32 関係、繋がって
ミズクは、ダンジョンの側面にある従業員用のドアを開けた。
まだ着替えていないから、体に似合わない大きな上着姿のままだ。
彼女は後ろに一人の男を連れて、板張りの床を歩いてチュチュのところまで進む。
「キスミーさん。連れて、来ました」
「はぁい。どうぞ入って下さいな」
ミズクの知人が、町で噂になっているチュチュのダンジョンへ行ってみたいということで、彼女は営業前から連れてきていた。
その知人は同業の冒険者にしては身なりがしっかりしている。よほどに稼いでいるか、出自がある程度、高い身分だったのだろう。
「こちらは?」
「マルファウトさん、です。キスミーさんに、変なこと、しないでくださいね」
「俺は生まれてこの方、ダンジョン以外じゃ紳士で通ってるよ」
だから心配なのだとは言えないミズクは、念押ししてから着替えるためにスタッフルームへ降りていった。
ミズクから紹介されたマルファウトは、一転して笑顔を浮かべて軽く一礼した。
「どうも、お嬢さん。気軽にマルちゃんと呼んでくれ」
彼女はそれに倣って、唇に弧を描いて礼を返した。
「キスミーですわ。マルちゃんには、カウンターに座ってもらおうかしら」
カウンターの方へ案内をすると、すこし伸びてきた前髪を横に払い、エプロンドレスから取り出したリボンで後ろ髪をまとめる。
「了解。それとマルちゃんはやっぱりなしにしてくれ」
「わかりましたわ、マルファウトさん」
くすくすと笑って、彼女は情けなく眉を下げる男に注文を尋ねる。
「なにがいいかしら。紅茶と甘いお菓子に、パンの類がすこしありますけれど」
折り曲げて人差し指を顎に当てて、彼はなにが食べたいかを考える。
「甘いものも悪くないけど、朝からって気分じゃない。お腹にたまるしょっぱいものってあるかな」
客の大半は甘いもの目当てでやってくるが、デートスポットとして連れてこられた男性が、たまに甘いお菓子ではなく食事を求めることがある。
これまではパンとかんたんなサンドウィッチに、もつ入りのスープぐらいしかなかった。
もちろんフレッシュバターも十二分においしい。けれど毎回それでは付き合わされる男も飽きるかもしれない
「でしたら、新商品のふわふわ焼きがオススメですわ」
しかし、最近出来上がった新商品があるから、その注文にも自信を持って応えることができるようになった。
「ふわふわ……妙にかわらしい名前だけど、それをもらおう」
どういったものが来るのか、彼にはまったく予想がつかない。
しかしミズクから紹介してもらった手前、下手なこともできないから、そのまま頼むことにした。
「お飲み物はスッキリして渋みのあるお茶と、コクと甘味があるお茶、どっちにしますかしら?」
「甘味がある方もらおうかな」
「わかりました。それではすこしばかりお待ちくださいませ」
彼女がキッチンに引っ込むのと、ミズクがスタッフルームから上がってくるのは、ほとんど同時だった。
キッチンからふわふわ焼きが運ばれると、チーズの焦げる匂いが彼の鼻を釘付けにした。
「おっ、これはうまそうだな」
「とてもおいしいですわよ。食べていてくださいな。ミズクさんは準備をお願い」
「はい。キスミーさんに迷惑かけちゃ、だめですよ」
口を酸っぱくするようにマルファウトに言うと、ミズクはキッチンに足を向ける。
「わかってるとも。それじゃあさっそく……おっ、やわらかいな」
ひらひらと手を振って、彼は手でふわふわ焼きを千切った。溶けたチーズを触らないように折りたたみ、がぶりと大口で食らいつく。
噛んで噛んで飲み込んだところで、彼は紅茶に伸ばした手をぴたりと止める。
それを見たチュチュは、なにか失敗があったかと思いながら彼に近づいた。
すると、彼はもう一口分千切りながら聞く。
「この店に酒は置いてないのか?」
「ごめんなさい。飲み物は紅茶かミルクぐらいですの」
それを聞いてあからさまにがっかりしながら、マルファウトはふわふわ焼きを口に押し込んだ。
「そうか。惜しいな、ここにエールの一杯もあれば……」
「そんなに飲みたくなりまして?」
ぐいっと身を乗り出す彼に、チュチュは思わず引いてしまった。獲物を目の前にした獣だって、もうすこし慎み深いだろう。
