日常に紛れ込む時代錯誤
それから一夜が明けて、目の前に広がるのは自分の部屋だった。
その当たり前の事実が、どことなく嬉しかった。昨夜、復讐の為に向かった外れ通りで、良く分からない男性に出会い、敗れて、全てを失うことを覚悟したのに。
「結局、本当に何もしなかったわよね」
知らぬうちに何かをされた覚えもない。それに、そんな痴漢プレイをするくらいなら堂々と襲うだろう。……本当に、話を聞いてそれだけだった。
「悩んでもしょうがない、か」
ともかく今は家の中なのだ。思わぬ円高による不景気な顔をしていても仕方がないし、家族に悟られる訳にもいかない。
階下へと降りて、さっさと道場で、日課の精神集中でもしておこう――と思い立ち、顔を洗って道場へと向かった。
「姉さん。おはよう」
「おはよう、裕人」
「…………」
挨拶を返してくれたのは弟だけで、父さんはと言うと軽く会釈をしただけだった。今はとにかく集中して、後で改めて言うはずだ。
私は祐人の隣に座り、姿勢を正すと心を落ち着けた。慣れたもので、すぐに周囲の雑音は響かなくなる。代わりに些細な世界の声――風の音や、地面の振動が体に伝わってくる。
昨日は、こんなものを感じる余裕はなかったはずだけど。慣れたのかな、今の精神状態に。
三人でそっと時間を過ごすと、軽く打ち合いをして朝食となった。
食事の内容は、味噌汁と白米と、焼き鮭。オーソドックスな和食だ。
「姉さん。今日も剣道部は休むの?」
「えぇ、もうちょっと休むわ」
裕人の言葉に特に悩むでもなく返した。最長で、今週いっぱいを休もうかと考えているからだ。
私のそんな言葉に裕人は残念そうな顔をした。
「燐さんがずいぶん心配してたからね。ケガのこと、言ってないんでしょう」
「……心配させたくなかったから」
私の浅はかな葛藤を何でもないと言う風に、裕人は肩を竦めた。姉をもう少しは尊重してもいいんじゃないかと思う。
「まぁ、適当に誤魔化しておくけどね。ノロウイルスってうつるんだっけ?」
「うつるわよ。あんたはもうちょっと勉強を何とかしなさいよ」
遊びほうけている訳じゃないけど、勉強が偏っているとは思う。
「細かいなぁ……そういう姉さんは、そろそろ彼氏とか見つければ? ファンクラブがどういう反応するか、分かったもんじゃないけど」
「……そんないい相手なんていないわよ」
吐き捨てるように言うと、さっさと自分の食事を平らげて、自室へと引っ込んでいく。
「あらぁ……杏華ちゃん、もういいの?」
「うん」
自室に戻る為、階段を駆けあがり終えると――
「たのもうっ!」
「……へっ?」
階下から時代錯誤な掛け声が響いてきた。