【連載開始】幼な妻、夫の幼馴染をシバキ倒す
「こんな子供を娶らなければならなかったなんて、フォルテが可哀想だわ」
戦場の英雄と名高いフォルテ・ヴィットーリアが、王命で婚姻を結ばされたのは十六歳の少女。
三十四歳のフォルテとは、十八歳も離れていた。
「そうですわね。わたくしも、本当に夫は可哀想な方だと思います。それで?」
突然屋敷に我が物顔で入って来た女に、十六歳の幼な妻ドルチェは、小首をかしげて話を投げ返した。
そのスピードたるや、投げたボールを打ち返すくらいの素早さだ。
相手が泣いたり怒ったりすると思っていた女は、出鼻をくじかれ憮然とした表情になる。
――なんで、そんなに冷静でいられるのよ。
フォルテが不在の時を狙って現れたこの女の名は、プリマ。
伯爵家の三女で、甘やかされて育ったせいか、何事も自分第一の女だ。
ずっと侯爵であるヴィットーリア家に嫁ぐことを夢見た彼女は、屋敷が近い事とフォルテの母ピアニッシモに可愛がられていたことを良いことに、しょっちゅうヴィットーリア家に来ては我が物顔で過ごしていた。
それが四か月前、フォルテの婚姻を機に訪問を断られるようになった。
頼みの綱のピアニッシモにも連絡が取れず、何故か今まで協力的だった家族までが、プリマを止めるようになっていた。
何に怯えているのか分からないが、
「お前は、もう、何もするな。恐ろしいことになるぞ」
としか言わない。
しかし、部屋から出られないとなると、もう監禁状態だ。
我慢できなくなったプリマは、家族に何も伝えぬままヴィットーリア侯爵家へと突撃した。
しかし、顔なじみの門番はおらず、新しく雇われたらしい屈強な男に止められた。
「私を誰だと思っているのですか!」
「さて、存じ上げませんが」
「なんて、無礼な。フォルテの幼馴染であり、未来の侯爵夫人プリマ・アムレートですよ!」
やんややんやと正門前で騒いでいると、中からメイドが一人現れた。
そして、門番の耳に何かを囁いた後、
「奥様がお待ちですので、応接室へどうぞ」
と言って、プリマを屋敷に招き入れた。
「ほ~ら、貴方以外の人間は、ちゃんと私の事を分かっているようね」
勝ち誇った顔で屋敷に入ったプリマだったが、まさかメイドが門番に、
『奥様が直々に成敗します』
と囁いたとは夢にも思っていない。
こうして、意気揚々と屋敷に入って来たプリマを応接室で待っていたのは、新妻であり幼な妻のドルチェだった。
ケーキのように甘く可愛らしい容姿の少女は、レースとリボンが上品にあしらわれたドレスを着ている。
それは、一見して高価な物だと分かった。
フォルテの結婚相手が、相当年の若い相手だとは聞いていたが、実際見るのは初めてだったプリマは思わず、
「貴女、誰?」
と聞いてしまう。
言葉使いが庶民と変わらないところ、アムレート伯爵家は、彼女の教育に失敗していると見える。
「私は、この屋敷の女主人であり、フォルテ・ヴィットーリアの妻であるドルチェです。お客様の対応は、私がするように夫から言われています。それで?」
『それで?』と小首をかしげる仕草が同時に行なわれると、何故か、とても馬鹿にされている気がする。
プリマは、カッと頭に血が上って顔を真っ赤に染めた。
「わ、私は、フォルテの幼馴染です」
「そうですか。それで?」
「それで?って、何よ」
「ですから、何の御用でしょうか?」
もう、この時点で三回は小首を傾げられている。
