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紅茶のおいしいダンジョン  作者: 高野十海
その2 営業編
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26/194

26 間に合った女とブランデー漬け

「もう食べられるんですか?」


 今朝方、コロンに飲み込まれてツルツルピカピカにされたミズクは、以前のようにキレイになっていた。

 制服も二つに増えたから、交代交代に使うことができるようになっている。

 これで彼女自身が汚れない限りは、まるごとコロンに包まれることも減るだろう。


「保存食だから長持ちしますけれど、一日あれば十分漬かりますもの」


 チュチュはブランデーに漬けていたものを皿に開けた。

 酒を吸ってすこしふっくらとした干しぶどうと、飴色に染まったリンゴの角切りだ。


「これ、大丈夫ですか。リンゴの色、すごいです」

「このまま食べるのは、辛いというかカラいから無理じゃないかしら」


 手で扇いでチュチュは匂いを嗅いだが、果物よりも強くブランデーが香っている。

 まろやかになった年代物のおかげか、それでも突き刺すほどではない。


「それだとリンゴは、失敗です?」


 眉を下げるミズクを安心させるように、彼女は微笑む。


「火を通してしまえば風味だけが残りますわ」


 このまま食べるわけではないと聞いて、ミズクは染まったリンゴを眺めた。


「そういう食べ方をするんですね」

「ええ。干しぶどうはそのままでも食べられますわよ」

「そうなんですか?」

「あっ」


 皿の上から干しぶどうを一粒つまんだミズクを見て、チュチュは目を丸くする。


「ん、甘……にが、苦い……っ」


「と言っても風味付けで、これだけで食べるものではありませんのよ」


 慌ててコップに水を注ぐと目を白黒させる彼女に渡した。


「ありがとう、ございます……」


 受け取った水をごくごく飲んで、ミズクは舌を出しながら何度も息を入れ替える。

 すーはーすーはーという息にはブランデーの芳香が混ざっていた。


「うう……おいしいけど、すごい味ですね」

「強いお酒に漬けているんですもの。手を出してはいけませんよ」


 ちょこんと指で額を突かれて、彼女は素直に頷いた。


「はい。もう、しないです」

「わかればよろしくってよ。ほんとうにおいしくなるのは、これからですもの」


 茶葉の乾燥を終わらせたコッツがキッチンに入ってきて、ぺこりとされこうべを下げる。

 それに合わせて、ミズクはぺこりと頭を下げそうになって、慌てて膝を軽く曲げた。

 普段からこうしてやっていないと、いざという時に出てしまうから慣らしている。


「ただいまもどりました」

「お疲れ様、コッツ。今日はブランデー漬けを試しますわ」


 キッチンの見慣れない大瓶と不思議な色のリンゴ片をじろりと眼窩で眺めると、かたりと顎の骨が一つ揺れる。


「使ったことのない食材ですね。皿に開けたのはどうします?」


 折り曲げた人差し指の節を顎に当てながら、チュチュは考えた。

 くるりとアッシュピンクの髪を捻って放す。


「ふわふわ焼きの生地に混ぜて焼いてみて下さる」

「わかりました。クッキーにも試しますよね」


 挽いた小麦と発酵種を準備しながら返すコッツに自然と口が緩む。

 自分で考えられるまでに成長したスケルトンは、立派な料理長だ。


「そうですわね……お願いできるかしら」

「はいっ」


 いそいそとバターや卵も準備するコッツに、チュチュは思い出したように声を掛けた。


「あ、それと……休憩時間の紅茶にはリンゴをスプーン半分、浮かべて下さる?」

「紅茶……ああ、そういう使い方をするんですね。茶葉は高地栽培にします」


 ぽっかり空いた鼻で嗅ぎ取りながら、コッツは頷いた。

 ブランデーとリンゴの匂いを移した紅茶は、さぞや香り高いだろう。

 果物の香りを合わせるから、ミルクに合う低地栽培より高地のものが向いていた。

 比率を誤れば酒の味ばかりになってしまうけれど、酒漬けにしたアルコールを入れるぐらいなら間違わない。


「ええ、お願いしますわ」


 キッチンを出る彼女は、その成長ぶりにすこし寂しくもあった。

 その内に自分が言わなくてもやってくれるようになるのは、子供が親離れをする感情に近いだろう。


「キスミーさん」

