お話し
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愛実が就寝した後、天使は住宅街の中にある空き地へと向かった。新しく家を建てるには少し狭い土地幅で、有効利用するならば、きっと隣家の増築か駐車場くらいだろう。
しかし、まだ売却の予定はないようだった。
整地されていない地面は雑草だらけで、閑静な住宅街には相応しくない「買い手募集」の看板が立てられている。
「キシシ。元気そうじゃねーか」
天使はゆっくりと浮遊しながら、空地の中へと入って行った。
すると同時に、土地の真ん中に白い霧が現れる。
そして数秒後、威厳の感じる声が天使に向かって発せられた。
「何だ貴様、まだ生きていたのか」
白い霧はやがて、半透明な老人の姿へと変化した。
死してなお衰えない眼光の鋭さが頑固そうな顔つきと声によく合っている。
天使はその姿を確認するとクックと笑った。
「当然だろ? 魂回収契約の済んでいるあんたの魂がここにあるって事は、俺は転生もしていなければ消滅もしていないわけさ」
「早く回収してしまえばよいものを」
「おいおい、つまんねー事言うなよ。魂回収しちまったら、あんたの魂は俺の一部となって、こうして話すこともできなくなるんだぜ?」
「ふん。悪魔と話しても何の楽しみもないわ」
「あ。オレ今、悪魔じゃなくて天使だから。改名してんだ」
「なんだそれは。生前から思っていたが、貴様はいい加減すぎる。そこに直れ。私が仏道を説いてやる」
「天使も悪魔も、仏道とは関係ないけどな」
笑いながらも、天使は言われるままに老人の前で姿勢を整えた。
そして笑顔のまま、老人の話を聞き続けるのだった。
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九月二十四日。昼休み。
昼休みに入り、明るい雰囲気が漂う中、龍平は一人厳しい表情をして屋上へと向かっていた。
まずは昨日死相を伝えた彼女に『他人の死相が視える』という自分の力を信じて貰わない限り、先へは進めない。
しかし死期が迫っていると聞かされた人の最初の反応は、戸惑うか怒るかのどちらかになる。
「怒り、は嫌だな」
怒りという感情は龍平にとって非常にやっかいだ。
殴られるし、八ツ当たりされるし、しばかれる。挙句の果てには「お前が死ね!」と言われた事もある。
今朝に下駄箱に入っていた、「昼休み。屋上」と書かれた果たし状のような紙を握りしめ、果たしてどうしたものかと思いながら龍平は屋上の扉を開けた。
「待ちくたびれたわ」
そこには予想通り、腕組をして龍平を睨みつける七星愛美の姿があったのだった。
――間宮龍平が初めて人の死相を見たのは、小学三年生の頃だった。
同級生の顔に黒いモヤのようなものがかかっていて、周りの皆に言っても誰もそれを視えるものはおらず、信じる者もいなかった。黒いモヤが出ていた同級生からは「キモイんだよ!」と言って殴られた。そのままその同級生と大喧嘩して、お互いに口を利かずに過ごした。
そして一週間後。仲直りもできないまま、同級生は交通事故で死んだ。
当時小学三年生だった龍平にとって一週間は長いものだったし、その時は身近な人間の死というものを初めて味わったショックもあり、黒いモヤの事など気にしている余裕もなかった。
二度目は、四年生になった時だった。
親戚の顔に、モヤが見えた。
父方の実家に遊びに行った時の事で、また誰にも信じてもらえず、友人の時と同じ状況を思い出し、龍平は泣き出してしまった。両親に当時の事を告げるが、やはり信じてはもらえなかった。
しかし、そのモヤが出ている親戚の人間だけは違った。
「よし、じゃあ何があっても俺は死なない。病気にもかからないし、事故にもあわない。その代わり、龍平くんはモヤを気にしないで過ごす。それでいいな?」
果たして本当に信じてくれていたのかと問われると、そうでもないのかもしれない。
今考えれば、子どもを泣かせないように言っただけの言葉だったように思う。
それでも自分の言葉を受け取めて考えてくれた事だけは分かり、龍平は嬉しかった。
それからもすれ違った人に時々モヤが見えることがあった。けれど、龍平は気にならなくなっていた。
その人が、死ぬまでは。
「私は死ぬらしいわ」
愛美が放った一言目に、龍平はギクリとした。
殴られる覚悟はできていた。土下座する覚悟だって出来ていた。何をしてもどうにかして信じてもらえるよう説明するつもりだったが、まさか彼女自身から「死ぬ」という言葉を聞かされるとは思ってもみなかった。
「お前、本当に信じるのか? 死相を?」
「何であなたが言ってきたくせにそんな質問されなきゃいけないの」
「それもそうだ」
頭がうまく回らない。分かるのはようやくスタートラインに立てた事。龍平は大きく息を吸った。
「じゃあ、もう一度聞きたい。あんたの『死期』をずらす気はないか?」
「その前に聞きたい事があるの。あなたは何故、そんな事をやっているの?」
「なぜ?」
「そう。別に私が死のうが死ぬまいがあなたの人生には何の変わりもないでしょう。クラスメイトが死んだらショックかもしれないけど、それだけ。それくらい私はあなたに干渉していない。それなのにあんな変質者みたいな真似までして、何で話しかけたの。私にはそれが不思議で仕方ない」
「何で。って……」
何で、だろうか。
今までに龍平はこんな質問を受けた事がない。
なぜならまともに話を聞いてくれた人間すら、片指で数えられる程度だからだ。
それでも両手を超える数、声を掛け続けてきたのは――。
「人を助けたいと思うのに、理由が必要か?」
その時。
龍平はどこからか「キシシシシ!」という、自分を嘲るような笑い声が、聞こえた気がした。