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受け継がれる人間性(ことば)

 独りで外れ通りまで赴いた杏華の後を、和樹は少し離れた場所から慣れた様子で尾行していた。

「……面倒だなぁ」

 その面倒事を、義理もなく行っ背負っているのだから自分も大概人が好い――とは言わない。

 杏華が襲われなくとも、誰かが襲われて心に傷を負っただろう。和樹はそう言った存在を、何人も知っているし、何人も見放してきた。

「俺は善か? いや、ちがう。俺は悪か? そうとも言えない」

 恐怖に身を浸し、悪意の沼に呑み込まれていく人々に対して、基本的に掛ける言葉などそう多くない。


 ――不遇だったな。


 それだけだ。ただそれだけの言葉に集約できる。結局、運や運命と言ったものとして、どこかで割り切るしかないのだ。

 だから、そう言ったものを打ち崩そうとする杏華の力強い行動には目を惹かれたし、その行動の危うさを理解できるから支えたくなったのだ。

「オレは人間だ。ただの、人間」

 杏華が周囲を気にする素振り――僅かに顎が上がるのを見たので、和樹はそっと物陰に身を潜ませる。周囲を見回し終えた――知り合いの有無の確認だろう――杏華の後を追った。

 杏華の足取りは決して軽いものではなかった。きっと、色々なものを引きずっているのだ。日常への寂しさや、非日常への恐怖を。

 剣の腕は確かに立つようだったが、それだけで勝てるほど喧嘩は甘くはない。だが、そう複雑なわけでもない。最後の問題は気合いだと、和樹は思っている。

「最近この辺りで新しいルートが展開されかけているらしいしなぁ。……まぁ、物はついでだ」

 ちょっとくらい、手伝ってやろう。それが仕事にもつながるかも知れないから。

 杏華が外れ通りの外で待ち伏せに移行するのを見届けるなり、和樹は視線を逸らさずに背後に向かって手招きをした。

「……彼方(かなた)

 虚空へ向かっての彼の呼び掛け。あるいは電子機器での遠距離会話かと疑いたくなるほどに、囁くような小さな呼びかけに、けれど答える影があった。


「……ちぇ。やっぱり気付いてましたか」


「まだまだお前に負けるわけにはいかねえよ。尾行の時は、二重尾行を警戒しろって教えたのはオレだろう?」

 背後から私服姿の青年が、塀の向こうから現れた。離れていたのに呼び掛けに応じたのは、読心術で唇を読んだからだろう。それも、和樹が教えたのだ。

「……ぼくもまだまだってことですかね」

 彼方と呼ばれた青年は、和樹よりも歳上くらいに見える。けれど、彼方は年下の和樹を本心から尊敬しているようで、偉そうな態度をとる和樹に負の感情は向けられていない。

 彼が着ている服は、カジュアル系の、少し大人びた服装だ。外れ通りに入り込んでも溶け込めるようにチョイスしたのだろう。

「ま、そう悲観したものじゃない。確かに成長している。……さっきだって、背後のどこ、とまでは解らなかったからな」

「そうですか。ありがとうございます」

 ぱぁ、と花が咲いたような笑顔で和樹に頭を下げる彼方。

 そんな彼方に和樹は苦笑しながら、だけど、と付け加える。

「まだまだ背後の警戒が甘いな。……二重尾行されていたとしたら、危ないのはてめえの方だ。尾行自体に気付かれてたなら、誘い込まれている可能性もある。もうちょっと、その辺り気を付けろよ」

「……善処します」

 対照的に沈んだ声。まるで、日が落ちた後の向日葵のようだった。

 そんな自分の舎弟の様子を苦笑して認め、和樹は壁に背を持たれかけて改めて話を続けた。

「……で、なんか情報を掴めたか?」

「いえ……それがまだ。最近妙な動きをしているのは狩野組(かのうぐみ)の連中のようですけど、他にも活発になってきたところや、逆に大人しくなったところもあって、どこが本命かまでは絞れてません」

