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第一話 天罰覿面

 雲ひとつない蒼天の下、マテウスは青いキャンパスを抱えるように大きく手を広げた。カラッと乾いた冷たい風が吹き、羽織った金色のローブを煽るように揺らしている。

 季節は秋。秋の風は冷たく、人の心と身体を足元から冷やす。まったく、人を癒すには向かない、むしろ傷つける風だ。

 そんな風を、風の大魔法士たるマテウスは許さない。望まない。

 マテウスは、胸がいっぱいになるまで大きく息を吸い込んだ。


「舞い降りろ、春風の天使(スオーリングスウインド)~!」


 雄叫びだけが、秋の空へと虚しく吸い込まれていく。しかし、マテウスは薄ら笑いを浮かべた。

 空気が冷えて凍りついたかのようにとまり、風がやむ。時が止まったような静けさは、嵐の前の静けさにも似ている。蟻が歩けば足音さえ聞こえてしまいそうな、無音の世界が広がっているのだ。

 しかし、静けさは地鳴りによって打ち破られた。音の方角は東南東。冷たい空気を切り裂いて、暖かい空気が草原をかける。

 マテウスは懐から小瓶を取り出すと、中に入っていた水を手のひらにかけた。すると、水が空中に浮いて凸レンズのように変形し、眼下に見える都市を拡大して投影する。

 石造りの都市の中では女性のスカートが花のようにひらひらと舞い、男性諸氏はそれに釘付けになっている様子が見えた。

 ふははは、とマテウスは高らかに笑った。


「一日一善! いや、今日も良い仕事をした!」


 ふう、と清々しいため息をついて額をぬぐう。都市を駆け抜けた風は、マテウスの銀の短髪を煽った。強いまなざしを秘めた赤い目を閉じて、全身で風を受け止める。

 身体に心地いい、まさに春一番。風はこうでなくてはならない。

 その風に触発されたのか、マテウスの後ろで寝ていた男が目を覚ました。

 男は黒い髪と白のローブを風に煽られると、鬱陶しそうに顔をしかめた。黒い瞳がマテウスにジト目を向ける。


「マテウス、またやったな?」


「なんだ、マクシミリアンか。何か不満か?」


 マクシミリアンは、枕代わりにしていた分厚い本を抱えると呆れたようにため息をついた。


「まず、地上付近にある空気を暖めて上昇気流を起こし、ついで上昇した空気を一気に冷やしてダウンバーストを起こす。空気は爆発したように押し出され、強風が起こる。それを南方で行えば、春風の天使の完成……。口で言うのは易いが、これを行える魔法士はお前ぐらいのものだ」


「おう、よく分かっているではないか。さすが天才マクシミリアン。この技の高尚さを理解できるのは、お前くらいだ」


「だがな、スカートめくりにその魔法を使うな。気象が変わって妙なところで雨が降る、旱魃が起きる。おまけに、この前はどこぞの南方都市がお前の作ったダウンバーストを受けて大きな被害を出しただろ。そして何より……」


 石造りの都市で、閃光が瞬く。巨大な光の柱が出現すると、マテウスとマクシミリアンを指向した。

 二人は顔を見合わせると、互いに横に飛んでその光をよける。ジジジ、と音を立てる光は、草原の草を真っ黒に染めると遠くの山へと向かっていく。


「そして何より、お前らの痴話げんかに俺を巻き込むな……。何で俺の寝てる横でお前はその魔法を使うんだ?」


 どこまでも冷静なマクシミリアンを、マテウスはこれでもかと言わんばかりに目を見開いて睨み付けた。


「お前がいつも事態を収集してくれるからだっ!」


 ふふん、とマテウスは得意げに笑う。なんてやつだ、ともらして、マクシミリアンは頭が痛そうに額へと手を当てた。

 山へと向かっていった光の柱は、ついにその中腹へと到達して爆発した。黒煙がもうもうと上がり、耳を劈くような轟音が鼓膜を揺さぶる。

 しかし、いつもと様子が違っていた。いつもはそれだけで山の一部が黒焦げになるだけなのだが、何かおかしい。

 マクシミリアンは、呆気に取られてパクパクと金魚のように口を動かす。


「おい、山が……、消えたぞ?」


「消えたようですね、はい」


 マテウスはコクコクと頷く。

 すると、まるで咆哮するかのように赤い血のような溶岩が噴出した。ブシュー、という音が聞こえてきそうだ。

 マテウスはにっこりと笑う。全てを捨て去った悟りの境地にあるのだ。


「このマテウス、天才にお伺いしたき儀がございます」


「なんだ?」


「この状況の見解をば……」


「あの光の柱は、この周辺に降り注ぐ太陽光をそのまま凝縮して放ったものだ。光系統の魔法でも最大威力とされる、竜の息(ドラーケン・オデム)。御嬢が到底使える魔法じゃないが、相当お怒りなんだろうな」


