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第三話 魔物襲来

「お邪魔しました~」


 扉を閉めたマテウスは、くるりと振り返った。全身汗だくである。

 見てはいけないものを見てしまった。女性の着替えなら逮捕で済まされるものを、あの存在は死刑にまで引き上げる。マテウスの顔は、恐怖に引きつっていた。

 ただならないマテウスの様子に気づいたのか、真理はグシュッと鼻を一度鳴らすと、泣くのをやめた。


「どうしたの? 全身汗だくだけど。さっきの何?」


「ワージャガー」


「わあ、ジャガー? 嘘だ。目が四つ合ったし、立ってたわよ」


「アホか貴様は!? 目が四つ合って犬歯が長く、二足歩行だったらワージャガーさんしかいらっしゃらんだろうが!」


「何言ってるのよ。ジャガーは四つも目が無いし、四足歩行でしょ? 犬歯は長くないし。意味わかんない」


 マテウスが、思わず真理の胸倉をつかみあげる。どこ触ってんの、と真理が呻くように漏らしたが、マテウスの顔を見てすぐに黙り込んだ。


「いいか、小娘。ワージャガーさんはな、お前ら平民が束になっても勝てる相手じゃない。単独で村を全滅させるようなやつなんだぞ。力は言うに及ばず、耳だっていい」


「で、でも、あなた風の大魔法使いなんでしょ?ちゃっちゃと倒せばいいじゃない」


「違う、風の大魔法士だ! しかし、今はなぜか魔法が使えん! よって瞬殺されること受け合いなので、全財産を俺が負けるほうに賭けてやります!」


 これで俺も大金持ち、とマテウスは諸手を挙げて喜んだ。お得意の現実逃避と自暴自棄のミックスである。

 物凄く深い哀れみをこめた慈母の瞳が真理に授けられ、目の前の可哀想な人を見つめている。

 それに気づいたマテウスは、はああ、と大きく深呼吸した。恥ずかしさにより、現世に帰ってこれたのだ。そして、予言を信託された聖人のように清らかな笑顔を作ると真理へと向けた。


