第二話 そこな水兵
「ね、ねえ、君の能力は何?」
女の水兵さんが、恐る恐るといった様子でマテウスに声をかけた。如何にも不安そうで、オドオドとした目だ。
そのくせ、聞いてくることは存外不遜。銀の短髪に赤い目、金のローブのイケメンな魔法士と言ったら、風の大魔法士マテウス=ローゼンハインしかいないのだ。
ただ単に、金のローブを着るのが彼しかいないことを除いても、気づくべき点は気づくべきである。
マテウスは、水兵さんの赤いスカーフを指差した。
「いいか、娘。お前のそれは何だ?」
「え?」
水兵さんが、戸惑ったように赤いスカーフを指でなぞる。
「スカーフ……、だけど?」
「そうだ!」
マテウスは右手にこぶしを作り、親指を立てて自分を指差す。ニヤリと得意げな笑みを浮かべ、歯をキラリと光らせた。
「では、俺は何だ?」
マテウスの顔をまじまじと見つめ、ついで身体全体を見回す。困ったような顔を浮かべた水兵さんの眉間に皺が寄る。皺の谷間がどんどん深くなり、ゴールに到達できない渓谷の様になってきた。
「へ、変人?」
「そうだ、変人だ! よく分かったな! ……て、違うに決まっとろうがああああ!!」
地団太踏んで、マテウスは悔しがった。
この小娘水兵さんは、言うに事欠いて変人ときた。しかもマテウスのことを本気で知らないようだ。人にあるまじき無知である。
ぐぬう、と漏らすマテウスの顔を、水兵さんがそっと覗き込む。これ以上マテウスを刺激しないようにしているのか、慎重に、恐る恐るだ。
「ごめん。でも、その言い方だとあなたを知らない人はいないってことだよね? 有名なの?」
「有名なの、だと!? 俺様は有名も超有名、名前も知らんとは恥を知れ! いいか、俺様は中央魔法機関国防省所属第一位魔法士……!」
名乗っている途中で、水兵さんの手が立てられてマテウスを止めた。どうやら、中央魔法機関の名が利いたようだ。
中央魔法機関とは、マテウスの住むアクエサリトス帝国の中でも最高位の機関。戦争、外交、何でも取り仕切っている国の中枢。これを知らない人間は、本当に常識のない人間だ。
「分かった。あなたはかなり力があるのね」
「そうか、やっと理解したか。中央魔法機関の名を出さねば分からんとは、はなはだ不本意ではあるが……」
水兵さんが、腰のあたりに手を当ててもぞもぞと何かをやり始めた。意味不明な行動である。
何かの一発芸ですか、とマテウスが眺めていると、ストン、とあらぬものが落ちた。水兵さんの足元で、紺色の布が輪を作っている。それってプリーツなスカートだ。
そのまま視点を上にスライドさせていくと、綺麗なすらりとした足が伸びている。そして、フリルのついた真っ白なサンクチュアリに到達した。
「て、ええええええええ!? どこの国の一発芸だ!?」
「は? 何言ってるの? あなたたちはこうやって契約しないといけないんでしょう? ほら、早く済ませてよ」
顔を赤らめて、水兵さんはぶっきらぼうに言い放った。恥じらいで伏せられた目が、妙に艶っぽい。しかし、何か打ち捨てるような、吐き捨てるような、自暴自棄な言い方だ。
「契約? 何だそれは? 俺の力を借りたいなら、さっさとそのサンクチュアリを隠せ!」
「え、ちがうの?」
「ちがう。だが、礼は尽くそう。本当にありがとうございました」
マテウスは恭しく一礼した。アクエサリトス帝国男爵たるマテウスの、最大級に気を使った一礼。モニカに謝罪するときだって、これほどに気合を入れることはない。
顔を真っ赤にした水兵さんは、あわただしくプリーツなスカートをはきなおしている。茹で上がった蛸をさらにゆでて、ついでにトマトを何個もぶち込んだような真っ赤な顔だ。やはり、かなり恥ずかしいことをした自覚はあるらしい。
ゴホン、と咳払いして、マテウスは、気を取り直した。
「で、ここはどこなんだ? 真面目な答え以外許可しないぞ、女水兵」
「変なことばかり言ってるの、君の方でしょ。ここは日本よ」
「ニホン?」
「うん」
マテウスは首を傾げた。ニホンなんて国は聞いたことがない。というか、水兵さんはアクエサリトスの言葉を話しているのだから、アクエサリトスなのだろう。ならば、地名だ。