「あ、やっぱり?そう思います?」


 暖かい春の風を通り越して、砂漠にいる感覚にとらわれさえする茹だる様な暑さ。蜃気楼が発生してユラユラと揺れるオーラをまとった少女が、都市の方角から現れた。

 こんなにも熱いのに、少女はとても涼しそうな顔をしている。金髪は可愛らしくポニーテールに結われ、取り澄ました笑顔はとても大人しそうに見える。

 緑のフレアスカートとレースのフリフリがついた白のブラウスは、いかにも可愛いもの好きの女の子だ。しかし、笑顔が怖い。後ろに地鳴りがくっついている笑顔だ。

 迫力を宿した笑顔のまま、少女は可愛らしく小首を傾げた。


「マテウス、さっき何したのかしら?」


「もちろん、日課だ!」


 ふうん、と少女は頷く。

「素直でよろしい。でね、モニカ、前から聞きたかったことがあるの」


「何だ? 今日は一段と春風の天使の出来が良くてな。機嫌がいいんだ。何でも答えてやろう!」


「どうして、みんなのスカートめくるの?」


 みんなのスカート、と自分で口に出して、モニカの笑顔がぴくぴくしている。相当お怒りのようだ。

 しかし、マテウスにはこれが日常。そして、スカートめくりは信念。こうなったら、モニカに理解してもらうしかないと、マテウスは腹に力をこめた。


「いいことを聞いてくれたな! いいか、あれは忘れもしない五年前!」


「うん、マテウスがスカートめくりをはじめた頃ね?」


「そうだ! あの時俺は、学園でモニカの後ろを歩いていた。その時、一陣の風が吹いて白のパンツが不意に見えたのだ。あの不意打ち! 俺は人生で経験したことのない多幸感に襲われた! そして、この幸福をみんなに伝えたいと思ったのだ! しかし、ただの風では女性の健康に悪い! だから、春風にしてみましたっ!!」


 ブチィッという音が、マテウスに聞こえた。ドン引きしているマクシミリアンにも、確かに聞こえた。太い綱を手で引きちぎってもこんな音は出ない。

 俯いたモニカの手が強く握られ、肩がガタガタと震えている。ブツブツという何かが、モニカの口から漏れ出している。

 モニカの右手がゆっくりと上がっていく。手のひらの上に、音もなく黒い穴が出来上がった。

 黒い穴は見る見る巨大化し、深い闇を作り出す。奈落の底へと続いていてもおかしくない、全ての光を拒絶する黒い闇。人一人を飲み込める大きさを超え、なおも大きくなっていく。

 マテウスとマクシミリアンは、仲良く並んで呆けたようにその闇を見上げていた。


「ははは、横にいるそこな天才! 見解を示したまえ!」


「やばいぞ。こいつは闇魔法、天罰(ゴッテストラッフェ)だ」


「それってどういう魔法ですか~? よろしければ教えてくれたまえ!」


「アホ言ってる場合か。お前の許婚だろ、早く止めろ。でないと……」


「でないと?」


「どこに飛ばされるか分からんぞ!」


 いつも冷静なマクシミリアンが、声を荒げる。しかし、モニカを止めるのは伝説の邪神をもってしても不可能だ。今、彼女は闘神の域までその魔力を上げている。

 彼女にとって、風の大魔法士だろうが、天才だろうが、動けもしない植物プランクトン、ミトコンドリアよりしょうもない存在に成り下がってしまっているのだ。

 マテウスは、信念をかなぐり捨てて土下座した。


「すみませんでした! これからは三日に一回といたしますゆえ、どうか平にご容赦を~~!」


 マテウスが顔を上げると、モニカの蔑んだ目が見下ろしていた。にこっとマテウスが笑うと、モニカもにっこりと笑う。


「いっぺん、死んでこいやあああ!!」


 ドスの利いたモニカの声が、咆哮する。マテウスとマクシミリアンは、無限の深遠へと吸い込まれた。




 マテウスは、恐る恐る目を開けた。てっきり、身体がバラバラになるほどの痛みに襲われると思っていた。しかし、そうでもないようなのだ。

 そういえば、とマテウスは手をポンとたたく。

 隣にいたインテリジェンスなマクシミリアンが、どこかに飛ばされると言っていたのを思い出したのだ。マテウスは安堵のため息をついて、辺りを見回す。

 白のベットの下に桃色の絨毯が敷かれている。ウサギや熊のぬいぐるみがベットの上に置かれていて、妙に可愛らしい部屋だ。木でできた棚には占星術とかかれた本や、恋占いと題された本が綺麗に収納されている。


「せ、成功した……?」


 クールな印象を受ける声が、マテウスの視界の下から発せられた。視線を落とすと、そこには妙なことに十字架を握り締めた少女が立っていた。

 黒い髪はサラサラのロングストレートで、黒い瞳を宿す目も冷めた印象を受ける。いわゆる、クールビューティーというやつだ。

 服は水兵が着るような白のセーラーを着ていて、赤いスカーフを巻いている。紺のプリーツスカートは膝ほどで、スカートがめくれたら楽しそうな服である。

 しかし、何とも奇妙な部屋だ。可愛らしい割りに、机の上には六芒星とろうそく、分厚い魔道書が置かれている。女の水兵さんが可愛らしいお部屋で謎の儀式。まさに謎である。

 マテウスは、率直な感想を遠慮なく口にした。


「変な女」

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