「よし、決めた。お前が囮になれ。そして死ね。ああ、勘違いするな。俺が逃げる時間を稼ぐだけの分は生きていろ」


「うわ、最低……。悟り開いたみたいな顔して、言葉の端々から悪意しか感じられないんだけど?」


「勘違いするな。悪意じゃない、殺意だ!」


 マテウスは胸を張り、声高らかに笑った。ガチャリ、と真理の部屋の扉が開き、マテウスの笑いが固まる。

 四つの赤い目が扉の端から顔をだし、マテウスと真理は息を呑んだ。二人は目を合わせると、無言でうなずく。

 廊下の先にある階段を目指して二人が走り始める。すると、ワージャガーが石斧を振り上げて扉から飛び出した。


「ウオアアアアアア!!」


 真理を捉えようとした石斧が目標をはずし、目の前の壁に打ち込まれる。石斧はコンクリートの壁に負けることなくこれを粉砕し、床まで達する。

 コンクリートの破片が花火のように飛び散り、白く細かい粉が霧のように沸き立った。霧の中で、赤い光が四つ、まるで蝋燭の灯火のように揺らめく。

 その光景を見た真理の顔は、血の気が引いて真っ青になっていた。ようやく状況が飲み込めたらしく、廊下を必死になって走っている。

 マテウスはもっと必死なので、真理の前を全力で走っていた。


「ふははは、見たか、ワージャガーさんの恐ろしさを! 死にたくなければ走れ下民! あがけあがけ、あーはっはっは!」


「何でそんな他人事なわけ!?」


 階段のある廊下の端までたどり着き、マテウスは下を覗き込んだ。

 古びた灰色の階段は一番下まで続いており、各踊り場にぽっかりと入り口が見える。各階に入るための入り口だ。それが、数えるのを諦めたくなるほど続いている。

 後ろを振り向くと、ワージャガーが二人を赤い目に写して追いかけてきていた。

 ワージャガーは、パワーがあっても足は早くない。しかし、スタミナが人間と比べ物にならないので、どこまでも追いかけてくる。

 こいつを撒こうとすると、一人がどこかの階の通路に入ってやり過ごすし、一人が囮という名の生贄になって階段を降りつづけるしかない。

 ワージャガーはかなり頭が悪いので、二人が一人になっても気にしないから一人は逃げ切れる。

 もちろん、囮は打ち合わせのとおりである。


「よし、俺が下の階の扉に入ってやり過ごすから、お前囮になって階段を降りろ。何、大丈夫だ。骨は拾ってやるから安心しろ」


 真理はぎゅっと唇をかんでいた。青ざめた顔で、肩を小刻みに震わせている。

 しかし、やがてゆっくりと頷いた。


「分かった。君に死なれたら目覚め悪いし、そうする。元々君を召喚したのも私だし、責任は取るつもりよ」


 真っ青な顔をしながら、真理は半泣きのような笑顔を作っていた。

 その笑顔に対し、マテウスは満足そうな笑みで返答する。


「いい度胸だ、小娘。聞き分けのいい女は嫌いじゃないぞ。 いい嫁さんになるだろうな。いや、なっただろうか?」


 真理は寂しそうに目を伏せると、そのまま階段を降り始めた。必ず降りきる事のできない、地獄への階段を。

 マテウスは一つ下の階へと降りると、廊下へ出て悠々と歩いた。カンカンカン、と真理が階段を必死になって降りている音が聞こえてくる。

 そして、ガンガンガン、という無骨な足音が加わった。ワージャガーが階段に到達したのだ。

 足音があっという間に降りてきて、踊り場で止まる。マテウスは、踊り場に背を向けたまま歩みを止めた。


「はっはっは、引っかかったなワージャガー!」


 マテウスが踊り場へと振り向くと、ワージャガーがゴフゴフと息を荒げていた。赤い目にはしっかりとマテウスが写り、捕捉されている。

 腐っても貴族。アクエサリトス帝国貴族たるマテウスには、貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)がある。死んだ青魚みたいな目をした女なんかに、囮をさせるわけにはいかないのだ。

 あんな娘が逃げたところで、逃げ切れる確立は一パーセントも無い。だが、マテウスならどうだ。四十パーセントくらいはある。

 耳のいいワージャガーには、特定の音に反応する習性がある。現に、その音を発していたマテウスに気づき、その足をこうして止めている。

 風の魔法が使えないとはいえ、完全に使えないわけではない。こうして、音を出す程度の下級魔法は使えている。ワージャガー討伐に慣れているマテウスなら、この魔法を駆使して逃げられる可能性があるのだ。

 音を出せるのは、魔法を形作っている手のひらの上のみ。一陣の風を手のひらの上に乗せ、マテウスは不敵な笑みを浮かべた。


「小娘が逃げ切るまで、まだ時間がいるからな。しばらく俺の遊びに付き合わせてやろう。ありがたく思えよ!」


 廊下は一本道。マテウスは横の代わり映えしない鉄扉に目をつけると、音を出している手をその前へと差し出す。

 ワージャガーが何かに感づいた豹のようにびくりと顔を上げる。次いで地面を蹴って跳躍した。まるで、足にばねでも入っているかのように素早い跳躍だ。

 木の幹のように太い鉄の腕が、マテウスの手へと石斧を振り下ろす。マテウスが素早く手を引っ込めると、鉄扉が紙切れのように吹き飛んだ。


「はい、お見事! いいノックだ!」


 手のひらの音を切り、開いた玄関にマテウスが飛び込む。ワージャガーは、一瞬だけ目標を見失った。

 しかし、すぐにマテウスの姿を目標として捉えなおし、ゆっくりとした足取りで玄関へと踏み込んだ。

 部屋の中は薄暗く、人のいる気配は無い。真理の家と同じような調度品が並べられており、これまた代わり映えのしない部屋である。

 何かいいものが無いかとマテウスが辺りを見回すと、部屋の奥にある銀色の管が飛び出た鉄製の台が目に付いた。くっついている取っ手をひねってみると、ちょろちょろと水が出る。

 どうやら水道、と辺りをつけると、マテウスは邪悪な笑みを浮かべた。


「いいもの使ってるじゃないか、成金どもめ。遠慮なく使わせてもらうぞ」


 部屋へと入ってきたワージャガーの赤い目が、部屋の暗がりに浮かび上がる。マテウスは水道の蛇口ををつかむと、音を奏でた。

 音が蛇口を伝って水道管へと共鳴し、増幅していく。ワージャガーには、ド下手なオーケストラのフルコースに等しい音だ。不快さが限界を超えたのか、ワージャガーが狂ったように床へと石斧を打ちつける。


「ウオオオオオ! オオオオオ!」


 ワージャガーが雄たけびを上げるたび、石斧が床へと突き刺さる。床からは水が噴水のように噴出し、石斧が確実に水道管を捉えていることが分かる。恐るべき、正確な聴覚である。

