(3)
ママの運転する車は、家の隣の駐車スペースに停まった。
「ママの言ったとおり、とても美味しかったよ」
そう告げて車を降りた。なにげにお腹を擦る。デザートまで注文して、少し食べ過ぎたかもしれない。お喋りしながらの食事は楽しい。家で食べるご飯も美味しくない訳ではない。毎日の夕食はお手伝いのハルミさんが用意してくれたり、そうでない時は自分好みの味付けで調理する。パパが亡くなってから寂しさには耐えることを覚えたけれど、一人の食卓はやはり味気なく感じる。
鞄の中から家の鍵を探しだし玄関を開け中へ入る。脱いだ靴を揃えようとしゃがむとママの姿が目に入った。ママは玄関の前で両手でハンドバックを持ち立ち尽くしていた。そういえばママはこの家に来るのは久しぶりだった。
「ママ、さあ上がって」
「それじゃ、お邪魔しますね」
ママの仕草はどこかよそよそしかった。パパと離婚してから十年以上、この立海の家の敷居を跨ぐことは数度しかなかった気がするが、それでもこれほどの違和感を感じたのは私は初めてだった。立海家とは縁が切れても私の母親であることは間違いないのだから……。
ママが靴を脱いだのを見届けてから、私は台所へ向かう。今日はハルミさんはいないはず。お昼ごはんの準備もお願いしていなかった。
冷蔵庫を開けると、カステラが一斤入っている。ハルミさんが準備してくれていたのだろう。となり町の明月堂のカステラは絶品。途端に別腹が空いたような気がした。
それを切り分けた後、茶筒と湯飲み茶碗、急須をお盆に乗せて応接間へ運ぶ。パパがいる部屋、そこにママもいるだろう。襖をそっと開けてる。パパと向かい合うママがいた。線香の煙がスーッと立ち上っている。
黙ってテーブルに近づき、お盆を置いてカステラを取りに台所へ戻る。お節介かもしれないけど少しでも二人の時間を作ってあげたい。過去にはママもパパを愛していた筈なのだから。
再び応接間へ運び込んだ時、ママは湯のみお茶碗にお茶を注いでいた。
「まだ、ママの入れたお茶のほうが美味しいはずよ」
視線を動かさず、姿勢を崩さず、凛としたママはそう語った。私の小さい時の記憶と同じ姿だった。ママは立海家の一員だった時、この家に家族三人で住んでいた頃を思い出しているだろうか。
私はテーブルにカステラを並べた。そしてママのようにきちんと正座をする。
注がれた湯飲み茶碗から湯気が湧く。それを手に取りママに尋ねた。
「パパとなにを話したの?」
「もちろん、あなたのことをお願いしたのよ。いつまでも美琴を見守って下さいね」
真っ当な答に拍子抜けした。
「それだけ?」
「うん、それだけ」
今のママはパパを愛していなかったのだろうか? 亡くなったパパをどう思っているのだろうか? すでに死者として、別れた人として心の奥底へ葬り去ったのだろうか? もしそうならパパが可哀想に思えた。しかし、ママの表情からはそれを窺い知ることは出来なかった。大人になればそれが分かるのだろうか。遺影に視線を移してパパのことを思う。
祭壇に白い表紙の本らしきものがお供えしてある事に気がついた。今朝にはなかったものだ。
「ママ、白い表紙の本はママがお供えしたの?」
ママは祭壇の方を振り返った。
「あれはパパの遺書なのよ。一生懸命書いた遺言なの……」
私からママの表情からは見えない。どんな表情をしてるのだろうか。ママはそっと右手を顔付近まで動かした。その手にハンカチが握られてるのがチラリと見えた。