錬金術師は眠れない
表紙 東雲飛鶴
訓練学校で錬金術師を目指す少女ミラは、教授の助手である、美男子だけどKYでうっとおしい若者シンクレアに一目惚れされ、半ば強引に付き合わされるハメに。その頃街では連続婦女誘拐事件が起こっていた――。
「またお前達か!」
という中年男性の野太い声を号令に、
『バンバンッ!』と分厚い本で何かを連打する音と、続いて女の子の『キャァッ』という悲鳴の二重奏が、講義室の高い天井に響いた。
一拍おいて、どっと沸くクラスメート達。
(あ~あ、これってとばっちりなんだけど?)
*
私の名前は、ミラ=ヤマザキ、十六歳。
この春、王立ローデア錬金術学院高等部の一年B組に入学したばかり。
私の両親は東方の小国「八州」の生まれで、親譲りの黒髪・黒目のために、子供のころから疎まれていたの。
背が低くて童顔に見られがちな八洲人の私は、クラスじゃお子様扱いで、学校の友達といえば、さっき一緒に頭を叩かれた『ゴシップ大好き少女』のクリステア只一人。
彼女はいま、呑気に金色のふわふわした巻き毛を指先で弄んでいるの。ろくに授業を聞いてないクセに成績がいいなんて何だか不公平。
(あーあ、クリスの髪、綺麗でいいなぁ~)
近くで苦笑している青年が先月から教授の助手をしている師範科の実習生ユノス=シンクレア、二十四歳。
で、私のウザすぎる初彼。
長身痩躯を白衣で包み、腰まである白金の長髪を背中で束ね、整った顔には細い銀縁眼鏡、溢れる知性を盛大にムダにした残念な男。
ひと月前、彼が学食でランチ中の私に告白してきたの。
みんな見てるしもう最悪。
おかげで一瞬で全校生徒の噂になって、気付いたらKYなロリコン男と付き合うハメに……。
私をゲットして浮かれた先輩は、朝夕の送迎はもちろん、お昼も一緒、休み時間も一緒、ヒマさえあれば、私をネコっ可愛がりしてるの。
どうやって時間を捻出してるのかしら?
ある日、家に迎えに来た先輩を両親に紹介したら「友達が出来た」だけでも大騒ぎする彼等が『娘が将来を嘱望された青年に見初められた』って狂喜乱舞する大惨事に発展。
父は先輩に『君は一人暮しだからウチで朝食を食べなさい』と言い出すし、母は母で彼に毎日サーモン入りのライスボール弁当を持たせて餌付けをする始末。
もう~、うちの両親必死すぎ! これじゃ婿養子直行コースだよ!
*
「ミラ、シンクレア助手がお迎えに来たわよ」
放課後の教室で、帰り支度中のクリスが大仰に言うと、周りの級友がクスクス笑った。
「もう! 何で校門で待っててくれないの?」
「一秒でも早く君に会いたいからに決まってるだろう? さ、一緒に帰ろう~ミラ♪」
恥ずかしいからやめて、っていつも言ってるのに、彼ってばちっとも聞いてくれない。
放課後は、私・先輩・クリスの三人で学院近くのカフェのテラス席でお茶会をするのが日課なの。
さいしょ彼が照れくさそうに『彼女とテラス席でお茶するのが夢だった』って言うから渋々承諾したら、案の定下校中のみんなのさらし者に……。
そのくせ彼は通行人ばかり見てるって、一体どういう了見なの?
「ねぇねぇ、例の事件のことだけど……」
と、クリスが朝の話題を蒸し返した。
これが教授に頭を叩かれた原因、近ごろ王都を騒がせている『連続婦女誘拐事件』の事なの。
「今朝の新聞には……」と先輩が口を挟む。「被害者が若い女性ということ以外関連性は認められず、身代金の要求もないため単純な連続殺人事件との見方を……とあったね」
クリスが自慢の髪をいじりながら「やっぱり殺されちゃってるかなぁ」と呑気に言うと、
先輩が「クリス、君達だって他人事じゃないんだ。くれぐれも……」とお説教を始めた。
「はいはい、分かってますよ、白金の騎士様」
「な~にそれ、ダサーい」クリスが、いつのまにか先輩に、こんな二つ名をつけていた。
「そうかい? 僕は気に入ったけど。有り難く使わせてもらうよ、クリス」
貴方は一体、どこでその名を使う気なの?
