元婚約者が課題の邪魔をするので追い出しました
学園の課題をさっさと終わらせ、父から渡された課題に取り掛かること一時間。カタリナの集中力は完全に途切れていた。それもこれも、招かざる客――オーギュストのせいだ。
じっとりとした視線がまとわりつく。かなり煩わしい。我慢できなくなったカタリナはペンを叩きつけるように置いた。
「わかったわ。話なら聞く。聞くからその代わり、話し終わったら帰ってちょうだい」
仕方なくそう言うと、オーギュストの目が輝いた。
昨日、セシリアに追い返されたはずの彼は、懲りずに今度は直接クロムウェル家にやってきた。
あの場では言えなかった『用事』。無駄に時間を奪われるのをカタリナが嫌っているのを知っているにもかかわらず、こうして強引にやってきたくらいだ。それ相応の内容に違いない。と、自分に言い聞かせてみたものの……。
(正直、大した内容ではない気がするのよね……。というより、まずオーギュストが婚約破棄のことをきちんと理解しているのかも怪しい。私があっさりと了承したせいかしら。普通なら気まずくて距離を取るものだと思うのだけれど……)
真面目で何でも型にハメがちなオーギュストの思考は分かりやすいと今まで思っていたが、ここにきて実はその認識が間違っていたのではないかという気がしてきた。彼という人間がよく分からなくなってきた。
いったいどうしたものかと悩みつつ、今はひとまず彼の言葉に耳を傾けることにした。
カタリナが机から離れ、ソファーへと移動するとオーギュストも向かいに座った。メイドがすかさずティーセットを用意し、部屋を出る。その際、少しだけ扉を開けて。室内にいるのはカタリナとオーギュストだけだ。
カタリナは紅茶を一口飲み、気持ちをリセットし、「さあ、どうぞ」と話すように促した。
彼は真剣な顔でコクリと頷く。
「実は……」
語り出した内容は『真実の愛』のお相手――ミラについてだった。ここからは彼の回想を元にまとめたものだ。
オーギュストが両親を説得し、カタリナとの婚約破棄が決まった翌日。彼はミラに会いに行った。もちろん、報告をしに。
「まあ! 本当に⁉ 本当に公爵様は私たちの結婚をお許しになったの⁉」
ミラの頬に朱が走る。オーギュストは「うん」と頷き返した。
「僕が男爵家に婿入りする形になるけど」
「あ。そう、ですよね。私が公爵家に嫁入りするわけにはいきませんものね?」
「そうだね。さすがに、新興男爵家の血を混ぜるわけにはいかないから。ミラの理解が早くて嬉しいよ」
そう言ってオーギュストがにっこり笑うと、ミラの顔は微かに引きつった。
しかし、すぐさま花が咲くような笑みを浮かべる。
「それにしても夢のようです。まさか、オーギュスト様が私の申し出を受け入れてくれるなんて……話しかけても全然反応なかったからダメだと思っていたのに」
途中からミラの声が小さくなって何と言ったか聞こえなかった。オーギュストは聞き返したが、彼女は首を横に振って答えてはくれなかった。なら、いいかと話を続ける。
「僕もまさか、こんな形で家を出ることになるとは思っていなかったよ。でも……これが『真実の愛』なんだものね?」
「え、ええ。そうです。私とオーギュスト様は『真実の愛』で結ばれているんですもの。えーと、ほら、ここ見てくださいませ」
そう言って、彼女はどこからか取り出した恋愛小説のワンシーンをオーギュストに見せる。
そこには、王太子が長年の婚約者と別れ、『真実の愛』の相手である男爵令嬢の手を取って新しい人生をスタートさせるシーンが載っていた。何度も見せてもらったシーンだ。間違いない。
オーギュストは一文字ずつ噛みしめるように目で追い、深く頷いた。
「本当だね。僕らと一緒だ」
何度読んでも不思議だと思う。なぜか、オーギュストはこの本に書かれている出来事を追体験しているのだ。ミラとの出会いも、まさに王太子と男爵令嬢の出会いと同じだった。もちろん、全てが同じわけではない。まずオーギュストの身分は王太子ではないし、カタリナはこの本に出てくるような悪役令嬢ではない。それに、この王太子と違ってオーギュストは婚約者に筋を通して、『真実の愛』を手に入れた。誓って、不誠実な裏切りなどしていない。そうなる前にきっちり関係を解消した。
