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短編

召喚聖獣ゼロ。からっぽな私が選んだのは、王子様じゃなくてどこか歪な彼でした。

作者: 紺青

「いい天気だなぁ……」


 澄み切った青い空の下で、スザンヌは誰ともなくつぶやいた。

 頭を甘噛みされているような、くすぐったい感触がある。

 それは気のせいではなくて、頭の上には手のひら大の黒いモコモコした毛玉のような物体がいて、ハムハムと頭を齧っていた。


 今日も今日とて、非常に平和である。


 背中から自分より高い温度が伝わる。スザンヌより大きくて鍛えられた背中。

 目の前の分厚い図鑑から目を離して、木々の間から漏れる陽の光を眺めていると、抜けてきた風が頬をくすぐる。


「相変わらず、のんきだな」


 スザンヌと背中をくっつけて座っている彼が、呆れたようにこちらを見る。

 辛辣な口調とは違い、切れ長の目は優しい色を湛えている。それに気の緩んだ笑みを返した。


 人気のない中庭の片隅で、厚手の敷物を敷いて二人背中合わせに座り、それぞれ分厚い本を広げている。いつもの光景。

 どこか日常と切り離されたような、ゆったりとした時間がスザンヌは好きだ。


「こいつは本当にスーが好きだな……。ほら、そろそろ次の授業が始まるから行くぞ」


 その言葉に抗議するかのように、ハムハムとした甘噛みからガシガシと頭に食い込むようなものに変わる。黒いモコモコの気持ちもわかる。この時間が終わるのが嫌なのは、スザンヌも一緒だ。


「ちょっと、痛いかも……」

 

 黒いモコモコはこちらの言う事を理解しているのか、とたんに強度が弱まった。今度は首元あたりに移動して、スザンヌから離れたくないと主張しているようだ。


「ちょっと、くすぐったいって……」


「本当にこいつ、どうなってんだ? 召喚主の命令も聞かないし、スーにべったりで」


 慣れた仕草で、彼がぷらーんと黒いモコモコをつまみ上げる。


「こいつ、なんかでかくなってないか?」


「そうだね……。なんとなく大きくなったかも?」


 二年前に出会った頃は親指大で、彼の耳の後ろにいた。アクセサリーか虫なのかと勘違いするくらい小さかったと思う。

 暴れ出した黒いモコモコを彼が両手でわしっと掴み、自分の肩に乗せた。


「お前もスーに召喚されたら、良かったのにな……。あ、ごめん。そういうつもりじゃ……」


「うーうん。大丈夫。私もそう思う。その子が私に召喚されていて、ジルはなにも召喚してなかったら、良かったのにね。世の中うまくいかないねぇ」


「だな」


 スザンヌはからっぽで、彼はどこか歪だ。

 それは性格のことでもあり、召喚した聖獣のことでもある。

 世の中は不公平で、理不尽でなかなか上手くいかない。


 ため息を一つつくと、手早く荷物を片付けて歩き出した彼の後を追った。


 ◇◇


 スザンヌ・ロッセッティは運がいい。


 緑豊かなスーフォニア王国に五家しかない公爵家の長女として生まれた。

 両親と兄は健在で、みな口数は少ないが穏やかな気質だ。高位貴族にしては仲が良く、細やかに愛情を示してくれる。そのため邸内はゆったりとして平和な空気が流れ、とても居心地がいい。

 

 それは、スザンヌが7歳の時の儀式で、聖獣を召喚できなくても変わらなかった。


 スーファニア王国の貴族は一人一体、聖獣を召喚できる。それは半分霊体で、半分実体を持つ動物のカタチをしたなにか。崇高なものとして、神聖視されている。


 召喚できる聖獣はランダムで、一説によると聖獣の方がその人の性質や霊力、魔力の質を見て選ぶと言われている。

 聖獣の活力の元となるのが召喚者の霊力で、聖獣魔法の行使に必要となるのが召喚者の魔力。結果だけ見ると、召喚者の霊力や魔力に見合った聖獣が召喚されているようだ。


 高位貴族になるほど大型の動物になる傾向があり、下位貴族が召喚するのは小動物、まれに虫などのカタチをとることもある。

 召喚の儀式に参加できるのは貴族のみであるが、聖獣を召喚できなかった者は歴史上いないという。


 ――それなのに、公爵令嬢のスザンヌは聖獣を召喚できなかった。


 大らかで楽観的なスザンヌは、事の重大性をすぐには理解できなかった。


 ただ聖獣図鑑を眺めて、儀式の日を心待ちにしていたので、ちょっぴり残念だったけど。

 きっと、スザンヌの元に来るはずの聖獣はうっかり寝坊して来られなかったのだ、ぐらいに思っていた。それに聖獣がいなくても、スザンヌはスザンヌ。なにも変わらないだろうと思っていた。


