BLOOD STAIN CHILD ~a vision of miria~
ツアーに出ると言えば、それがどんなに低予算であろうが(すなわち車中泊ばかりの過酷極まりない日程であろうが)、地方の客のそうそう入れない小さなライブハウスばかりを会場に回されようが、そんなことは一切無関係とばかりに意気揚々と出立していくのが常であったのに、今回ばかりは様相を完全に異にしていた。
リョウは出発の日の早朝、楽器と機材を詰め込んだバンの助手席に乗り込んだきり、腕組みして眉根を寄せながらひたすら黙りこくっていた。道中、車内で何の音楽を流すか、という陽気になりがちな雑談にも、「メタルならなんでもいい。」の一言で済ませるし、ツアー先の天気なんぞを報告しても「そうか。」の一言で終了である。シュンもアキも、ダイキも、その様を不思議そうにというよりはほとんど不審げに見守っていた。
「……お前、どっか具合でも悪いんか?」バンが高速道路に入った頃、ハンドルを握っていたシュンが遂に隣で仏頂面をしているリョウに尋ねた。
「あ? ああ? 悪いもんかよ。バカにすんじゃねえ。」
別にバカにしている訳ではないのだが、と思いつつ、何か(到底想像だにできないものではあったが)、心に傷を負うようなことがあったのではないかと、シュンはさすがにそうとは口にはできぬままハンドルを再び力を籠めて握り締めた。
「何か、今日お前、……静かじゃねえか?」仕方なしにアキも応戦する。
「ああ? お前な、ボーカリストっつうモンは、ベラベラ用もねえのに喋くって喉傷めちゃあなんねえんだよ。ったく、んなことも知らねえのか。素人が。」
とはいえ打ち上げともなればビールから始まり、出される酒、出される酒、なんでもかんでも朝まで引っ切り無しに呷り続け、無論その間は音楽談義にぎゃあぎゃあ騒ぎっ放しであるのに加え、調子が良ければケンカまでしているではないか、とは言えない。リョウは誰よりも短気で、誰よりも屈強な我がバンドのリーダーなのである。
「何か今回のツアーで心配事とか、あるのか?」ダイキが問う。
「はああ? お前心配なんつーモンがデスメタラーの胸中を覆ってて、いいライブができると思ってんのか? 人をコケにすんのも大概にしろ!」
気の短いリョウは遂にはそう怒り出す。三人は肩を窄めて、再び理由の知れぬ沈黙に身を浸した。リョウの静かさがただの気まぐれで、何の問題もなくツアーを完遂できればいいのだが……、時に大暴れしてライブハウスの店員や客と喧嘩を始めてみたり、バンド内でも同様のことを平気でやってのけたりもしてみせるリョウに対し、そればかりを三人は切に祈った。
予定通り、昼食を摂る手筈となっていたパーキングエリアに到着すると、リョウはほくほく顔で「先行ってるかんな。」と、真っ先にバンを飛び出していった。
「……もしかして、あいつ、……ただ腹減ってただけじゃねえのか?」シュンが呆れたように、赤髪翻して駆け出すリョウの後姿を見ながら言った。「あーんな、勢い込んで。」
「なあんだ。朝コンビニ寄るか? っつったのによお。」アキもほっとしたように伸びをする。
しかしリョウが颯爽と向かった先はレストランではなかった。リョウはレストランを超えてどんどん奥へと進んで行く。三人は顔を見合わせ、リョウの後をつけた。リョウが入ったのは、子どもたちが数人たむろしている以外にはあまり人気のない、土産物売り場である。その入口付近で、リョウが丹念に選んでいる物を三人は興味深げに見つめた。視線の先を真っ先に確認した、最も視力の優れたシュンがすぐさま口許を歪めた。
「……あいつ、キティちゃん選んでやがる!」
アキとダイキが目を見開いてリョウの方を遠く眺めた。
「し、しかも、キティちゃんのキーホルダー、あいつ幾つ買うつもりなんか。手に山ほど持ってやがるぞ。あれ。見てみろ。」
見ればリョウは手いっぱいにキティちゃんのキーホルダーだのストラップだのを嬉し気に乗せている。三人はこの天変地異ともいえる状況に、呆気に取られて互いに互いを見つめた。
「……い、行こう。」見てはいけないものを見たとばかりに、アキがレストランの方に促すと、リョウはその場で携帯電話を取り出した。
「ま、待ってろ。あいつ、誰と電話すんだ? 俺、ちょっと聞いてくっから。」シュンは二人を制すと慌てて、しかし本人には気づかれぬようにこっそりとリョウの近くまで行き、全く興味の欠片も無い三角ペナントなんぞを見るふりしてリョウの話声に聞き耳を立てた。