元々ピアニッシモに会って状況を確認し、もし無理やり婚姻を結ばされているのであれば自分が妻になると申し出るつもりだったプリマは、それ以外の事を何も考えていなかった。
『それで?』と聞かれても、頭は真っ白で次の言葉が出てこない。
「御用がないのでしたら、私も忙しいのでお帰り願いたいのですが」
「そ、そんなことないわ。ちゃんと用事があって来たのよ」
「そうですか。それで?」
小首を傾げるのも四回目のドルチェは、その行為を楽しんでいる気配すらある。
傍に控えるメイド達も、必死に笑いを堪えているらしく肩が揺れていた。
門番と同じく使用人達まで一掃されており、プリマの味方は一人もいない。
誰にも助けてもらえないプリマは、目に涙を一杯溜めて思わず本心をぶちまけた。
「こんな子供を娶らなければならなかったなんて、フォルテが可哀想だわ」
「そうですわね。わたくしも、本当に夫は可哀想な方だと思います。それで?」
ここで冒頭のシーンに戻るのだが、今までの流れを見ていると、どちらが子供なのか分からない。
プリマは、ドルチェの落ち着き払った顔を歪めさせたい一心で、
「わ、私の方が、フォルテに相応しいわ。彼だって、私を愛していると言っていたわ」
と嘘を言った。
しかし、ドルチェには、全く響かないらしく、
「そうですか。それで?」
と、今日何回目か数えるのも面倒くさくなるくらい繰り返された『小首を傾げる』をしてみせた。
「なんで、『それで?』しか言わないのよ」
「特に貴女にお話しすることもないので」
「貴女じゃ話にならないわ。ピアニッシモおばさまを呼んで!」
プリマにとっての切り札は、ピアニッシモだ。
フォルテの母は、女の子に恵まれなかったため、プリマが幼い頃に非常に可愛がってくれたのだ。
そのお陰で甘い汁を吸い続けたプリマは、ピアニッシモさえ居てくれたら形勢逆転できると思い込んでいた。
しかし、ドルチェは至極冷静に、
「お義母様は、只今保養地へ静養に行っていらっしゃいます。当分帰ってきません。あと、貴女にお手紙を預かっております」
と言って、封筒をプリマに差し出した。
やっと、『それで?』以外の返しを得たプリマだったが、渡された手紙には一言、
『二度と来ないで』
とだけ書かれていた。
筆跡は確かにピアニッシモのものだが、ずっと可愛がっていてくれた彼女が、こんなメモのような手紙を残すはずがない。
「おばさまに、何をしたの?これ、無理やり書かせたんでしょ?」
「無理やりかどうかは分かりませんが、ご本人の意思だと私は思っています。それで?」
「それで?って何よ!おばさまに会わせてよ」
「会いたければ、会いに行けばよいのではないでしょうか?保養地の名前は、ロンターノです」
ドルチェが口にした地名は、ここから馬車で一週間もかかる遠方だった。
ヴィットーリア侯爵家の領地でもない場所に、何故フォルテの実母が行かされる必要があるというのだ。
「貴女、おばさまを追い出したのね!」
「そんな証拠が何処にあると言うのですか」
「だって、おばさまは、この家の女主人よ!」
「いいえ。結婚と同時に家督は夫が継いでいます。ですので、私が、この家の女主人です」
「子供のくせに、偉そうね」
「偉そうではなく、偉いのです」
淡々と言い返すドルチェに、プリマはポロポロ泣き出した。
状況が悪くなると泣くのは、子供でも質が悪いが大人ならもっと面倒くさい。
――なんなのよ、この小娘。なんで、こんなに図太いのよ!