「ま、どんな敵がが来ようとも、彼女は僕がこの身にかえても護るけどね」と言って先輩は、私に芝居がかったキメ顔で微笑んだ。
最近は慣れたせいか、彼の愛玩動物も板についてきたカンジ。でも、少し不安もあるの。
彼は優しくていい人だけど、まだ本当の彼を見せてくれてない、って気がするから……。
*
一夜明けて、祝日の今日は学院もお休み。
『休みの日の彼を見てみたい』って急に思い立った私は、彼の自宅へ初突撃することに!
通学路に立ち並ぶ、古いアパルトメントの一室のドアを、私はドキドキしながらノックした。
ちょっと時間が経ってから、分厚い扉が耳障りな音をたてて少し開き、その隙間から、ぐちゃぐちゃ頭にヨレヨレパジャマの彼が、恨めしそうな顔で「何だ君か」と呟いた。
(うわぁ、ヒドい……。これホントに先輩?)
私は戸惑いを押し殺しながら、挨拶をした。
「おっはよ。抜き打ち査察に来ちゃったよ♪」
彼は、ウザねむそうに髪をかき上げ、
「今は死ぬほど眠いんだ。帰ってくれ……」
と、普段からは想像できないようなドスの効いた声で言うと、ドアを閉めようとするの。
どんだけ寝起き悪いのよ、まったく!
「や、やだ~~~っ」私は反射的に、ドアノブを掴んで抵抗した。
彼は急に無言になって、私の全身に粘っこい視線を何周か這い回らせ、
「ダメ。いま飢えてるから」と耳元で囁いた。
「う~~~~~~~ッッッ!」
私は耳から顔まで、一瞬で熱くなった。
「喰われるのがイヤなら、とっとと帰るんだ」
と彼がダルそうに言うと、またドアを閉めようとするので、私はドアのへりに手をかけ、さては中に誰かいるんでしょ、と詰め寄ったら彼は急に「バン!」とドアを全開にして、
「な、なんだって!? まさか、君は僕が浮気してるとでも言いたいのか!!」
と怒鳴った。
「ぷっ。ふはははっ。やっと目が覚めたね先輩。コーヒー淹れてあげる。キッチンどこ?」
彼は、はぁと大きくため息をついて、
「……君が朝のコーヒーを淹れてくれるのは大歓迎なんだが、飲んだらすぐ帰ってくれよ」
と、疲れた笑顔で部屋の奥を指さした。
(さぁ~て、先輩のお宅・拝見っと……)
部屋に入って中を見回すと、まるで安ホテルのような素っ気なさ。
壁に一着の黒いロングコートが掛かってる他は、数個の木箱だけ。
「キッチンならあっちだけど。ん……ミラ、どうかした?」
急にテンションの下がった私に気が付いた彼が、気遣わしげに声をかけた。
「ひどく寂しい部屋ね。生活感がまるでない」
「ああ……。越してすぐ君と付き合い始めたから、今まで部屋に構うヒマがなかったんだ」
そう言うと、普段の柔らかい表情に戻った。
狭いキッチンには、シンクと、作り付けの簡素なカウンターと食器棚。カーテンがないため、朝日が部屋の中程まで差し込んでいた。
(せめて、お花のひとつもあればいいのに)
こんな寂しい生活を一人でしていたなんて、ちっとも知らなかった。
……彼は何も教えてくれない。
暮らしぶりだけじゃなく、何もかも。
いくら恋愛初心者の私だって、そろそろ愛玩動物は卒業しなきゃって思ってる。でも手の内見せてくれない先輩も悪いんだから……。
神速で髪を整え、私服に着替えた彼は、私の隣で、まだ眠そうにコーヒーを啜っている。
「先輩、眼鏡は?」
「あれは伊達眼鏡。あった方が助手っぽいでしょ? かけた方が君の好みなら……」
無理にかけなくてもいいよと言うと、彼は残念そうな顔で、再びコーヒーを啜り始めた。
