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和樹の職業

 後輩の燐に、しばらく休む旨を伝えると、その寂しげで気遣わしげな視線を背中に浴びて、もやもやした気分を感じながらも勇み足。道場まで歩き切った。

「……あと何日休めるかな?」

 完治するまで一週間と言われたの傷だ。すでに痛みは引いているし、今週末までが限度だろうか。

 そんなことを考えながら、家に入ると出迎えたのは玄関近くの階段に座って、新聞を見ていた和樹だった。

「おっ! おかえり」

「……ただいま」

「声がちいせぇ!」

「なんであんたにそこまで指図されなきゃならないのよ!」

「いよぉーし! その意気だ!」

 頭痛を越えて、軽く眩暈がした。玄関で額を抑えてよろめいている杏華に、香織がにこやかに語りかけた。

「おかえり。すっかり意気ピッタリね」

「母さん……そういう次元じゃないと思うんだけど」

 すっかり遊ばれていると思うのは気の所為なのだろうか。いや、気の所為ではあるまい。

 反言で自身の不遇を嘆きつつ、和樹に目を向ける。

「……あんた、新聞なんか読むのね?」

「意外か? ……職業柄、事件関係に目がいくがな」

 ふと零れた和樹の言葉に、杏華は眉をひそめていた。そういえば、この男の素性について杏華は何も知らない。

 すでに両親には話しているのかと思い見てみれば、香織も不思議そうに和樹を眺めている。

「職業? 事件……それに、その体つき。もしかして、警察?」

「いいや、違うが。あぁ……そういや言ってなかったな」

 和樹は新聞を読み終えたのか、読んでいた紙面を閉じて杏華と目を合わせた。


「オレ、暴力団のメンバーなんだ」


 あっけらかんと、そう言った。

 ――何を気負う風でもなく、ただ正直に言葉が出たように。

 そして、あまりにも真っ直ぐな瞳だった。

 ――自分には何もやましい気持ちなど無いと言わんばかりの、射抜くような強さはなくとも決してぶれない芯を感じた。

「……はぁ?」

 あまりにも呆気なく言い放つものだから、杏華は自分の耳が聞き違えたものだとばかり感じてしまった。そんな杏華に和樹はにっと笑い、何気ないように新しく口にする。

「だから、もし俺のことでこの家に迷惑がかかることがあれば、全ては俺が恫喝したことにしろ。……事実、俺は力ずくでこの家に居候する権利を得たんだぜ?」

 けらけら笑う。学校で見た時と同じように。どこか諦念を含んだ笑い。


 ――そう生きることが、仕方のないことだとでも思っているのだろうか。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ! それじゃああんたはその為に――っ」

 ――その為に、道場破りなんて真似をしたのか? 普通に居候として忍び込んだりもせずに。


 そう口にする前に、和樹はリビングのドアを閉めた。パタン、と言う気の抜けた音が、全ての流れを遮断する。

「…………」

 二の句を告げなくなった杏華は、次に香織の方を見た。

 その表情は驚愕で目を丸くしていた。だが、不思議と恐怖心は見えなかった。

 そして、それは杏華も同じだ。和樹に暴力団関係者と言われて、驚愕はしたが恐怖は覚えなかった。

 外れ通りの近くで出会ったことが、彼の言葉を裏打ちしていたにもかかわらず、だ。


 ――本当に、何なのだろう、彼は。


 頭を左右に振って、不思議と気を惹かれる和樹を頭から追い出すと、杏華は自室へと戻った。

「……母さん、ちょっと出かけて来るね」

「え? ……あら、そう? 行ってらっしゃい」

「いってきます」

 けれど、杏華のすべきことは変わらない。誰が何を言おうと、誰が杏華の周りに居たとしても、自分を惨めに蹂躙し、さらには自身を強者足らしめた想いを引き千切らせたあの男たちに、復讐を果たすのだ。

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