プリマがハンカチを取り出して涙を拭くと、マスカラとアイシャドーと付けまつげがとれて、パッチリおめめが、糸のように細くなった。
「プッ、ムール貝が、マテ貝になったわ」
メイドの一人が、その変わりように思わず呟くと、
「確か、貴女の名はリーゾだったわね。人の容姿を笑う者は、この屋敷には必要ありません。摘まみだして」
と、ドルチェが背後に立っていた護衛に指図した。
「はっ」
屈強な男は、そのメイドを抱え上げると、
「お許しを!ドルチェ奥様、お許しを!」
泣いて謝罪するメイドを応接室から放り出した。
そこに一切の躊躇はない。
相手がどれだけ手足をジタバタさせても、難なく押さえ込んでしまう腕力が護衛にはあった。
その素早さに、流石のプリマも、涙が引っ込んでしまう。
次は我が身とでも思ったのだろう。
この時点で、勝敗は決まっていた。
相手の事を何も知らずに怒鳴り込んできたプリマと、全てを知った上で待ち構えていたドルチェでは、心の余裕が違った。
目の前で起こった一幕に腰が引けたプリマだが、それでも精一杯虚勢を張って、
「伯爵家の私に、そんな口の利き方をして大丈夫なのかしら?お父様に言いつけたら、貴女のご家族も路頭に迷う事になるかもしれないわね」
と厭味ったらしく言ってみた。
しかし、そんなことで動じるドルチェではない。
「ご心配無用です。やりたければ、思う存分やって下さって結構です。私には、もう関係のない家ですので」
そう本気で思ってるのが、キッパリと言い切る言葉の強さからわかる。
よほど両親と仲が良くないのだろうか?
全くつけ入る隙が無い。
そして、そんなドルチェには、侵しがたい気品があった。
やっと違和感に気付いたプリマは、目の前の少女をよく観察してみる。
艶のあるヘーゼルブラウンの髪は柔らかにうねり、結い上げることなく下ろされている。
結い上げていない自然なスタイルが、若い彼女に、とても似合っていた。
そしてラピスラズリを彷彿とさせる青い瞳に見つめられると、言葉が口から出なくなってくる。
威圧とは違う、威厳。
努力で手に入れるものではない、生まれながらの資質が、プリマに無言のプレッシャーをかけてくる。
「貴女……何者?」
「それも知らずに、ここに来られたのですか?聞いていた以上に、お馬鹿さんなのですね」
辛辣な言葉とは裏腹な、ドルチェの優しい微笑みは、困った孫を諭す祖母のように見える。
「私の名は、ドルチェ・トルタ。トルタ公爵家の長女であり、元王太子の元婚約者ですわ」
何故元が二回ついているのかなど、自分の事にしか興味のないプリマは分からない。
つい半年前に、王宮で行われた夜会で、王太子による婚約破棄があったことすら知らないのだ。
平民の少女にうつつを抜かし、公衆の面前でドルチェを辱めた彼は、現在王位継承権を剝奪されて幽閉されている。
故に、元王太子。
トルタ公爵家に頼み込んで無理やり婚約を結んでもらっていた王家が、ドルチェに対して行った最大限の謝罪だった。
王命を使ってヴィットーリア侯爵にドルチェを引き取ってもらったのも、学園創立以来の才女と呼ばれる彼女を、国外の貴族に取られるのを恐れたからだ。
ドルチェが自分よりも地位の高い公爵家の娘と知り、プリマは一瞬ひるんだ。
しかし、王太子に婚約破棄をされた傷物を、国王がフォルテに無理やりあてがったのだと知り、益々怒りが湧いてくる。
「誰かのお古と結婚しないといけないだなんて、フォルテが可哀想。何故、辞退しなかったの!」
「王命ですから」
「王に命じられれば、愛していなくとも結婚できるの?私には、理解できないわ!」
「出来なくて結構ですが、先ずは、一つ訂正を。私は、夫を愛しております」
