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第五話 天罰ルール

 太陽が地平線の彼方へと消え、辺りを闇が支配していた。昼間は人で賑わう学校の校舎も、無人の闇の中では不気味さをかもし出す。

 しかし、宵闇が支配する中、白く塗られた三階建ての校舎には少しだけ明かりが漏れている窓があった。

 三階の一番端の教室。木の板と鉄の足でできた、素っ気のない全く同じ机が整然と並ぶ。同じように大量生産された木と鉄の椅子が、机とセットになっていた。

 この学校に案内してきたのは、紗代だった。学校にはこうした非常食や毛布が災害用に保管されており、建屋の広さと複数の出入り口を持つ作りは魔物から逃げ回るのに適しているのだ。

 ここを拠点にしていたらしいが、紗代の考えではないらしい。あの冷徹天才マクシミリアンの考えのようだ。

 その教室の一角、机の上に行儀悪く腰掛けたマテウスは、紗代に手渡された四角く硬いパンのようなものをかじっていた。モサモサした食感のほんのり甘いこれは、乾パンという食べ物らしい。

 パンはできたてが美味いのに、あえて乾かしてから食べるなど正気の沙汰ではない。この日本とかいう国はどうかしている。しかし、腹が減っては戦ができないので、我慢しながら食べている。

 その向かい側では、真理と紗代が行儀良く椅子に座っている。真理は、同じように乾パンをかじっていた。

 一個ずつ小さいのを噛むことに飽きてきたマテウスは、袋から乾パンを取り出して手一杯に山を作る。ザラザラと口に流し込むと、ガリガリと噛み砕いた。

 真理はマテウスに冷めた目を向けた。


「行儀悪いわよ、マテウス。机の上に座っちゃいけません、て、小学校で教わったでしょ?」


「何だ? 小学校というのは」


 真理と紗代は、驚いたように顔を見合わせる。そして、マテウスに再度向けられた真理の目は哀れみを秘めた辛らつなものへと変わっていた。


「マテウスの世界には、小学校ないのね。かわいそ」


「何だその哀れみの目は。ゴルゴーンみたいになっているぞ」


「ゴルゴーン? それ何?」


「あんな怪しげな儀式をしていたくせに、ゴルゴーンも知らんのか。いいか、ゴルゴーンというのはな……」


 得意げに話を始めたマテウスを無視して、真理は隣に座っている紗代を見る。

 紗代は顔を俯かせながら、どこか遠くを見ているように地面を眺め、どこか上の空だった。二袋の乾パンを握り締めて、一向に食べようとする気配がない。

 真理は乾パンを一つ取り出すと、紗代の頬にふにふにと押し付けた。


「食べないと持たないわよ、紗代」


「あ、い、いいの、私は……」


 両の手のひらを向けて、紗代は困惑したような笑顔を見せた。そしてまた、元気のなさそうな顔をして俯く。

 一連のやり取りを見ていたマテウスは、無視されていた怒りとあいまって乾パンをもう一袋頂戴することに大決定した。


「その乾パンをこちらへよこせ、空気な水兵! というか、あなた誰ですか?」


 ビシッと乾パンの袋を指差した人差し指が、紗代の顔へと向けられる。

 紗代は乾パンの袋を抱きしめるようにして守ると、顔を伏せたまま身体をよじった。


「こ、これは駄目……」


 紗代がか細い声で言い終わる前に、真理がマテウスの前に身体を入れて立ちはだかった。


「紗代は私の友達! 何で今まで気づかなかったの?」


「乾パンより存在感が空気だったからな。風のエキスパートであるこの俺でも、同化され過ぎて全然気づかなかったのだ!」


「明らかに最低な理由をどうしてそのまま口走るのよ!?」


「嘘は泥棒の始まりだ。どちらにしろ最低なら、犯罪にならない方を俺は選ぶ!」


 どうだといわんばかりに、マテウスは胸を張る。苦虫を噛み潰したような顔をした真理は、今にも食って掛かりそうだ。

 そこで、ガラリと音を立てて教室の扉が開いた。冷静さを秘めた黒い瞳が、教室全体をなめる様に見回す。

 扉の向こうから現れたマクシミリアンは、教壇の上においてあるガムテープを手にとると、べりべりと出して引きちぎる。マクシミリアンが窓のカーテンを指差すと、ガムテープの切れ端がカーテンの淵を押さえつけた。


