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願いをかけた決闘

 夕飯を終えると、和樹はまず玄造を呼び出し、誰も居ない道場で軽く今後についてを話した。


「玄造さん。オレは、後二、三日もしない内にここを出ます」


「……そうか」

 白い上着と黒い袴の道着姿で正座をしつつ、玄造は意外そうなそぶりも見せずにただ頷く。

 もとより、そう長い間――ましてや、いつまでも居るとは考えていなかったのだろう。和樹は玄造の態度に、安堵と一抹の寂しさを感じつつ、話を続けた。

「……聞かないんですね。オレがここに来た理由を」

「必要があれば、君から話すだろう。それがあるまでは待つつもりだったし、ないのならばないで良い。……とはいえ、ある程度想像はできているが」

「……その信頼は、素直に嬉しく思います」

 小さく、だが心から笑う和樹。因みに今は、和樹も道着姿だ。

 香織に買ってもらった服はすべて洗濯機に入れ、当初祐人の道着を借りる予定だったが、体験入門者用にあると言うLサイズの道着を着用している。

 僅かに丈が短いが、動きが阻害される訳ではないので問題はない。少しスース―するのが問題と言えば問題だが。


 そんなことは意にも留めず、和樹は同じく、道場に在った竹刀の短剣を二本手に取ると、一本を帯びに挟み、もう一本を持ったまま、すっと立ち上がった。そして一歩下がり、試合の開始時の立ち位置に立った。


「信頼ついでに、勝負をしましょう」

「勝負?」

 今度は僅かに意外そうな声を含ませて、和樹に尋ねる。

 和樹が竹刀を持っていたことからある程度は推測していたとはいえ、意外だったのだろう。対して和樹は何でもないように笑うと、

「ええ、勝負です。勝った方が、負けた方の願いをひとつだけ聞きます」

「……願い? それは、君が暴力団を抜けるように――と言う願いでもありなのかな?」


 それは冗談交じりの例えだったのだろう。


 事実、玄造はそう簡単に、和樹が暴力団を抜けるとは思わなかったし、抜けられるとも思わなかった。だが和樹は僅かに苦虫を噛んだような表情をして笑うと、息を吐いた。

「……えぇ。いいですよ」


 そして、意外にもその要求を受け入れた。


「……本当か?」

「嘘じゃないですけどね……まったく――」

 ――まったく、父親と言うのは同じことを言う運命でもあるのかな? と言う呟きは、僅かに玄造の耳に届いて首を傾げさせたが、すぐにその目に真剣さが宿る。

「……ふむ。いいだろう。……出来れば、君の願いも聞かせてくれると助かるのだが?」

「それは……秘密でお願いします。後になれば、教えますよ。勝っても負けても」

 良いだろう、と呟くと、玄造も所定の立ち位置へと下がる。

 精神の統一に息を大きく吸い、そして吐く。

「……ふぅ――」

 玄造も、杏華の心がすでに和樹にあることに気付いている。

 和樹は信頼のおける人間だが、それでも暴力団員であることは間違いなく、それが玄造にとっては喜ばしくないことだった。

 ――自分の娘を幸せにできる人間は、出来るならば平穏な毎日を過ごす人間であってほしい。

「…………っ」


 和樹自身については申し分ない。ただ、その立ち位置がとても危うい。

 それを、自分が何とかできるのだとすれば――


「紛いなりにも、私は杏華の親なのでね。娘の為に、君には暴力団をやめて貰いたいのだよ」

「まったく……心地良い」

 和樹はそう呟くと、一瞬で意識を集中させた。

 玄造の息遣いから、自分の息遣い。筋肉の振動。体幹の動きに、腕の動き。全てが感じられる。

「勝負は――相手の体に二度、竹刀を当てれば勝ちです」

「二度?」

「ええ。その代り、一度当てたからと言って中断はしません。掠った程度も有効打とします」

「……分かった」

 和樹の狙いは見えなかったが、そもそも不公平のための狙いなど無いとも見える。

 玄造は為すべきことは変わらないとして、切れ味を帯びたように真剣な視線を和樹に送った。

「……合図は?」

「すでに始まっているものとしても良いんですが……そうですね。オレが短剣を抜いた瞬間からで」

 和樹は手に持つ短剣を帯に下げ、そのまま手を添えた。玄造はこくりと頷くと、再び視線を和樹に戻した。

 和樹の右手に集中してはいない。だが、右手を含めた全体をきちんと見れている。

「……では」


 ――シュッ! と和樹が短剣を抜いてすぐに、打ち下ろしの竹刀が飛ぶ。


「ハッ!」

 だが、その竹刀は空を切り、切り返した竹刀も同じく空を切った。

 三回目の撃剣でようやく和樹の竹刀を捉えた。

「ぬぅん!」

「くっ……」

 重たい――そう表現するのがしっくりくる玄造の一撃に、和樹は再び下がりながら、玄造の竹刀の感触を思い出す。

 受けるのはあまり得策じゃないな……そう考えながらも、けれど体は前へと進んだ。

「はぁ!」

 短い竹刀による最大の利点は、支点と力点が近いことだ。

 重量こそ劣るが、力の籠めやすさは構造的に優位にある。

「ふっ、はっ」

 劣る威力を手数と防御で抑え込みながら、相互の距離を一気に詰める――が、計算された太刀筋で、数打の内に打ち払われた。

 十分に近い距離――であったとしても、防御できなければいい的だ。


 ――だから和樹は、竹刀を手放した。


「ふっ」

 相手の懐近くで、竹刀を手放した方から振り上げられる前の腕を取り、動きを止め、その一瞬に帯の竹刀を抜いて一太刀を浴びせる。

「くっ」

 そして一瞬で離れた玄造からの一太刀を無視して喰らい、震える頭で脇腹を刺した。

「っ……オレの、勝ち、です」

「ふぅ……君、最初から一太刀は浴びるつもりで、二度当たれば――と言う条件を出したんだね?」

 玄造の言葉に一瞬押し黙り、そしてすぐに顔を上げて、決まりが悪そうに頭を掻いた。

「まぁ……それだけ無茶な願いだと言う自覚はありますからね」


 一度は父親の全力の一撃を喰らわないと、気が済まなかったのだ。


 和樹は息を整えながら、天井を見あげて呟いた。

「……ふむ? 君がそこまで言うとはね……言ってみるといい」

 信頼しきった玄造の言葉に、和樹は非難されるのを覚悟しつつ言葉を発する。


「――明日一日、杏華の命をオレに預けて欲しいんです」

 そして、何かを祈るように、目を閉じた。

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