生まれる戸惑い
次に杏華が目覚めたのは教室の中だった。朝のこともあって疲れているのだろうか。そして、今朝のことについて夢を見ていた気がする。
挑戦者――そして勝利者の言葉に大事があって、急遽両親が相談していたのだ。
「結局、どうなったのかしら」
時計を見ると、もうすぐ昼休みと言う時間帯だった。今の授業は数学だったが、受験対策と言う名目の為、要は復習の内容だ。一応見直してみたが、特にできない問題はなかったのでどうにもやる気が湧くことはなかった。
そういえば、あの男――岡村和樹の目的はなんなのだろうか。年のころは、二十歳は過ぎているだろう……と言う程度で、何をしている人間なのかは全く分からない。どうにもきな臭いと思ってしまう。
「復讐……か」
今でも胸の中に燻っているその黒い炎は、それでも少しだけ遠くに感じていた。
昨夜、あの男に叩きのめされてから、復讐心の一部に空虚感が胸に付いていた。
「それでも、やりたいのだけど」
「なんだぁ竜胆。そんなに復習がやりたいのか?」
急に声を返され、杏華が慌てた顔を上げた。そしてこの教師は、生徒の間では地獄耳で有名だと言うことをはたと思い出す。
「え?」
思わず口から心臓が飛び出そうになった。口に出ていたのだろうか。それを聞いて、この教師はどう思っただろう。
幻滅? それとも同情?
けれど教師の言葉は杏華の不安とは的外れな返答を寄越してくれた。
「まぁ、そういう向上心を持ち続けるのが、お前のいいところだ。とりあえず、今度俺が持っているお前向けの参考書をコピーしてきてやろう」
「えーと……? あ、はい。おねがい、します」
教師は嬉しそうに笑い、「よしよし」と頷きながら授業へと戻った。周囲からは尊敬のまなざしを集め、時折妬みのような非難のまなざしも受ける。
どうやら、復讐と復習を間違えてくれたようだと、安堵の息を漏らした。それと同時に、気が緩み過ぎだと自分を戒める。
――戒める? 復讐のことばかりが頭にあるくせに?
杏華の目の前に、今広がっているのは日常の風景だ。けれども、杏華の頭の中は常に非日常が重きを占めている。ならなぜ、杏華は今こうやって日常に溶け込もうとするのか。
――どうして全てをかなぐり捨てて、目的を達せようとしないのか。
それほどの熱意はないと言うことか。
……だが、どうしても為したいと言う想いに偽りはない。
――ならば一体、何が自分を日常に、そして復讐に、縛りつけているのだと言うのだ。
杏華は、心が静かに崩れていくような、自分がここに居ないような焦りに似た疑念を感じ始めていた。