「あら、なにかありまして?」


 チュチュはくるりと振り返って、後ろからついてくるミズクに視線をやる。

 それから彼女が察知するセンスに長けていることを思い出してはにかんだ。

 恥ずかしさを誤魔化すように、人差し指を口に当てて、しっという擦過音。


「言わないでくださいまし」

「う、はい」


 勢いよく頷くと、ミズクは両手で口をふさいだ。

 思われているうちはまだしも、言葉にサれてしまえば白い肌はすぐさま真っ赤に紅葉するだろう。

 そうなったらダンジョンを飛び出してあたりを彷徨いかねない。


「キスミー嬢。そろそろ開店の準備の時間ではないか」


 スタッフルームから上がってきたグリムに声を掛けられて、キッチンの入り口で目を合わせていた二人はびくりと震えた。


「え、ええ、そうですわね。ミズクさんもいいかしら?」

「は、はは、はい!」

「……なにを慌てる必要がある」


 訝しげに目を細めるグリムに、二人は無駄に元気な動きをして誤魔化した。




 午前の営業を終えて休憩時間になると、キッチンからふわりといい匂いが漂ってくる。

 練り込まれたブランデー漬けが、言いようもない複雑な芳香になっていた。

 食欲をそそるというよりも、すっと落ち着くような、すこし鼻を近づけてみたくなるような、そんな風味だ。


「まだ焼き立てですから、先に紅茶をどうぞ」

「ありがとう、コッツ」


 ふっくら焼きあがったふかふか焼きと一緒に運ばれてきた紅茶のカップには、ブランデー漬けになったリンゴが沈んでいた。

 熱によって花開いた香り高い湯気が、白く立ち上っている。

 

「……なにか、緊張します」

「ミズクさんがしてくれたものなのですから、遠慮なく」

「は、はい……」


 ミズクはカップを取って、両手で包むように持つ。すんすんと鼻を慣らして、猫か犬のようにちろりと舐めた。

 チュチュも、まずは飲む前にまず匂いを味わってから口にする。


「おいしいですけれど……おいし過ぎるかしら」

「え、う、どういうことです?」


 舌を引っ込めて、くるりと大きな瞳で彼女は見上げる。


「発表会はお菓子を出すものですから、これだと紅茶が勝ちすぎますの」


 そう言われてミズクは納得した。


「そういうこと、ですか。でも、ここで出す分には、いいですよね?」

「それなら問題はありません。楽しんでいただけるはずですわ」


 今度はちびちびと味わって、ことりとカップを置いた。

 その表情には複雑な色が混ざっている。


「です、よね。……ぼくには、ちょっと、難しいです」


 ミズクには、低地栽培の紅茶にたっぷりミルクを入れたもののほうが合っていた。


「大人の人向けかもしれませんわね。注意書きしておきましょう」


 くすりと微笑んで、チュチュは彼女の分までカップを引き取った。

 それからコッツに水を一つ持ってきてくれるように頼んだ。


「ふわふわ焼きの方は、おいしいと思いますわ。さあ、食べてみて下さいな」

「ふぁい……んぐ、甘い、です。苦い……けど、甘いです!」


 彼女は、はぐはぐと口いっぱいにふわふわ焼きを詰め込む。


「焼いたことで食べやすくなっていますわね。大丈夫かしら?」

「こっちは、おいしいです! あ、う……」


 言ってしまったという顔をするミズクのあたまを撫でる。


「素直な感想が、次につながるんですから、いいんですのよ」

「う、はい……」


 千切って、チュチュも口に運んだ。すこしの苦味と、ブランデーを含んで甘くなった干しぶどうは、これだけで十分な味わいだ。

 ふすまを混ぜているからか、焼けた小麦の風味が芳醇な香りと混ざっている。

 それを包むバターの甘味が、さらに一体感を生み出していた。

 こくりと飲み込んで、チュチュはカップに口をつける。


「――ああ」


 強すぎると思った紅茶の味わいは、同じ深みのあるパンの前では、十分に調和していた。


「見えましたわ。酸っぱいデザートの出来上がりが」


 彼女の中に生まれたひらめきが正しいかどうかは、あと二日でわかるだろう。


「それはよかった。が、キスミー嬢。評価人はいつ決める?」

「……ふぇ?」


 お菓子に時間を取りすぎておろそかになっていたことに、彼女はいま気づいた。

 ここは紅茶のおいしいダンジョン――午後にやってきたアザムに頼んだ。

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