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雪色の甘桜

作者: 耀雪メイカ

凍えるような冬が過ぎ去り、訪れる季節の変わり目。

街には新鮮な朝の爽風が吹き、眩い太陽が照らしゆく空は始まりを予感させる。


公園に茂る色とりどりの草花達は、皆一様にその花や葉を微風に弄ばれていた。

それは何処か舞い踊る様に見えて、まるで到来する春を歓喜するかのよう。


そんな光景を優しい眼差しで見守る一際美しい少女が居た。


彼女の正体は人間ではなく、妖怪・雪女。

人ならざる力を持ちながら、それでも人間と共存していく事を選んだ者。


彼女は雪のように白い髪と肌を持ち、深く澄んだ菫色の瞳はつぶら。

端正で慈愛に満ちた顔立ちは、見る者全てに安らぎを齎す。

ボリューム豊かなボブカットの髪に、雪の結晶の髪飾りが留められさり気なく可憐さを演出。


瑞々しい唇に塗られしは、瞳と同じ色合いをした菫の口紅。

白肌と菫のコントラストは艶かしくも絶妙で、上品な色気を湛えていた。


スラリとしながらも恵まれたスタイルの長身に纏うは、雪紋擁する白いミニの着物。

白い足袋を履き、足元を彩るは豪華な鼻緒を持つぽっくり下駄。

着物の上からフリル付きの可愛いエプロンを着て、一日の始まりに備える。


彼女は雪女伝承に垣間見られる冷酷さを欠片も持たず、静かに咲き誇るは絶世の美貌。

その在り様を例えるならば、一切の汚れを知らぬ初雪。

清楚で優雅な佇まいは魅力に満ち溢れていて、見事というより他はない。


「空は快晴、絶好の花見日和です。これなら今日もお客様一杯来て頂けますよね」

彼女……冴雪さゆきは、景色を眺めながら透き通った声で独りごちた。

見た目通り温和であり健気な性格である彼女。

そんな彼女の何よりの望みは、お客様に自慢の甘味を振舞って満面の笑顔を見る事。


彼女は雪女としての力を活かし、氷菓専門の甘味処を営んでいる。

それは生業であると同時に確かな生き甲斐でもあった。


ゆっくりと冴雪は振り返り、視線を乗って来たEV(電気自動車)の白い軽バンへと向ける。

公園の営業車専用駐車場に停まったその勇姿は、軽でありながら中々の迫力を持つ。


特注で営業販売用へ改造され、軽自動車規格ギリギリまで車体が拡張され小回りと積載の両立を実現した代物。


加えて専用デザインの外観に躍るのは、無数に鏤められた雪の結晶の模様。

更に『雪色アイスパーラー』と店名が大きく刻印されたボディは、遠くからでも非常に良く目立つ。


軽バンは屋根に大きなソーラーパネルを装備し、大型バッテリーに加えて専用の予備電源を搭載するタイプ。

その為晴れである限り、出先でも電源切れの不安は無い。

実に頼もしい冴雪達の相棒だ。


白い車体の輪郭彩るは公園の桜花。

その白と薄紅の色合いは、見事の一言に尽きる。


今日は彼女の実家である本店を休み、花見が行われるこの公園へと出張営業をしにやって来た。

遂に桜は開花時期を迎えて、世は正に花見行楽真っ盛り。

アイスや氷菓子を売る絶好の商機であると同時に、冴雪が心から待ち侘びた季節でもある。


公園を眺める最中、ふと一陣の風が吹く。

すると、仄かに朱を帯びる白い花弁が彼女の頬を掠めた。

その正体は舞い散る桜。


公園に沢山植えられた、桜の木々に咲き乱れる花。

それらが風に乗って飛んで来たのだろう。


巨大な桜の木の枝は駐車場に掛かるように大きく広がり伸びていて、まるで軽バンを包み込むかのよう。


穏やかな春風に誘われて、はらりはらりと散りゆく桜。

その様は何処か舞い散る雪に似ている。

儚さの中に息衝く確かな美があって、何処か切ない。


「満開の桜……とても綺麗」

うっとりとした表情で冴雪は思わず感嘆の言葉を漏らした。


彼女の視界一面に広がるのは、桜色の花吹雪。

正に見る者の心を奪う感無量の光景だ。


花霞に乱れ散りゆく花弁。

その様を見つめながら、冴雪は思いつく。

素晴らしいこの景色を仲間に見せようと。


早速友の居る助手席を覗くと、そこには寝息を立て安らかな顔で眠る少女の姿。

そしてすっかり寝入る少女を懸命に起こそうとする雉猫の姿があった。


「これ、姫乃! いい加減起きぬか!」

普通の猫より一回り大きな雌の雉猫は、少女の膝の上でそう懸命に声を掛ける。

長い尻尾を振りながら。


この猫は五百年を生き、人語を解する賢明なる化け猫。

同時に言葉に棲む口伝妖怪・カタリベの宿主でもある。


「万寿様……」

冴雪は自身よりも遥かに長生きしている化け猫・万寿様へと声を掛けた。

すると万寿様は振り返り、招き手で彼女に催促をする。


「悠長に見てないで冴雪も手伝っておくれ、このままでは営業に差し障るぞ」

「は、はいっ! 姫乃さん、もう到着しましたから起きて下さい!」

万寿様の言葉に促され、冴雪はドアを開けて親友の肩を揺さぶった。

二三度揺すってようやく反応した友は、寝惚け眼で伸びをし長い髪を揺らす。