 マテウスは蛇口から手を離すと、一目散に廊下へと飛び出した。身を翻して部屋の中のワージャガーをにらみつける。

 そして、大きく手を広げ、両手から音をかき鳴らした。


「そんなにいらついて、どうしたんだワーちゃん? 何でも相談に乗ってやろう! さあ、俺の胸に飛び込んでおいでー!!」


 不快音で興奮状態に陥ったワージャガーは、マテウスを見ると四つんばいになって駆け出した。その姿は、獲物を追いかける豹と遜色ない。

 マテウスの眼前に、赤い目を炎のように怒らせたワージャガーが迫ってきた。鋭く伸びた犬歯からは水が滴り、まるで唾液のように飛び散る。

 後二メートル。もっとひきつける。マテウスの背後は、薄い壁しかない断崖絶壁。ワージャガーが本気で突っ込めば、壁を貫いて落下し地面に叩きつけられる。

 マテウスは勝利を確信し、身体を左へと倒す。


「危ないっ!!」


 クールな声が廊下に響くとともに、マテウスの身体は大きく揺さぶられた。マテウスが目線を落とすと、ストレートロングで妙に美しい髪の毛が目に飛び込んでくる。

 セーラー服とプリーツスカートがマテウスを守るように覆いかぶさり、地面へと倒れこむ。その上をワージャガーが飛び越え、壁に激突した。

 ワージャガーの身体は壁を砕き、三回ほど回転して地面へと吸い込まれていく。

 マテウスは覆いかぶさっていた真理の身体を押しのけた。きゃ、と小さい悲鳴が漏れる。

 しかしそれにはかまわず、上半身を起こしたマテウスは右手で握りこぶしを作って大きく振った。


「貴様、何を考えている! なぜ逃げないのだ!? 逃げていれば今頃落ちたワージャガーがお前の頭にぶつかって、俺はこの成金住居をパレードしているはずだったんだぞ!」


 しばらく顔を俯かせていた真理は、ようやく上半身を起こしあげた。


「だ、だって、ジャガーが私のこと追いかけてこないし。戻ってきてみたら、君が襲われてたから」


「で、お前が戻ってきて何になるというんだ? まったく、危うく死に掛けたぞ。余計なことをしおってからに……」


 腕組みをして顔をそらすマテウスを見上げて、真理は力なく地面に身体を預ける。そして、悲しそうな、困ったような笑顔を見せた。


「そっか、そういうこと。優しいのね。私の勝手で喚ばれて、帰れないって言うのに。ほんと、ごめん」


 真理の額から、一滴の汗が伝う。よく見ると、とても苦しそうに息を浅くしていることに、マテウスは気づいた。そして、足を見て目が留まる。


「お前、足を……?」


「ほんと、ごめん。囮になるって約束したのに。帰る方法探すって約束したのに。足手まといでごめんなさい。ちょっと手伝えそうにないわ」


「……」


「私のことはおいていって。マクシミリアン君、だっけ? 彼に会ったら、ちゃんと君の事は伝えておくわよ。ごめん、こんなことしかできなくて」


「……誤るのはやめろ、うっとうしい。それにいいのか、おいていっても?」


「どういう意味?」


 右手の握りこぶしに親指を立てると、マテウスは壊れた壁の向こうを指した。


「あいつはこんな程度じゃくたばらんぞ。頭悪いから、またここに戻ってくるだろうな」


 真理の顔が凍りついた。ガタガタと身体が震えだし、ぎゅうっと目を瞑っている。しかし、また笑顔を作ろうとしている。あの、半泣きの笑顔だ。


「お、置いていって。私は大丈夫よ。私がいたんじゃ、君も逃げ切れないでしょ」


「は、大した度胸だな。怖くないんですか~? 身体が震えていらっしゃいますよ~?」


「そ、そりゃ怖いわよ。死ぬのは嫌だもの。でも、私は大丈夫だから。ほら、いい囮になるわよね?」


「ああ~、大した心がけだ小娘。じゃあ遠慮なく」


 マテウスは立ち上がり、真理に背を向ける。すると、何故か左の足元が痛んだ。

 いや、痛んだなどというものではない。まるで抉られるような痛みだ。

 左足を見ても、何の外傷もない。綺麗なものだ。

 不思議に思ってマテウスが左足を振っていると、えぐ、えぐと後ろから嗚咽が聞こえてきた。


「や、やっぱりさ。やっぱりさ。私のこと助けてくれない? 図々しいって分かってるけど。やっぱり助けて。助けて……」


「いいぞ」


「……え?」


「まったく、顔が助けてくださいっておっしゃっておられるんだよ。貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)にかけて、放っておけるわけないだろが。最初から素直にそう言いたまえ!」