ドルチェの言葉の真偽は分からないが、王命で決められた婚姻を、ただの伯爵家三女が覆せるわけもない。
歯がゆさにプリマが震えていると、背後から、声が聞こえてきた。
「君が私を愛しているだって?何故、直接言ってくれなかったんだ」
プリマが振り返ると、そこには愛してやまないフォルテが立っていた。
逞しい肢体と、低く色気のある声が、以前にもまして素敵なものに見えた。
彼の言葉は、妻に向けたものだ。
しかし、フォルテに好かれていると疑っていないプリマは、自分に告げられる愛の言葉として受け取った。
彼の為なら、全てを捨てられる。
悲劇のヒロインと化したプリマは、フォルテと逃避行する自分に酔った。
「フォルテ、私を連れて逃げて!」
両手を広げて駆け寄ったプリマは、ヒョイッとフォルテに避けられて壁にぶち当たる。
「きゃぁ」
ゴロン。
受け身も取れずに見事に床を転がったプリマは、涙目でフォルテを見た。
しかし、彼はプリマを気にすることもなく、ドルチェに向かって大股で歩いていく。
「ドルチェ、変な女が居るが、大丈夫なのか?」
「えぇ、ただのおしゃべりですので」
大したことはないと言いたげなドルチェだが、フォルテの方が震えている。
「君を失うなど考えられない。どうか、何処の馬の骨とも分からない者と一人で会うなどという無謀なことは、二度としないで欲しい」
「旦那様がおっしゃるなら、そう致しますわ」
大柄な男は妻の横に座ると、逞しい腕で妻を囲い込む様に抱きしめた。
まるで絵画のような美しい光景に、使用人達からも感嘆のため息が漏れる。
「君は、私を驚かす天才だな」
「それほどでも」
「それで、いつから私の事を好きでいてくれたのかな?」
「貴方と同じ、出会った瞬間ですわ」
王太子による婚約破棄の現場には、その日勲章を授与されたフォルテも居た。
そして、目の前でワインを掛けられ、ドレスを真っ赤に染められたドルチェが、嫣然と微笑む姿を見て恋に落ちたのだ。
『婚約破棄、確かに承りました』
ポタポタと赤い雫が頬を伝い顎から流れ落ちるドルチェの姿は凛々しく、どちらが破棄された側か分からない落ち着きが見て取れた。
元々、ドルチェは気づいていたのだ。
王太子が、次期王の器ではないという事を。
だから、平民の少女と過ごす時間をわざと増やすように仕向けてやった。
甘い餌をぶら下げられて、食いつかずにいられるほど、王太子は思慮深い人間ではない。
案の定、頭の中がお花畑な二人は、勝手に盛り上がり真実の愛と言う安っぽい言葉でドルチェを貶めた。
その行動が、後々どれほど自分達を地獄の底に落とすものなのか気づいてもいなかったのだろう。
王位継承権を失った王太子と王族を唆したとして投獄された平民の少女は、どちらも長い年月を後悔し続けて生きていくことになる。
自業自得。
ざまぁみろ。
そう思って気持ちが晴れるのかと言うと、さにあらず。
ドルチェが傷物令嬢になってしまった事にかわりはない。
皆が同情的な視線を向ける中、社交界で一番の優良物件と言われたフォルテが彼女の前に膝をついた。
『貴女の英断に感銘を受けました。どうか、私の妻に……』
流石のドルチェも、この場で自分に求婚してくる男がいるなどとは予想していたわけではない。
突然目の前に現れた大柄な男に驚いたが、それと同時に、ちゃんと自分を見てくれている人がいることに感動した。
出来の悪い王太子の世話を丸投げされ、とうとう婚約破棄まで至った彼女を守ってくれる人間は今まで居なかった。
両親ですら王家との繋がりが出来たと喜び、ドルチェが王太子と平民がいちゃつく学園で肩身の狭い思いをしていても、浮気など男の甲斐性だといって笑っているだけ。