「お早う冴雪。御免なさい……電子書籍読破でちょっと寝不足気味なのです。私、栞が嫌いで一気に読み終えないと気がすまない性格だから……」

冴雪の親友であり妖怪・磯姫である彼女……姫乃は、欠伸をしながらそう答えた。

そして助手席から降り、彼女はより大きな伸びをして深呼吸。

伸びる仕草に伴い、彼女自慢の長い黒髪が静かに揺らめいた。


「良かった、見て下さい姫乃さん……桜が見頃ですよ」

まだ寝惚け気味の親友に冴雪はそう言って桜色の光景を促す。

その言葉に従い、姫乃は眼鏡をかけ直しつつ大きく目を見開いて花吹雪を見入った。


「わぁ、凄く綺麗……」

言葉を失い見入る姫乃、そんな彼女の横顔を優しい眼差しで冴雪は見守る。


絶景を前に並び立つ妖怪の少女二人、けれど彼女達は姿も生い立ちもまるで反対。

北の山で生きて来た冴雪に対し、姫乃は南の海辺出身。


長身の冴雪に対し、姫乃の背は小さくその体型は小学生高学年程度。

白髪の冴雪に対して、姫乃は黒髪。

けれどその美貌だけは二人揃って素晴らしい。


かつてたった一人で海を眺め続けて来た、孤高の妖怪・磯姫。

幼くも理知的で美しい顔は、憂いを帯びた表情で強く彩られて蠱惑的。

それは一度見た人間の心を掴んで離さない魔性の魅力を持ち、妖艶極まる。


彼女の瞳は海のように揺らめく瑠璃の色合いを湛え、光の具合で虹彩移ろう様は不可思議で神秘的。

そんな眼を護るようにして、彼女のチャームポイントたる紅いフレームの眼鏡が存在感を示す。


丁寧に切り揃えられた姫カットの前髪と、豊かでとても長い黒髪には無数の護符が貼られていた。

黒髪には時折淡く青い光が紋のように波打ち、彼女が人ならざる妖怪である事を無言のままに物語る。


そして白肌に纏うは、踝まで覆わんとする長い群青の着物。

海の漣模様を擁する豪華な作りの一点物だ。

履物はお洒落な下駄と、足元にも抜かりは無い。


美しい彼女の容姿で一際異彩を放つのは、やはり護符による厳重な迄の守り。

十重二十重に施されたそれは、まるで外界そのものを拒絶するかのよう。

だが実際は全くの逆。

彼女の眼鏡と護符は、余りにも強大過ぎる磯姫の力を封印し抑える効果がある。


その姿をただ一目見ただけで死に、見られても接近されてもその命は即座に枯れ果て必ず死ぬ。

磯姫は海辺に在りて、人も神も妖怪も生きとし生けるもの等しく無慈悲に死を振り撒く。

そんな知られざる最強格妖怪の一人。

更に水を司る力は海をも自由自在に操り、海洋と同化する事さえ可能。

この類稀なる術によって水辺では無敵を誇る。


しかし磯姫が持つ過剰な力は、決して彼女自身が望んでいた物ではない。

本人の意志に関わらず死を振り撒く能力……それは自らに言葉を掛けてくれる者の存在を許さず、計り知れない孤独を生む。

そんな姫乃が浜辺を離れ、一人にならずこうしているのは偏に口伝妖怪・カタリベのお陰だ。


命も身体も持たぬカタリベは、言葉に宿りて伝承を紡ぐ……云わば生き死にの概念を超越した存在。

故に彼女が誇る即死能力を免れ、風を伝う言葉を辿って姫乃と邂逅出来た。


カタリベは彼女の存在を伝承として紡ぎ、広大なる人の世へと伝える。

同時に姫乃には人が研鑽し続けた知識と文化の素晴らしさを説く。


その言葉に人間社会への憧憬と好奇心を刺激され、彼女は人の世で生きると決心した。

姫乃は自らの意志で力を固く封じ、同じくカタリベにより外の世界に興味津々だった冴雪と出会う。


こうして北と南の妖怪はカタリベに導かれて出会い、共に手を取り合った。

生活していく為にと力を合わせ、甘味処を始めたのも丁度こんな春の季節。

故に彼女達はとても感慨深い思いを抱いている。


「ほれほれ、二人して桜を見入っている場合ではないぞ。そろそろ支度せねば」

すっかり桜に魅入られている彼女達へ、万寿様はそう声を掛けて急かす。

そう、いよいよ朝日も昇り公園にやって来る客足も増える頃合。

手早く営業準備して客を迎える用意が必要だ。


「あ、そうでした……私ったらうっかり。では早速準備を始めますね」

万寿様の声で我に返った冴雪は、慌てふためきながら軽バン側面に特設された営業用窓を開く。

するとその清潔な車内カウンターに、今日の販売分アイスを収めた立派な冷凍ショーケースの姿が現れる。


ショーケースに掛けていた保護カバーを取ると、透明なアクリル扉越しに見えるは色とりどりのフレーバーの姿。

この冷凍ショーケースは市販の物とは違い、冴雪の持つ強力な冷気を封入した物。

しかも彼女の冷気を絶えず電動ファンにより撹拌し、循環を促す作りの為冷え具合は抜群だ。


冷凍ショーケースに収められたアイスはどれも溶け出す兆候すらなく、ひんやりとした空気に包まれていた。

アイスのコンディションに満足した彼女は、爽やかな笑顔を浮かべる。

彼女は引き続きアイス用のコーンやカップの確認作業へと移行。


「ゴメンね冴雪、私も手伝う……」

慌てる彼女の姿を見た姫乃は、申し訳無さそうな声と共に手伝い出す。

彼女も軽バンの中に入り、自身の担当たるシロップ類が入った保冷庫を確認。

この保冷庫も冴雪の力の賜物で冷え具合は良好。


