元婚約者はヤンデレ夫になりました(カタリナ視点)
本日。麗らかな天候の中。
王都にある大聖堂にて、私カタリナ・クロムウェルとオーギュスト・サウェルの結婚式が執り行われます。
なお、学園を卒業したのは前日。つまり、復縁してからさほど時が経っていません。
にもかかわらず、どうしてこんなに早く式を挙げることになったのか……と私自身も驚いています。
このような強行が可能となったのは、偏にオーギュストのせい……いえ、彼が「一秒でも早くカタリナと夫婦になりたい!」と私の両親、彼の両親、王太子殿下を説得し、その熱量に彼らが根負けしたからでした。
ああ、ヴィクトール……王太子殿下だけは違います。あの方の場合、根負けというよりは「またもや面白いものを見つけた」といった感じでしょう。
私としては殿下の威信を少しばかり借り、段取りを効率化できれば良し、と考えていたのですが……まさかこんなことになるとは。計算が狂いました。
父から出された課題の遅れを取り戻すべく励んでいる間。式の準備をオーギュストと両親に任せ、余裕ができた頃に蓋を開けてみれば――。
通常、公爵家以上の婚姻でしか使われない大聖堂を『王家の特命』により押さえ、サウェル公爵家の名で婚礼衣装をオーダーしていた店にさらに王太子殿下の名で発破(人材と物資を手配)をかけ短期間で完成させ、その他諸々細部まで殿下が首を突っ込んで……いえ、協力してくださったおかげで――どう見ても侯爵家に公爵家が婿入りするとは思えない結婚式の準備が整っていたのです。
(殿下が手伝ってくださった式に後から私が口を挟めるわけもなく……結局、今日を迎えてしまったわ。参列する皆様は驚いていることでしょう。私が公爵家に嫁ぐと勘違いする者もいそうね。いえ、それならまだマシ……。この式に王太子殿下がかかわってることがバレたら、変な誤解が生まれてしまうわ。ああ、後で情報操作をしなければ……。殿下から求められる見返りも怖い。けど、仕方ないわね。お母様たちもいるのだから任せて大丈夫でしょう、と隙を作った私の負けだもの)
縁起の良い日に遠い目になるのも仕方ないでしょう。
「カタリナ」
「はい」
差し出された父の腕に手を添えます。
「幸せに、なるんだよ。……それでもし、辛くなったら無理をせず相談しなさい」
父の目が潤んでいます。あの父が。温厚な言動に反し、その仕事ぶりは『冷徹な鬼』だと言われているあの父が。
ああ、釣られて私の鼻もつんとし始めました。
それでも、この式を完璧にこなすため、涙を我慢しバージンロードを歩きます。
大司教様の前で、父の手から、オーギュストへと代わり――。
「カタリナッ」
「……ふっ」
(思わず吹き出しそうになってしまったわ。危ない)
オーギュストはなぜかすでに涙を流していました。父も私も耐えているというのに……まったく。
こうなることを予想していた私は胸元からハンカチを取り出します。
オーギュストの目はそこに釘付けになりましたが、今は無視しておきましょう。
「仕方ない人」
小さく呟きながら、彼の涙を拭います。ほんの少し垂れていた鼻水もさりげなく。
オーギュストの顔が真っ赤に染まりました。顔だけでなく、首も手も、おそらく全身が。
大司教様の咳払いが聞こえ、私たちは改めて姿勢を正しました。
「――サウェル公爵令息オーギュスト。汝はここに集いし神と証人の前で、カタリナ・クロムウェルを妻とし、健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しるときも、これを愛し、敬い、慈しみ、命ある限り添い遂げることを誓うか」
「誓います。彼女が望もうと望むまいと。この命が尽き、魂が天に帰しても、私はカタリナだけを愛し、永遠に手放さないことを、神にかけて誓います」
オーギュストの仄暗いアンバーの瞳が大司教様の後ろにいる神を捉えます。
私は驚きました。彼が練習とは違う言葉を口にしたからです。
動揺している間に、名を呼ばれました。慌てて大司教様に視線を戻します。
「カタリナ・クロムウェル。汝はここに集いし神と証人の前で、オーギュスト・サウェルを夫とし、健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しるときも、これを愛し、敬い、慈しみ、命ある限り添い遂げることを誓うか」
「誓います。……オーギュストが私の夫である限り。私は彼の妻として、彼を支え、彼の気持ちに寄り添うことを、神にかけて誓います」
少し悩みましたが、私もオーギュストに倣い、己の言葉で誓いました。