「ねえ……先輩は私のどこが好きなの?」
「い、いきなりどうしたの? ……全部だよ」
「ごまかさないで! おかしいじゃない。先輩みたいな大人が私なんかに入れ込んで……」
ふぅむ、と顎に手をあてて彼は暫し思案を巡らすと、「……知りたい?」と意味深な顔で言って、隣の部屋から一枚の写真立てを持ってきた。
蔦を象った青銅製のフレームに囲まれたセピア色の世界の中で、少年と綺麗な女の人が、ソファに腰掛け微笑んでいた。
「……先輩と、お母様?」
「ああ。母はこの写真を撮ってすぐ病で亡くなった。ここを見て」
と彼が指さした先には、柄織物の民族衣装を纏い、黒髪を眉でまっすぐ切り揃えた、丸顔の少女人形があった。
「ヤシマ・ドールだわ」
それは、私の両親の故国「八州」で作られる伝統人形のことだ。
「母の形見だったんだ。その数年後に父が再婚してね。新しい母親が、懐かない僕への腹いせに、この人形を捨ててしまったんだ」
そう淡々と語りながら写真を見つめる彼の細い横顔は、不思議と悲しそうじゃなかった。
「この人形を無くしてから、僕の心には長らく大きな穴が空いていたんだ。でもね……」
彼は写真立てを私の手から、そっとカウンターの上に移すと、潤んだ瞳を私に向けた。
「やっと見つけたんだよ。
僕だけの『ヤシマ・ドール』をね」
「……私が、貴方の、人形?」
彼は愛しさに満ちた眼差しで私に微笑みかけると、私の手を取り静かに頷いた。
「済まない。どう思われるか心配で、今まで君に言い出せなかったんだ……」そう言って彼は私の顔をしばらく伺うように見ると、
「ダメかな、こんな理由じゃ」と苦笑した。
「ダメじゃない」私は頭を小さく横に振って、言葉を続けた。「重い理由ですこしびっくりしたけど、話してくれてありがとう、先輩」
彼は、蝋のように白い顔をほんのりと赤く染めて、少しはにかみながら語りだした。
「初めて君を見たとき、僕は心臓が止まる思いがした。それから頭の中は君のことで一杯だったけど、こんな動機で君に求愛していいものかとしばらく悩んだ。でも……どうしても諦めきれなくて、あの日君に告白したんだ」
そんなに思い詰めて……。
でも、いくらなんでも学食で告らなくったっていいのに。
……なんて微妙な顔で考えていたら、
「ねぇ、君ってもしかして僕のこと、物好きなロリコン男だとでも思ってた?」と彼。
(ば、ばれてたんだ……)
「うぐっ……………………ごめんなさい」
「やっぱり。でも、ちゃんと言わなかった僕が悪いんだ。色々不安にさせてごめんね……」
彼はいつものように微笑んで、私の髪を優しく撫でつけた。そして、気付いたら私はいつのまにか彼の腕にやさしく抱かれていた。
なんでだろ……なんか胸が苦しい。誰かを好きになると、こんな風になるのね。やっと彼の本音が聞けたからなのかな……。
「ううん。私ね、今までずっといらない子扱いだったから、誰かの役に立ったり、心を埋められるなんて……何だか、とてもうれしい」
「いらない子だなんてとんでもない! 君はいつも無邪気で可愛くて、本当に可愛くて可愛くて見飽きない、僕の大事な宝物なんだよ」
「ありがと……」そこまで言われると、嬉しいけど……ちょっとくすぐったい。
「ミラ……大好きだ。ずっと一緒にいたい」
彼は私を抱く腕にぎゅっと力を込めた。
男の人って、華奢に見えてもやっぱり力は強い。
頭を胸に押しつけられてるせいで、イヤでも彼の激しい鼓動が聞こえてくる。
こっちまでつられてドキドキがひどくなってきちゃった。