「……おお、ミリア、元気か?」
シュンは目を見開いた。――ミリア? 電話の相手はミリアという人物なのか。改めてシュンはごくり、と生唾を呑み込んだ。
「お土産いっぱい買って帰るかんな。お前の大好きな猫ちゃんばっかりだ。だからいい子にしてろよ。」
シュンは眩暈がした。女だ。リョウに、女ができたのだ。だからその女と離れるのが寂しくて、ツアーに出るというのにやたら感傷的になっているのだ。何という体たらく。否、裏切り。堕落。謗法。否、リョウがただの男ならまだ、いいのだ。まさかよりによってデスメタルバンドのフロントマンである、真っ赤な髪を腰まで伸ばしたこの異形のリョウに、そんなふざけた感情が巣食っているのだと思えばこそ、絶望、悲嘆、それに類する感情しか浮かび上がってはこないのである。
しかしそんなことには気づきもせず、リョウは機嫌よく電話を続ける。
「あと他に何か欲しいものはあるか? 何でもいいぞ、言えよ? ……何だ、ねえのか。もしあったらな、俺がこうやって毎日電話すっから、忘れねえでちゃんと言えよ。遠慮なんてすんじゃねえ。わかったな?」
シュンはさすがにがくりとその場にへたり込んだ。毎日電話をするのか。こんな場面をこれからツアーの終わる一か月後まで、毎日見続けることになるのか。そう思えば疲弊しか感じやしない。
それよりも――、シュンはふと思った。こんな頑固で偏屈で、我儘で自己中心的な男をモノにしている相手はどんな女であろう。シュンの胸中ににわかに好奇心が持ち上がってきた。たしか、ミリアとか言ったはずだ。随分派手な名前じゃあないか。否、そんな名前が実名であるはずがない。源氏名だ。つまりは水商売の女に違いない。そう思うと、シュンの胸中には不安の暗雲が見る見る広がっていった。金のかかる女に騙され一文無しになって放り出されるリョウなんぞ、いくら自己中心的の塊で、人間的に欠陥だらけの男とはいえ、見たくはない。人間性はともかくとして、音才に関しては随一なのだ。誰にも作り得ぬ曲を、幾らだって作って来るのだ。シュンは頭を振り、落胆し切ったまま二人の元へと戻った。
「リョウ、誰と喋ってた?」アキが心配そうに尋ねる。
「……女だ。」
「ああ?」アキの顔が歪む。
「それもな、……」周囲を見回す。「十中八九水商売の女だ。リョウに土産を強請って、リョウはそれを全部買ってやったってことだ。」
「……マジか。」アキは唖然と呟いた。
「あいつ、完全騙されてやがる。馬鹿じゃねえのか。……女に免疫がねえのかなあ……。否、まさか、いい歳こいて、んなことねえよなあ。」シュンは頭を掻き毟った。「ちっくしょう。とてつもねえ悪女に捕まって借金背負わされてタコ部屋労働んなってバンド活動が停滞なんざしたら、俺ら丸ごと終ぇじゃねえか。ったくよお。よりによってツアー直前にんなことになるなんて、どうすんだよ。」
アキは顔を顰めると、意を決して「一つ、言ってやるか……。」と呟いた。
そこに上機嫌になったリョウが、土産物袋一つ提げて戻って来る。「おお、何やってんだ、お前ら。飯にすっか。」
三人は一斉に冷たい視線を投げ掛ける。しかしリョウは一向に気にするそぶりもなく、「俺は……何にすっかなあ。」と、正面にあるレストランの入口に置かれた料理の数々を、腰を屈めて眺めた。「お、この海鮮丼つうやつにすっかな。マグロも乗ってて旨そうじゃね? せっかく海の方に来たんだし、こういうのがいいよな。おい。……あれ?」振り向けば、リョウと三人の間には随分と距離があいていた。
「お前、」意を決してアキが一歩踏み出す。「そ、それ、誰に買った?」土産物袋を指す。
「あ、ああ? これ?」リョウは照れ笑いを浮かべる。「まあ。……ちっとな。」
「ちっとな、じゃねえよ。お前キャバクラの女に金づるにされて騙されてるんじゃねえのか?」アキが凄んだ。
「何言ってんだ。」頓狂な声を上げる。「俺はんな所に行ったことはねえ。んな無駄金使うぐれえだったら一本でも多くライブ行くに決まってんだろ。」
意想外の返答にアキは怯む。「……借金、作ってねえのか。」
「阿呆か。幾ら金がねえっつったって人に頭下げて金借りる程落ちぶれちゃあいねえよ。クソが。」
「そうかい、そうかい。」シュンが後を継ぐ。「じゃあどうしてこんなキティちゃんばっか幾つも買ってやがんだよ。百万回生まれ変わったってデスメタラーのお前の趣味にはなんねえだろが!」ほとんど激昂して言った。