遅れた分を取り戻すべく彼女はテキパキと食器類を取り出し、メニューを書いた大きなPOPボードを営業窓前に立て掛ける。

ボードには一面に可愛い文字と商品の写真が踊り、書かれたフレーバーは移動販売でありながら多種多彩。


アイスの王道たるバニラにチョコレート、チョコミントにキャンディポップ。

チョコチップクッキーにメープル、キャラメルにナッツ&アーモンド。


果物系もアップルにストロベリー、グレープにメロン……レモンにオレンジと選り取りみどり。

そして春を想起させる風味を誇る、本命フレーバーのチェリーと桜蜜。


アイスも食べ方ラインナップが非常に充実しており、スタンダードな紙カップや和風のアイス最中。

更にトッピングが楽しめるさくさくのワッフルや、ソフトクリーム用で知られるレギュラーコーンカップも用意。


器に盛って楽しむも良し、手に持って食べ歩くも良し。

行楽シーズンの様々な顧客のニーズに応えられる盤石の布陣だ。


またかき氷にシャーベット、アイスキャンディーも取り揃えて移動販売で許可が降りる範囲内で贅を尽くした。

正に氷菓専門店の名に恥じないラインナップ。


彼女達はこの渾身のメニューを以って、花見出店のライバルひしめく中セールス合戦に挑む。


「冴雪、シンク周りお願いしていい? 私は椅子とテーブル準備するから」

「ええ、そちらは任せました」

小さな身体で折畳式の椅子と机の用意をする姫乃の言葉に、冴雪はそう相槌を打つ。

気心知れた仲同士、阿吽の呼吸で作業を進行。


来たる開店へ向け忙しなく動き回る二人の妖怪少女達を、万寿様は優しい眼差しで見守る。

まるで実の娘のように。


長閑な公園……小鳥達の囀りと風のざわめきに混じって響くのは、出店設営の為の作業音。

屋台用のパイプが擦り合う金属音や、囲いの布を広げる歯切れいい音色が喧騒を生み出す。

彼女達以外にも開店用意する店が続々と出て来て、公園駐車場に人と声が行き交い一段と活気が溢れた。


これは毎年恒例の、賑やかな花見の始まりを告げる風物詩。

冴雪はその様を作業の傍ら眺めていた。

高鳴る鼓動と、高揚感を感じながら。


一方車外で机と椅子の設置作業を終えた姫乃が、目立つように車の傍に幟旗を立て掛けた。

店名記したその旗は、柔らかな春風を受けて揺らめく。

万客招来の願いを乗せて。


冴雪は車内でレジの準備とショーケース・シンク回りの最終確認を終え、遂に開店準備が整う。

これで無事に営業可能となり、冴雪と姫乃は車内に揃ってスタンバイ。

そんな二人に万寿様が歩み寄る、猫らしい軽快な足取りで。


「準備はいいようじゃな、カタリベからも一言あるようじゃ……代わろう」

そう言うと万寿様は静かに瞳を閉じ、同時に自慢のヒゲがピンと跳ねる。

これは万寿様がカタリベにその身を預ける合図。

やがて、カタリベは借りた身体で静かに言葉を紡いだ。


『二人共……お客様にはくれぐれも粗相の無いように』

言葉に棲まうカタリベのそっと囁くような声が響く。

それは性別所か命の垣根をも超えた、何処か神々しい声質。


二人を気遣う言葉は伝わった傍からふっと風に溶け、不思議な余韻と共に消え去る。

何処か不器用だけれど優しい、カタリベはそんな飄々とした妖怪だ。


それを良く知る二人は何時ものように笑顔で答える。


「ええ、今日も安全第一です。気を付けて抜かりなく営業しますね」

冴雪は常日頃心掛けている胸中の決意を伝えた。


彼女の言葉は、製菓衛生師として……何より店長として雪色アイスパーラーを支え続けて来たという自負によるもの。

ただ美味しさを追求するだけではなく、食の安全を重んじ衛生と安全確保に心血を注いで来た。


冴雪の望みは、提供した氷菓でお客様の笑顔を見る事。

それを叶える為に食に対する安全・安心という基礎は必要不可欠。


だからこそ、彼女は一切弛む事無く自身に出来るベストを尽くす。

本店でも出張営業でも変わらぬ安全と美味をお客様に届ける為に。


「大丈夫だから、心配しないでカタリベ。私、接客頑張る」

紅いフレームの眼鏡を掛け直しつつ、姫乃はそう力強く宣言する。


果てしない孤独の渦中より、自らの意志で人の世へと進み出た彼女。

冴雪の助手として人と妖怪との間で交流を重ね、姫乃は幾多の成長を経て尚知識欲旺盛。

その小さな身体から並々ならぬ頼もしささえ感じさせる程だ。


彼女達の言葉を聞き安堵したカタリベは、万寿様にその身を返す。

本来であれば言葉に棲む妖怪故に、身体も宿主も要らない。

世界に遍く言葉に潜り込み、自在に伝承を紡ぐ事こそカタリベの本分なのだから。


けれど敢えてそうしないのは、偏に彼女達を見守る立場を貫く為。

北と南……遠く離れた妖怪少女を自身の力で引き合わせたからこそ、妖怪ではなく保護者として在りたいと強く望んでいるのだ。

そんなカタリベの気持ちに共感した万寿様は、宿主になる事を快諾し今に至る。


静かにヒゲが揺らめいた後、万寿様は閉じていた両目を開きゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

