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第九話 別れ

 マテウスの拳の先で、ぱしゃっと赤い水が弾けた。生暖かい、死者の生を皮膚が伝える。

 同時に、背後でぱしゃっと音がした。マテウスが振り返ると、マクシミリアンの前からは地球にも似た星が消え、代わりに義仁が倒れている。

 突然空に太陽が昇り、光があまねく地上を照らし出す。マテウスが頬に鉄拳を叩き込んだ相手を見ると、既に影も形も無い。

 マテウスの足の傷もすっかり塞がり、痛いところなど全く無い。


「終わった、のか」


 あまりの呆気なさに、マテウスは頬をかくとその場に座り込んだ。体力的には全く問題ないのだが、精神的にドッと疲れた気がしたのだ。


「きゃあ!」


 紗代が小さい悲鳴を上げて、顔を真っ赤にしている。蘇生させた義仁が裸だったのが原因のようだ。恥ずかしそうに背を向けて、プルプルと震えている。

 マテウスはやむを得ずに立ち上がると、金色のローブを脱ぐと義仁の身体にかけた。ローブの下は金ぴかの皮鎧なので、それほど見た目に大差は無い。

 それにしても、一向にマテウスとマクシミリアンが帰れる気配が無い。マテウスは不安にとらわれ、恨めしそうにマクシミリアンを見た。


「お~い、天才。帰れんぞ」


「天罰が世界にゆり戻しをかけているのだろう。恐らく、俺たちは最後なんだろうな」


「ほお、闇魔法の割りに親切なことだ」


 うーん、という声が聞こえ、マテウスとマクシミリアンの足元でもぞもぞと真理の体が動く。


「むー、何か騒がしい……」


 まるで眠りから覚めるように、目をこすりながら真理が上半身を起こした。のんきなことに、ボーっとした顔で辺りを見回している。

 すると、ある一点を凝視して真理の視線が止まった。ゆっくりと立ち上がったかと思うと、覚束ない足取りで義仁の方へと歩いていく。

 そして、その場でへたり込むと、義仁の顔を撫でた。信じられないものを見るかのように、優しく、何度も何度も。

 これは現実。消えないことを悟ったのか、事実であることを悟ったのか、真理は座ったまま涙を流し始めた。

 頬に行く筋もの涙を流しながら、真理はマテウスに顔を向けた。


「マテウスー! 義仁が、義仁がー!!」


「なんつー顔してる……。見りゃ分かるから、名前を連呼するのはやめろ!」


 真理は恥ずかしげも無く、大きな声を上げて泣き続けている。

 そんな姿を見ていると、マテウスは報われた気分になってきていた。

 魔族と正面から対峙したり、ぶっ殺されそうになってみたりした。だが、最後まで諦めなかった結果一つの命を救い出したのだ。

 天罰、とはよく言ったものだ。まさに悔い改めるような道のりだったのだから。

 清々しい気持ちで青空を仰ぐ。すると突然、稲光のような白いものが走り始めた。

 白い稲光は円を描き、描かれた円は暗黒の穴へと変化する。

 全てを飲み込むような、深遠の闇。光の進入を拒むかのような、完全な闇の穴だ。

 空を見上げたまま、マテウスは小さく呟いた。


「やれやれ、ようやくお出迎えか」


 紗代がその一言を聞きつけて、慌てたようにマクシミリアンを見ている。

 行って欲しくない。帰らないで欲しい。という寂しさが紗代の瞳には宿っている。


「お、おめでとう、二人とも。よかったね、元の世界に帰れるよ!」


 それでも、紗代は笑顔を作っていた。無理をしていることは、端から見ても明らかだ。

 こんなときでも、マクシミリアンの表情は冷たいままだ。相変わらず冷たいやつだ、とマテウスは思う。

 そういえば、マクシミリアンは天罰をもその冷静さで乗り切った。この天罰で、マクシミリアンは何を悔い改めたのか。

 何も変わらないか、とマテウスはそんな気がした。マクシミリアンの強さは、そこにある。

 何を思ったのか、マクシミリアンが自分のポケットの中に手を突っ込んで魔石を取り出した。赤、緑、白、黒の魔石だ。

 それを紗代に手渡すと、マクシミリアンは顔を伏せた。


「それを持っていてくれ。その、それを目標に空間転移魔法の演算をする」


 きょとん、として紗代は手のひらの石とマクシミリアンの顔を交互に見ている。あのマクシミリアンが、何かを言いにくそうにしている。


「それで、あの返事だが。その、次この世界に来たときに言う」


「……うん!」


 嬉しそうに、紗代は元気よく頷いた。

 紗代は気づいていないようだが、マクシミリアンと長年付き合ってきたマテウスから見れば答えは一つだ。なんとも不器用なやつ、ということである。


「マテウス、帰るの?」


 マテウスが視線を落とすと、涙の後を頬に残したままの真理が見上げていた。

 そういえば、と、マテウスは過去を振り返る。

 そういえば、真理には結構酷いことを言った気がする。変に利用しようとしたこともあった。


「何と言うか、今まで悪かったな」


「どうしたのよ急に。らしくないわね」


「最後だからな。貴族として、言うべきことは言っておくのだ」


「最後? 何言ってるのよ?」


 真理はいたずらっぽく笑っていた。


「また来てくれるんでしょ? 今度は遊びに。マクシミリアン君と一緒にね」


「お、おう。そうだな」


 しどろもどろになりながら、マテウスは答える。


「そうか、そうだな。この世界の紳士諸君も春風の到来を待ち望んでいるはずだ。必ずや来て見せよう」


「やっぱりマテウスは来なくていいわ」


 マテウスと真理は、互いに笑いあう。そして互いの手を握り、握手で持って再会を誓う。

 マテウスとマクシミリアンは、真理と紗代に背を向けると風の魔法で飛び上がり暗黒の穴を目指した。

 真理と紗代は大きく手を振って、その後姿を見送る。真理は、両の手のひらをメガホンのように形作ると、口の周りに当てた。


「二人とも、ありがとう! 絶対、絶対、また来るのよー!!」


 マテウスとマクシミリアンが、黒い穴の中へと消えていく。二人を飲み込んだ黒い穴は再び白い稲光を走らせると、フッと消えてなくなる。

 後には、ただただ青い空だけが広がっていた。

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