大司教様が厳かに頷きます。
「神が結び合わせし二人を、何人も分かつことはできぬ。……聖なる光の導きあらんことを。今、ここに二人の婚姻が成立したことを宣言する。……さあ、『誓いの印』を」
心臓がドキドキ鳴り始めました。『誓いの印』。つまりは接吻です。
この日のために一度もオーギュストと口づけを交わしていません。
(これが私の初めての……)
オーギュストの方に体を向け、練習通り微かに首を傾け、目を閉じます。――後は彼に身を任せるだけ。
顔を覆っていたベールが外されるのを感じます。何かが近づいてくる気配。体が動きそうになりましたが、その何かはこれから夫となるオーギュストなのだと自分に言い聞かせます。
吐息を感じます。いよいよその時がくるのです。――ああ、心臓が爆発しそうだわ。
(こういう時は、0、1、 1、 2、 3、 5、 8……前の数字を足し合わせ、無限に螺旋を描いて増殖していくフィボナッチ数列でも数えて冷静さを取り戻すのよ。皆の前で取り乱さないように。しっかりしなさいカタリナ・クロム……)
「んむっ⁉」
軽い重なりで終わると思っていた『誓いの印』は……このまま食べられてしまうのではないかという勢いで行われました。いえ、今も行われています。想定外のことに、目を開けてしまいました。
「んんっ!」
押し返そうとしますが、離れません。むしろ、抱きしめてくる力は強くなり、覆いかぶさってくる勢いです。
苦しくて、酸素を求めて唇を開けば、そこから熱いぬるぬるとしたものが差し込まれました。
「ん、んんん!」
これが何かわからない程、私は初心ではありません。
いったいオーギュストは人前で何を考えているのか。これでは式が失敗に終わってしまうではありませんか。参列してくれた皆様の脳裏に厳かな式ではなく、この獣のような口づけが刻まれる。そんなことは決して許されません。
(このっ! 正気に戻りなさい!)
舌を噛み、渾身の力で彼の足を踏みぬきました。
背中に回っていた腕の力が緩んだ隙に、彼の手から逃れます。
「ふー……ふー……」
口元を拭い、ギラギラした瞳に私だけを映し続けるオーギュスト。
その目から逃れるように私は大司教様に視線を向けました。何事もなかったような顔で。
「あーおほん……皆々様、ご覧ください。聖なる……誓いを交わし、新たなる門出を迎えた、クロムウェル侯爵家次期当主カタリナ・クロムウェル。ならびに、その夫オーギュスト・クロムウェル卿です。どうぞ、お二人の前途を祝し、盛大なる拍手をもってお迎えください」
大司教様の文言に含みを感じたような気がしましたが、それも無視しました。
しれっと参列していた、ヴィクトール殿下がお腹を押さえて震えていたのも無視です。徹底的に無視して差し上げました。
とにかく私が優先すべきは、この式をクロムウェル侯爵家とサウェル公爵家の威信をかけて、トラブルなく終わらせること。……生きてきて今日が一番鋼のメンタルを必要とした気がします。
◇
結婚式をなんとか無事に終え、クロムウェル侯爵家に戻ってきました。
体はずっしりと重いですが、これからが私、いえ私たちにとっての本番です。
夫婦で行う初めての共同作業――そう、初夜です。
正直に言いますと、緊張しております。ミラからいただいた関連書籍を精読し、知識だけは詰め込みましたが……読めば読むほど正解が分からず……。加えて、昼間のアレが脳裏に過り、別の不安も募ってきました。
そんな私を見て心配になったのか、おば様とお母様からは……。
「ああ、こんなに震えて。あの獣のせいで。いい、カタリナちゃん。無理だと思ったら容赦なく、あのおバカの急所を突くのよ」
「でも、股間はダメ。世継ぎ問題に関わってくるから。そうね……おすすめは顎かしら」
「喉も良いと思うわ」
「自分ではどうにもならないと思ったら、緊急用のベルを鳴らしなさい。すぐに助けにいくから」
「私たちはカタリナちゃんの味方ですからね」
このような感じでアドバイス(?)をいただきました。
本日、公爵夫妻は二人とも我が家にお泊りになるそうです。
「少しは抑止力になるでしょう」と言っていました。
おそらく、オーギュストに対しての言葉だとは思うのですが……いったい何に対しての抑止力なのか。私には分かりませんでした。
とにもかくにも、私は夫婦としての初仕事――初夜の完遂を目指します。
「カタリナ。入るよ」
「……はい」
寝室の扉がゆっくりと開かれ、オーギュストが部屋に入ってきました。
「あら……」
一目で分かるほど、彼の髪の毛は濡れています。
「きちんと乾かしてもらわなかったの?」
