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その「背中」

 一度腰を抜かした女子を、彼女が話をしていたもう一人の女子に任せて、祐人と共に全体から離れる。そして、事後処理の面目で警察に連絡することと、ついでに先ほどの不良たちについての相談をして、和樹が暴力団関係者であることは伏せることに決定した。

「んん?」


 ――その決定を行った時、僅かに祐人の表情が曇ったのはなぜだろう?


「……ま、気にしてもしゃーねえか」


 個人の葛藤よりも場の納得。今はこの場の全員を納得させる理由を考える必要がある。

 そんなことを気に掛けながら、腰が抜けた少女を背に負い、先頭に立って歩き始める。


 現場を視界から妥協なく消すために必要以上に角を曲がると、先ほどのことが夢だったかのように人気が完全に失せていった。

 現地から離れ、現実離れした現実から離れ、用意した理由を独り言のように喋った。

「……オレも昔は、さんざんヤンチャしたからなぁ」

 所詮は独り言だ。聞き取れるものは、そう多くない。せいぜい数メートルが、聞き取れたかと言う程度だろう。

 だが今、背中には一人の少女が居る。そして、彼女に聞こえる程度には、声を発したつもりだ。


「――え?」


 ――予想通りに食いついてくれた。

 だが今はまだ、軽く訊ねた程度。釣りで例えるならば、エサをつついている辺りだろう。

 ――だが、ここで一気にまくしたてたりしなければ、話に引き込むことが出来る。

 一瞬待ったが、背中の少女は特に追及してこなかった。だが、和樹は不自然にならない程度に間を置き、今度は背中の少女に向けて言葉を続ける。

「あぁ……さっきの不良たちさ、どうもオレを狙ってたようなんだ」

「……え?」


 ――認識を放棄するような形で落ち着いてきた頃に、この言葉だ。


 それも、さっきよりも格段に大きい声なので、当然他の人の耳にも届く。

 太陽の恩恵が無くなり冷えてきた空気が、僅かに緊張で固くなった。

「……どういう、ことですか?」

 掴んだ肩のシャツが、キュッとしわになっている事にも全く気付かず、背中の少女が震えた声でそう口にした。

「ん……?」

 背中の少女に目を向けるふりをして、全員の視線を確かめる。

 視線が集まっていることを確かめると、一度背中の少女を背負い直して一度立ち止まり、全員が聞きやすいようにした。

「……そうだな。隠しとくのも、お前らに悪いし……話しちまうか」

 緊張に空気が鋭く研ぎ澄まされる中で、どこか遠くに語りかけるように和樹は口を開ける。

「オレは昔――つっても、五年程度前だが――さんざんヤンチャしてたんだ」

「やんちゃ、ですか?」

「あぁ。それこそ、当時は不良どもの羨望と嫉妬と憎悪を一身に集めるくらいな。……今でも行くところに行きゃ、伝説くらいには語られてるんじゃねえかなぁ」

 カラカラと笑い飛ばすように、けれど乾いた笑いだと誰もが分かるほど弱々しい笑いで、和樹はそう言った。


「……んで、まぁ。今でもそのツケはあってな……たまに、町中で襲われたりするんだよ。ま、有名税ってやつだな。――ほんと、有名な不良って面倒なだけだよなぁ」

 はぁあ――と、溜息を零すと、場の空気がより一層緊張した気がした。

「……っ」

 まるで夢物語を聞かされたような気分で――けれどそれが現実なのだと思い知らされた。

「――ま、そんなわけだ。さっきの連中も、それと同類。大将っぽい奴に確かめたから、間違いないな」

「……ぁ」

 唖然とした背中の少女から、ただ声にならない言葉が漏れた。何か言いたいことがあるのだろうか。


 硬直した背中の少女を優しくあやすように軽く背中を揺すると、嫌悪を抱いたかもしれないと思い、ひとつ確認を取った。

「――下ろそうか? こんな男の背中なんぞ、気持ち悪いだろう?」

 夜に冷えた空気を頬に感じながら訊ねた言葉に、少女は硬直し首を必死に横に振り、そっと和樹の背中に体重を預けた。そしてしばし無言でものを考え、そしてゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……いえ、いいです」

「――そうか? 全部、オレの所為なんだぞ? お前が今、そうやって動けなくなるくらいに怖い思いをしたのも、全部」

「……っ」

 和樹の言葉に、言葉を向けられていない背中の少女以外の全員が息を呑む。

 けれど、少女の想いは固まっているのか、もう一度小さく首を左右に振る。

「――あなたのせいかもしれないけれど、わたしたちはあなたのおかげで助かりましたし」

「帳尻を合わせただけだ。……迷惑をかけたことに、違いはない」

「その責任も、普通の人なら逃げるようなことですよ……? それに――」

「それに?」

 一拍の呼吸を置いて、もたれかかるように体を和樹に預けた女生徒は、冷えた空気を溶かすように、熱のこもった声で呟いた。

「――それに、あなたの背中はとても温かいですし」

「……そりゃ、どーも」

 安らいだ少女の言葉に、和樹はそれ以上の追及を止めた。そもそも、相手に迷惑を掛けないために尋ねているのであって、無理に諭す必要もない――和樹の場合は、自他を分ける為に少し踏み込み過ぎるのが玉に瑕だが、昨日の玄造とのやり取りもあって、今日は踏み込み過ぎることはなかったと自分で安心した。


 なにより少女の最後の一言が、和樹の中にある不安を溶かすほどに、温かく響いたのだ。


 背後から杏華と燐のムッとした視線と、祐人ともう一人の少女の感心したような――けれど感心の種類は違う気がする――視線がチクチクと刺さったが、無視することに決めた。

「……ふぅ」

 今度は小さく、誰にも気取られない程度に小さく息を吐く。まったく、どうしてこうなったのか。


 ただその後は特に何の追及も受けず、燐の希望により二人の少女を優先的に自宅へと返し、最期に『すまなかった』とそれぞれに謝罪をすると、なぜか感謝をされながら二人とは別れた。

 ――そして、この後燐から公園へと誘われ、二つ返事で受諾した。

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