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今回だけの関西ツッコミ

 心が寂しくなるような、まるで冬の訪れを感じる空気のような気配の夢を見ていた。自分がそれを振り払おうとした時に、その夢はさっと消えていき、目が覚めた。

 どんな夢だったかは忘れたけれど、けれども夢は醒めるもので、そのきっかけは現実の些細なものだ。

「……ふぁ」

 人が少しだけ慌てたような気配を感じて、和樹の意識が薄く覚醒した。

 家ではこういう気配の時は、大抵ろくな事でもなかったから自然と目が覚めるようになっている。この後は、誰かしらに声を掛けられるのが通例なのだが、今日に限っては誰も声を掛けて来はしなかった。

「……? ……あぁ、そうか」

 ここは、いつもの家ではないのだ。勝負し、勝ち取った新しい寝床。

 短い旅の後に見つけた仮の住まい。渡り鳥が新しい宿り木を見付けた時、こういう感覚になるのだろうかと思ったが、そもそも学の無い和樹には、渡り鳥が何日飛び続けるのかも分からない。

 一度空き部屋を見せられてから、思いのほか広い下宿先を一通り見て回ると、和樹は不意に襲ってきた睡魔に抗えずにリビングのソファでうつらうつらとし、眠ってしまっていた。

 思えば、昨日から仮眠しかとっていなかった。ひとまず、宿は確保したのだし、宿主も心根の悪い人たちではなさそうだ。少し、眠っても良いだろうと考えてのことだったが。

「こうも短期間で警戒を解くのは、ちょっと危険だったかなぁ」

 ぼそりと口の中で呟くと、改めて周囲の状況を探った。

 無論、最低限の警戒は怠ったつもりは無いが、かと言って下宿してすぐに寝入るのも少し気が抜けている気もする。

 ――まぁ、無防備に眠っている相手にどう反応するかで最終判断を下したってことで良いかな。

 と、合理化する思考を隅に追いやって、台所の方で何やら話し合っている家の両親に歩み寄った。

「どうかしたんですか?」

 目上の相手だろうと、言葉遣いはともかく口調は変えない。それが和樹のやり方だ。父親――玄造は僅かに睨むように目をくれたが、すぐに視線を戻す。和樹のスタンスを、認めたのだろうか。

 彼は静かに、厳粛さを感じさせる口調で騒がしい理由を述べた。

「……娘が弁当を忘れたらしい」

「娘さんは、高校だったか。だが……届けなくても、購買か学食があるでしょう?」

 和樹が言外に「そのくらいなら問題なく対処するだろう」と伝えると、母親――香織(かおり)は頬に手を添えると、はにかむようにして意見を引き下げに掛かった。

「そうですけどね、子供たちにはちゃんと『ありがたみ』と言うものを味わって成長して貰いたいんですよ。作ったのなら、ちゃんと食べると……」

「なら、持っていけばいいんじゃないですか?」

 すると今度は困ったように、先ほど同様に頬に手を添えて、けれど僅かに目尻を下げる。

「それが……もうすぐ夫の道場でして。今すぐに料理に取り掛からないと間に合わないんです」

「……私は残りもので良い」

「ダメですよ?」

「…………」

 これは幾つか会話を重ねただけで何となく分かったことなのだが、基本的に玄造は無口だ。そして、その分まで香織が会話をしているような印象もある。

「なら、結局どうするんだ?」

 言葉少なながら、妻の意見を尊重しようとする玄造氏だが、その意見はきっぱりと拒否された。最終的に、どんな解決法が提示されるのだろうか。どれもダメと言いながら、結局どれも選べないのならば意味など無いし、失敗以外の価値もない。

 和樹の問いに、香織は頬に手を当てたまま考え込み……そして、その顔がにやりと笑ったような気がした。

「そうですね……いつも通り、夫に持っていかせましょう」

「あんたはいつも一家の大黒柱にそんなことさせてるんのかいっ!」

 あまりにもにこやかに言い放った香織に向かって、和樹はモーション込みで思い切りビシッとツッコミを見せた。

「……ないわー。稼ぎ頭をこき使ったらあかんわー」

 突っ込みという物には関西弁だという認識が何故かある和樹は、俄かに関西弁にシフトした。

「関西ツッコミですねー。……いつもは標準語なのに、ツッコミだけは一人前ですか?」

「しかも辛辣! オレはツッコミだけの男じゃねえっすよ!」

「くすくす……」

 意味ありげに笑われる。これは……どういう意味なのだろう。もしかすると、おもちゃ認定を受けてしまったのだろうか。居候して半日も経っていないのに。仕方のない一面を披露したとはいえ、困ってしまう。

 救いを求めるように玄造に視線を向けると、一家の大黒柱はむしろ今のやり取りに面を打たれたようだ。目を丸くして、笑う香織を見ていた。

「……はぁ、もうオレが行きますよ。ただ居候させてもらうのも悪いですしね」

「あら? そう、ならお願いしようかしら。……場所は分かる?」

 香織の春の小花のような爛漫な笑顔に、いいえと首を振る。そうして、杏華の通う高校の名前と、道筋を教えて貰うと道場を出た。

「いってらっしゃい。……それと、別にかしこまる必要はないわよ? 家に居候している間は自然体で良いから」

 見も知らぬ和樹に旧知の間柄のような馴れ馴れしさを見せる香織に驚く。

「えーと……いいんですか、玄造さん?」

 そして、面を食らった懇願に、一家の大黒柱に是非を訊ねた。決定権は、彼にあるだろう。

「……母さんが言うんだ。好きにすればいい」

「あ・な・た?」

「……私も、その方が良い」

「えーと……それじゃ、そのように」

 和樹は砂利を踏みしめ、駆けだした。背後の木造の建物が、ずんずんと遠くに離れていく。そこに見える、女性が元気よく、男性が慎ましく手を振る光景も。

「あれが、尻に敷かれるっていうやつなのかな……?」

 和樹は背後をちらと増えりかえった時、そんなことを思ったのだった。

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