 彼方の報告によれば、最低でも十の組織がここ一週間で異変を見せているとのことだ。

 和樹はコートとスーツで柔らかくなった、コンクリートの冷たさを背中に感じながら、そっと腕を組んだ。

「本命……か。相当ヤバい物を扱ってるみたいだな。そうでなくちゃ、そこまで顕著に変化はないだろ。物騒な粉か、あるいは……」

(オモチャ)、ですよね。外国からの密輸入か、国内からの横流しか……どちらかまでは解りませんけど」

 彼方が少し強張った声で、己の推論を述べた。

 そんな彼方の緊張をほぐすように、和樹はあえて気の抜けたように溜息を一つ吐く。

「あぁ、そんなところだろ。……ったく、おもちゃ持ってはしゃぐガキが、どうしても出てくるからなぁ」

「年齢的にはあなたも十分ガキですよ?」

「オレはオトナだよ。オレたち――裏っ側の奴らがはしゃぐ意味を、きちんと理解できてない奴をガキっていうんだ。子供ですらない」

 にやりと、僅かに自尊心を浮かべた和樹の笑顔に、彼方は呆れたように口を開く。

「どうでもいいです。……それに、そうやって浮かれる奴らがいるから、こうやって異変を察知出来てるわけですから、いなくなっては困るんですけどね」

「……そうだな」

 確かに、どうでも良い事だ。それに、調子に乗ってしまったかも知れない。その辺りを諌めてくれる辺り、和樹は彼方に信頼を寄せている。

 それに、『ガキ』が居ないと付け入る隙が極端に小さくなる。皮肉なことだ。居ても迷惑なだけだが、居なくなっても困るのだ。

「…………」

 黙り込んだ和樹をどう思ったのか、彼方は視線を外れ通りにやると、ため息混じりに口を開いた。

「……まぁ、今度はもうちょっと絞って調べてみますよ。一週間もあれば掴めるでしょう」

「いや、ちょっと待て。お前に頼みたいことがある」

 和樹は、それまでずっと合わせなかった視線を彼方に向けると、すぐに逸らした。

 和樹にとって、仕事中に視線を合わせると言う行為は珍しい。それだけ真剣な申告と言うことだった。それを知っているから、彼方は視線を和樹に向け、その内容を訊ねた。

「なんです? ……もしかして、和樹さんが尾行していたあの少女のことですか?」

「その通りだ」

 和樹と彼方の視線の先が重なった。その先には、ビルの間から外れ通りを覗く杏華の姿があった。物陰から外れ通りをじっと見つめているその姿は確かに見え辛い位置には居たが、不審な動きを隠せていないし、背後への警戒がなっていない。

 武術の経験者を思わせる、凛とした佇まいを感じるが、だからと言って裏稼業に慣れている訳ではないことは流石に解る。彼方は不審そうな目で和樹を一瞥する。


「……素人、ですよね?」

「あぁ、そうだな」

 そうでないとあそこまで無防備ではないだろう。視線が一点に集中し過ぎている。

 和樹に肯定され、次の推測が浮かんだが、それも有力ではなさそうだと感じつつ口にしてみた。

「最近どっかの組に入った子……っていうナリじゃ、ないですよね?」

「一般人だ、間違いなくな」

 でしょうね、と口の中で呟く。単純でない仕事で、自らの組への糸を残す素人を用意するとは、流石に思えなかった。そこからどこが何を狙っているのかばれるかも知れないからだ。

 こういうことは、ある程度経験を積んだものが担当すべきだ――となると、思いつくのは幾つもない。

「……あぁいう子が好みなんですか?」

「かかっ! いい女だとは思うがな」

 冗談のつもりだったが、当たらずとも遠からずだったらしい。快活に笑う和樹を見て、彼方は何とも言えない気分を味わいつつ、睨むような、楽しむような気持ちで軽口を叩いた。