けれど、こうして読んでみるとやはり類似点は多い。
ミラがこの本を通して教えてくれた『真実の愛』。それを今、再確認した。
やはり、ミラが自分の『真実の愛』のお相手なのだ。この選択は間違いではないとオーギュストは自信を持った。
「ミラ!」
「はい。オーギュスト様」
うっとりとした表情で見上げてくるミラの両肩を掴む。彼女はなぜかゆっくりと目を閉じる。その行動の意味はよく分からないが、オーギュストは話を続けた。
「これから、僕たちは苦労することになるだろう。カタリナは許してくれたが、その生家が許してくれるかは別の話。公爵家と侯爵家の婚約を破談させたんだ。その罪を君も僕も背負わなければならない。僕は公爵家から除籍、君は貴族社会から爪弾きにされるだろう。けれど、きっとそれも『真実の愛』で乗り切れるはずだ。あの物語の王太子と男爵令嬢のように。二人力を合わせて頑張ろう!」
生活はがらりと変わるだろうが、報われない努力などないはず。
正直に言うと不安はあるが、これは試練――『真実の愛』に与えられた試練なのだ。
いや、僕にとっての……かもしれない。
平民からのし上がった新興貴族である彼女にとっては容易いことかもしれないから。
などと考えていたオーギュストはふと気づく。ミラからの返事が返ってこないことに。
「ミラ? どうしたんだい?」
距離を取られた。彼女の様子がおかしい。視線が合わない。どころか、左右にせわしなく揺れている。顔色も悪い。どうしたのだろうか……体調でも崩したのかと尋ねようとした時――。
「彼女から、「私たちしばらく距離を置きましょう!」と言われたんだ。これって、どういう意味だと思う?」
眉を八の字に垂らし、答えを求めるオーギュスト。それに対し、カタリナは呆れた視線を向けた。
「それってあなた……騙されたのではない?」
「まさか! そんなわけない。彼女が『真実の愛』の相手であることは間違いないんだ!」
「へえ……」
カタリナの目にさらに冷たい色が乗る。しかし、そのことにオーギュストは気づかない。
おざなりにカタリナは口を開いた。
「なら……もしかしたら、彼女は戸惑っているだけかもしれないわね」
「戸惑っている?」
「そう。オーギュストは貴族のあれこれを知っているから、今後のことについてもある程度予測して、心積もりもできていたのでしょうけど、彼女はそうではないでしょう」
「ああ、そうか。それで……さすがカタリナだ!」
目を輝かせてカタリナを見るオーギュストに、いら立ちが込み上げてきた。
「話が終わったなら出て行ってくれる?」
「いや、お礼に手伝うよ」
そう言って、彼はカタリナの課題に手を伸ばそうとした。その手を扇で弾く。
驚いた顔のオーギュストに、鋭い視線を向ける。
「その必要はないわ。いえ、正しくはあなたがこれらに目を通すことは許可できないと言った方がいいかしら」
「あ、そう、だよね。ごめん」
「……いいえ。それと、今後こうして私を訪ねてくるのはやめてちょうだい」
「え」
「私が次のお相手を探しているのはあなたも知っているでしょう。それなのに、元婚約者が未だに出入りしているなんてありえないでしょう」
「でも、僕は幼馴染として……」
「幼馴染だからといって、会う理由にはなり得ないわ。特に今回のように先触れも無しになんて……。フェリックスと同じ、いいえ、それ以上に距離を取らないと」
「それは……いつまで?」
「さあ、いつかしら……」
(というより、オーギュストが本当に除籍されることになったら、うちに入れることはきっと二度とないと思うのだけれど……そこのところ理解しているのかしら?)
茫然と立ち尽くす彼の背中を押し、部屋から追い出す。
「それじゃあね」
「あ」
オーギュストの言葉を聞く前に扉を完全に閉めた。しばらくの間は外に気配があったが、数分後には消えていたので諦めて帰ったのだろう。
カタリナは重い溜息を吐き出すと、気持ちを切り替え、再びペンを持った。