しかし、ニホンという地名も聞いたことがない。
「ニホンというのは、アクエサリトスのどの辺りだ?」
「アクエサリトス? 何それ? 日本は国名よ?」
馬鹿にされている。マテウスは、そう直感した。ニホンが国名などとありえない。マテウスの世界には八国しか国がなく、間違えるはずはないのだ。
「そうか、国名か! では、左隣の国は一本で、右隣の国は三本というわけだなあ! んなわけあるか!?」
「は? 何その親父ギャグみたいなのは?」
「親父ギャグと言うか、この小娘! いい度胸だ、ひん剥いたろか!?」
身構えたマテウスの手のひらの上で、風が輪を描く。点っていた蝋燭の火が消えて、白い煙がズルズルと風に巻き込まれた。手のひらの上の小さな竜巻が、少しずつ大きくなっていく。
「はははははは! 風の三段詠唱、竜巻の刃だ! 瞬きの間に水兵さんの全剥き完成であります!」
「ちょ、ちょっと!そういうことしないんじゃなかったの!?」
「真面目な答えしか許可しないと言っただろうが! 普段紳士な私めとしていたしましては! 罰として真摯に剥きたいと思ってみたりしたというわけだ!」
三段詠唱とは、五段階に分けられる魔法の威力の中でも中くらいの威力を誇る魔法だ。殺傷能力を持つ魔法の中で一番威力の低いものだが、服を斬るのには十分な威力である。
吹き荒れる風を目の前に、水兵さんはギュッと目をつぶる。マテウスが躊躇無く魔法を開放した。
そよそよっと風が吹いて、プリーツなスカートがペロンとめくれる。下のふりふりフリルがひらひらと風に乗って、サンクチュアリが現れた。
「はい、こんにちは! て、な、なん……、だと!?」
不意なパンチラを見て、マテウスはドキドキしてしまった。心臓が跳ね上がって、顔が熱くなる。マテウスの風魔法が、至高の境地に到達した瞬間だ。
しかし、すぐに我に返ったマテウスは床をドンドン叩いて悔しがった。この妙な女水兵にときめいてしまった自分が許せないのだ。
そして、重大なことに気づいた。よりによって最後に。
俺、魔法弱くなってない?
下を向いたマテウスの懐から、緑色に輝く石がコロリと落ちた。人差し指の先くらいの大きさだ。何だっけこれ、とよく回らない頭で思いつつ、懐にしまいこむ。
「え、何今の? よっわ……」
水兵さんの言葉が、マテウスの自尊心を抉り取る。ストレートな御言葉が、立ち上がろうとした両膝の裏に鉄拳を叩き込んだ。
くくく、とマテウスは笑いを漏らす。
水兵さんのやっていた儀式は、恐らく悪魔を呼び出す類のやつだ。そして、これまでの経緯から契約には交いが必要な違法召喚術。
これを実行するのは平民だけというのは常識だ。つまり、この女水兵さんは平民。マテウスは貴族。こんな水兵さんが何と言おうと、上下貴賎の関係は逆転することはない。
マテウスは、選民思想によって己の自我を保ち、水兵さんの言葉に耳を貸さないことに大決定した。所詮下民。取るに足らない相手なのだ。
こういうときに頼りになるのは、天才マクシミリアン君である。彼に見解を求めれば、答えは簡単といわんばかり。
ようやく立ち上がったマテウスは、幸運にも一緒に巻き込まれたマクシミリアンを探して部屋を見渡す。
「おーい、マクシミリアン。どこだー、マクシミリアン。恥ずかしがらすに出ておいでー」
「ちょっと、どこいくのよ?」
水兵さんを無視して部屋の扉を開けると、一際大きな部屋に出た。薄暗く、妙な可愛らしさはない。大きな板状のガラスをはめ込んだ箱や、下民の家にしては立派な布製のソファがある。ガラス製の机などの贅沢品がそこかしこにある辺り、水兵さんはただの下民ではないようだ。きっと成金である。
玄関まで来ると、マテウスは靴を履いていないことに気づいた。玄関に並ぶ靴から、躊躇なく革靴を拝借する。何か水兵さんが言っているようだが、完全無視だ。
玄関の白い扉は鉄製で、ドアノブも鉄のようなものでできている。新手の要塞か、と成金趣味に突っ込みを入れつつ、鉄扉を開いた。
