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行動開始

 放課後。燐に体調を理由に剣道部を休むことを伝えると、心配そうな後輩に「大丈夫だよ」と声を掛けて一旦家に戻った。

「ただいま」

「おかえり、杏華。やっぱり今日は練習を休んだのね」

「うん、まぁね」

 古びた家には父と母が居たが、父は道場で稽古をしていたためお出迎えはなしだ。

 脇腹の傷について、医者には数日激しい運動は控えた方が良いと言う話を受けていた。たぶん大丈夫だろうけど、ひきつった傷口が開かないとも限らないからだ。そのことを知っている母は、どことなく安堵したような表情で杏華を迎え入れた。

 鞄を部屋に置き、ついで私服へと着替えを済ませて道場へと向かうと、門下生である小学生と大人が、それぞれ凄まじい熱気と気迫とを放っている。流石に小学生が大人に敵うはずもなく、それぞれ別の練習だ。

 しかし、子供としては大人同士の必死なまでの――別次元とも言える――練習を見ることそれ自体に意味があるし、大人としても子供の至らない点を見付けると言う注意力を養う機会でもあるから、これはこれで合理的だと思う。

 いつも通り、杏華は練習を入り口付近で眺めている父に向かって帰宅の挨拶をした。

「父さん、ただいま」

「ああ、おかえり」

 小さく響く、低い声。それはどこか地面の蠢くような印象を受けて、その小さい声に込められた力強さが杏華は好きだった。

 父は流し目でちらと杏華の方を窺うと、少し息を詰まらせたように緊張した杏華に訊いた。

「座るか?」

 たったそれだけの言葉なのに、その言葉に従いたくなる衝動に駆られた。まるでその方が正しいのだと、諭されているようだ。

「ううん、いい。それより、私出かけて来るね。家にこもっていると、腐っちゃいそうで」

 けれども今日はやるべきことがある。練習を休める大義名分があるうちに。

 杏華の言葉を受けて、父はじっと声を潜めた。考えているのだろう。けれど、ただそれだけの纏う空気が重く張り詰めるのは、自分にやましい気持ちがあるからだろうか。

 何十倍にも引き伸ばされた時間の後に、そっと響く小さな地響きのような声が発せられた。

「分かった。だが、無茶はするな」

「……うん、わかってる」

 杏華は薄く微笑んで、嘘を吐いた。

 無茶は承知だ。無意味も、承知だ。

 それでも杏華は、己の情動を抑えることが出来なかった。

 それは、あるいは杏華が初めて親心に逆らった瞬間かもしれない。出来る限り、大好きな二人に心配を掛けまいとしていたが、今回はそんな心掛けすらも押し倒している。

「それじゃ、いってくるね」

「ああ」

 滅多に門下生の練習から目を逸らさない父。今回も、例に漏れずに正面を向いたまま、背中越しに送ってくれる。

「行ってらっしゃい」

 心地良い、力強い声の流れる中。その声の力強さから逃れるように、杏華はそっとその場を離れた。


「……いこう」

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