道場破り/幕開け
バレンタインですねー。
家族以外にもらえるあてはありませんが・・・でも、チョコくれる家族がいるのはいいことですよねー。
それだけ最低限は仲がいいってことですから。
この小説の恋愛も始まってきました。
何事かと慌てて階下へと降りると、そこにはすでに私以外の四人が揃っていた。
父、母、祐人、そして闖入者――というか、昨日の男性だった。
私が目を見開く中、その男はふてぶてしく周囲を見渡していた。
「何事だ」
父さんが堂々とした不審者に向かって声を投げかける。不審者は、くっくと喉を鳴らす楽しそうな笑い声で説明をした。
「道場破りだ。ああいう掛け声を使うんじゃないのか?」
遊びのような男の反応に、父さんが僅かに眉をしかめて、それでも律儀に対応した。
「……今時、看板を掛けて戦うと?」
「そうなるか。とにかく、戦え」
侵入者の不遜な態度を歯牙にもかけず、父さんは「分かった、用意をしよう」と奥へと引っ込んでいく。
一体何が何やら。男に事情を聴きたい気もしたが、それをしたら何かを勘ぐられるかも知れないと思うと話し掛け辛い。男性の方を向くと、にこりと無害そうな微笑をこちらに向けてきた。
――いったい何をたくらんでいるのか。
そうこうしている内に、父さんが道着に着替え、竹刀を携えて戻ってきた。
「用意した。し合おうか」
「そうか。……悪いがあんたの竹刀を貸してくれるか?」
「え、私?」
「オレは竹刀を持ってないからな」
言われて気付く。男は何も持っていなかった。せいぜい簡素な手荷物くらいだ。
……そういえば、昨日も無手で私を倒したのだったか。
「わかったわ」
道場破りなのに得物を持たないとは何事かと思いながら、昨日のこともあり私は素直にうなずいた。
訝しげに男を眺める父さんを置いておいて、駆け足で部屋に戻り、竹刀入れを持って降りる。
「さんきゅーっと」
「さて、改めてし合おうか」
男が竹刀を取り出すと、竹刀入れをこちらに投げ渡す。そして片手で竹刀を構えた。
「勝負は一本入るか、どちらかが負けを認めるかだ」
「……異存無し」
道場の中央で、二人の剣士が対峙する。いや、片方でいえば剣士なのかすら不明だ。構えは素人くさく、けれど不思議と隙が見当たらない。
双方から放たれる重たいプレッシャーが、道場の内部をゆったりと満たす。
すでに始まっているのか、それとも何か合図を待っているのかは知らない。けれど、周囲の全ての行動を拒絶するだけの緊張感が私にも伝わっていた。
ごくりと、私の息を呑む音までもが道場に大きく響くような気がした。そしてその瞬間に父さんが大きく踏み込んでいた。
「っ。はあ!」
「ふっ!」
挑戦者は竹刀で弾こうとしたが、力が足りなかったのか、ほんの僅かに父さんの竹刀の軌道を逸らすにとどまった。しかし、それでも当たらなかったことに違いはない。男は一瞬出来たであろう猶予時間に、父さんへと手を伸ばしていた。
父さんが足の向きを変え、剣先に力を込めた。ぐっとしなるように力が竹刀に伝わり、あっという間に男の竹刀ごと抑え込まれる。
「っと……」
その力に逆らうことなく、かと思えば弾かれるように男は独特とも思える足さばきで間合いを大きくとった。体の向きを変えて、男と向き合った父さんは一瞬踏み込もうとして何故か体の動きに急制動を掛けた。
何故止まったのか――その答えは一瞬の後になって分かった。
「やあぁ!」
フェンシングのように素早い突きが、父さんの僅かに下がった手元へと伸びていた。そのまま移動していれば、浮くように足が離れた数瞬の滞空時に、切っ先が胴へと吸い込まれていたに違いない。父さんはそれを難なく避けて、横薙ぎに竹刀を振るった。
「はああああぁ!」
「うおっと」
だが、男は突きの最中から前屈していた体を地面すれすれまですべり込ませて、下に回避。事前に察知していないと、こうはいかないだろう。恐ろしく勘が良い。
「よっ!」
――そして次の瞬間、驚くべきことに一瞬竹刀を手放した。
「なっ、に?」
間合いは既にお互いの手が届く範囲にあった。
横薙ぎの為に力のかかっていた足を、腕を軸にした下段の回し蹴りで払われた父さんが倒れる。その間に男は一度床に倒れ込むと竹刀を手にして、くるりと回って獣のように起き上がった。
「チェック」
だが父さんも、完全な不意打ちを決められながらも竹刀を持った手を離さずに片手で受け身を取り、すぐさま片膝を突いた形まで持ち直した。そして、その形から打ち返すことはもちろん可能だ。
勢いに乗った男の下段からの振りあげに、父さんは相手の竹刀の根元を封じる為に剣を正眼に構えた。そして、抑えられた男の竹刀は動きを阻害され――
「メイトだ」
――る直前に、再び男の手元から離れた。
「くっ」
竹刀は床を滑るように高速で移動し、父さんの――誰の予測もしなかった軌道で飛んでいく。
慌ててそれを叩き落とした父さんだが、その一瞬で数メートルもなかった二人の距離はゼロとなっていた。
「悪いな」
そのまま父さんの腕を背後まで持っていくと、男は父さんを柔術で組み伏した。
「さぁて、どうする?」
男の腕がぎりぎりと動く。それに合わせて、父さんの険しい顔に悔しさと言ったものが浮かんでいた。
「……。参った」
――それは私が初めて見た、父さんの敗北だった。
「……剣に敗れたわけでないのは不服だが、看板を持っていくのなら持っていけばいい」
「そりゃあ要らねえよ。ただ、勝利者の褒美は要るけどな」
力の抜けたような父さんとは対照的に、にっと男は笑うと床に手をついて頭を下げた。
「オレをしばらく居候させてくれ」
そしてそれが、初めての同居人が生まれた瞬間だった。