今まで彼に好きだと言われても、どこかリアリティがなかった。
でも今日の彼は……。
「私も……好き」
先輩が息を飲んだ。数秒固まると、私の肩を掴んで体を僅かに離し、まだ信じられないのか、目を見開いて私の顔を覗き込んだ。
「ほ……ホントに? 僕のこと……?」
「ずっと、片思いさせてごめんね、先輩」
先輩は感極まった様子で、
「う、嬉しいよミラ、ああ……嬉しいよ」
そう言って、本当に文字通り嬉しそうに私を抱き上げると、彼は何度も私の名前を呼びながら部屋の中をぐるぐる回った。
そして私をカウンターの上に座らせると、先輩は今までの想いを吐き出すように、私を激しく抱擁し始めた。
私は八洲で言う『俎の上の鯉』のように、彼に身を委ねることしか出来なかった。
でも、自分を求められることが、こんなにも心地良いなんて……。心を埋めてもらったのは、本当は私の方だったのかもしれない。
彼が、うわごとのように耳元で囁いた。
「君は……僕のものだよ。誰にも君を渡さない。どこにも……絶対……行かせやしない……もう、二度と……手放しはしない……」
「どこにも……いかないよ……せん、ぱい」
いつしか私は、彼の首に腕を絡めていた。
「んぐ……ぅぐぐ……ぐぐ」
夢中で私の唇を貪っていた彼が、急に苦しみ出した。
時折歯ぎしりに呻き声が混ざる。
「どうしたの? 具合……悪いの?」
「なん……でもない」
と苦しそうに答えると、彼は私を抱き上げてカウンターから下ろした。
「……済まない。こんな……はずじゃ……なか、た。お願いだ、帰ってくれ。ミラ……ここにはもう……二度と…………来ないで」
と、彼は口元を押さえて苦しそうに言うと、私をキッチンの外へと強引に押しやった。
「来るなって、どういうこと? ねえ、どこか具合悪いの? 先輩、ちゃんと教えて」
「帰れ!」と叫ぶなり、彼は壁を強く叩いた。
「私じゃ役に立てないの? 子供だから?」
「違う! とにかく今は帰れ!」
「やだああぁっ、やだやだぁぁ!」パニックを起こした私は、必死に彼の腰に抱きついた。
「違う、違うんだっ……ぐッうううッッ!」
頭上で彼がくぐもった叫び声を上げた。
一瞬我に返った私の目に入ったのは、鮮血に染まった彼のシャツの袖と、そこに深く打ち込まれた彼自身の白い牙だった。
「……い、いやあぁぁぁ、血、血がぁっ」
彼はその場に膝を突き、噛んだ腕を庇うように手で押さえると、顔を背けて俯いた。
「……大丈夫。すぐ止まる……」
パニックの最中だった私は、彼が吸血鬼だと気付くのに、しばらく時間がかかった。
「せん……ぱいに、き、牙……?」
「……ごめん。ごめんよ。君には隠し事ばかりで……もう、ダメかな……僕たち……」
と彼は床にうずくまり、震える声で言った。
「え……で、でも……昼間も平気で……え?」
混乱したまま私も床にペタリと座り込んだ。
このときの私の感情は、『怖い』よりも、『何故』の方が勝っていたのかもしれない。
私がおとなしくなったせいか、落ち着きを取り戻した彼は、ゆっくり話し始めた。
「……君の想像は、半分は合っているよ。僕はね、吸血鬼と人間のハーフ、半吸血鬼だ」
誰もが『人外』を空想上の生き物だと思っていたのは、もう百年も前のこと。ダンピールの存在くらい、知識としては知っていた。でも、たとえ彼等が合法的に血液を調達していたとしても、あまりいい気はしないけど。
「そう……だったんだ。さっきの『飢えてる』って、このことだったのね……分かってあげられなくてごめんね……先輩」
