第四話 幼女は化け物
日が地平線に沈もうと紅くなる中、ど派手な格好をした男は閑静な住宅街にいた。背中に、セーラー服姿の女の子を背負って。
周りに見える住宅は、先ほどの背の高い建物とは違い、二階建てほどで木造のものが多い。しかし、全て似たような形をしており、違いといえば瓦屋根のものと色のついた板屋根の家屋に分かれる程度だ。
道は灰色をした均一の四角い石による塀で区切られていて、遠くを見渡すことはできない。ある種、迷路のようでもある。
この迷路の中、マテウスは真理に手綱を引かれながら走っていた。
何しろ、真理はマテウスの首に回した腕に力を入れては、走っている足を止めるのだ。そして、行き先を指示したり、足が痛いだの文句を言ったりするのだ。冗談抜きで手綱である。
指示を出す辺り、真理には何か目標があるようだ。しかし、ワージャガーが徘徊している街を歩くのは危険極まりない。せめて自分の目立つ着衣を何とかしたいマテウスは、真理の自分勝手さに苛立ちを募らせていた。
そこへ、また真理の腕にグッと力が入る。もちろん首に腕が食い込んで、ぐえ、という嗚咽とともにマテウスの足が止まった。
「今度は何だ、小娘! 腹が減ったか? お花でも摘みに行きたくなったか? それともママでも見つけたか?」
「違うわ、父さんと母さんは出張中だもの。そうじゃなくて、あれ」
声を小さくした真理が、塀に開いた模様のような穴を指差す。その向こう側では、赤い目が四つ揺らめいていた。
まるでプログラムされた機械の様に、無駄な動きなくマテウスの右足が後ろへと一歩下がる。そして、ぐるっと踵を返した。
すると、また例の手綱がマテウスの首を絞めてくる。
「待って」
「待つ? 何を? 冗談は顔だけにしろ」
ドスッと真理の両肘がマテウスの肩に刺さり、腕が顔を挟み込む。そのまま腕が顔を強制的に右へと向け、首からゴキリといい音がした。
理不尽この上ない主人を背負ったことに後悔しながら、マテウスは首をさする。しかし、穴の向こう側の光景を見て、一気に痛みが引いた。
幼い少女が、ワージャガーの前に立っていた。
背を向けているので、どんな顔をしているかは分からない。ただ、ウェーブがかかった青いショートヘアと、フランス人形のような細くて白い手足が印象的だ。
加えて、クリーム色のドレスと赤いリボンがヨーロッパ系の外国人を連想させる。
マテウスはとても嫌な予感がしたので、即座に歩き始めた。すかさず、真理の腕がマテウスの首を締め付ける。
「何逃げようとしてるの?」
「はい? 何のことですか? 私めは、走ることが仕事ですから」
「あんなに小さい子を放って逃げるつもり!?」
サッとマテウスが真理を支えていた手を離すと、全体重を預けていた身体がズルズルとずり落ちる。ぺたんと地面に座り込んだ真理を前で、マテウスは幼い少女が見える穴を指差した。
「いいか、あれは何だ?」
「ワージャガーと襲われそうな子供」
「違う!」
マテウスは両手のひらを上へと向け、身もだえするようにわしゃわしゃと指を動かした。
「いいか、あれは人生の終着点だ! 今なら一人だけの人生終了で済むが、あそこに行けば漏れなく二人追加だ! 一体誰が得をするんだと聞かれれば、えさが増えたワージャガーさんしかいらっしゃらんだろうが!?」
「あっそ。助けるつもりないんだ?」
「ない!神に誓って、絶対にな!!」
渾身の力を込めた人差し指が、真理に突きつけられる。
負けないと言わんばかりに、真理はマテウスを強い目で見据えた。
「そうなんだ。意気地なし、玉無し、根性なし。そうだよね、幼女なんて助けに入ったら、変人さんは性犯罪者扱いされちゃうものね」
「そうだ! いい読みだな、小娘!」
もう逃げることしか脳にないマテウスは、何でもかんでも全面的に受け入れるつもりだ。変態だろうがなんだろうが、生きていたもの勝ちである。
ようやく真理も諦めがついたのか、俯いて黙り込んだ。
「……分かった。私が行く」
塀を頼りにして、すがるようによろよろと真理が立ち上がる。そして、覚束ない足取りで幼い少女の元へと歩き始めた。
真理が少女の下へとたどり着いたとして、まずぶっ殺される。ぶっ殺されると、精神的につながっているマテウスも死ぬ。
マテウスは面白い構図を思い浮かべて、あまりの理不尽さに狂喜しそうになった。よろよろと歩く真理を追いかけ、魔道兵器の発射ボタンを押そうとしている国王みたいな顔をして肩を掴む。
真理が振り返ると、マテウスは悟ったように目を閉じて二度うなずいた。