眼前に広がったのは、灰色をした狭い廊下だった。人が落ちないように胸の高さまで壁があり、その向こう側の景色には大きな四角い何かが建っている。白一色に塗りつぶされているものや、茶色のもの、黒いものと色は多種にわたる。しかし、形はそれぞれが長方形をしていて、窓が均等に並んでいるのはどれも変わらないつくりだ。
これは、高層の住居、もしくは城塞の類。マテウスは、そう判断した。現にマテウスのたっている場所も同様で、横には何個も均等な間隔で扉が続いている。
あの長方形の住居の中には、水兵さんのような部屋が無数にあるに違いない。最近は急速に成金が増えたようだ。
しかし、眼下ではへんちくりんな蟻が大きな音を出している。大音量で地鳴りのような音を出したり、ビーッという耳障りな音を発しているのだ。変な場所だ。
「おーい、成金水兵ー?名前何だったっけ水兵さーん?」
「そんな大きな声出さなくても、すぐ近くにいるでしょ。それに私の名前は……!」
「おっと、みなまで言うな。名を問うなら先に名乗るのが貴族の礼だ!」
あー、はいはい、と水兵さんは呆れたようにため息をついた。しかし、マテウスはもう動じない。相手は平民、本気で怒ったら貴族の名が廃る。
「俺の名はマテウス=ローゼンハイン! 風の大魔法士だ!」
「私は一之瀬真理。水兵じゃなくて、ただの女子高生よ」
「よし、小娘水兵!俺の質問に答えることを許可してやる!」
「……あなた、人の話聞いてないでしょ」
「ははは、聞く耳持たん!」
真理を思いっきり無視したマテウスは、風の矢でも飛んでいきそうな鋭さで眼下のへんちくりんな蟻を指差した。
「あれは何だ!? 蟻の癖に、うるさくてかなわんぞ!」
「車よ、車。知らないの?」
マテウスは腕組みをして首を傾げた。帝都最高の教育をこれでもかとサボってきたマテウスの知識に、思い当たる節はない。こういう風魔法に関係ないことは、マクシミリアンに聞かないとだめだ。
しかし、肝心のマクシミリアンは見つからない。どうやら、近くにはいないらしい。色々と聞きたいことがあるが、聞けないのだ。マテウスは諦めて即答した。ちょっと悔しさをこめて。
「知らん。貴様馬鹿か? 同じ人間なら、もっと分かりやすく説明しろ」
「馬鹿はどっちよ。エンジンとタイヤって分かる?」
「エンジンは分かるぞ。船が空を飛ぶために浮かせる動力だろう? タイヤは知らん!」
「船が空? 何言ってるの? 飛行船のこと?」
「ええい、もういい! 地図だ、地図を見せろ! ここがどこか、自分で判断する!」
「分かった、分かったわよ。地図ね」
ポケットに手を突っ込むと、真理は四角い板を取り出した。表がガラス張りになっていて、光を放っている。手のひらサイズで、真理の様子からそれほど重くもないようだ。
真理は人差し指で四角い板をなでると、マテウスの前に突き出した。
「はい、地図」
突き出された腕を叩き落とそうとしたマテウスだが、それは思いとどまった。馬鹿にしているのかと思ったが、確かに地図らしきものがガラス板に表示されている。
「お、おう。かたじけない」
しかしこの地図、縦長にのっぺりした変な島が四つしか載っていない。後は細かいのもあるが、アクエサリトス帝国の地図とは大きく異なる。
「小娘水兵さん、世界地図は? ていうかこれ、何ですか?」
「これはスマートフォン。こう使うの」
真理の指が華麗にガラスの板を踊ると、画面が切り替わって世界の地図を映し出す。
真理の指は、すっかり小さくなってしまった縦長の土地を指差した。
「これが世界地図。で、この小さいのが日本」
「おお、右隣の三本がないぞ?」
「三本とか無いってば。左隣も一本じゃないわ。いつまで言ってるの?」
マテウスの肩が、わなわなと震えた。
世界地図が、アクエサリトス帝国に存在するものと違う。各国の権威上敵の国を極端に小さく書いたりすることはあるが、これほどに違う地図に仕上がるはずは無い。
何しろ、大陸がいくつもある。アクエサリトス帝国の地図に、大陸はひとつしかない。
結論が導き出された。