「光が漏れていたぞ。気をつけろ」


 対峙する二人とオドオドしている一人の下へ歩み寄り、マクシミリアンは椅子を引いて腰掛ける。


「で、マテウス。そいつがお前のパートナーか。格好を見ると、紗代と同じ学生だな?」


「違う。成金の水兵だ」


「違うわ、学生よ。いつまで言ってるの?」


 ふてくされ、かつ呆れたように真理がそっぽを向く。長年の付き合いであるマクシミリアンは頭を抱えてもおかしくないいつもの状況だったが、眉一つ動かさず、表情に変化は見られない。


「そんなことよりも、マクシミリアン。魔法が使えるな?」


「いや」


「よし、ならばすぐに帰ろう! て、あれ? 今なんて言いやがりましたか?」


「無理だ、が後ろに続く、否定形のいや、と言った」


「だよね。そうだよね? 嘘付けふざけんな!」


 先ほども、魔法でガムテープを貼り付けていた。魔族の少女と戦ったときも、無詠唱と呼ばれる高難度の魔法を連続使用していた。

 その魔法に、一切の曇りはない。

 しかし、マクシミリアンは首を横に振る。そして、机の上に妙な石ころをジャラジャラと並べた。

 緑、赤、黒、白。石はそれぞれどれかの色に属し、大きさは指先程度から手のひらサイズまで様々だ。


「俺たちの魔法は封印されている。だが……」


 マクシミリアンが緑色の石を持ち、マテウスに投げる。それを受け取ったマテウスは、懐かしい感覚にとらわれた。

 体内に渦巻く、竜巻のような空気の流れ。


「こいつは……!」


「気づいたか、さすがだな。それは魔力(マナ)そのものだ。それを使えば、魔法を使える」


 そういえば、とマテウスは懐をまさぐる。この世界に来たとき、緑色の石を持っていたことを思い出したのだ。

 しかし、いくらまさぐっても石は出てこない。代わりに、爪の先ほどにも小さくなった緑色の砂が一粒出てきた。


「石は、魔法を使えば使うほど小さくなって、いずれ消滅する」


 マテウスの背筋に、悪寒が走る。マテウスはワージャガーの気を引くために魔法を使った。弱い魔法しか使えなくなったと思い込んでいたが、それは石が強力な魔法を行使できるほど大きくなかったからに過ぎない。

 ワージャガーと奮闘している間に石がなくなっていたら、と考えると背筋が凍る。


「そういうわけで、限定的にしか魔法は使えん。だが、帰る方法がないわけじゃない」


 マクシミリアンは、紗代から乾パンの袋を掴みとる。袋を開けて手を突っ込むと、乾パンの一つを取り出して口に放り込んだ。

 のんきに口をもむもむ噛んでいるマクシミリアン。冷静なのはいいが、マテウスはじらされている気がして無償に腹が立ってきた。


「言え! その方法を早く言え! すぐ実行して帰るぞ!」


「まあ、落ち着け。俺たちがモニカに吹き飛ばされた魔法は、天罰(ゴッテストラッフェ)。知っているか?」


「知らん! 風のこと以外、俺には分からん!」


「だろうな。天罰にはルールがある。石もそうだが、例えばこの国の軍隊が動かないのは変だと思わないか?」


 そういえば、と真理が考え込むように口へと手を当てて呟く。


「確かに、どうして自衛隊が動かないのかしら」


「恐らく、結界の影響だろうな。そして、帰る方法にもルールはある。書物によれば、召喚された者には目的が設定されるらしい。その目的を達成すれば、帰還できるはずだ」


「で、目的って何ですか? 見解を早く述べやがれ」


「さあな」


 マテウスはがっくりとうなだれた。マクシミリアンが分からないということは、ほとんど誰にも分からないということだ。

 しかし、引き下がりたくはない。帰る方法は、それしかないのだから。

 ついでに、天罰という魔法名も気に食わない。マテウスはいきり立った。


「何なんだ、天罰というのは? 俺がそれほどのことしたか?」


「お前、毎日何してた?」


 マテウスは首をかしげて考え込む。

 毎日していたことといえば、飯食って歯磨いて寝て起きて。


「スカートめくりか?」


 真理と紗代が、一歩下がって机に当たり、ガタガタと音を立てている。表情はまるで汚物を見たように引きつっている。

 マクシミリアンは、目を閉じて頷いた。


「しかも、規模が違う。帝都は人口百万人。内、女性が半分として五十万人。フレアスカートが流行っていたからな、八割が着ているとして四十万人。五年間休まず毎日だから、延べ七十三億回スカートめくりしたわけだ。天罰も落ちるだろう?」