自慢の長い尻尾を振りながら。


「……どうやらカタリベは満足したようじゃな、ではそろそろ始めるか」

「はいっ!」

「任せて」

万寿様の言葉に冴雪と姫乃はそう続ける。

営業前にいつでもやって来た習慣、それを果たし彼女達に気合が漲る。

いよいよ本日の営業の始まりだ。


「そうそう、いつものを」

営業中と書かれた掛札を持った冴雪は、そう言ってふと思い立ったように冷凍庫を開けた。

開かれた厚い扉……ひんやり漂う冷気の奥にあるのは、ラップに包まれたプライベート用のアイス最中。


「その言葉を待ってたわ冴雪」

冴雪の行動を察し、姫乃は双眸煌めかせながら優しい笑顔で答えた。

営業前に二人してお気に入りのアイスを食べる、これは何時もやっている彼女達なりの景気付けでもあったからだ。


「じゃあ一緒に」

冴雪はそう言って二人分のアイスを納めた最中を取り出す。

一口サイズのそれを姫乃は受け取り、早速口に入れて頬張った。

それに倣い冴雪も自分のを食べる。

直後彼女達が発するは、至福の言葉。


「すっきり爽快、チョコの甘さも絶妙です」

「はぁ……幸せ」


冴雪はお気に入りのチョコミント味、姫乃は春の味覚宿したチェリー&桜蜜味。

口に入れた最中のアイス……その甘味がすっと溶け出し、二人の少女を満たしていく。


舌に躍るはひんやりとした甘さ。

さくさくとした食感の最中がそれを一段と後押しし、蕩ける感覚が堪らない。

まるで恋焦がれる少女のように、二人は身を捩りながら堪能。

格別の美味しさが二人を一層笑顔にし、甘味は今日を乗り切るだけの活力を齎す。


「アイスで心身共にリフレッシュ完了です、では営業始めましょうか」

アイスを食べ終えた冴雪は、そう言って改めて掛札を軽バンの窓口に掲げた。

それは営業開始のサイン。

同時に万寿様は車の傍に置いた椅子に軽やかに登り、招き手で客寄せを行う。


「さぁさぁ寄ってらっしゃい! 花見に合う甘〜いアイス、販売中じゃ」

愛嬌のある万寿様の声が、朝の公園に響き渡った。


営業スマイルの雉猫の言葉は、徐々に公園に増えつつあった花見客へと向けられる。

その物珍しさから客の目を引き、ぽつぽつとその足は店へと向かう。


今日は雲一つ無い晴天の空、気温も上昇傾向。

絶好の花見日和であると同時に、アイスが楽しめる気候でもある。

その狙い通り第一号のお客様である少女が来店。


風貌は春休みを満喫する女子中学生と言った趣で、暖色系の春物コーデで身を固めとてもお洒落な感じだ。

ワンピース主体のとても動き易い格好で、活発な印象を抱かせる。

記念すべき本日最初のお客様へ向けて、姫乃は丁寧なお辞儀をした。

そして爽やかな営業スマイルと言葉で接客に応じる。


「いらっしゃいませ、春向けフレーバー色々揃っています。是非ゆっくりご覧になって下さいね」

長く接客して来ただけに、その所作は洗練されていて実に見事。

その動作に思わず見惚れた客の少女は、照れ隠しの笑顔と共にこう答える。


「どれも美味しそうですね、んー……どれにしようかな」

彼女はPOPボードを眺め、少し迷った末にアイスを注文した。


「じゃあ、オレンジのLサイズをダブルでお願いします。ワッフルコーンで!」

「かしこまりました、暫くお待ち下さいね。オーダー入ります〜」

注文を受け取った姫乃は、冴雪へと口頭でオーダーを伝える。


「はい、かしこまりました」

オーダーを聞いた冴雪は笑顔と共にそう答え、さくさくのワッフルコーン片手に冷凍ショーケースを開く。

そしてアイスを掬う器具・アイスディッシャー片手に、とても慣れた手付きでオレンジフレーバーを掬った。

すると冷気に護られた平坦なアイスが球状となり、あっという間にコーンに盛られる。


立て続けにもう一つコーンに盛って無事注文は完成。

こんな短時間でダブルを作る、それは激しい冷気をものともしない雪女だからこその技。


「お待たせしました、350円になります」

そう言って冴雪は朗らかな笑顔と共に、出来たてのオーダー・ダブルオレンジを客の少女へと手渡しした。

2つ縦に並んだ橙のアイスから、仄かな柑橘系の香りと共にそっと冷気が流れ出す。


「わぁ、凄いボリューム! 電子決済でいいですか?」

