影たちの密会
狩野組の本家からは少し離れたところに在る、使われていないビルの四階。問題なく狩野組の入り口が見え、冷たい空気の流れ込むそこに、今は十以上の影があった。
「……へぇ。良い場所選んだな」
新しく入ってきた男女の影の内、男性の方が口笛でも吹きそうな調子で呟く。
女性の方は委縮してしまっているようだったが、男性が肩を抱くとそれも収まった。
「いやぁ……伊達に指導は受けてませんから」
「ちゃんと活かされているようで嬉しい限りだ」
影の一人――和樹が緊張を孕みつつも、程よく力の抜けた声で応じた。
本当は和樹の助言もあったのだが、答えた彼方が『デキる奴』として信頼を得られるように、軽く一芝居打ったのだ。
事前に電話越しで話した時に「良い場所を選んだな」と前以って言われていた彼方も、和樹が『わざわざ』自分が関わっている件に触れることに意味を見出し、薄らとその意図を察して『和樹が関わっていない』ように答えた。
そのことに和樹は満足しつつ、周囲の面々を眺め、そして窓の外――肉眼では見るのが困難な、狩野組の方を眺めた。
緊張に引き攣っていた顔もあれば、程よく緊張しただけの顔もあった。それらは程度の差こそあれ、等しく和樹の登場に気を緩ませている。それと同時に、もう一人の影――杏華も少し注目をやや集めているが、事前に連絡があったので『少し』で済んだ。
杏華よりも自分に目が集まっているのを確認し、和樹はタンッと小さく音を立てた。
音が空気の糸が張るように、緊張が小さく伝わっていく。そのことを確認するよりも早く――仲間の意識が切り替わることを信頼して――口を開いた。
「さててめえら。作戦の概要は知っての通りだろう。取引開始が、夜の七時……後二時間くらい。丁度、暗くなった頃だな。多少前後するかも知れねえが、作戦開始の合図は事前連絡の通りに、監視する彼方が行う」
『オスッ』
外に気取られないように、低く、控えめに腹から声を出して、周囲の影が応える。因みに、応えない――と言う選択肢は、余程でないとない。これは一種の自己暗示で、いつも通り――あるいはいつも以上の動きが出来るようにという、作戦前の慣例なのだ。
閑話休題。話を戻すまでの間に事前に通達されていた作戦の確認が終わり、幾つもの赤い丸の示された地図上が、彼方のポケットに戻された。
オレが良いと言うまでは喋るなよ――と、事前に言われていた杏華は無言のまま、周囲の顔ぶれを確認した後――確認の度に響く『オスッ』と言う声を聴きながら――ひたすらに和樹の一挙手一投足を見つめていた。
「――で、何か質問あるか?」
和樹がニヤリとでも口にしそうな、人の悪い笑みを浮かべる。
作戦の内容は杏華にも筒抜けだ。そのことを伺うように、杏華をちらちらとみる若者が一人いたが、彼は何も喋ることはなくその――部屋の中央壁際に居る杏華から見て――反対に居る、中年一歩手前の男性が何のアクションもなしに口を開いた。
「……連中のバックに、北山会が居るっていうのは本当か?」
その言葉に、ここに居る全員が少なからず動揺を見せた。
作戦会議中に確認した影は、杏華から見て明らかに堅気ではない人間も居れば、普通のサラリーマンと言われても信じられるような人間もいた。その全員が、どこか和樹と似た、落ち着いた雰囲気を見せていたから、その動揺具合については少し意外だった。
――が、無言を言い渡されている杏華には質問できるはずもなく、事の成り行きを見守る。
動揺の広がる中で、和樹は先ほどと同様に軽い笑いを見せながら、
「本当だ。だが、本当だろうと嘘だろうと、やることは変わらない……違うか?」
むしろ挑発的に問い返した。その言葉に返す言葉が無くなった男性は、そのまま無言のまま引き下がる。
「事前連絡の通り、北山組の関与は本当だが――オレは、今回その報復に北山組が動くことはないと踏んでいる」
その一言に心持ち面を上げた面々に、更に安心できる言葉を畳み掛ける。
「――それに、予想が外れた場合は、オレが責任とって相手するさ」
それはつまり、一人でも組を守る――ということだ。
その言葉を言わせたと言う己の不甲斐なさを恥じ、一同少なからずさらに顔を引き締める。
僅かな間を置き疑問を呈したのはまた別の、中年の男性だった。
「――その女を、連れて行くのか?」
「ああ。文句あるか?」
「――分かっているんだな?」
「……ああ」
外から見れば、何を言い合っているのか良く分からないやり取りを繰り広げ、二人は沈黙した。
その後、小さく呟くように口を僅かに動かすのを彼方は捉えた。唇を読むと、「死なねえし、死なせねえよ……」と聞こえた。そして、その言葉をしっかり呑み込んだように面を上げ、声を上げる。
「――さぁ。もうないな? オレは死なねえ。だからてめえらも、死ぬんじゃねえぞ!」
『オスッ』
何人かが、和樹の激励に応じて声を出す。他の仲間も、その顔には十分な覚悟と気合いが満ちていた。
――もう、大丈夫だろう。
「んじゃ、いつも通り逐次ビルを出て持ち場につけ。異常、気付いたことがあれば、彼方に知らせろ――以上だ」
和樹は一切の不安を見せず、ニカッと笑う。そして人の目に見つかった場合、不自然に映るのを避けるために、小分けにして作戦会議場から追い出した。
窓からの監視で見える空は、闇の帳はまだまだ下りていない。けれど、薄くオレンジ掛かってきた空は、夜が近付き――暗幕が下りていく気配は見せつつある。
幕が下りた後の舞台裏の喧騒が、今から耳に鳴り響くようだった。




