39 辞令、早まって
昼の鐘がごぉんごぉんと鳴り響く中、オルデは優雅に膝を曲げた。
続けてチュチュとワールも礼をして、失礼にならないよう改める。
彼女は全身に春の淡色を纏って、黒い髪には飾りが差し込んでいた。すこし重たい色味が、ふわふわと浮きそうなところを抑え込んでいる。
「オルデ様におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
オルデ付きの従者たちは、しっかりと対応して控えている。
荷物を下ろして挨拶をするチュチュたちに頷くと、彼女は大荷物に目を留めた。
「キスミーも元気そうでなによりです。お買い物ですか?」
「はい。小麦が少なくなってきたので、店を休んで買いに来ましたの」
チュチュは彼女たちの態度をつぶさに観察しながら、ダンジョンの違和感に気づくものはいないかと心臓が早くなるのがわかった。
ワールはまだ自体に慣れていないようで、ほとんど氷漬けのようだ。
「そうでしたか。彼女は見たことのない顔ですね」
そんなワールを目にしたオルデは、やわらかに微笑みながらそちらを見た。
視線は春の日差しにも似ている。
「ワールと言います。まだオルデ様にお目通しできるものではないのですが……」
「ワール、です。よろしくお願いします、です」
彼女は、貴族の前に立てるほどの教育が行き届いていない。これでも上出来といえるだろう。
しかし平民などは、貴族の機嫌が悪ければ家畜同然にも扱われる。
本来ならばチュチュもあまり喋らせたくなかったが、そうはいかなかった。
「かわいらしい子ですね」
まだ拙い言葉遣いにも、にこりと微笑んでオルデは許した。
手のひらにじんわり汗が浮かんでくるのを感じながら、チュチュは彼女の寛容さに胸なでおろす。
「ありがたく存じます」
「わたしは、あなたたちの作るお菓子を気に入っていますから」
マーキッツ・メキオーセが作らせた菓子は、発展しているがすでにあったものだ。
しかし、チュチュの作ったような新しい菓子は未体験のものだった。優れたものを所有する貴族にとって、新しいものはそれだけで目を引く。
次になにをしてくれるのかと考えるだけで、多少の非礼など気にもならない。
オルデはむしろ、店に新しい要素が混じったことを歓迎した。
「重ねて、ご感謝を」
「うちの料理人にも作らせてみたのですが難しいものですね。近いものにはなりますが、あのようにはいきません」
残念そうにコメカミに人差し指を当てる。
オルデも材料は同程度かそれ以上を用意した。しかし完全には至らなかった。
ヴィナ・ノワの雇う料理人の腕が悪いというわけではない。
分量や時間、焼き加減は窯の具合にもよるから、まったく同じというのは無理があった。
「かんたんに作られては、わたくしどもの店はなくなってしまいます」
まだレシピを融通する気はないと言外に仄めかされ、オルデの下がった眉尻はさらに角度を落とした。
「それもそうです。あれから新作は作ったのですか?」
「マーキッツ様より頂いたもので、砂糖を使ったものが。それと栗を使ったものを考えております」
チュチュの砂糖菓子というのも彼女には魅力的だ。
しかし、それ以上に引っかかるものがあった。
「栗……といいますと、食後に食べるあの栗ですか?」
「その栗でございます。お菓子としては召し上がりませんか?」
「果物の汁や塩をかけて食べることは。けれどお菓子はありません」
貴族の晩餐では、食後にお菓子や果物、木の実などを食べて締める。
これらの一つとして栗もあったが、彼女にとってはそれだけのものだ。
「ヴィナ・ノワほどのお家でも、栗はまだお菓子ではないのですね」
上等な白パンがあるのにわざわざ栗粉のパンを食べないように、お菓子という上等品を作ろうというのに、そこに栗は入ってこない。
高級品や上等品を食べ慣れている貴族だからこそ、出てこない発想でもある。
「キスミーは、もうどのようにするか考えているの?」
新しいものが出てこようという瞬間に立ち会って、オルデの目はきらりと光った。
やはり彼女を放っておくのは下策であると感じながら、彼女は追求する。
