王太子殿下を呼び出して話し合いをしました
飾り気のないただの椅子が、彼が座ることによってまるで玉座のように見えてくる。そんな雰囲気を晒しだしている男が、カタリナを見てクッと笑う。
「この私を『来い』の一言で呼びつけるのは君くらいだぞ。カタリナ嬢」
カタリナの後ろに控えているオーギュストは冷や汗だらだらだ。しかし、カタリナの表情は変わらない。むしろ、視線は冷めている。
「そのような言い方はしていなかったと記憶していますが?」
カタリナの言い分を男――王太子ヴィクトールは無視した。
「私は君たちにかなり寛容に接していたつもりなんだけどね。……私の気遣いは伝わらなかったのかな?」
視線を向けられたオーギュストは狼狽えたが、彼が口を開く前にカタリナが遮る。
「からかわないでください。それと、寛容ではなく高みの見物、気遣いではなく贖罪の間違いでは? 随分、楽しんでいたようですし」
「なんだ。もうバラしてしまったのか。ということは君、クビだね。ご主人様の面子も守れないなんて使えない。そもそも、いくら元の飼い主が相手とはいえ、ペラペラ喋ってはダメだよ」
「も、申し訳ありません。悪いのは全部自分でカタリナに責任は一切……」
オーギュストの言葉を遮るようにカタリナは口を開いた。
「殿下はもとよりオーギュストをクビにするつもりだったのですよね?」
「……なぜそう思う?」
「簡単なことですわ。殿下は使えない者をいつまでも手元に置いておくほどお優しい方ではありませんから。今回はただ面白半分で雇っただけ。その証拠に彼はきちんとした『影』の教育を一切受けていない。それに……使えるものを使えなくなるまで使いつぶすのが殿下流でしょう?」
護衛たちに動揺が走った。それはカタリナの不遜な言動に対してではない。彼女の言葉があまりにも的を射ていたからだ。彼の傍に長い間いる者ほど、そのことを理解している。
ヴィクトールはやれやれと首を振る。
「心外だな。私は人材を使い潰すような愚鈍ではないよ。きちんと壊れないギリギリを見極めて指示している。使い捨てなんて……君流に言うなら効率が悪いだろう? 使えるものは長く使わないと」
「その意見には概ね賛成ですが、もう一歩足りませんね」
「君がいうもう一歩とは?」
「使えない者も使えるようにすればいいのですわ。その道のプロ一人に任せるよりも、素人を十人雇いプロと相違ない働きができるような補助具を与え、交代制にした方が効率は上がります。もちろん、仕事内容や、時と場合にもよるとは思いますが」
「ふむ。つまり、私の使い方がなってなかったと言いたいのかな?」
ヴィクトールの視線がオーギュストへと向く。カタリナは笑顔を浮かべたまま何も返さなかった。
それだけで、言いたいことは伝わったらしい。
二人の攻防を見守っていた護衛たちは止めていた息をそっと吐きだした。そして、カタリナへの評価を改めた。――この方は噂以上の人物だと。
同時にそんな彼女に目をつけた主への敬意も忘れない。
一方、オーギュストは感動していた。カタリナが自分を庇ってくれたことに。
見つめ合う王太子と侯爵家次期当主。先に口を開いたのはヴィクトールだった。
「彼の代わりに君に任せたあの仕事……あれを見た時から思っていたが。やはり、君だ。君しかいない。帳簿を見ただけであそこまで読み解ける者はそういないだろう。一度君の脳内を覗いてみたいくらいだ。いったいどれだけの情報が蓄積され、どのような思考回路をしているのか……カタリナ。君のその能力を一領主として終わらせるのはあまりにも惜しい。この国の未来のために活かすべきだ」
カタリナに注がれる熱い視線。すかさず、オーギュストが動いた。
「たとえ殿下が相手でも、カタリナは渡しませんよ」
オーギュストの瞳が仄暗く光り、そこには殺気が宿る。護衛騎士たちが己の剣に手をかけた。
