ずれた生活
一応、一部に残酷と言えないまでも、「人死に」描写が出ます。
大丈夫かとは思いますが、警告です。
(すでに完成した作品ですので、定期的に隔日で載せていきたいと思います。)
「おはようございまぁーす!」
「ええ、おはよう」
朝の挨拶をしてきた見知らぬ後輩に私がぶっきらぼうに、失礼のない程度に挨拶を返したら「きゃー!」と興奮気味の声をあげ、駆け足で先に行っていた友達二人に合流する。
「挨拶返されちゃった!」
「やっぱりちょークールだよね、竜胆先輩!」
「かっこいいよねっ! あぁっ、いいなぁー竜胆先輩……」
まるで女子高だ、と思う。どこだったか、有名どころの女子高に行ったと言う友達が、高校一年の時に偶然会った時「ねぇ知ってる?」と言う前置きの後、「漫画でよくある女子高の『お姉さま』みたいなやつ、あれってホントにあってびっくりした!」と驚いていた。
無論、私も初めにその話を聞いた時は、半信半疑ながらも正直驚いていた。漫画と言うのは、現実とは次元を異にしているものではなかったか。だが実際、自分の身に降りかかる現状を考えると、嘘どころか的を射ていたらしく、当事者としては辟易する。
当時高校一年生だったその子も、私と同じで今では高校三年生だ。たまにメールでやり合う内容では、そういったものではしゃぐ側から、いつの間にか小規模ながらもはしゃがれる側になったと言っていた。
「……はぁ」
気付かれないように、表情を変えずに息を吐く。その息は、僅かに白い部分を作って、すぐに消えた。
――私が何をしたと言うのだ。ただ挨拶を返した、それだけだ。
そこに「剣道部主将」だとか「弓道部主将」だとか、「華道部部長」とか。とにかく「凛々しい」や「かっこいい」、「強い」などの要素が入り込むと、女子とははしゃぐ生き物らしい。
「竜胆先輩」
「……なに?」
私は胡乱な目つきで背後の声に振り返ると、すぐにおのれの失態に気が付いた。
案の定、その子はびくっと肩を強張らせて、「あ、え、えっと」っとあわあわ言っている。その子の顔には見覚えがあった。
同級生ならともかく下級生に至っては殆ど――勝手についたファンの顔も――憶えていない私だが、流石に自分の部活の部員の顔くらいは憶えていた。
「あぁ、ごめんなさいね、燐さん。ちょっと気分が悪かったの」
「気分が……? どこか体調でも?」
「え、と……まぁ、そんなところね」
本当は違うのだが、わざわざ掘り返す種を与える必要もない。……いや、必要もないどころか、そんなことをするわけにはいかない。
苦虫を噛んだような表情を、ぎゅっと口の中を噛んで何でもなかったようにやり過ごす。その甲斐あってか、後輩である彼女の顔には特に変なことを勘ぐることはなかった。
燐さんは、それで得心がいったとばかりに口を一度あけて閉じ、何度か頷いた。そういう仕草は少し子供っぽくて、いつもは私の心を和やかにしてくれるのだが、今日はその効能も殆ど発揮されなかった。
「そうだったんですね。だから今日の朝練と、この週末は休んだんですね?」
「練習……。あ、そう……ね。ごめんなさい」
すっかり忘れていた単語だった。大学の推薦状を貰ってからは、どうせならと毎日のように引退後の部活に顔を覗かせていたのだ。
別にもっといい大学に行きたいわけではないし、家に帰っても練習をしているから。それなのに、その言葉を忘れてしまっていた。心の底から。
だが、そんな私の言葉を疑うこともせずに「調子が悪い時くらい仕方ないですよー」と燐さんは屈託のない笑顔を渡しに向けてくれて、その穢れの無い笑顔が一層私に重く圧し掛かるようだった。
「明日からは忘れないようにします」
「だいじょーぶですよっ! 先輩が作ってくれた私たち女子剣道部の基盤は、もはや先輩が気を張らなくても練習くらいは十分出来るくらいになってますから! 疲れたのなら遠慮なくそう言ってくださいね?」
「そう? そう言ってもらえると、嬉しい……かな」
いつもなら、ここでほんの少し冗談を交えて目の前の少女を愛でるのだけれど、今はそういう気分にはなれない。一刻も早くに、話を打ち止めたかった。
私は本音を押し潰すようにして精一杯の笑顔を、目いっぱいの感謝の気持ちと共に目の前の子供っぽい後輩に送った。
はたして、私の心がちゃんと届いたのかどうかは定かではないが、燐さんはその小さな顔をかぁっと紅くして、「いえいえっ! それでは、また放課後っ」と走り去ってしまった。
「――そういえば、彼女も私のファンだったっけ」
一言そう呟いてから、私は先ほどのやり取りで時間を食った分、生徒の少なくなった道を抜けて生徒玄関へと歩きだした。
――彼女に嘘をついて、悪いことをしたな……。
本当のところ、練習を休んだのは体よりも心の問題が大きかった。