「ああ、分かった。分かっちゃいましたよ、水兵さん!」
「何が?」
「ここは異世界だったんですよ! マクシミリアンめえ! こういうことは早く言いやがれええ!!」
こんなことになるのなら、マテウスは三日に一回にスカートめくりを減らす誓いを、五日に一回にしても良かったのだ。いや、七日に一回でも良かった。
しかし、後悔先に立たず。こんな下民にそれが不可能と分かっていながら、マテウスは藁をもすがってみることにした。
「俺を元の世界に帰しやがってみせてみろ、小娘水兵! はいどうぞ!」
「はいどうぞって……。自分で帰れないの?」
淡い期待は、無残なまでに打ち砕かれた。マテウスの思ったとおり、真理は召喚したモノの帰還方法など考えていなかったのだ。
平民にも操れる違法召喚術なら、それは当たり前のことだ。魔法を使えない人間が行うのだから、空間転移魔法は召喚された側に委ねられる。
全身から力が抜けたマテウスは、芋虫のようにはいつくばった。そして、フリルのパンツを下からのぞくと、元気が沸いて立ち上がった。どうしようもないやつである。
マテウスは、真理の額めがけて右の人差し指を突き出した。
「こうなったら、マクシミリアンを探すほかは無い!」
「マクシミリアン……?」
意味わかんない、という風に首を傾げようとした真理の額に、マテウスの人差し指が突き刺さった。
あまりの衝撃に、真理の身体が後ろにぐらつく。
「いった! 何するの!?」
「いいか、水兵さんにも探すの手伝ってもらっちゃうぞ!」
「分かったわよ。召喚したのは私だし、手伝うわ」
痛そうに額をさする真理を見て、マテウスは背を向けた。忌々しくうるさい車とか言う蟻どもを見て、歯軋りする。
魔法は使えない、元の世界には戻れない。どうしようもなく沸々と無限に沸いてくる焦りが、マテウスをいらだたせる。
無理に余裕を見せていたマテウスだったが、ついに緊張の糸が切れた。そして、つい、口走ってしまった。
「まったく、下民の分際で。いい迷惑だ。生きている価値も怪しいくせに」
沈黙が流れた。冷たい風が流れて、静寂が支配する。教会で祈っているときも静寂はあるが、この静寂とは性質が異なる。両肩に巨大な石を載せられたように重苦しいのだ。
ぐす、ぐす、とすすり泣く声が聞こえる。真理がすすり泣いているのだ。袖で目の辺りをこすって、ぐしゅぐしゅと泣いている。
たった一言、ちょっと意地悪を言ってみただけだ。それなのに、泣いている。しかし、ただ泣いているなら、こんなに重苦しくない。
凄く黒い怒りだ。憎悪と呼べるものだ。野盗狩りをしたときに初めて出会った、マテウスを憎むものたち。貴族を憎むものたち。その時の体験に似ている。
真理は、きっと、この一言でマテウスを殺してやりたいと思うほど憎んだのだ。
「……君、なんかに……!」
ぽそっと、真理はつぶやいた。そして、絶叫した。
「君なんかに、一体何が分かるって言うの!?」
マテウスと真理の視界が、まるで地震でも来たようにグラグラと揺れた。いや、実際に建物が揺れているのだ。
しかし、眼下の様子に変化は無い。この建物だけが揺れているのだ。地震ではない。
ドン、と何かが耳元ではじけ、揺れが収まる。
ぞくぞくと、無数の虫這うように寒気が二人の背中を駆け抜けていく。マテウスは、この現象を知っていた。
「召喚術か? かなり高度なやつだな。マクシミリアンか?」
玄関の前で首を左右に振りながら混乱している真理を押しのけ、マテウスは部屋の中を覗き込む。
部屋の中には、赤い四つの光が浮いていた。よく目を凝らすと、二足歩行のフルプレートアーマーの上に、豹の毛皮を被っている騎士がいる。
しかし、冑の頭には赤い四つの光がくっついていて、それが浮かぶように見えているのだ。四つ目の下には鋭い二本の犬歯がスラリと伸びている。持っている武器は石斧と、どうも様子がおかしい。
マテウスはあんぐりと口を開けたまま、頭を下げて一礼した。
「部屋を間違えたようです。すみません~」
ガシャン、と音を立てて、真理の部屋の扉は閉められた。しかし、恐怖の扉は開かれたままだった。