「止めろ」「止めなさい」
ヴィクトールとカタリナの制止の声により、その場に満ちた空気が霧散した。
「殿下。オーギュストの前では言葉を選んだ方がいいかと。からかいすぎると、そのうち本当に嚙まれてしまいますよ?」
「そのようだね。以前より執着が強くなっている。以後気をつけるよ。それで、こうやって呼び出したくらいだ、今日返事を聞けるのだろう?」
王太子らがこの家にやってきて一時間。ようやく本題に入れると、カタリナは嘆息しつつ頷いた。
「殿下の申し出、お受けします。ただし、『依頼』という形にしてください」
「『命令』だと不都合だと?」
「ええ。『命令』だと断りにくいですから」
「私の命令を断るつもりなのかい?」
「当然です。その仕事内容が私に向いていないと思えば差し戻させていただきます。もちろん、他に向いている方がいればご紹介、もしくは私の方で委託指示を出しますが。……殿下が私に求めているのはそういう役割では?」
ヴィクトールからの仕事を請け負った回数は少ないが、それでも分かったことはある。
求められた以上の仕事をしても、疎まれることはない。むしろ、それを期待している節すらあった。
果たして、カタリナの予想は当たっていたようでヴィクトールは心底喜んでいるような笑い声をあげ始める。傍目を気にしない素の笑いだ。王城でもなかなか見ることのない姿なのだろう。護衛たちも驚いた顔をしている。
「最高だよカタリナ! そう、そういうのを私は望んでいるんだ! けど、なかなかそこまでできる人材はいなくてね。もちろん、全くいないわけではないが……同年代ではまずいない。これから必要となるのは古き慣習ではなく、新たな感性だというのに……」
「それで私を取り込んで、保守派を揺さぶろうと?」
「そうだよ。もちろん、必要となる伝統は残すつもりではいるが、私の代では君が領地で行っているような先進的なことを全国規模でもっと広げていきたいと考えているんだ」
以前にも聞いたことではあるが、もう一度はっきりと王太子の意思を確認する。そして、カタリナは静かに頭を下げた。
「今のお話を聞いて、改めて心が決まりました。謹んでお受けいたします」
「ありがとう。君が『依頼』を受けてくれるなら、これほど心強いことはない。これからよろしく頼む」
握手を求められ、カタリナは一瞬戸惑った。
今まで異性から握手を求められたことはなかった。カタリナにとってこれが初めて。でも、それが今は嬉しくもある。――性別の壁を越え、共同パートナーとして認められたようで。
しっかりと手を握り返し、ヴィクトールと視線を交わし合った。
「……で、オーギュストはそこで何をしているのかしら?」
二人が繋いでいる手をすぐ横で睨みつけているオーギュスト。
ヴィクトールの手が離れると、すぐさま彼に手を取られた。濡れたハンカチで、手を拭かれる。
「彼にとって、私は病原菌か何かなのかな?」
「似たようなものです」
オーギュストの呟きは極小さいものであったが、物がない部屋では響き、ヴィクトールの耳にも届いた。
絶句する王太子。気まずいカタリナ。素知らぬ顔のオーギュスト。
「彼は、君に関する時だけ別人のように豹変するね」
「申し訳ありません」
「いや、これはこれで面白いからいいよ。聞いたところによると君の下で働いていた時の彼は、なかなか優秀だったらしいしね。私の下で働いている時の姿からは想像できなかったが、今のを見ているとなんとなく理解できたよ」
カタリナとオーギュストを見比べ、王太子はうんうんと頷いた。
居心地悪い中、カタリナは空気を変えるように別の話題を口にする。それはもともと話すつもりだった内容。
ヴィクトールは首を傾げる。
「二人が行方不明になっていた理由を、『王太子の密命を受けていたから』ということにしてほしいと?」