 真理と紗代は、ひそひそと何かを話している。軽蔑だ。軽蔑というしかない。

 公序良俗に反することをいとわない、真っ直ぐな侮蔑の視線だ。黒くて素早い人類の敵と同レベルの扱いだ。

 だが、マテウスは納得した。なるほど、七十三億回もスカートめくりしたら、それは天罰が落ちてもおかしくない。軽蔑も必然。よって、開き直った。


「本当だ! 天罰も落ちるわけですな! で、お前は何をしたわけなんだ?」


「俺はお前に巻き込まれただけだ。いい加減にしろ」


 くそ、とマテウスは床に手をついてはいつくばった。確かに七十三億回はやりすぎだったかもしれない。

 だが、七十三億回紳士諸君が喜んでくれたはずなのだ。あんまりの扱いではないのか。


「なぜ早く言わなかった、マクシミリアン。俺は、毎日だったスカートめくりを一週間に一回にしても良かったんだ……!」


「そうか。結果は全く変わらんと思うがな。ところでお前……」


 マクシミリアンの視線が、嫌悪のあまり教室の端までドン引きした真理へと向けられる。


「足、痛くないのか?」


 真理の怪我したふくらはぎが、熟れ過ぎたトマトのように真っ赤に膨れ上がっていた。足を見た紗代が、思わず小さな悲鳴を上げる。

 真理は困ったように頭をかいた。


「それが、もう感覚なくなっちゃって。とりあえず、歩くことできるから大丈夫、大丈夫……」


「そうか? 俺には足を切断する未来しか見えんが」


 ビクッと、真理の体が震えあがる。

 マクシミリアンは、机の上の石から黒いものだけを集めるとそれを手のひらに盛った。


「水の精霊ウンディーネよ。わが名はマクシミリアン= マイヤー。滅び行くその身を止めよ」


 山盛りになった黒い石が、黒い光を放って空気の中に溶け込んでいく。同時に真理の足が黒い光に包まれて、元の綺麗な白い足へと治癒されていく。

 石が消滅するころには、真理の足の怪我は痕もなく治っていた。

 真理はよほど驚いたらしく、ベシベシと思い切りふくらはぎを叩いている。


「凄い! 全然何ともない! ありがとう!」


「今ので水は使い切った」


 マクシミリアンは、机の上の石を緑、赤、白のグループに分ける。赤と白をポケットに突っ込むと、残りははいつくばっているマテウスに手渡した。


「風は任せた。火と土は任せろ」


 山盛りになった風の石を見て、マテウスは急に元気になってきた。

 そういえば、今日は日課をやっていない。だから元気が出ないのだと、マテウスは意味不明な理論を組み立てる。


「よし、任せろ! 春風の(スオーリングス)……!」


「無駄遣いはやめろ」


 マクシミリアンの素早く上がった手が、マテウスののど笛に食い込む。ぐふお、と呻いて、マテウスは床に転がるとのた打ち回った。


「すまん。わざとだ」


 まるで他に手立てがなかったかのような言い草。マテウスは激怒したが、ひゅーひゅーと要領を得ない声だけが口から漏れる。

 酸素を求めるその様は、まさにやかん。口がやかんの出水口のようになり、音がリアルさを増していく。

 あまりに壮烈な状況に、真理と紗代は気の毒そうな顔をして見守っている。

 しかし、マテウスの所業の数々は星のごとし。仕方ないよね、とでも言いたげに、真理は肩をすくめる。


「いいな、紗代はパートナーに恵まれて。イケメンで頭もよさそうじゃない」


「……え、そ、そう?」


「私なんてセクハラやかんなのに。まったく、何でこんなに差がついちゃってるのかな」


「でも、真理ちゃんは元気になったみたい」


 真理は顔を伏せて暗い表情を浮かべたが、のた打ち回るマテウスを見て笑顔を取り戻す。

 そして、明るい笑顔を再度紗代へと向けた。


「あんなうるさいやつがいるとね、もう悩んでる暇なんてないもの。確かに、私にはあれくらい破天荒なのがちょうど良かったかも」


 げほげほ、と咳き込んで、破天荒でやかんこと、マテウスがゆらりと立ち上がる。そして、真理へ怨念のこもった視線を送り届けた。


「言いたい放題言ってくれたな、小娘。確かに、マクシミリアンは頭が良くてイケメンでもてる。だがな、性格は最悪だ! ついこの間、九十九人目の女心を討ち取ったばかりだからな! もうすぐ百人斬りの異名を取るぞ! どうだ、俺と変わらん(カルマ)だろう? 案外巻き込まれたんじゃなく、その件で天罰くらったのと違うか?」


