婚約者に初恋が訪れたようです
クロムウェル侯爵家にはたった一人娘がいる。その娘というのが、カタリナ・クロムウェル。齢十七とまだ学園を卒業もしていない彼女だが、次期侯爵家当主という肩書を持つ彼女はすでに老成した雰囲気を身にまとっている。プラチナブロンドの髪は常に一つにまとめられ、乱れ知らず。また、アイスブルーの瞳も同様に大抵のことでは動じない。しかし、今日ばかりは彼女の瞳も揺らいでいた。
「もう一度、言ってくれるかしら?」
目の前の男、オーギュスト・サウェルは緊張した面持ちで「ああ」と頷く。
「君以外に愛する人ができた。婚約を破棄したい。……僕の有責で」
彼の眼差しは真剣だ。カタリナと違い揺らぎが一切ない。覚悟を確認した彼女は「わかったわ」と肯首した。
オーギュストとの付き合いはそこそこ長い。出会ってから十四年。婚約してから十年になる。その間、交流もそれなりにあった。むしろ、一般と比べると多いくらいだろう。家族ぐるみの中なのでそれも当然ではあったのだが。だからこそ、わかる。彼が冗談や一時期の気の迷いでこのようなことを言う人物ではないと。
オーギュストは彼の双子の弟のように特出した才能があるわけではないが、勤勉で実直な性格をしている。そんな彼がこうしてカタリナに告白をしてきたということは、それは彼の中ではもう決定事項だということ。きっと、これまでに何度も何度も悩んだに違いない。その結果、全てを捨ててでも『真実の愛』を取ったのだ。彼らしいと言えば彼らしい。
(一度家に持ち帰って返答することも可能だったけれど、答えが決まっているのなら無駄だものね)
二人の婚約が無くなることは確定。元々互いの両親の口約束から始まった婚約だ。所謂『互いの子供が大きくなったら結婚させましょう』というもの。ならば、その婚約を無くすことも容易。もちろん、そのための手続きには多少手間がかかるが。政略的なものではないので、付随するあれやこれやがないのは幸い。問題はその後だが……、その苦労を加味しても彼はそのお相手を望んだのだ。
オーギュストの幼馴染として、カタリナは彼の初恋の成就を願ってあげたいと思った。
恋愛にまでは発展しなかった仲ではあったが、悪くはなかった。むしろ、すでに家族のような愛情は抱いていた。それは彼からこうして婚約破棄の申し出をされた今も変わらない。
――新しい相手を今から見つけるのは正直面倒だけれども。オーギュストに無理をさせてまで彼を婿入りさせようとは思わないわ。長い生涯を共にする相手ですもの。私としても可能な限り互いに尊重し合える相手がいいわ。だから……ここでオーギュストとはさようならね。
一抹の寂しさが胸を過ったが、これまでの二人の歴史を思えば自然なこと。
「ありがとう」
深々と頭を下げるオーギュストのつむじを、カタリナはじっと見つめる。
(このまま神妙な空気のまま終わるのも嫌ね……)
終わりは笑って円満がいい。空気を変えるべく、カタリナは半トーン上げて声をかけた。
「ねえ。ところで、聞いてもいいかしら。オーギュストの『真実の愛』のお相手というのはどなたなのかしら?」
聞いたのはちょっとした好奇心。言った後に警戒されるかと思ったが、彼は少しも戸惑わずに教えてくれた。
「ミラ・ベルモンドだよ」
「ベルモンド……聞きなれない家名ね」
それはそうだろうとオーギュストは頷く。
「彼女の生家は新興貴族だからね。まだ貴族になってから年数も経っていないんだ。カタリナが知らなくてもおかしくないよ」
「そうなの……」
オーギュストからのフォローが入ったものの、把握しきれていなかったのは事実。次期当主としては看過できないミスだ。
(今気づけて良かったわ。家に帰ったらもう一度貴族名簿に目を通しておきましょう)
気遣うような視線に気づかないフリをして、カタリナは微笑みを向けた。
「それにしてもオーギュストは初恋を実らせたのね。本当におめでとう」
初恋は実らないものだと、聞いたことがある。それを聞いた時、カタリナは(まあ、貴族だものね)と納得したのだが……オーギュストはその初恋を実らせた。といっても彼らの本番はこれからだ。
「これから大変だとは思うけれど、頑張ってね。幼馴染として、応援しているわ」
「うん。ありがとう」
嫌味ではなく、本心からの励まし。それをオーギュストも正しく受け取った。
彼も今後の大変さについてはすでに予想しているのだろう。すでに覚悟を決めているオーギュストをカタリナは眩しそうに見つめる。
オーギュストは何度目かわからない謝罪と感謝を述べた。
「僕が言えた義理ではないけど、カタリナも頑張って。僕も幼馴染として、君の幸せを願っているから」
「ふふ。そうね。私も頑張るわ」
「それと、今まで学んできたことは絶対に無駄にはしないから」
「そうね。きっと役に立つと思うわ」
彼が生家の公爵家で学んだことも、カタリナのクロムウェル侯爵家で学んだことも。新興の男爵家では大いに役立つどころか、過分なくらいだろう。おそらく財力はあっても、マナーや伝統には疎いだろうから。上手くいけば将来的には陞爵することもできるかもしれない。
そのためにもこの婚約は円満に終わらせたい、と思ったカタリナだったのだが……。
「ねえ、破棄ではなく白紙にするのはどうかしら?」
「それはダメだ! 原因は僕の不貞であり、カタリナには全く非はない。それなのに、白紙になんてできるはずがない」
「そう……」
予想はしていたが、頭の堅い彼に苦笑しながらも、カタリナは口を閉じた。
(どちらにしろ、彼の両親も同じようなことを言うでしょうしね)
カタリナの両親は彼女の説明で納得してくれるだろうが、彼側はおそらく無理だろう。
後、カタリナにできることといえば……。
「そろそろお開きにしましょうか。オーギュスト」
「うん。カタリナ。またね」
「……ええ」
次に会う時は婚約者ではなく、幼馴染として会うことになるだろう。呼び名も変えなければならない。彼にはすでにお相手がいるのだから特に。そのことが少しだけ寂しく感じた――が、感傷的になっている時間はない。
今後のためにもカタリナは早々にこの婚約を終わらせ、自身の次の婚約相手を探さなければならないのだ。
カタリナとオーギュストの婚約について貴族なら大抵皆知っている。それこそ知らないのは平民や彼のお相手のような新興貴族くらいだろう。それはつまり、こちらから動かなければまともな相手は見つからないということ。
両親に任せておいてもいいが、カタリナとしてはあまり時間を開けたくない。サクッと相手をみつけて、他のことに時間を使いたい。
(できれば学生の間がいいわね。卒業まで後一年……あまり時間はない。早速、明日からでも交流を広げなければ……)
今までカタリナはオーギュスト以外の男性とまともに交流をしたことがなかった。その必要性を見いだせなかったのだ。その分、女性同士の交流はそこそこしていたので、そこから広げていくのも一つの手。と、頭の中ではじき出す。
――さあ、まずは両親に報告を。お父様たちが婚約破棄の手続きをしてくれている間に、私は次のお相手のリストを作って、私の知り合いの中に伝手があるかの確認を。
するべきことがたくさんだ、とカタリナは嘆息したのだった。