「何事もなかったことにして戻るにはそれが一番かと」
「えーでも、それって全て私に非があることになるんだろう?」
エリオットやテオドールとの見合いもどきがパーになったのも。二人が学園を無断欠席したのも。カタリナが数日当主教育から遠のいたことによる遅れも。全て。
しかし、カタリナも同じく首を傾げ返す。
「中らずと雖も遠からずでは? 実行犯はオーギュストですが、見方によっては殿下が首謀者になり得ますもの」
「ええ⁉」
「だって……殿下は監禁を止めるどころか、面白半分に手伝いましたよね? 教唆犯、もしくは共同正犯にあたるかと」
「う‟。……参ったな。法務官たちより手厳しい。分かった。泥は私が被ろう。その代わり、しっかり働いてもらうよ?」
「ええ、もちろん」
カタリナは満足げに笑みを浮かべたのだった。
王太子一行が帰って、二人きりになるとオーギュストはぎゅうううううううとカタリナを抱きしめた。そして、首筋に顔を埋める。
「オーギュスト。何しているの?」
「カタリナの匂い嗅いでる」
スンスンと鼻を鳴らされ、ぎょっとする。
慌てて彼を押し退けようとしたが、力が強くて失敗に終わった。
「は、離しなさい変態」
「嫌。ああ……男が、殿下がカタリナに近づくから、匂いが混じっちゃってる」
「匂いって、別に抱き合ったわけじゃないんだからそんな混じることなんて」
「もし、抱き合ってたらお風呂に直行だったよ。……あ、やっぱり、ここだ」
「え?」
手を取られた……と思ったら、掌に熱くて湿った感触が伝わってきた。
舌で舐められたのだと理解するまで数秒かかった。
「な……何するのよ!」
(王太子殿下の前では護衛騎士のような佇まいだったのに、これでは本当の犬のようじゃない!)
「何ってとりあえずのマーキング。気になるなら洗ってきなよ」
(それが目的⁉)
「普通に言いなさいよ! 洗ってくる!」
顔を真っ赤にして、手を洗いにいったカタリナをオーギュストはじっと見送った。
本当はあの背中を追いかけたかった。でも、そうしたらきっと自分は暴走してカタリナに酷いことをしてしまうだろう。それが予測できたから、我慢した。
カタリナと約束したから。
「そ、そういうことは結婚してからにしたいの。だから、初夜まで我慢してくれる?」
先程のように顔を真っ赤にし、アイスブルーの瞳を揺らして恥ずかしがるカタリナはとても可愛かった。
オーギュストの理性は激しく揺さぶられた。
と、同時に絶対にカタリナの願いを叶えようという気にもなった。
だって、愛しいカタリナが自分との初夜を大切にしたいと言ってくれたのだ。そんなの叶えるしかないじゃないか。
だから、今もこうしてオーギュストは耐え忍んでいる。待て、と言われた犬のように。本能を理性で抑え込んで。
オーギュストが本能と戦っている間、カタリナは己の中にある初めての感情に狼狽えていた。
「ど、どうしてこんなことされて嫌じゃないのかしら」
いや、掌を舐められたのは正直気持ち悪いと思った。けど、嫌ではなかったのだ。その行動理由が、王太子への嫉妬からきているものだと、今のカタリナは知っているから。だとしても可笑しい。彼以外からされたらと考えるだけでも嫌なのに。
オーギュストはカタリナに告白(?)してから、本当に分かりやすくカタリナへの気持ちを表に出すようになった。まるで、今まで封じていた感情が爆発したかのように。その感情はかなり拗らせたものとなっているのだが。その異様さに恋愛初心者のカタリナは気づかない。
(こんな答えが不明瞭な感情に私が振り回される日がくるなんて。しかも、それが嫌じゃないなんて)
掌だけでなく、体全体が熱い。自分の体が作り替えられていっているような気がして、カタリナは己の体を強く抱きしめ、ぶるりと震えた。