注文した少女は片手で受け取ったアイスに圧倒されながら、もう片方の手でポケットからスマートフォンを取り出した。

同時に視線で読み取り機の在り処を探す。


「はい、決済はこちらでどうぞ」

姫乃はそう伝えながら、掌でレジ横の小さな読み取り機を指し示した。


「どうもっ!」

少女は笑顔で礼をして、読み取り機にオレンジ色のスマートフォンを翳し電子決済完了。

決済認証完了のベル音が鳴り響き、本日最初の注文を無事完遂する。


「有り難うございました、またのお越しを!」

「またのお越しをっ!」

お客様への感謝の言葉……冴雪と姫乃のシンクロした声に遅れて、万寿様の声が去りゆく少女の背へ投げ掛けられた。

彼女は早速オレンジアイスを頬張って居る様子で、その背中越しからでさえご機嫌な様子が伺える。

きっと冴雪が丹念に作ったアイスの味に大満足なのだろう。


望みが叶ったという満足感を抱きながら、冴雪はほっと息を吐く。

アイスパーラーを運営して来て、喜びを覚える瞬間だ。


しかしそれに浸る間も無く、次の客が到来。

今度は集団での来店だ。


その奥には更に多数の人々が居り、徐々に行列を形成していく。

多忙になる嬉しい予感と共に、彼女は次のオーダーに備えた。


「出足は上々、気張ってゆくぞ」

「はい!」

万寿様の言葉に、冴雪は凛々しくそう答え姫乃は営業スマイルで客を出迎える。


バニラにチョコ、メープルと矢継ぎ早に舞い込むオーダー。

ワッフルコーンにカップ、最中と食べ方の希望も様々。

けれど的確に姫乃が接客し注文を受け、冴雪が手早くアイスを作成。


この的確な分担のお陰で彼女達はてんてこ舞いになる事は無い。

増える客足に比例し舞い込むオーダーを、ミスする事無く巧みに捌いていく二人。

多忙な時間の流れと共に、日は徐々に昇って行く。


まだ少し肌寒い風と春の陽気が絡み合って、心地良いゆるりとしたひと時。

咲きたての桜の香りは鼻孔を擽り、春を謳歌する蝶達は桜吹雪と戯れるように羽ばたいていた。


やや控えめな陽射しは桜葉のシルエットを浮き彫りにし、快晴の青き空が桜花の薄紅を引き立てる。

その風景が生み出す至高の開放感は、花見客達の心を大いに弾ませ持て成す。


そんな光景を営業窓越しに目の当たりにしながら、冴雪はオーダーに素早く対応。

季節の美が生み出す幸せを噛み締めながら、彼女は自らのベストを尽くしアイスを作り続けた。

彼女を支えるべく姫乃は接客に奔走、万寿様は客の呼び込みに余念が無い。


やがて昼食時に差し掛かり、賑わっていた客足が落ち着いた頃。

サンドイッチで手早く昼食を済ませた冴雪は、駐車場をうろうろする一人の幼い少女の姿を捉えた。

不安に駆られ辺りをキョロキョロと見回す様子から察するに、どうやら迷子らしい。


「あら、あの子もしかしたら……」

「うん、気になるね」

思わずそう呟いた冴雪に、姫乃はそう相槌を打つ。

熊のぬいぐるみを抱えた少女の姿は何処か弱々しく、今にも泣き出しそう。


公園は既に黒山の人だかり。

あちこち大賑わい状態に加え、お昼時という事もあって人の往来が激しい。

これでは迷子になるのも無理はないだろう。


「万寿様、私ちょっと行って来ます」

冴雪はそう言うと、思い切って店を出て迷子の子の元へと駆け寄る。

彼女は困った人を放っておけない性格なのだ。


「迷子は任せたぞ、冴雪! 姫乃は油すましに連絡を!」

その姿を見て万寿様はそう迅速に決断を下した。

頼れる妖怪に報せを入れよと。


「分かった、ちょっと待ってて」

要請に応じ姫乃は防水スマートフォンを取り出して、早速電話を掛ける。

焼き鳥の露天を出している、商店街会長の油すましへ。


彼はとても面倒見の良い好好爺であり、度々冴雪達の力になってくれた妖怪。

義理堅く愛嬌あるその人格から、人と妖怪双方から頼りにされている大黒柱だ。

花見で迷子が出た場合、まず一番に彼へ連絡を入れるという取り決めになっていた。


姫乃が連絡を入れている間、冴雪は優しく迷子の少女の手を取り語り掛けながら店へと導く。

人出の多い環境の場合、迂闊に動き回ると却って行き違いになる場合もある。


その為放送案内を入れて貰い、一箇所に留まる事が重要。

イベントでの移動販売経験が豊富だからこその知恵だ。