 公爵令嬢として母と一緒にお茶会に参加したり、父の仕事に付いて行ったりして、王宮で高位貴族の子息令嬢と交流を図っていたスザンヌ。聖獣召喚に失敗した後も、いつものように母と一緒に、懇意にしている伯爵家に遊びに行った。


「スザンヌちゃんと話すと聖獣になにか悪い影響があるかもしれないから、お母様が話しちゃいけないって言っていて……」

 友人だと思っていた令嬢が、目に涙を溜めながら言った。召喚した猫の聖獣をスザンヌから庇うようにしながら。それだけ言うと、逃げるようにスザンヌの前から姿を消した。

 その日は硬い表情になった母と早々に、邸へ帰った。


 どこかもやもやする気持ちを抱えたまま数日過ごした後、王宮で働く父に付いて行った。

 王宮で交流のあった第二王子や高位貴族の令息は、スザンヌと顔を合わせると顔を歪ませ無言で去って行く。

 いつもは許される範囲であちこち出入りしていたスザンヌも、父が仕事をする傍らで静かに過ごした。


 こうして聖獣を召喚できなかったスザンヌの周りから、さーっと人が引いていった。大らかでのんきなところのあるスザンヌはちゃんと理解した。


 ――聖獣に嫌われているか、霊力や魔力に問題がある人間。


 召喚した聖獣は貴族にとって、ステイタスであり、一生を共にするパートナー。聖獣召喚できなかったスザンヌは、他人の持つ聖獣にも悪影響を及ぼすかもしれない害悪で不吉な人間。