「具体的ではありませんが、やってみようと思うものはございます」
こちらの方向に誘導できたことでチュチュは、違和感やダンジョンという話題を避けられてわずかに安堵した。
「それは楽しみです。できあがったら食べさせてくださいね」
「オルデ様に召し上がっていただけることは嬉しい限りです」
ルスカとよく似た目の鋭さに貴族の血を感じながら、彼女は礼をした。
「その時には、貴族の殿方は連れませんから安心なさって」
くすりと微笑んでオルデはからかう。
「……痛み入るお心遣い、ありがとう存じます」
彼女は、苦笑する他なかった。
いつの間にか、ごぉんごぉんという鐘の音がしなくなっているのに気づいて、オルデは短くない時間が経ったことを知る。
「すっかりお話してしまいましたわね。キスミーはこれからなにを?」
「この時間なので、どこかでお昼を頂くつもりでございます」
まあ。と口元に手を当てると、オルデはまた優雅に礼を見せた。
「それは引き止めてしまいましたね。よいお昼を。キスミー、ワール」
「近く、お会いできることを楽しみにしています、オルデ様」
同じように二人も別れの礼をして、突然の邂逅は和やかに終わった。
しっかり黙っていたワールは、オルデ一行が去ったのを確認してから、ベンチに座って深い溜め息を吐く。
「……はー。びっくりしたーです」
「わたくしも、オルデ様がいらっしゃるとは思いませんでした」
「キスミーさんは、よくへーきだねーです」
「何度かあったので、慣れましたわ」
ばったり出会ったのも、ヴィナ・ノワの長兄ルスカであったり、チュチュはこの家となにかしらの縁でもあるのかと首をかしげた。
この兄妹はほんとうに平民に混じって来店しかねないと、彼女はいまさらながら、栗のお菓子の試作だけでもしておきたいと考えた。
「あたしは、慣れたくないなーです」
「わたくしだって慣れたかったわけではございません。では、お昼にしましょう」
彼女たちが広場へ目を向けると、ぼちぼち屋台の数が増えてきていた。
「あれ、おいしそー」
ワールが指差したのは、粉を練って茹で上げたものを具材にしたスープだ。早く茹で上がるようにか、練ったものは細長く糸状に切られている。
チュチュのダンジョンでは、小麦は大半をふわふわ焼きかお菓子にしてしまうため、粥や茹でて食べることはない。
「それなら、あれを食べましょうか」
「いいのー? やったー」
にこにとを笑顔を浮かべる彼女を連れて、チュチュはその店で昼食を買った。
鶏のスープの中に、粉糸――麺がたっぷり入っている。
二人は携帯していたカトラリーを取り出して、冷めない内に口にした。
「……うん。スープの味を吸って、見た目よりずっと食べやすいですわ」
「あはは、つるつるしてて変なのー。でもおいしー」
「これ、使えるかもしれません」
ふわふわ焼きやパンは、酵母で事前に用意した分しか出せない。
けれどこれなら練り上げて茹でればいいから、しょっぱいメニューがなくなってしまった時にいいのではないか、とチュチュは考える。
「うちでも食べられるようになるのー?」
「これと同じものとはいきませんけれど、やってみましょうか」
「できたら、うれしいなー」
温かい内に食べてしまうと、二人は思わぬおみやげを持って長い帰路を歩いた。
その翌日。午後の営業を開始してから、すこし客の流れが途切れたあたりのこと。
テラス席の客たちは、坂を登ってくる馬車を見てはしゃいでいた。
時折、この店には下級貴族も訪れるから、またその評判を聞いたものたちではないか、と。
しかし、その馬車に描かれている紋章を見た時、彼らは驚愕のあまり口と目をいっぱいに開いた。
わあっという騒ぎに、店内で忙しく接客に当たっていたチュチュが、外へ顔を出した。
「嘘だろ……ヴィナ・ノワの紋章だよ、あれ」
馬車から降りてきたヴィナ・ノワの娘を見て、彼女は自分の目を疑った。
「たしかに、近くとは言いましたけれど……」
オルデは友人と思しき貴族を連れて、笑顔で尋ねる。
「席、空いています?」
チュチュにできるのは、自分が接客に当たることだけだった。
ここは紅茶のおいしいダンジョン――強襲。