「大丈夫、心配しないで。ご両親は必ず来て下さるから、私のお店で一緒に待ちましょうね」

少女の不安を優しく拭うように冴雪は語り掛けると、彼女は静かに頷く。

その様子を見て、冴雪は静かに微笑んだ。


迷子の少女とのやり取りで分かったのは、その名が仰木さくらである事。

そして5歳の人間である事の2つ。

冴雪は軽バン前の椅子に彼女を腰掛けさせて、名前と特徴を通話中だった姫乃に伝える。


すると姫乃は頷き、迷子案内放送を油すましに依頼。

無事伝え終えた彼女は、スマートフォンを仕舞い冴雪達の元へやって来た。


伝達して間もなく、公園のスピーカーから一斉に迷子案内が放送され賑やかな公園に声が迸る。

名前と特徴……それに現在位置が大々的に流れたので、後はご両親の到着を待つばかり。

もう心配は無い。


けれど少女は俯いたままで、何処か不安そう。

ぎゅっと熊のぬいぐるみを抱き締めたまま、離そうともしない。


「パパとママ、早く来ないかなぁ」

迷子の少女・さくらは、瞳潤ませてそう呟いた。

見慣れぬ場所で両親と逸れ、孤独と不安に押し潰されそうになっているのだろう。

そんな彼女を二人の妖怪少女達は揃って優しく慰める。


「放送されたから大丈夫、もう安心だから」

「冴雪の言う通りよ、泣かないで……ね?」

さくらに掛けた冴雪の言葉を姫乃がフォロー。

しかし願い虚しく少女の表情は曇り、今にも泣き出しそうになる。


その姿はとても痛々しくて、見ているだけでも心が張り裂けそう。

同時に冴雪と姫乃は、さくらの姿を過去の自分に重ねていた。


北の山……万年雪の隠れ里で氷雪に囲まれ、無為に過ぎ去る月日を重ねていた孤独なあの頃を。

南の海辺でたった一人……命の存在出来ない領域で、ただ漣を眺め続けていた日々を。

自らが何故妖怪に生まれ、何を成し得るかさえ解らなかった無力なかつての姿。


けれど今は違う。

出逢ったから、繋がったからこそ生み出せる……自身と他者の協働で初めて紡ぎ出せる希望の光。

その尊さを知る今ならば。

沈むさくらの気持ちをきっと和らげる事が出来る筈。


切に彼女を救いたい……そんな直向きな気持ちが、冴雪と姫乃二人の中で溢れゆく。

二人はさくらの為に何か出来ないかと思案を重ねた。


やがて必死の思考と感情が冴雪の脳裏で弾けて、咄嗟に一つのアイデアを閃く。

彼女を笑顔にする取って置きの手を。


「そうだ、このまま待つのも退屈ですし私達から素敵なプレゼントを贈りましょう」

「プレゼント?」

「ええ、目で見て楽しめる……とびきり甘くて美味しい氷のお菓子を!」

掌を合わせて発した冴雪の言葉に、さくらは首を傾げる。

けれど続いて発せられた、『甘くて美味しい』というフレーズに惹かれ表情に明るさが戻った。


乙女は誰しも甘味の虜、故に甘味は沈んだ気分を治す特効薬。

それはどの世代にも共通する物だから。


「あれを作るんだね、ちょっと器一式持って来る」

「お願いします、姫乃さん」

冴雪の言葉からやるべき事を察した姫乃は、軽快な足取りで車内へと赴く。

そして透明な硝子の器と木製スプーン、更に紅桜色のシロップの入った容器を持って来た。


綺麗な器とスプーンを少女の座る席のテーブルに置き、二人の妖怪は共に頷く。

さくらの心を救いたい……その気持ちを同調させて、自身の力を発揮する為に。


「よ〜く見ててね、私達とこの季節が作り上げる貴女への贈り物を!」

笑顔と共に姫乃は少女にそう告げると、水を司る磯姫の力の極一部を発動。

紅桜色のシロップを入れた容器の蓋を開け、静かに掌を翳す。


すると爽やかに薫るさくらんぼの匂い。

このシロップの正体は、さくらんぼから抽出した果汁と桜花の蜜……これらを混ぜた特製シロップ。


甘く豊かな香りが、少女達の居る空間を彩っていく。

しかし磯姫の力の真価はこれから。


手を翳す姫乃の髪に幾重もの波紋が迸り、忽ちシロップは薄紅色の霧と化していく。

極めて高い精度で水分そのものを制御し、一切熱を加える事無く霧を生み出したのだ。


「わぁ、とっても不思議……」

生まれて初めて見る不思議な光景に、さくらは思わず感嘆の声を上げた。

練り上げられた霧がゆっくり立ち昇り、まるで意志持つように漂っていたからだ。


水を司る最強格の妖怪・磯姫の力。