「分からなくて当然だ。君は悪くない……」
彼は力なくそう言った。
「今度こそ、僕のことイヤになったろう?」
「ううん……その程度のことで先輩をキライになりたくない。せっかく先輩のこと好きになれたのに、キライになったり出来ないよ!」
「ミラ……ありがとう……愛してるよ」
どちらともなく抱き合うと、血で滲んだ彼の腕が目に入った。きっと吸血の衝動を抑えるために、自分の腕に噛みついたんだ……。
こんなに先輩を追い詰めたのは、私のせい。
彼は何も悪いことしてないのに……。
傷見せて、と私は彼の袖をまくり上げると腕は無数の噛み傷で、ひどい状態だった。
「どうして……」
「君を傷付けるわけにはいかないだろう?」
と言いながら、彼は私の髪を撫で付けた。
「……普段はその……血は、どうしてるの?」
「注射器で自分の腕から採血して飲んでる」
「へぇ。他人のじゃなくても、いいんだ……」
「あまりうれしくはない。その場しのぎさ」
「じゃ、この腕は?」と、新しい噛み傷にハンカチを巻き付けながら彼に尋ねた。
「あんまり君が可愛くて、出先でついつい欲しくなってしまった時、噛んで紛らわしてた」
と言って、彼はにやけた顔で頭をかいた。
「ああ、やっぱり私のせいじゃない! 今日から噛むの禁止! 私の血を飲みなさい!」
「バカ言うな。誰が大事な君の血を……」
「先輩が苦しむ方がイヤなの! 体の傷よりも心の傷の方が痛いの! だからお願い!」
う~、としばらく睨み合う私と先輩……。
「そりゃ……愛しい君の血は欲しいけど……」
「先輩が嫌がっても、自分で血を採って、先輩の口に無理矢理流し込んでやるからね!」
「……わかったよ。言い出したら本気でやりかねないからなぁ君は。じゃ、少しだけね」
彼は『素人が勝手に採血なんかしたら大変なことになるんだぞ』とお説教した後、私を抱いて寝室に連れて行き、ベッドに横たえた。
「注射の方がイヤって、おかしな子だなぁ」
そう言って彼はベッドの傍らにひざまずくと、そっと私の首筋にキスをして、静かに牙を立てた。最初チクっとしたけど、その後は大して痛くないので、拍子抜けしちゃった。
「ねぇ~先輩、ちゃんとやってる? あんまり『噛まれてる感』がないんだけど?」
「……やってるよ。勘違いしてないか? 血が欲しいだけで、噛みたいんじゃないんだよ」
「ふぅん……」
そう言うと、彼は遠慮がちに、チュッと小さく音を立てて、私の血を啜りだした。
「えーっと、……おいしい?」
「……うん。最高だよ。もう、落ち着いて味わえないじゃないか、大人しくしてくれよ」
「えへへ……でも私のだけにしてよ。他の子の血は絶対吸っちゃだめなんだからね?」
「分かってる。ありがとう、ミラ」
そう言って彼は、困り顔で笑った。
……よかった。やっと先輩が笑顔に戻ってくれた。これからは、先輩のためにたくさんホウレンソウ食べるからね。
*
「……どういうこと、ですか?」
翌朝登校した私達を待ち構えていたのは、警察から来た黒い馬車と、悪い報せだった。
昨日はあれから、私の血を満喫した先輩を寝かしつけ、その足でクリスの家へ。
お昼をご馳走になり、その後二人で街にショピングに出かけ、夕方彼女と街で別れた。
……そして親友はどこかへ消えてしまった。
警察から戻った私は、先輩に付き添われて早退した。
彼から私の両親に事件の一部始終を報告すると、心配した両親に言われるまま、自分の部屋で先輩とお話しすることにしたの。