国の行く末を憂いたドルチェとは大違いだ。
親を親とも思いたくなかった彼女だが、流石に王太子から婚約破棄されれば嫁の貰い手はない。
どんなに嫌な親とでも、一生暮らしていかなければならないのだ。
日々、ののしられ続けられることは、間違いない。
そんな憂鬱な気分のドルチェを、颯爽と現れて救い出してくれた英雄がフォルテだ。
直前の勲章授与式で、彼が戦場で軍功を挙げた素晴らしい人物だという事は分かっていた。
何も傷物の公爵令嬢になど婚姻を申し込まなくても、引く手あまたの人物だった。
ドルチェ自身、彼が戦場の英雄という事を抜きにしても、素敵な人だと憧れていた。
そして、そんな彼に愛される女性を羨ましいと思っていた。
だから、全てを諦めて一人生きる余生に、フォルテを密かに思う事を神に許して欲しいと祈っていた。
それなのに、今、その本人が、膝をついて結婚して欲しいと自分に乞うてくる。
真っすぐに気持ちを伝えてくるフォルテは、ドルチェの目には輝いて見えた。
咄嗟に言葉が出なかったのだが、それを良いことに、王が勝手に許可を与え、二人は結婚することになった。
そうしなければ、夜会に参加していた他国の貴族たちが、こぞってドルチェに釣書を送っていたことだろう。
ドルチェの心の内を知らないフォルテは、この一件以来、ずっと気になっていた。
貴族の結婚に互いの意思など重要でないことは分かっている。
だが、ただでさえ人生を王家に捻じ曲げられたドルチェが、次の結婚まで王に指図されることになってしまった。
もしかしたら、そんな切っ掛けを作ってしまった自分を恨んでいるのではないか?
そんな思いが、今日、彼女の一言で払しょくされることとなった。
「ドルチェ、私も愛しているよ」
「知っています」
ドルチェの返事が短くなるのは、照れ隠しだ。
その代わりに、木の幹のように太いフォルテの体を細腕で抱きしめ、ヨシヨシと背中を撫でてやる姿は、まるで聖母像のようだ。
そして、今まで自分はフォルテに愛されていると思い込んでいたプリマにとっては、これは衝撃のシーンだった。
「貴女、フォルテに何をしたの?」
「何も。ただ、私達は、互いを大切に思っているだけですわ」
戦場の英雄も、愛する女を失う恐怖に震えることはある。
いや、命のやり取りをする最前線に立つからこそ、自分の心の拠り所を人一倍大切にするのだ。
今までは、両親の為にと剣を振るった彼も、最愛の妻を手に入れれば死ぬことが怖くなる。
それでも、彼女が住む国を守る為に戦い続けるのだ。
たまに家に帰った時くらい、愛妻を抱きしめて癒されても何も問題はない。
「違う、違うわ!そんなの、フォルテじゃない!」
プリマにとってのフォルテは、プラチナブロンドの髪を短く刈り込み、女性の腰よりも太い腕と壁のように広い背中を持つ戦士。
自分を守ってくれる存在であり、自分が守らなければならない相手ではない。
そんな彼が今、デレデレとした顔でドルチェを抱きしめている。
あまりにも不甲斐なく、情けない姿は、何かに操られていると思いたくなるほどだ。
「貴方、彼に、変な薬でも盛ったの?」
「想像の斜め上を行くご質問ですが、その様なことをせずとも、彼は、元々こういった人間です」
平然と答えるドルチェは、フォルテの背中をトントンと叩くと、
「ちゃんとしてください。お客様が、驚いていますよ」
と諭した。
可愛い妻をずっと抱きしめていたかったフォルテだが、周りには相当驚いた表情のメイド達もいる。
渋々ドルチェを解放すると、今度は無表情でプリマを見下ろした。
「で、貴様は、誰だ?」
「何を言っているの!私よ!貴方の幼馴染のプリマよ!」
「幼馴染のプリマ?知らんな」
フォルテが言い切るのには、訳がある。