十重二十重にも封印を重ねて尚強大な力の片鱗を、彼女は強靭な意志を以って振るう。

目の前の少女を救う、ただその為だけに。


「次は私、行きます!」

続いて冴雪が雪女の力を発動する。


彼女が天へと掲げた掌から冷気が生じ、桜吹雪舞う春風に緩やかな旋風を巻き起こした。

冬の先触れに似た風は、やがて渦巻き硝子の器へと収斂していく。

姫乃が生み出した霧を優しく包み込みながら。


存分に桜の香気を湛えた春風は、シロップの霧と混ざり合い始める。

その瞬間を見計い、冴雪は両掌を硝子の器に向け冷気を収束。

するとシロップの霧を核に、風に含まれる水分が徐々に凍りつく。


硝子の器に花開くは、桜の花弁に似た氷の結晶達。

渦巻きながら静かに積もっていく様は、何処か綿菓子の生成過程にも似ていた。


春風の白とシロップの薄紅が綺麗に混ざり、絶妙な春色グラデーションを描き出す。

その姿は最早芸術品そのもの。

水を自在に操る磯姫と、氷雪を司る雪女の力のハーモニーが生み出す奇跡だ。


「凄く綺麗!」

それが生成されていく様子を、さくらは目を輝かせながら見つめていた。

彼女は妖怪少女達が成す氷菓作成にすっかり夢中のようで、その表情には驚きと共に喜びに溢れている。


そんな少女の期待に応えるべく、姫乃と冴雪は力を振るい続けた。

姫乃はより霧を丁寧に分散させ、甘味の芯を作る為に。

冴雪は冷気を制御し、ムラが出来ないように……そして氷菓子が溶けてしまわぬよう。


「仕上げ任せたよ冴雪!」

「ええ!」

パートナーを信頼する姫乃の声に、冴雪は凛々しく答えた。

集中力を一段と増した姫乃は、春風に含まれる水分から桜花の匂いだけを抽出し硝子の器へと導く。

それを冴雪が巧みに凍てつかせて形成作業を進行。


互いに共鳴し合い、一糸乱れぬ二人の力。

水と冷気の共演で創り出すそれは、遂に完成の時を迎える。


その氷菓を例えるならば、硝子の器から天空へ高らかに咲き誇る八重桜。

薄紅色した氷の花弁が幾重にも積層され、厳かな冷気を放っていた。


かき氷とは似て非なる、シロップを核に春風そのものを凍てつかせて作る氷菓。

世界で彼女達の手だけでしか作れない、正しく春の結晶だ。


「出来ました! この氷菓子の名は『雪色の甘桜』……貴女と同じ桜の名を持つ、私達からのプレゼントです。さぁ、溶けない内に召し上がれ」

「美味しさは保証するよ、さぁ食べてみて」

万感の思いを込めて作り上げた傑作の氷菓、冴雪と姫乃の二人は優しい微笑みと共にさくらに勧める。

彼女は大きく頷き、早速木製スプーン片手に一口頬張った。


その瞬間、氷菓はさくらの舌の上で雪解けのようにふわりと蕩ける。

同時に彼女の表情に極上の笑顔が弾けた。


優しい口当たりは春の日射しのように柔らかく、全く尾を引かない上品な甘味を伴う。

何処か刹那的なその甘味は、桜の在り様そのものを表現していた。


「美味しい!」

さくらは満面の笑みを浮かべながら叫んだ。

そしてもう一口、更に一口とスプーンを運ぶ手が止まらない。

その度にさくらの口の中で春が咲き乱れ、甘味は桜吹雪となりその舌を潤す。

この世のどんなかき氷ともアイスとも違う未知なる味に、彼女は興奮気味だ。


彼女はすっかり雪色の甘桜に魅了された様子で、器に盛られた氷菓がみるみる内に無くなっていく。

同時に、冷気と共に漂う香りの虜にもなっていた。


この氷菓は決して味だけではない。

凝縮した春の香りをも凍らせた、云わば季節の結晶。

その香り成分がそっと溶け出し、さくらを楽しませているのだ。


余りの美味しさと芳しい香りに、抱えていた不安は綺麗に霧散。

彼女は食べる事に余念が無い。

スプーンを運ぶ度に漂う香りが……そして優しく溶け出す上品な甘味が、さくらの笑顔をより素敵なものにしていく。


彼女の表情に花開く天真爛漫な笑顔を、慈しむような気持ちで冴雪と姫乃は見守った。

妖怪少女の胸中に揃って達成感が満ち溢れ、さくらのスプーンが進む度にこの場に香りが溢れる。

その香りを万寿様も楽しんでいるようで、尻尾をゆらゆらと揺らしご機嫌そのもの。


やがて硝子の器が空になる頃、遠くから店へと駆け寄って来る若い夫婦の姿が視界に入った。

きっとさくらのご両親なのだろう、とても慌てた様子だ。

彼等は到着一番に冴雪達にお辞儀をし、厚く礼を述べる。


