぶのは間違いだ。

 俺がまず初めにいろはに教えることは正しい恋人同士のキスだと思う。


「泣くなよ。いろは」


「慧が泣かした。責任とって」


「Of course」

 いつだっていろはだけを見て生きてきた10年だった。

 今までと何も変わらない。

 これからもずっと。


「ぎゃ! ここ学校!! なにやってるの! 慧の馬鹿!!」


「今ごろ?」

 やっぱり、いろはは変な女だ。

 そして、そんな女が大事な俺はいろいろとヤバい奴だ。


 変人同士。

 それくらいが丁度良い。


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