リョウは見ていたのか、とばかりに頭を掻きながら、「実はな、……この夏から、一緒に住み始めてんだ。」と言った。
三人は息を呑んだ。――もう、同棲をしているのか。それはあまりにも衝撃的な事実であった。毎日のようにスタジオに入り、曲のやりとりもしてきたというのに、まるでそんなそぶりは一切なかったので。
「否、そんなびびんなって。俺もびっくりしたけど、来ちまったモンはしょうがねえだろ。でも一緒に住んでみれば意外に気が合うもんだしな。悪くはねえ。まあ、こういう時は放ったらかしにしちまってちっと辛ぇけど、考えてた程、生活空間に人がいるっつうのに抵抗はねえもんだ。……つうか、結構楽しいしな。」
その最後の衝撃的文言に「……そ、うか。」とシュンは眩暈を覚えながら、振り絞るように声を発した。
「ツアー出ると一か月も一人ぼっちにしちまうだろ? さすがに可哀想だからよお、こうやって電話してやったり、土産買って帰ったら喜ぶかなあと思って。で、ああ、そうそう、シュン、お前一眼レフとかっつういいカメラ持ってたよな? あれ貸してくれ。来月必要なんだよ。」
「あ、ああ。」シュンは真っ白になった頭でどうにか肯く。「つうか、一緒に住んでるっつうことは、その、近々……け、け、結婚、すんのか……。」シュンの声は震えていた。
「何で結婚なんつー話が出てくんだよ! 気持悪ぃな!」リョウが再び怒号を響かせる。
同棲までしておいて結婚をしないと断固言い張る方が、遥かに人として疑問である。シュンとアキ、ダイキは挙って顔を歪めるとリョウを冷たく睨んだ。
「……じゃあ、あくまでも、一緒に住むだけなんか。」シュンが呆れたように言った。
「そりゃそうだ。」リョウは晴れ晴れと言い放つ。「……でもな、女の子って小っこいのな。脚も腕もよくこんなんで重力に逆らっていられるっつうぐれえに、細っせえの! いやあ、あれはびっくりした。でも元気なんだよなあ。」
「お前と比べちゃあ世の大概の女は小せえし細ぇに決まってんだろ。」シュンは冷たく言い放つ。
「でも、ま、ゆくゆくは出ていくことになるけどな。そん時はな、ちゃあんと一人前にして、見送ってやって。」やはりろくでなしだ、人非人だ。シュンは呆れ返って、「女にかまけて、つまんねえパフォーマンスすんじゃねえよな。」と言下に言い放った。
「ったりめえだ。悪いがな、俺は腐ってもLast Rebellionのフロントマンだ。環境がどれほど激変しようが、史上最強のライブをやる。そのためにあいつを一月も放ったらかしにしてまでツアー出てんだからよ。」
――また、あいつか。シュンは溜め息を吐いた。「まあ、お前がリーダーで、お前が曲書いてんだから、今更バンド運営に関しては文句言わねえよ。勝手にしろよ。」
その晩のことである。無事にツアー初日の会場に到着し、熱狂的なまでの盛り上がりを見せたライブを終えた後、対バン相手をも引き連れ大勢で行った打ち上げ先の居酒屋で、リョウは既に生ビールを数杯も呷った後、ふと思い出したように携帯片手に立ち上がった。
「何だ、便所か。」シュンに問われ、「否、ミリアに電話してくる。」リョウは真顔で答えた。
シュンは慌てて、隣で呑んでいたアキの肩を叩きまくる。「おい、女だ。今、あいつ。ミリアっつったぞ。」
「んんん、ミリア?」
「リョウの同棲相手だよ!」
既にリョウは外に出ようとしている。「どんな奴なんか、ちっと話聞いてくるわ。」シュンはそう耳打ちすると、いそいそとリョウの後を追った。
「……ミリア、ちゃんと飯食ったか?」
戸を出るなり、リョウは話し始めた。のれんの陰に隠れたシュンの顔が即座に歪む。
「そっか。旨そうだな。……ああ? 俺はバッチリだよ。ライブも大成功だ。客たちも滅茶苦茶盛り上がってな。ツアーの幸先最強だぜ。これもお前がいい子で留守番してくれるからな。」
よくそんなクサいセリフを吐けるものだ、シュンはにわかに嘔吐を覚える。
「……んんん? そのうちな。俺らのライブはちっとばっかしヘヴィだかんな。この間映像見せただろ? ……ああ。でも後ろでじっとしてるだけにするっつうなら、もうちっとしたら呼んでやるから。……ああ、約束だ。」