 真理は頬を伝う涙を、両腕でぬぐって顔を覆い隠した。震える真理の声は、しかし、安堵の笑いを含めた。


「前言撤回。君はひどい意地悪。性格なんてひん曲がってるわ」


「そりゃどうも。そんな性格診断してくれた小娘に質問だ! これは何だ?」


 マテウスの人差し指が、彼の左足を指差す。真理は袖の間からそれをのぞいて、震える声で答えた。


「左足」


「じゃあ、それは何だ?」


 マテウスの人差し指が、真理の左足を指差す。ふくらはぎから血が流れ出し、あまりにも痛いのか、時々足がぴくぴくと動く。


「怪我した左足」


「ですよね?」


 血の流れ出ている場所に、マテウスは躊躇なく人差し指を突きたてた。


「きゃああ!?」


「痛いですか~?」


「な、なんてことをするのよ!? 痛いに決まってるわよ!」


 真理は足を押さえて呻いた。マテウスも、左足の痛みが強くなって顔をしかめる。

 つまり、そういうことなのだ。真理の怪我の痛みは、マテウスの身体に伝えられている。ということは、真理が怪我をすればマテウスも痛いし、真理が死ねばマテウスも死ぬ。もしかすると、逆もありえるかも知れない。


「ああ、分かりますよ。俺も痛い」


「何言ってるのよ? 君は何ともないでしょ」


「何でか知らんが、お前が痛いと俺も痛い! 多分、俺が痛いとお前も痛いぞ?」


「そ、それって……」


「うむ。不幸なことに運命共同体となったようだな! 茶色い運命の糸が見えるぞ!」


「赤じゃなくて良かったわ。安心したわよ」


 真理が心底安堵したように胸へと手を当ててため息をつく。

 マテウスは、真理の前にしゃがみこんで背中を見せた。


「ほら、早く乗れ。やつが戻ってくるぞ」


 真理はおずおずと手を伸ばし、マテウスの肩にしがみついた。


「お、お世話になります」


 真理が背中に負ぶさると、マテウスは勢いよく走り始めた。脚の痛みなど気にもせず、人一人を背負いながら疾風のように駆ける。

 この痛みのために、真理は走ることさえおぼつかないというのに。


「凄いわね! 本当は足なんか痛くないんじゃない?」


「魔法士は訓練された戦士の称号だ! これしきの痛みで参っていては、戦でものの役には立たんぞ」


「やせ我慢しちゃって」


 続けて、ぽそりと真理が何かを呟いた。しかし、あまりに小さな声だったのでマテウスには聞き取れなかった。


「何だ? 何か言ったか?」


「ううん。君のその服、何とかした方がいいかなと思って。いくらなんでも目立ちすぎでしょ」


 マテウスのゴールデンなローブが、日の光を返してきらきらと輝く。人ごみにまぎれていたとしても、ワージャガーが一番に襲うとしたらマテウスで間違いない。


「うむ、俺も切実にそう思う。目立ちたくないと思ったのは生まれて初めてだ」


 真理の腕に力がこもり、マテウスの首が息苦しいほどに締め付けられる。また傷が痛むのかと思いきや、真理は呆然としたように壁の向こう側に広がる景色を眺めている。

 景色は、さきほどまでとは打って変わっていた。黒い煙の柱が何本も立ち上り、そこかしこで赤い炎が揺らめいている。

 音も変わっていた。車とかいう蟻の音はなく、ただ静寂だけが支配している。時折何かが爆発する音がこだまして、悲鳴が聞こえた。


「今日は何かのお祭りですか? だとしたら、この服を着替えるわけにはいかんな!」


「そんなわけないでしょ!? もしかしたら、さっきのジャガーみたいなのが街中に出たのかも。でも、何で……?」


「よーし、小娘。笑えない冗談だ。やっぱりそう思いますよね? よし、早く着替えるとしよう!」


 喧騒に包まれていて、小さな諍いが絶えなくて、でも、人が暮らしていくには十分に平和だった街。しかし、街はワージャガーの襲撃によりそのささやかな平和を失っていた。

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