娘が落ち着くまで側にいてやってくれ、と言われて。
彼は出されたお茶には手をつけず、「金髪ばかりを狙うシリアルキラーだな」と呟いた。
『被害者が全員金髪』という事実は、捜査の必要上報道出来なかった、と私たちは警察で説明された。
「シリアルキラーとはね、連続殺人犯の一種で、同じ手口で殺したり同じ特徴を持った人を狙ったりする犯罪者のことなんだ」
「私がクリスを買い物に誘ったばかりに……」
「悪いのは君じゃない。悪いのは、犯人だ」
彼は険しい表情でそう言うと、どこかに潜む犯罪者を射貫くように、遠くを見つめた。
「私、犯人探す。金髪じゃないから平気だし」
「ダメだ! 被害者がたまたま金髪なだけかもしれないだろ? そんなの絶対許さない!」
「だって、私にも責任あるもん!」
「ダ・メ・だ! 絶対、ダメだ!」
彼が苛立たしげに伊達眼鏡をむしり取り、テーブルの上に放り出した。そして、私を睨みつけたまま、私の顎をぐいっと掴み上げ、
「……もう、二度と失いたくないから」
そう低く呻くと、乱暴に私の唇を奪った。
*
「どこに行くんだ」
夜中こっそり抜け出して裏口から出た途端、先輩の怒った声がした。
ひぃっ、と短く悲鳴をあげた私を、腕組みをした先輩が凍った眼差しで見下ろしている。
「まったく。こんなことだろうと思ったよ」
「ご、ごめんなさぃぃ……」うう、ダメだぁ。
「ほらほら、子供はさっさと部屋に戻るんだ」
「はあぁい。おやすみなさーぃ……」
彼は怖い顔で、私を木戸の中に押し込んだ。
少し待って、私は二度目の脱走を敢行した。
(クリスのためだもん。諦めるもんか)
夜更けの歓楽街にきた私は、早速怪しい人物を探し始めた。ほとんどは酔っ払いだけど。
「おや、君は……どうしたんだい?」
「きゃっ!」
いくらも歩かないうちに、中年男性に声を掛けられた。振り向くと、いつも本で私の頭を叩く、あの教授が立っていた。
「あの……、届けものをした帰りです」
「そうか。悪いんだが、足を痛めてしまってね。家まで肩を貸してもらえないかな」
「わ、私でよろしければ……」
けが人を放ってもおけず、私は渋々教授を送ることにした。
お屋敷に到着すると教授は、帰ろうとする私を引き留め応接間に案内した。
そして足を引きずりながら、お茶を持ってきてくれた。
(こんな大きなお屋敷なのに、一人暮し?)
早速頂こうとカップを取り上げると、いきなり私の手から、カップが弾き飛ばされた。
「きゃあぁッ」
私は驚いて悲鳴をあげた。
ティーカップは派手な音を立てて砕け散って、床からは紅茶の香りが立ち上っていた。
「誰だ!」と教授が叫んだ。
ふと見ると、大理石の床に、何か銀色に光る細長いもの……ナイフが突き刺さっている。
「これが飛んできて……ってなんで石の床に刺さってるの?」
ちっとも訳が分からない。
「だから家にいろって言ったじゃないか。その中には、麻痺毒が入っていたんだぞ」
少し怒気をはらんだ、聞き覚えのある声。
部屋の戸口に立っていたのは、黒いコートを纏い、腕組みをしたユノス先輩だった。
「先輩! なんでここに」
「白金の騎士、ただ今参上……って黒いけど」
「シンクレア君、これはどういうつもりかね」
教授がすごい剣幕で、彼を怒鳴りつけた。
「警察を欺くために、ブロンド以外も狩ることにしたんですか、教授? いや……王都を騒がす連続婦女誘拐犯め!」
ゆっくりと私の方に近づきながら、先輩が叫んだ。
(誘拐犯? ……教授が?)