「よーし分かった、更にいい度胸だ。あの人生の終着点まで、きゃっきゃうふふと恋人みたいに競争しようというわけだな? だが、俺はまだ心の準備ができていない。ちょっとお待ちになりやがってくださいませんか?」
全力で媚びる笑顔を作って、真理に向ける。しかし、反応がない。
マテウスが目を開けると、真理はもう人生の終着点まで二メートルもない場所にいた。
死んだ、とマテウスは思う。真理はきっと、またマテウスが助けてくれると思っているのだ。
しかし、その距離は無理。というか、魔法が使えない以上、二人の荷物を守りきるのは不可能だ。
身の毛がよだち、全身の毛穴が開くほどの絶望。銀色の髪が白に変わるのではないかというほど、マテウスは死への恐怖を感じていた。
頭を抱え、生き残る可能性を全力で模索する。しかし、方策などありはしない。あるとすれば、それは神の気まぐれ、奇跡のみだ。
幼い少女は状況を理解していないのか、右手をゆっくりと上げてバイバイとでもいうようにワージャガーへ手を振っている。
次の瞬間、少女とワージャガーが退治する光景が、キャンパスに描かれた絵のように切り取られた。そんな感覚が、マテウスと真理を襲った。
聖画を前にしたような、荘厳で、独特な重みを孕んだ静寂が辺りを包む。そして、まるで桜吹雪のように、ワージャガーがフワッと消え去った。
サラサラとした白い砂が、少女の前に降り積もった。
少女は振り返り、真理に笑顔を向ける。
整った顔は、やはりフランス人形を髣髴とさせる。八重歯がチラリとのぞく笑顔は、まるで降り始めの雪のように純真でやわらかそうだ。
怪我ひとつない少女の姿を見て安心したのか、真理は力が抜けたようにフラフラと歩き、少女の前にしゃがみこんだ。
「大丈夫? まったく。マテウス、魔法使えるじゃないの」
もったいぶらないでよ、とでも言いたげに、真理はマテウスにジト目を向ける。
しかし、マテウスは凍りついたような表情でしか応える事ができなかった。
マテウスは、この幼い少女が何なのかを知っている。少女が、何をしたのかを知っている。
そいつは――。
「お姉ちゃんは、私を助けに来てくれたいい人?それとも、騙そうとする悪い人?」
少女の無邪気な笑顔が、真理にも笑顔を与えた。青い髪を優しく撫でると、紫色の瞳が嬉しそうに輝いた。
「もう大丈夫だから。助けに来たのよ」
「ああ、助けに来てくれたの方ね!」
柔らかだった少女の笑顔が、ツララの様に鋭く、冷たく、軽蔑したものへと変化する。
かつて一度だけ遭遇したことのあるそれを前に、マテウスは胃を切り刻まれるようであった。
マテウスの記憶が叫ぶ。
魔物は、魔族の中でも一番たちが悪い、支配者の階層に属する魔物。
ある者はその長寿を以てエルフと呼び、ある者はその力を以てヴァンパイアと呼ぶ。ある者はその統一された美しさを以てヴィーナスと呼び、軽蔑を加えてサキュバスと呼んだ。
少女は、少女に見えて少女にあらず。人間の百倍の寿命を持っているため、その姿でも一千歳は超えている。
加えて、少女は邪法と呼ばれる特殊な魔法を使う。邪神が使用したとされる、強力な魔法だ。たとえば、ワージャガーを灰に変えたような圧倒的な威力の魔法を。
少女が手を振れば、全ては等しく灰になる。もちろん、それは真理も、マテウスも例外ではない。
マテウスは、あらん限りの力を込めて、咆哮した。
「逃げろ小娘! 死にたいのか!?」
ところが、真理は氷像のように動かない。いや、動けないのかもしれない。それほどに、少女の笑顔は冷たいのだ。
だが、まるで猛吹雪が突然晴れたかのように、少女の笑顔が柔らかなものへと戻った。
「バイバイ、お姉ちゃん」
少女の細い手が、ゆっくりと上がる。
真理の死は、マテウスの死。自分が死のうとしているのに、マテウスは動けない。距離がありすぎるし、考えている時間もない。ただ、諦めるしかなかったのだ。
少女の手が振られる刹那、一陣の風が吹いた。
風は真理の横を駆け抜けて、少女に拳を叩き込む。少女の手は振ることを止めて、代わりに拳へと向けられた。
少女の手のひらから青い壁が作られ、風の拳を受け止めた。
風が止まり、水の波紋のように空気の流れが弾ける。やがて収まった風の中からは、一人の人間が現れた。
黒い髪に黒い瞳は、日本人を想像させるに容易い。白い半袖のカッターシャツと黒いストレートの学生ズボンは、そのまま学生と言って差し支えないだろう。
そして、頭に巻いた白い鉢巻がこの世界の住人であることを告げている。
しかし、姿はそうでも内面は大きく異なるようだ。黒い瞳は冷徹さを宿し、拳の通らない化け物相手でも臆している様子はない。
いついかなる時でも、磐石に冷静。そんな男を、マテウスはよく知っていた。