プリマがヴィットーリア侯爵家を訪れる際、殆どと言って良い程フォルテの姿はなかった。
何故なら、父親と二人で朝早くから鍛錬に出かけ、家に帰るのは暗くなってから。
その寂しさを紛らわせるために、ピアニッシモはプリマを屋敷に入れてしまったのだ。
まさか三十路を過ぎても、自分の元に日参してくるなどと思ってもいなかった。
何度もプリマ自身に注意をし、何度も伯爵家に抗議の手紙を送ったが、毎日毎日飽きもせずプリマは突撃してくる。
「私は、将来、フォルテと結婚してヴィットーリア侯爵夫人になるのよ」
娘プリマの言葉を鵜呑みにし、厳しく叱らなかったアムレート伯爵にも問題はあった。
どこかで、侯爵家と繋がりが出来たことを喜び、もしかしたらプリマが侯爵家に嫁げるのではないかと期待していたのだろう。
ピアニッシモの苦悩は、夫も理解していた。
故に、一緒に抗議の手紙を書いてくれたり、直接アムレート伯爵に注意をしてくれたが、暖簾に腕押し、糠に釘。
この子にして、この親ありと言った所だろう。
『あの親子、あれは、人間ではないな』
そう呟いたヴィットーリア侯爵は悪くない。
そんな人間ではない思考回路の持ち主プリマは、金をバラ撒きヴィットーリア侯爵家の使用人達まで懐柔した。
鍵を掛けても、何処からともなくプリマが現れるのは、この使用人達の手引きがあったからだ。
ほぼ家宅侵入のプリマは、たまにフォルテに遭遇すると一人騒ぎまくった。
ただ、フォルテは一言も言葉を返していない。
それどころか、全く視界にすら入れてなった。
母親が飼う犬が、キャンキャン吠えているくらいにしか思っていなかったのである。
こちらも、こちらで、人間離れした鈍感さだった。
「そんな……貴方と結婚する為に、私、全ての申し出を断っていたのに」
プリマも、一応伯爵令嬢。
若かりし頃は見目もそれほど悪くなく、何度か結婚の打診はあった。
しかし、プリマ自身がフォルテじゃなきゃ嫌だと駄々をこね、今では誰からも振り向かれない婚期を逃した年増令嬢となっていた。
床に座り泣き崩れるプリマを見て、ドルチェはフォルテの耳たぶをギューッと引っ張った。
「フォルテ、これは、貴方の失態でもあるのですよ」
ドルチェが、まるで母のようにフォルテを叱る。
「例え、ぶんぶん飛ぶハエ並みの耳障りな声だったとしても、育ちすぎたカボチャのような体格でも、一応、彼女は伯爵令嬢です。しかも、もう、三十路。それを放置して腐らせたのは貴方です」
「いやしかし」
「しかしも、へちまもありません」
ドルチェに叱られ、フォルテは情けない顔で眉を下げる。
一方のプリマは、ハエだのカボチャだの腐らせただの言われたい放題で息も絶え絶えだ。
そして、ドルチェは、そんなプリマに安っぽい同情などしない。
これは、己の聞きたいものだけを聞き、都合の良い事だけを信じた人間の末路だ。
「そろそろ、貴女のご両親が迎えに来られるとは思いますが、大人しく帰られることをお勧めしますわ」
それだけ言うと、ドルチェは夫の手を引っ張った。
「旦那様、私、少し疲れてしまったわ」
「それはいけない。私が連れて行こう」
フォルテはドルチェを抱き上げようと両手を広げた。
その姿を見たプリマが、何を思ったのか急に立ち上がり、
「わたしのよ~~~~」
といってフォルテに向かって一直線に走っていった。
バシーーーーーン。
物凄い打撃音と共に、プリマが後方へ吹っ飛ぶ。
彼女の顔に一本の真っ赤な線が入っているのは、ドルチェが彼女の顔面を扇でシバキ倒した扇の形が付いたからだ。
「あら、つい。ごめんあそばせ」
へし折れた扇を手に、ドルチェは、口に手を当てて微笑んだ。