「ま、まさか、あれは君が……」と教授。
「貴方をあぶり出すために僕が意図的に流した情報です。早速掛かるなんて慌てましたか?」
「……ええい、頭のネジの緩んだ、ただの道化と思っていれば……謀ったな! さては貴様、政府の狩人か!?」
「僕は自分の素性以外、偽った覚えはない」
怒鳴った教授は、手にした金属製のトレイを先輩に向けて力任せに投げつけた。彼は涼しい顔で、上体を少しひねってそれを躱した。
目標を無くしたトレイが空を切って床に落ちると、グワングワンと耳障りな音を立てた。
……応接室は一瞬で修羅場になった。
「一体どういうことなの? 謀ったって?」
「ミラ、こっちへおいで。詳しいことは後で……ここからは、僕の仕事だ」と言うと彼は、駆け寄った私の腰に手を回してぎゅっと抱きかかえた。
「こちらも見事に騙されましたよ、教授」
教授(?)は悔しそうな顔で、グルル……と、獣のように唸ると、目を大きく見開いてギッと先輩を睨み付けた。
「中身が入れ替わっていたとは、半吸血鬼の僕でもさすがに気付きませんでしたよ」
話している間にも、教授の肌が黒ずんでいき、どんどん人間から遠ざかっていく。
赤くぬっとりと濁った目玉は半分近くも前にせり出してきて、今にも零れ落ちそう……。
「その娘は、貴様の撒いたエサか」
と言う教授(?)の声は、複数の人の声や獣の声がオルガンのように幾重にも重なり不快な和音を作っていた。腐敗臭のような息を吐き出しながら、こちらへにじり寄ってくる。
先輩は私を抱いたまま数歩後ずさり、
「まさか。これはあくまで事故のようなもの」と言うと、コツンと私の頭を叩いて、「だが、おかげで、貴方の尻尾が掴めました」と言いながら、私を背後に押しやった。
「貴様とて、同様に人を喰らっておるくせに」
教授(?)の言葉に彼がまなじりを決した。
「人を家畜にし死ぬまで生気を絞り上げる下賎な輩に、同類呼ばわりされる覚えはない!」
彼は怒りを露わにそう叫ぶと、懐から小さなプレート状の物を前方に突き出した。そこには、見覚えのある、美しい細工が施された金属製の小さな紋章が貼り付いていた。
そして先輩は、高らかにこう宣言した。
「王都守護隊特殊処理室所属、二等特別執行官、ユノス=シンクレアが、女王陛下の名において貴様を処分する。抵抗しなければ陛下の慈悲により一瞬で滅してやる。さあ、両手を頭の後で組み、床にひざまづけ!」
「え、ええええええええぇぇぇぇっ!?」
(せ、先輩が王都守護隊のトップエリート!?)
妖魔の叫びは彼に抗戦の意思を伝え、同時にヒュッと数度、微かに空気を裂く音がした。
黒い影が数度、閃く。
目の前で金属を打ち鳴らす甲高い音が響き、足元には、バラバラと骨のようなものが幾つも転がった。
つまり化け物の口から高速で撃ち出された大量の牙を、先輩が目にも止まらぬ早さで全て払い落とした、ってことらしい。
彼の両手には、銀色に輝く大ぶりな銃が二丁。
「済まなかったミラ……、これで本当に最後の隠し事だ。後でどんな罰でも受ける。だから、少しの間、後を向いていてくれないか」
と彼は言いながら、二つの銃口を、そして抉るような眼差しを、非情に妖魔へと向ける。
妖魔は四肢の関節を、あり得ない方向に曲げてよつん這いになると、飛びかかるタイミングを伺うよう頭だけをこちらにグルリと向け、体を床スレスレまでグっと沈めた。
ガチャリ、と二つの撃鉄を下ろす音が重なる。空気が張り詰める中、私は後を向くフリをして、彼等を指の間から……見てしまった。