「すみません、昼食時の混雑で逸れてしまったようで……娘が大変お世話になりました。さくら、さぁお姉さん達にお礼を」

若い父親が誠意を以ってそう言うと、彼の足元に抱き着いたさくらは振り返り明るくお辞儀をする。


「お姉ちゃん達、有難うっ! とっても美味しかったよ」

礼を言うさくらの表情に、もう出会った時の陰りは無い。

歳相応の少女が見せる、純粋な感謝の言葉と笑顔。

冴雪は温かい気持ちで胸一杯になりながら、真っ直ぐな礼で応えた。


「いえいえ、どうかお気になさらず。無事合流出来て何よりです。ここの桜は見頃ですからお花見、是非楽しんで行って下さいね」

「改めて有り難うございます、本当に助かりました」

店を代表し笑顔で発した冴雪の言葉に、母親は心からの感謝の意を表す。


そして無事合流出来た家族は、これも何かの縁だからとアイスを注文してくれた。

冴雪はオーダーに応え、バニラ味のアイス最中を作り手渡す。

すると重ね重ねの礼と共に、家族3人は花見の為公園へと向かった。


幸せそうに3人連れ立って、桜霞に消えていく……その背を見送りながら冴雪達は安堵する。

これにて迷子は一件落着、後は午後の営業に備えなくてはならない。


「二人共、実に良い行いをしたな。カタリベも満足している様子じゃ」

万寿様は冴雪達の対応を褒めるようにして尻尾を振る。

おおらかな表情の奥には笑顔が垣間見え、保護者としても満足なのだろう。


「ええ、頑張った甲斐がありました」

冴雪は家族の背中を優しく見送りながらそう呟いた。

その胸中に溢れる程の満足感を抱きながら。


「誰かの為に動いて帰って来る笑顔、か。何だか凄く良いよね、こういうの。浜辺から出て来て良かったな、本当に」

そんな冴雪の言葉に同調するように姫乃は語った。

かつて孤高の磯姫だった頃には、決して味わえなかった感情。

だからこそ彼女にとっては何よりも眩く、そして尊く感じられる。


「とても解ります、その気持ち」

内心告げる姫乃の言葉に、冴雪も微笑みながらそう言って同意した。


人と気持ちが通じ合うという事、そしてその過程で生まれる笑顔。

繋がっているという確かな感触は、掛け替えのない安らぎと幸福感を生み出す。


長らく一人だった姫乃にとって、それは何物にも代え難い物。

彼女はカタリベに対する感謝の念と共に、この感覚が齎す温もりを噛み締めた。


だがそんな温もりに浸る彼女のエプロンポケットから、突如流行りの着信音が鳴り響く。

愛用の携帯電話が鳴っているのだ。


彼女は慌てて電話を取り、的確に受け答えをする。

手短に要件を済ませた彼女は、携帯をポケットに戻しつつ口を開いた。


「会長からだったよ、迷子は無事一件落着だって伝えておいたから」

姫乃は油すましに迷子の件での報告を完了した意を示す。

彼女は電子機器の扱いを得手としていて、店の連絡を一手に担っているのだ。


「ふむ、これで油すまし達も一安心じゃろう」

それを聞いた万寿様は、大きく伸びをしながら椅子に飛び乗る。

憂いの無い晴れやかな表情で。


そうこうしている内に昼食時は過ぎ、穏やかな昼下がりが到来。

客足も徐々に増え出し、雪色アイスパーラーに人の列が出来始める。

午後の稼ぎ時の到来だ。


「これは午後も多忙を極めそうじゃな、さぁ気張ってゆくぞ」

「はい!」

万寿様の言葉に、冴雪は笑顔でそう返した。

胸中に芽生えた喜びを大切に抱き締めながら。


彼女の望みは満たされ、一人の少女に笑顔を齎した。

それは確かな誇りとなり礎となって、冴雪を支える掛け替えのない財産と化す。


彼女はそれを糧に、アイスを作り続ける。

もっともっと沢山の人に笑顔を届ける為に。


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― 新着の感想 ―
[一言]  季節感の醸し方が絶妙であること、全体的に表現・描写に気を遣っていることに、好感を抱きました。  主人公達の能力がアイス作りに生かされている――つまり設定が死んでいない――ということには、舌…
2015/05/05 07:31 退会済み
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