「おお、よくぞ止めてくれた天才! ついでに見解を述べてみたまえ!」
「邪法の使える魔族が一匹。青色の魔力を使っているところを見ると、かなりの手練だ」
マクシミリアンが右腕を振り上げ、少女に向かって振り下ろす。少女がそれを受け止めようと、右の手のひらを向ける。
青い壁が手のひらの上に発生したが、マクシミリアンは間髪いれずに右足を少女の胴に叩き込んだ。
風に煽られた落ち葉のように、少女は吹き飛んで塀に叩きつけられる。塀に亀裂が一筋走り、少女は口から真っ赤な血を吐いた。
少女の鮮血を冷静な瞳で眺め、マクシミリアンはズボンのポケットから黒く光る石を取り出した。
「保って五分だ。早く逃げろ」
少女の口から緑色の光が輝き、ゆっくりと起き上がる。立ち上がった少女は、先ほどのダメージが全くなかったかのように平然とした顔をしている。
口に残った血を手で拭うと、少女の白い手の甲に花が咲いたように赤が塗りこまれた。
「いきなり現れて淑女を蹴飛ばすなんて、失礼しちゃうわ。これだから、劣族の男は……」
少女が、まだ白い手のひらをマクシミリアンへと向ける。
しかし、それをさえぎるように黒い光が少女の足元から現れた。地面から鋭利な刃を宿した水柱が上がり、少女の腕を斬り裂く。
瞬間、斬り落とされた腕を緑色の光が包み、何事もなかったかのように再生する。
水柱が幾度となく上がり、少女の全身を斬り裂く。緑色の光が、服ごと少女を再生する。延々と、地獄が繰り返される。
血と水と光が交錯する狂気染みた世界を目の当たりにして、真理は全身を震わせながらやっと声を絞り出した。
「な、何あれ……!? どうなってるの!?」
声も震えて泣きが入っている。真理は、本当におびえているようだ。
しかし、真理の疑問に答えている時間はない。マクシミリアンは魔法を使えているようだが、抑えられるのは五分といっていた。
天才の言葉には、いつも間違いがなかった。だから、マテウスは真理を肩へと担ぎ上げると、一目散に逃げ出した。
すると、真理の足がばたばたと暴れてマテウスの腹を蹴る。
「ちょっと待ってよ、マテウス! あの人がまだ……!」
「マクシミリアンか!? 放っておいて無問題だ! あいつが五分と言ったら、五分は大丈夫だからな!」
後ろには一瞥もくれず、マテウスは迷路のような路地を駆ける。
マテウスは、絶対の信頼をマクシミリアンに抱いているのだ。別に友人としてではなく、その実力に対する敬意として。
それを感じ取ったのか、じたばたと暴れていた真理も大人しくなった。
迷路のような路地裏を抜け、大きな路地へと出る。息を肩で切らせながら、マテウスは辺りを見回した。
少女からそれほど離れていないのか、爆発音や何かが崩れる音が聞こえてくる。例の五分まで、後三分もない。
「あ、あの……」
今にも消え入りそうな声が、下斜め四十五度から聞こえてきた。蚊でも鳴いたのかと思い、マテウスは目線を落とす。
そこには、真理と同じ格好をしたセーラー服姿の少女が立っていた。
マテウスの目から見て、随分背の低い水兵さんだ。更に、寒さでガタガタと震える子猫のような怯えた表情をしている。気が小さいというか、小さすぎて今にも消え入ってしまいそうな印象だ。
せっかくの愛くるしいボブカットも、怯えた表情が暗いものにしている。
蚊の鳴くような声を聞きつけたのか、肩の上のでお荷物となっている真理がばたばたと暴れる。
「紗代? その声紗代じゃないの?」
背の低い水兵さんは、びくっと身体をのけぞらせた。何しろ、背の低い水兵さんから見れば真理のスカートと足しか見えないのだ。じたばたと暴れると、まるで人攫いにあっている人に見えなくもない。
真理が降ろせといわんばかりに暴れるので、仕方なくマテウスは背の低い水兵さんに背中を向けた。
スカートと足の変わりに、真理の顔が背の低い水兵さんへと向く。真理は感動したかのように、瞳を潤ませた。
「やっぱり紗代だ~!」
ゴールデンなローブを着た男に担がれたセーラー服の女の子が、瞳を潤ませている。端から見れば、何と怪しい光景か。人攫いにあった女子高生が、助けを求める図に相違ない。
あまりに奇抜な状況に、紗代はかなり困惑しているようだ。居た堪れなさそうに真理から視線をそらすと、顔を伏せたままポソポソと呟いた。
「こ、こっち……。ついてきて」
小さな声で言い切るなり、紗代は通りを走り出す。振り返ったマテウスは、遠慮なく第一印象を述べた。
「妙な女」
物干し竿にかかった布団のようになっている真理の手が、マテウスの腰を思い切り叩く。主人の命ずるまま、マテウスは妙な女の後ろを追いかけた。