それを、教授だったモノは見逃さなかった。赤黒く血走った目で、私に視線を合わせると、ニタリと笑った、その瞬間、
『ソレ』は、私の精神を一瞬で侵した。
「きゃあああああぁぁぁぁぁッ!」
辛うじて教授の原形をとどめていたソレは、体の皮がずるりと剥けて、中から臓物のような、血塗れの妖魔が這いだしてきたのだ。
「ミラ!」
彼に呼ばれた私は、狂気の淵から戻ることが出来た。しかしその一瞬のスキに妖魔は倍ほどに膨れあがり襲いかかってきた。
「クソッ、させるか」
と、叫ぶと同時に、避けきれないと一瞬で判断した彼がコートを翻し私に覆い被さった。
……ごめんなさい、先輩。
と、死を覚悟した瞬間、どこか別の場所から一発の銃声が響き、「ぐぎゃぁッ」と妖魔の悲鳴がした。
何が起こったのか、先輩の陰でわからない。
「ごめん」短く彼が告げると、私は強く床に押しつけられた。
……彼の意図はわかってる。
頭の上で連続した銃声が轟くと、何かの爆ぜる音と共に、火薬の匂いと血と油と下水の混ざったような臭いが部屋に充満した。
妖魔が絶叫を上げ、私は必死に耳をふさいだ。
さらに畳みかけるように響く銃声と、妖魔がのたうち回って調度品をなぎ倒す音に私は怯えた。
でも体の上に破片の雨が降り注いでも、彼を信じて冷たい床の上で必死に耐えた。
……一秒でも早く終わって、と。
「もう大丈夫だよ、ミラ」と彼の声がした。
恐る恐る顔を上げると既に妖魔の姿はなく、肩で息をしながら私に手を差し伸べる先輩の姿があった。
彼のコートはあちこちが裂け、隙間から覗く白い肌には血が滲んでいた。そして周囲には、私たちを避けるように、黒い塵と瓦礫の山が出来ていた。
……先輩の『僕がこの身にかえても護る』という言葉は、本当だったんだ……。
ふと見ると向こう側には、ドヤ顔で猟銃を構えるクリスがいた。
……そうか、きっと彼女の一発が、彼にチャンスをくれたのね!
先輩は、通報を受けてやってきた警察官に、現場の引き継ぎをしていた。
そのあと私は、彼に勝手に出歩いたことをこっぴどく叱られ、死ぬほどギューっと抱き締められた。苦しくて何度も咽せたんだけど、彼はしばらく許してはくれなかった。
おしおきが終わって、彼は今夜の一部始終を教えてくれた。
私と別れた後、彼が教授の内偵をしていたら、私と一緒に歩いていたのを発見、屋敷までそのまま尾行した。
急いで私を救出しようとしたら、何故か先に捕まっていたクリス達を見つけてしまい、解放した。ってバツの悪そうな顔で言ってた。
クリスはというと逃げもせず、犯人に『一矢報いたい』と教授の猟銃を拝借して屋敷をウロついてたら、合流したってことみたい。
彼女って一体何者なの?
*
「休日の朝っぱらから騒々しいわねぇ……」
私は玄関先で、数日ぶりに顔を出した先輩と二人がかりで荷物を運び込む父を見つけた。
「やあミラ。ボク、クビになっちゃった!」
「は、は*あ%ぁぁ#@▲☆ーッ!?」
「部屋も追い出されてしまったから、今日からここでお世話になることになったんだ」
クビになったのは特別執行官の方。彼は、『任務《学院での潜入捜査》をサボり女子生徒と過度な異性交遊《イチャラブ・溺愛・乳繰り合い》に興じていた為に犯人の発見が遅れ、被害が増えた』責任を取らされて、懲戒免職になった。
「というわけで、君の先輩じゃなくなったよ」
「そっか。学院にはもう来ないのね……」
「そんな寂しそうな顔しないでよ、ミラ」
と、彼は私の頭をポンと叩いた。
「明日から僕は、王立ローデア錬金術学院高等部の新任教授、……君の担任だ」