 好奇心旺盛で、人と交流することが大好きだったスザンヌは、それから家に引きこもり、本ばかり読んで過ごすようになった。


 スザンヌが自分の存在を消すようにしてからも、その影響は続いた。

 王太子の側近で護衛をしている兄の婚約が破談になった。


 母はスザンヌを責めることも涙を見せることもなく、普段通りに振る舞っている。でも、夜中にすすり泣いていて、それを父がなぐさめる姿を見た。


 さすがに、王宮で働く父や兄が仕事を首になったり、閑職へ回されたりすることはなかった。


 人々に根付いた聖獣信仰は深いが、意識改革が近年行われているおかげだ。


 数年前に、男爵令嬢が魔道具で聖獣の姿を偽るという事件を起こし、不死鳥を召喚したと思われていた王太子の召喚聖獣がハムスターであると露見した。 

 その件以来、聖獣差別や聖獣を神聖視しすぎることへの危険性に警鐘が鳴らされてきた。王族も中心となって、聖獣主義ともいえる思想を変えようと働きかけているところだ。


 それまでスザンヌに付いていた家庭教師達も貴族なので、次々に退職していった。

 幸いなことにマナーや知識は、家族が代わる代わる教えてくれる。

 スザンヌは、同い年の令息や令嬢との交流もなく、空いた時間は家の片隅で本を読んでいるだけだった。

 片っ端から聖獣に関する本を読んだけど、聖獣を召喚できなかった人はいないようだ。

 自分はきっと重大ななにかが欠けている人間なのだ。7歳のスザンヌはその事実を受け止めきれずに、本の世界にますます没頭した。


 ◇◇


 公爵家に引きこもって三年が過ぎた。

 なんの代わり映えもしない日々の中で突然、王妃からスザンヌ宛に招待状が届いた。

 ロッセッティ公爵家はにわかに緊張感に包まれた。


「王妃殿下から? 個人的なお茶会? 母親なのに同席してはいけないの?」


「内密な話でスザンヌだけで、と書かれている。しかも陛下には内緒で動いている気配もする……」


「部屋の前まで俺が付いて行きます」


「ああ、頼む。私はすぐに仕事に向かわなければいけないからな。わざと忙しい時期を狙ったとしか思えないな……」


「でも、お兄様も仕事が……」


「側近や護衛は他にもいるけど、スザンヌの兄は俺一人だろう? アルフォンソには先に言付けておくから大丈夫だ。父様よりは融通が利くから」


 兄は口数は少ないけど、スザンヌが聖獣の召喚に失敗しても、婚約が破談になっても相変わらず優しい。

 王宮に向かう馬車の中で、隣に座る兄の袖を掴んだ。その手に兄のごつごつした大きな手が添えられる。幼い頃はうきうきとした気分で向かった王宮が、やけに遠くに感じた。


 王妃殿下は、この国の王侯貴族で唯一、聖獣を持たなくても許される存在。

 東に位置する隣国の王女なので、元々、聖獣は持っていない。西の隣国への牽制と近親婚が続いた王家に新しい血を入れるための政略結婚だが、嫁入りの時には賛否両論あったらしい。第一王子のアルフォンソが無事、立太子して結婚し子供に恵まれたことで、やっと肩の荷が下りたのかもしれない。


「あのね、わたくし二人が婚約したらいいと思うの」


 まるで少女のようなあどけない雰囲気の王妃は開口一番、とんでもないことを言い出した。

 王妃の隣に座る第二王子の目が真ん丸に見開いていることから、彼女の独断のようだ。

 三人だけのプライベートなお茶会だが、侍女や護衛は下げられずに控えている。侍る者に動揺はない。


「母上、わかっていますか? スザンヌは聖獣を召喚できなかったのですよ?」


 王子教育の進んでいる優秀な彼は、すぐに表情を取り繕い冷静に意見を述べる。


「わたくしだって、聖獣を持たないわ。それに、アルフォンソとカロリーナちゃんは聖獣に頼らない国造りを目指している。王族のあなたが聖獣差別を撤廃していかなければいけないでしょう?」


 スザンヌを抜きに始まった親子の会話に口を挟むこともできない。


「それは……言いたいことはわかりますが……」


 スザンヌを拒むように顔が歪む。

 かつては、王宮に来るとはじけるような笑顔で迎えてくれたのに。


 第二王子の肩には、かわいらしいシマリス。

 傍に侍る護衛には馬。侍女の肩にはうさぎ。

 スザンヌの傍らにはからっぽの空間しかない。人が当たり前に持つものを持たないのが、可視化される。


 風が気持ちのいい季節だからか、王妃の客間の窓は大きく開け放たれている。

 だけどスザンヌには空気が重く感じられて、息苦しくて仕方なかった。


「それに、アルフォンソとカロリーナちゃんみたいに奇跡が起こるかもしれないじゃない!」

 

 胸の前で両手を組み、どこか不自然に声を弾ませる王妃。にこやかな表情とは別に、目には焦燥感が現れていて光を失っている。


 きっと自分の生んだ二人の王子が、小型動物しか召喚できなかったことで、多少なりとも追い詰められているのだろう。


 立太子して結婚した第一王子アルフォンソの召喚聖獣はハムスターだが、伴侶のカロリーナは始祖の王が召喚したといわれる不死鳥を従えている。王族の血も入っているカロリーナの尽力で、アルフォンソは次期王として認められたのだ。


 やっと、第一王子の問題が片付いたところで、年の離れた第二王子が召喚したのはシマリス。

 王太子であるアルフォンソには厳しくしたけど、彼にはだいぶ甘いと聞く。王になるわけではないが、王族に籍を連ねるものとして、なんとか箔をつけ、将来への道筋を作ってあげたいのだろう。


 気持ちはわかるが、そこにスザンヌを巻き込まないでほしい。


「奇跡なんて早々起こらない! 母上、目を覚ましてください! 僕らに兄様達みたいな強い気持ちがあるわけじゃない。僕はスザンヌと婚約するのは嫌だ! 僕の聖獣になにかあったらどうするんですか!」


 王太子のアルフォンソがハムスターを召喚した時に、王太子妃のカロリーナの提案で聖獣を入れ替えた。聖獣を入れ替えたせいでカロリーナは体の成長が止まり、周りからも婚約者失格だと白い目で見られたという。