彼女は、可憐な見た目に反して、なかなか剣の腕も立つ。
結婚直後は、夫が早朝の鍛錬をする際、横で自分も素振りをするくらいには剣術に長けている。
こうして、ヴィットーリア侯爵夫人となったドルチェは、見事、夫の幼馴染(仮)を撃退した。
プリマの息のかかった使用人達は、全員紹介状なしで放逐している。
そして、新しい就職先など、絶対見つからないよう手回しもしてやった。
二度と、まともな職場は見つからないだろう。
プリマの実家である伯爵家は、葡萄の産地で丁度一番の最盛期を迎える時期だが、取引先が全員手を引いたことで在庫を持て余している。
何故なら、ドルチェが、隣国で開発された、もっと安価で美味しい葡萄の存在を国中に広めたからだ。
青果は、鮮度が命。
収穫しても加工技術を持っていないアムレート伯爵家では、腐らせるのが関の山だろう。
そして、お人よし過ぎて心配な義母と悪縁を一刀両断できなかった不甲斐ない義父は、プリマが直ぐには会えない場所へ逃がすことにした。
下手にプリマに接触して、同情を抱いたり、逆に丸め込まれたりしないようにする為だ。
どれだけ嫁に優しい義両親でも、優しい故の難点もあるのだ。
現在旅をしているロンターノは、義両親の新婚旅行の地らしい。
家督を譲り、久しぶりに長旅を楽しむ彼らは、まだまだ帰ってこないだろう。
「あとは、この子が無事に生まれてくるだけね」
ドルチェは、まだ目立たないお腹を摩り、既に母の顔で優しく微笑んだ。
つい先日、昼食時に吐き気をもよおし、それが悪阻だと分かった。
胎児の事もあり、フォルテは、益々ドルチェに対して過保護になっているのだ。
使用人がプリマの来訪を超特急で知らせに来たのも、フォルテが口酸っぱく、
「何かあったら、許さないからな」
と家令に何度も何度も何度も何度も言っていたからだ。
連絡係に任命された庭師の青年も、生きた心地がしなかったことだろう。
そして、大事な会議中にもかかわらず、全てを中断させて家に帰ったのは、何かと無理をしてしまうドルチェを思っての事だ。
女主人として、使用人を総入れ替えするにあたり、一人一人面談を行ったのも彼女。
働き過ぎの幼な妻を労わるのが、年上夫の役目だと真剣に考えている。
フォルテは、愛妻を後ろから抱きしめて、自分の手を彼女の手の上に置いた。
二人の手は重なり、そして、まだ見ぬわが子を包み込む。
「この子が生まれる前に、君が私を愛してくれていることが分かって良かったよ」
「気づいていないのは、貴方だけだと思いますけれども」
互いを見つめる視線は甘く、傍に居れば、どこか触れている二人は、どこからどう見ても仲睦まじい夫婦だ。
廊下の外で他の使用人達が、何かあったら自分達が飛び出してプリマをコテンパンにやっつけようと箒や塵取りを持っていたのも、妊婦であるドルチェを思いやっての事だった。
その中に、失言メイドのリーゾも含まれている。
どうやら、先ほど部屋の外に摘まみだされた一幕は、プリマを精神的に追い込むための茶番だったようだ。
使用人達は、ドルチェに選ばれたことを心から誇りに思っている。
どんなに失礼極まりない客だとしても、伯爵令嬢であるプリマを殴れば、彼らとて無事では済まない。
それでも、この家の使用人達は、若き女主人に忠誠を誓っていた。
「さぁ、貴方、そろそろ夕食にいたしましょう」
「そうだな」
「えぇ、今日は、とても新鮮なムール貝とマテ貝が手に入ったので」
そう言いながら、ドルチェは、
――今晩は、笑わずに食べられるかしら?
と、微妙な笑みを浮かべていた。
完
思い付きの短編、楽しんでいただけたら嬉しいです。
ブックマーク、★★★★★の評価等、していただけたら小躍りします。