だとしたら使用人には後で注意しなければなりません。
しかし、オーギュストは首を振りました。
「ううん。僕が早くカタリナに会いたくて、もういいって言ったんだ」
「そう。でも、そのままでは風邪を引いてしまうわ。こちらに来て」
オーギュストをベッドに座らせ、彼の首にかかっていたタオルで頭を拭きます。
髪を乾かす魔道具が欲しいところですが、さすがに今使用人を呼ぶのは違う気がして止めました。
タオルで水分を拭き取れるだけ、拭き取ります。
その間、オーギュストはじっとしていました。
「もういいかしら。……オーギュスト?」
彼の様子がおかしいです。俯き、何やら呟いています。
顔を近づけ、耳を澄ませれば聞こえて来たのは……。
「目の前にカタリナのお〇〇〇が。これは誘ってる? ううん、まだだ。耐えろ、自分。今まで我慢できたんだ後少し、後少しだけっ」
彼の言葉を理解した瞬間、一気に顔に熱が集まりました。
バッと己の胸を手で隠します。
「あ、あなたという人は!」
「あ! そんなっ腕をクロスしたら胸が強調されてっ!」
「オーギュスト!」
「はい!」
「胸ではなく私を見なさい!」
オーギュストの両頬に手を添え、強制的に彼と視線を合わせました。今、彼の目に映っているのは私の胸ではなく、顔です。
暴走は止まったようでホッとしました。
「オーギュス……ん」
いきなり唇が重ねられました。式でした時よりも優しく軽いものです。
一度、二度、繰り返すうちに唇を重ねている時間が長くなり、後ろにだんだん倒されていくのが分かります。覚悟を決め、目を閉じました――。
「ああ、カタリナッ。カタリナ!」
早々に彼の理性は飛び、本能のまま私を求め、私はそんな彼を受け入れ――朝日が昇る頃。自分の限界を感じた私は、緊急用ベルを鳴らしたのでした。
(お母様たちがあれほど熱心に言っていた意味が、痛いほどよく分かったわ。あのベルを使うことなどないと思っていたのに。ベルがなかったら今頃どうなっていたことか。色んな意味で死んでいたかもしれない……。オーギュストがまさかあんなに……ああ、思い出すだけでもうっ……)
夜の情事を思い出すだけで何とも言えない感情が込み上げてきます。
羞恥心だけではない何かが襲ってきて体を熱くする。
どうやら男女の契りというものを体験した私の体は作り替えられてしまったようです。
(ああ、このままではいけないわ)
オーバーヒートを起こした頭では冷静に執務を行うのは到底無理。一度冷却する必要があります。
侍女に手を貸してもらいながら、ふらふらの体でお風呂へと向かいます。
「カタリナ! お風呂に入るのなら僕が手伝うよ!」
「結構よ!」
それだけは阻止しなければなりません。
私は知っています。あのキラキラした瞳がドロドロとしたものに変わる瞬間を。
以前の彼ならいざ知らず、一線を越えてしまった彼が簡単に理性を手放してしまうようになったことも。そして、私もまた、そんな彼を本気では止められないことを。
(あれは夜だけに許される行為よ。昼間は絶対に避けるようにしないと……そのためには使用人たちにも協力してもらう必要があるわ。後で内密に皆に通達を……)
私も結婚し、父からも正式に侯爵家の次期当主として仕事を任されるようになったのです。きちんと仕事をこなし、自分の行動に今まで以上に責任を持たなければなりません。欲に溺れ、なすべきことを放棄するなどもっての外。――そう自分を律したこの時の私はまだ知りませんでした。
禁欲生活の中。セシリアやミラに二人きりの時間を邪魔されたオーギュストが鬱憤を蓄積していき、ようやく二人だけの(監禁)生活が始まった途端に暴走する未来が待っていることを。
彼の『私への愛』を甘くみていた私が、彼の熱によってドロドロと溶かされ、そのまま骨の髄まで喰われてしまうのではないかと怖くなるほどに愛されることを。譲歩して提示したはずの三泊四日がまるで永遠のように感じる日がくるなど……想像もしていなかったのです。
「カタリナ。ずーっと一緒だよ。死ぬまで、ううん死んでからもずっと」
「分かったわ。分かったから……私、まだ死にたくないの。だから、手加減して頂戴……」
「うんうん。死なせない程度に手加減するね」
「そういう意味じゃ、ちょっと、待ってって……っあ!」
「カタリナ、愛してるよ」
きっと、こんな日々が何年も、何十年も続いていくのでしょう。
――いつか、私も彼と同じくらいの愛を返せるのかしら。いいえ、どちらにしろ貯まった負債は返せそうにはないわね。
そんなことを考えながら、私の意識は暗い底なしの沼へと落ちていったのです。