「いいんですかぁ? (あね)さんを放っておいて、現を抜かす女の子を見付けるなんて」

「俺と姉さんはそんな関係じゃねえよ」

「……で、結局なんなんです、あの子?」


「被害者だ」


 簡潔に、僅かに落ちたトーンで耳に届くその言葉に、彼方は目を見開いた。

「被害者? 被害者っていったい何の……?」

「おそらく、調子に乗ったガキどもの、気分を盛り上げるための余興なんかだろうな。あるいは、単にどっかの馬鹿が暴走した結果か……」

 和樹の言葉に、彼方は苦虫を噛んだような顔になった。渋面を抑え、泣き出しそうな笑顔のような表情になる。

「――性的な、イタズラ……ですか?」

「幸い、逃げ延びたらしい。一瞬の隙を突いてな。……ったく、肝が据わった、いい女だ」

 和樹の言葉に彼方の表情が安堵で和らぐ。

 だがそれは、あくまで幸運の結果に過ぎない。和樹の言う通り、『幸い』の結果だ。本来ならば、もっと深い傷を手の届かないところまで刻まれるのだ。

「……警察は?」

「いつも通りだろ。警戒はするだろうが、本腰を入れるほどじゃねえ」

「…………」

 彼方の顔が、僅かに伏せられる。


 ……そうだ。他の町ではどうかは知らないが、この町では警察は当てにはならない。裏金や賄賂と言ったものが流れるのは今では自然のことで、ヤクザの温床として成り立っている。


 そう言った『不運』程度の事件――事故で片付く程度の事件――では、適当にやり過ごせられるか、あるいはヤクザお抱えの不良どもからスケープゴートを立てられるだろう。流石に、表の人間で死人が出たら本格的に稼働するだろうが。

 ――活動していないわけではないが、活発になることは殆どない。

 和樹たちも、そのおこぼれに預かることで日々の生計を賄っている部分もあった。責められるいわれはあっても、責める権利はない。

「……っ」

 とはいえ、やはり呑み込めない部分もある。その所為で傷を負うのは、力なく法に縛られる一般人なのだ。そして、今での暴力団の組員の殆どは、その一般人から落ちた人々なのだ。

 彼方も例外ではなく、一般人から零れ落ちた一人だった。

 悔しさか、憎しみか。暗い感情を体に満たして小さく震える彼方の胸に、トンっと和樹の拳が押し当てられた。

「止まるなよ」

「えっ……?」


 人の感触が、彼方に理性を取り戻させた。


 何を言われたのか分からず、杏華を見ている和樹のことを呆然と眺める。

 和樹は笑うこともなく、渋面を作ることもなく、ただ溢れる温もり――人間味を持たせながら、優しく、厳しく、言葉を放った。

「――俺たちは人間なんだ。憎んでもいいし、怨んでもいい。楽しむことも、当然結構だ。……だが、その為に自分が立ち止まることは許さない。誰かに責任を押し付けて、それでてめえの何になる? それでてめえは進めるのか? 動けるのか?」

「…………」

 ただ耳を預ける彼方から、和樹は胸に当てていた手を下ろして、そして今度は肩を殴りつけた。

「っ」

「俺たちは人間だ。だが、動かねえ奴、動こうとしねえ奴は人間じゃねえ。他人を怨んで、てめえは動け。悔しいのなら、這って起きろ。……楽しみながら、今を生きろ」

 和樹は、言うことは言ったとばかりに手を下ろすと、一瞬彼方の方を覗いて笑みを浮かべた。


「信じろ。お前はもう、人間だ。……拾われたときの、生きたものとはわけが違うはずだ」


「……わか、り、ました」

「それじゃあ、ちょっくら仕事を頼むぜ」

 和樹は、杏華が復讐をしようとしている事を軽く話すと、これから杏華が接触するかも知れない相手を尾行してくれと、彼方に頼んだ。

 ――さっきのは、いつも親父から言われた言葉なんだがな。

 和樹は内心で苦笑しつつ、杏華の監視を再開し、先ほどの言葉について思い出す。


 親から子へ、子から舎弟へ――受け継がれた言葉は、親が子を助けたように、舎弟を助けてくれただろうか。

 彼方の未だに揺れる、けれど先ほどよりは芯の通った真っ直ぐな目を見て、思いを巡らせた。

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