 悪魔の笑みを浮かべて、マテウスがマクシミリアンに詰め寄る。マクシミリアンは、平然としたままだ。


「九十人も盛るな。振ったのは九人だろうが」


 紗代が抱きしめいた乾パンの袋が、ギュッときしむ。それを見た真理は、慌てたようにサッと人差し指と中指を立てた。


「ところで、マクシミリアン君に二つほど見解をいただきたいんですけど」


「何だ?」


「さっきから話し聞いてると、その天罰っていうので日本に来たんだよね?」


「ああ。俺たちが天罰を受けなければ、この世界に飛ばされる可能性は皆無だ」


「マテウス、どゆこと?」


 やばい、とマテウスは思った。天罰を食らってこの世界に来たという都合の悪いことなど、意識の彼方においてきたのだ。

 ましてや、真理がみょうちくりんな儀式でマテウスを召喚したと勘違いしているのをいいことに、色々協力させてきたことなど口が裂けてもいえない。貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)にかけて。

 マテウスは目線を上斜め四十五度にそらすと、口笛を吹いた。


「何のことだ? 分かりません」


 真理は腕組みをして、千尋の谷よりも深いため息をつく。


「全く、仕方ないわね。君が嘘つけないのはよく分かったから、今度から正直に話すこと。いいわね?」


「うむ、以後気をつけてやろう!」


 真理は、頭を痛そうに抱えている。本当に分かっているのか、とでも言いたそうだ。

 しかし、頭から手を離すと、真理の表情は真剣なものへと変化した。


「マクシミリアン君、日本って、元に戻る?」


 紗代が、ゴクッとつばを飲み込んだ。

 恐らく、二人とも気になっていたのだろう。以前の平和な日常が、戻ってくるのかどうか。

 殺された人もいるだろう。怪我した人も大勢いる。家を失った人だっているはずだ。

 緊張した空気があたりを包む中、マクシミリアンはさも当然というように首を縦に振った。


「戻る。目的を果たせば、魔法の効果は消えて元に戻る」


 真理と紗代の表情が、一気に和らいだ。二人とも、手を取り合って喜んでいる。

 でも、と紗代が呟いた。


「……あてがない、んでしょ? どうしよう」


「だ、大丈夫よ、紗代。何とかなるって、顔上げよう?」


 急に力が抜けたように肩を落とす紗代を、真理が励ます。

 すると、どこまでも冷徹な声が告げた。


「あてはある。魔族の少女(ガキ)だ。ああ見えて、やつは千年以上生きているからな。何か知っているはずだ」


 マテウスは、慌ててマクシミリアンをにらみつける。


「ちょっと待て。相手は手練の邪法士だぞ? どうやって捕まえるんだ?」


「お前が全力の状態なら、今の俺が支援についても十分捕まえられるだろう? いつものことじゃないか」


「ああそうね。どこがいつものことだったかな~? 魔力はこれしかありませんよ?」


 片手に山盛りになっている緑色の石を、マテウスはマクシミリアンに見せ付ける。

 山盛りではあるが、最大の威力を誇る五段魔法三回分程度のものだ。マテウスの全力には程遠い。

 邪法を使う少女を相手にするには、魔力が全然足りないのだ。


「魔力は魔物を倒すなり、所縁の土地に行けば手に入る。風の精霊あたりが関係していそうな場所があれば、大量に手に入るだろう」


 しかし、心当たりがない。マテウスもマクシミリアンも日本の地理に詳しいわけがなく、真理と紗代は精霊を意識するような生活をしていない。

 真理はポケットからスマートフォンを取り出すと、その画面を人差し指で撫でる。

 マクシミリアンは、物珍しそうにそれを覗き込んだ。


「何だそれは?」


「スマートフォンよ。世界中のインターネットに繋がってるから、どんな情報でも検索すれば大抵分かるわ」


「ほう、それは凄いな。第二世界(ツヴァイテ)の遺物か?」


「ツヴァイテ? それ何?」


「いや、分からなければいい。話すと長くなるからな」


 真理の人差し指が動き、検索ワードを打ち込んでいく。すると、検索結果が表示された。


「風神雷神図。へえ、こんな近くにあるんだ」


 真理は、検索結果に満足したようだ。

 風神雷神図といえば、日本が認める由緒正しい国宝だ。神というくらいなのだから、かなりの魔力が集まっていそうである。

 四人の目的は確信を得て、一路博物館へと定まった。

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