「それはもう。この脂と塩っ気で、エールがないなんてのは酷ですよ」
ぐっと眉間に皺を寄せて、彼はばくりともう一片、口に放り込んだ。
「では、紅茶にすこしブランデーを垂らすぐらいなら……」
「うれしいが……いや、いけない。それだと逆に辛くなる」
一瞬、喜んだ顔を見せたが、彼はそれを固辞する。すこしでも飲んでしまったら、砂漠で水を欲しがるように止まらなくなると自制した。
「まあ。わがままさんですわね」
「これというのも、このふわふわ焼きとやらがうますぎるせいだ」
最後のふわふわ焼きを食べてしまうと、マルファウトはカップを手に取った。
「ありがとうございます。足りたかしら?」
「まだ余裕はあるけど、これ以上食べると我慢できなくなりそうだ」
腹をさすって彼は腹の様子を見た。
情けなく眉が下がり、食べたいけれど我慢しているという様子がありありとわかる。
それを微笑ましく思いながら、カウンターを出る。
「それでは、お菓子を持ってきましょう」
「助かるよお嬢さん。それと、お土産に一枚持って帰るぐらいはできるかな」
すこし考えて、チュチュは頷いた。
「ええ、それぐらいなら。焼き石を包めばいくらか温かく持ちましょう」
「話がわかるね、お嬢さん」
「おだてても、エールは置きませんけれど」
つんと澄ました顔で言う彼女に、マルファウトはまた情けない顔をした。
「そういうつもりでは……あったかな?」
それからお菓子を二皿とチーズのサンドウィッチも食べて、ようやく彼は満腹した。
チュチュはおみやげに焼き石入りの包みを渡し、彼から代金を受け取る。
「お菓子もうまかったよ。ここはいい店だな」
「そう言っていただければ、わたくしたちもうれしいですわ」
「俺の知り合いにも、甘いもの好きが居るんだ。今度、連れてこさせてもらうよ」
こうして知り合いを連れて来たいと思えることが、チュチュのダンジョンに客が増え続けている理由だろう。
まだまだ足りないところはあっても、それ以上のものがあるからまた来たくなる。
マルファウトもまた、そういう気持ちになっていた。
「お待ちしていますわ。……お酒は置いてませんけれど」
「そこだけが、唯一の難点だ」
特に、致命的に足りないものもあったが。
「ここがそのお菓子を出す店ー?」
「ああ。そこらの石みたいクッキーじゃなくて、サクっとしてうまいんだ」
「へー、そんなにおいしいんだー。はやく食べたいなー」
マルファウトは、ミズクに連れてこられたように、一人の仲間を連れてチュチュの店を目指していた。
彼女のように従業員ではないから、通常の営業時間に客として入るだけだ。
連れた仲間は背中に慎重ほどもある大剣を背負う少女だった。どこからそんな力が出ているのかわからないほどの力で、その大剣を自在に使う剣士だ。
ダンジョンで強力なモンスターを叩くのに、彼も頼りにしていた。
「もう見える。あそこだ」
坂を登ってすぐ、そのダンジョンは見えてくる。
清潔で白い壁と、お菓子の甘い匂い。
「……いい匂いー」
「そうだろう。お前もきっと気にいるさ」
「だといいなー」
午後の営業時間も半ばを過ぎたせいか、暖かくなってきたせいであえて外席に座る客がいるものの、中からちょうど客が出てくるところだった。
すぐに座れそうだと、マルファウトはふわふわ焼きの味を舌に思い出していた。
「座れるか聞いてくるから、ちょっと待っててくれ」
「はいよー」
外席に紅茶を運ぶグリムを見つけると、彼は座れるか聞くため、仲間に先んじて近づく。
「すまない。二人、座れるか?」
「ええ。テーブルが一つ空いています」
案内しようとしたグリムは、その背後に彼の連れの姿を見て、動きを止めた。
「なんだ、同類じゃないかー」
「ん、知り合いか?」
親しげに彼女が超えるかけるせいか、マルファウトはグリムに尋ねた。
「いえ。どなたかとお間違えでは?」
首を振って否定すると、うっすらと微笑を浮かべて、その場を立ち去ろうとする。
しかし彼女は走って近づくと、そうはさせまいと目の前にたちはばかる。
「そんなわけないでしょー」
背中から大剣を抜き放って、少女は目を鋭く細めた。
「『本』のくせにー!」
大剣を振り上げて、彼女は言い捨てた。
ここは紅茶のおいしいダンジョン――人の輪が重なり合う。




