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(三)

 小児喘息による発作だという。

 救急車で運ばれた柚子は、救急病院のベッドで眠りに就いていた。

 頬に幾筋もの涙の痕を残し、疲れ切った表情の岬さんが病室から出て来る。

「智恵子ちゃん、大丈夫だったか」

 私の横に座っていた叔父が立ち上がった。

 柳田智恵子。それが、岬さんの本当の名前だった。

 そして、その隣に居る全く見覚えのない男性が、彼女の夫であり柚子の父親であるという。やや小柄な、人の良さそうな男性だった。

 事情は、柚子を攫おうとしていた男からある程度は聞いていた。その男は、待合室の端で一際小さくなっている。

「この度は、大変なご迷惑を」

 知らない女性の表情で、母親の表情で、智恵子さんは深々と頭を下げた。夫という人も同様に。

「主人は、東京で老舗の呉服問屋の長男です。……私は見ての通り……授かった子は柚子ひとり、それも丈夫な体とは言えません。跡継ぎを、という声に押し出されるように郷へ戻ってきたのが今年のことです」

「その間に、両親親戚を説得するつもりでした。智恵子は、ずっと家を支えてくれていた。居なくなったことで存在の重さを知ってくれればいいと。柚子にも、函館の空気は良いに違いないと」

「都合のいい厄介払いにしか思えなかった! 引き留めもしないで……、連絡の一つもくれないで……」

 掠れた声で智恵子さんは反論した。

「連絡をよこさないのは智恵子もだろう? 居心地のいい故郷で、昔馴染みと楽しくやっているのかと思えば僕には何も」

「楽しい? ……ふざけないで!」

「落ち着いて、ええと、柳田さん」

 慌てて叔父が仲裁に入る。

「初めまして、橘です。智恵子さんが中学生の頃、塾で講師をしていた。その縁で、今は柚子ちゃんの勉強を時々見ています」

「ああ……。あなたが『先生』ですか。お話は伺っています」

 名刺交換をする二人を、私はぼんやりと眺めるしかできない。

 その後ろで落ち着きを取り戻した智恵子さんがこちらに気づき、もう一度、頭を下げた。


 近くにあるファミリーレストランまで叔父が車を走らせ、そこでゆっくりと互いの話を聞こうということになった。

 誘拐紛いに柚子の発作。無事に済んだから良かったものの、危ない綱ばかりで『はい、さようなら』で納得できるわけもなかった。

「ようやく両親を説得できて、少しだけ暇も貰えて……。智恵子と柚子の顔を見たくて声を聞きたくて、気づいたら飛行機に飛び乗ってました」

「高かったでしょう、この時期の旅費は」

 真顔で叔父が切り返すものだから、苦笑いが広がる。

「ええ、本当に……。それでも、逢いたかった」

「『函館空港に着いた。今から行く』だなんてメールが突然、届いたんです。てっきり、逃げ場を封じて離縁の話かと……」

「驚くほど信用が無いな、僕は」

「貴方の事は信じていても、貴方の家族を信じられなかったのよ。悪い方向にばかり考えが巡って……。橘先生は今日は大切な用事があると伺っていたから柚子は預けられないし」

 柳田氏と会うのなら二人きりで、と考えていたのだそうだ。

 もしも離縁を言い渡され、母子共々切り捨てられるならそれでいい。万が一、娘の柚子だけを連れ去られては堪らないからという考えからだったそうだ。

 しかしそうなると、今度は一人にする柚子が心配になる。

「それで私だったんですか? でも、『連れて逃げて』とは……」

 もっと他に説明が在ったろうに。

「慌てていたの。もしかすると柳田の家から、柚子を攫いに誰か回されるかも知れないって……。柚子には、親の事情なんて関係なく、祭りを楽しんでいてほしくて」

「ご期待に添えず」

 がくり。私は首を垂れる。

 果たして柚子を攫いに……と言えば人聞きが悪い、彼は柳田氏の父方の親戚だそうで、函館観光がてら遊び相手を務めようという緊迫感のない行動だった。

 智恵子さん曰く『そういうデリカシーに欠けるところが嫌なのよ、柳田の家は』とのこと。

 言われ、その人は更に小さくなる。なるほど、柳田家のヒエラルキーがなんとなく、私にもわかる気がした。

「ふふっ、先生にはお世話になりっぱなしだったわ。期待通りよ。お祭りを柚子に見せてくれてありがとう」

「それって」

「学生さんだったらタクシーで行けるところまでなんて、しないでしょう?」

「してたらどうするんですか……」

 本日何度目かの、血の気が引いた。

「柚子ちゃんが、無事だったから良かったものの……」

「そういうところも」

「え」

「先生なら、柚子を守ってくれると思ったの。最悪の最悪は回避してくれるって」

「それって」

 ナイショ。そう言うように、智恵子さんは……岬さんは、私にだけわかるように片目を閉じて見せた。

 嗚呼。

 砂山の裾に横たわる流木を、真夜中ながら探しに行きたい。




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