女を呼ぶ気なのか。シュンは目を見開く。そうすればリョウの同棲相手のミリア、とやらに会えるのか。そうすれば一体どんな女であるのか、リョウを騙そうとしているのであれば説教の一つも与えられる。そいつがライブにやってくるまでの、もう少しの辛抱だ。シュンはほくそ笑むと、そそくさと席へと戻った。だから、肝心な次の一言をシュンは聞き逃すこととなったのである。「……今のお前はまだ小さすぎっかんな。ちゃあんと飯食って、もちっと肉付けて、それからだ。そうだな。せめて小学校中学年になったら……。」
「どうした。」アキがつまらなさそうに問う。
「あのな、リョウの女、その内ライブに来るらしいぞ。そしたら説教してやらねえとな。リョウにたかんじゃねえって。」
「……でもよお、」アキは眉根を寄せて言った。「よくよく考えたら、強請ってるっつったって、何もブランドモンのバッグとかダイヤのアクセサリーとかじゃねえし、所詮ストラップ何本か、だろ? もしかして、そんな、お前が言うような説教必要な女じゃねえんじゃねえのか?」
シュンは目を丸くする。「……たしかに。……それもそうだな。」
「そもそもあいつに金があるとは思えねえし。ギターのレッスンっつったって、んな赤っ髪に弟子入りしようっつう野郎がそこまでいんのかあ? たいしたことねえと思うんだよなあ。」
「金目当てじゃねえとすると……。」シュンは顔を顰めて考え込んだ。「愛か。」
アキがウイスキーを見事な波状をもって噴き出した。
「ダメだ。金よりあり得ねえ。……音楽の才能があったってあんだけ無茶苦茶な人非人なのに、音才なかったら間違いなく社会に居場所はねえ奴だ。犯罪者になったっておかしくはねえ。」
「そうだ。あいつ、実は結構顔はいいぞ。」アキが耳打ちした。「あの頭のインパクトが強すぎて気付かねえ奴が多いが。」
「鬼みてえな面してんじゃねえか。好みの問題だろ。」
その時、リョウが電話を終えて戻って来る。頬に讃えられた笑みにシュンは睨みをきかせた。
「おい、リョウ。」
「何だよ。」
「女はお前のどこがいいっつってんだ。ああ? 金か愛か、何だ。」知らず、無根拠の癖に完璧なケンカ腰となる。
リョウは噴き出した。「どこがいいだあ?」
「だから、何で一緒に住んでんだよ。」
「そりゃ血だ。」リョウは真顔で即答する。
「血。」シュンは再び唖然とする。
「じゃなけりゃあ、俺ん所来る訳ねえだろ。何言ってんだ、お前ぇは。」
――血。血で共鳴し合っているのか。そこまでの運命を感じ取っているのか。金やら愛やら、そんな次元ではなく。シュンは完璧なまでに、打ちのめされた。やはりうちのリーダーは別格である。デスメタルバンドのフロントマンたるもの、やはり通常の感覚で理解できる恋愛ではないのだ。言葉で言い表すことのできない、血。それが共鳴し合っている。シュンは恐れ入った。もうあれこれと言うまい。言う資格がない。そう心底思い成した。
電話を切ったミリアは、継いでくれた美桜の母親に「どうもありがとう。」と頭を下げると、「美桜ちゃんと宿題の続きやってきます。」と言い残し二階へと上がった。部屋に入ると、テーブルに向って計算ドリルに取り組んでいた美桜が、顔を上げた。
「ミリアちゃんのお兄ちゃん、何て言ってた?」
「あのね、今日もライブやったって。いっぱいお客さん来て、盛り上がったって。」
「すっごい!」美桜はきゃあ、と歓声を上げる。
「あのね、そんで大きくなったらミリアのこともライブ連れてってくれるって。危ないから、後ろにいるだけだけど。」
「すっごい! でもお兄ちゃん、ミリアちゃんが後ろにいたら、歌ってる途中で、ミリアちゃんのことわかるかなあ。」
「見えるよ。らいぶはうすっていうのは、お客さんいっぱいいても後ろまでぜーんぶ見えるって言ってたもん。だから後ろに立ってても、ミリアだってわかるの。」
「いいねえ。」美桜はうっとりと呟いた。
「きっとリョウは、ミリアを見っけて、あ、ミリアだ。よーし頑張ろうって思うの。」ミリアもうっとりと目を閉じた。「小学三年生になったら来ていいんだって! 早くそうならないかなあ。」
「そうだねえ。」
もう二人はすっかりうっとりと目を閉じ、計算ドリルどころではなくなっている。
その僅か数ヶ月の後であった。ダイキがバイク事故を契機としてバンドを脱退し、次なるギタリストとして「同棲相手」のミリアがスタジオに連れてこられたのは。シュンとアキはそこで初めて、リョウの「同棲相手」が小学生の女児であることを知ることとなった。リョウには毎度のこと驚かされてきたが、その最たるものであったと後々までこのことを思い返すとシュンには自ずと笑みがこぼれて来るのである。