 聖獣を交換した十年の間に、アルフォンソは血のにじむような努力をした。聖獣がハムスターでも王として相応しいと皆に示すために。

 そして十七歳の成人の儀式で、本当の聖獣を公表し、聖獣が本来の召喚主の元に戻ったことでカロリーナの体も戻り、見事な聖獣魔法を披露して未来の王と王妃にふさわしいと示した。


 王国でも有名な真実の愛の物語。

 それをなぞりたい気持ちはわかる。


 しかし、召喚聖獣のいないスザンヌとシマリスを召喚した第二王子。

 幼い頃に、多少の交流はあったけど、アルフォンソとカロリーナのようなお互いを大事に思うような深い絆はない。

 どこをどう転がしても奇跡なんて起こらない。


 彼が取り繕うこともせず、叫ぶのも仕方がない。

 彼なりに召喚した聖獣が小型動物であることに悩んで、自分の将来に対し不安に駆られているのだろう。

 そんなデリケートな問題に夢見がちな解決策を突きつけられたら、激昂するのも仕方がないのかもしれない。王族だけど、彼はまだ十歳だ。巻き込まれているスザンヌも。


「……そう」


 それだけ言うと、王妃は幽鬼のような様子でぼんやりと立ち上がり席を辞した。

 第二王子もまるでスザンヌが存在しないかのように、目も合わさず立ち去った。


 あとには冷めた紅茶とスザンヌだけが取り残された。気付くと、握りしめたドレスが皺になっている。


 ――スザンヌは不吉で忌み嫌われる存在。


 王妃の起こした茶番のせいで、その事実を再度、突きつけられた。


 第二王子は母親譲りの美しい金の髪と顔立ち、父親譲りのスーファニア・ブルーの瞳を持つ。まるで絵本に出てくる王子様のようだと初恋のような憧れの気持ちがあった。


 今でも、その絵本はお気に入りで、繰り返し読んでいる。


 スザンヌは大らかでどこかのんきだ。

 家に籠りながらも、かすかな希望を持っていた。


 心のどこかで、こんな自分を理解してくれる友達や優しく手を差し伸べてくれる王子様が現れるんじゃないかって、奇跡が起こるんじゃないかって思っていたんだと思う。


 彼のあの顔。

 まるで絵本に出てくる悪役の怪物でも見ているような、怯えた目をしていた。


 ほのかな希望を持っていた自分を、ぶちのめしてやりたい。

 自分は王妃と同じくらい甘ちゃんで、ありもしない夢を見ていたのだ。


 スザンヌに奇跡なんて起きない。もう、どうにもならない。

 聖獣の召喚に失敗したのは、それほど罪なこと。聖獣のいない自分に価値などない。

 

「スザンヌちゃん!」


 どこから連絡がいったのか、王太子妃のカロリーナが来た。王太子とその側近で護衛である兄も一緒だ。


 王族の中で、態度が変わらなかったのは王太子とカロリーナだけだった。

 聖獣召喚の儀式に失敗した後、駆け寄って来てずっと手を握ってくれていた。

 それでも、今は会いたくなかった。


「ごめんなさい。王妃殿下に何を言われたの?」


 王妃殿下に侍る者は忠誠心が深く、口が固いらしい。

 きっと早々に、兄に迎えに来るよう連絡がきたことで異変を察したカロリーナが突撃してきたのだろう。


「……」


 カロリーナは心の底から心配してくれている。家族と同様、聖獣を召喚できなかったスザンヌを恐れることなく触れてくる。その左肩には、燦然と輝く不死鳥がいる。真っ赤な胴体に羽だけ虹色をしている幻の生物。


 ――うらやましい。


 不死鳥ほどじゃなくても、小型動物でも虫でもなんでもいいから、なにか召喚できたらよかったのに。

 そうしたら……。


 カロリーナは聖獣優位なこの国の思想を替えようとがんばっている。

 でも、カロリーナの聖獣が最強生物の不死鳥。聖獣による差別の撤廃を訴えても、どこか空々しい部分がある。その矛盾に苦しんでいる。

 それは、わかっているけれど。

 理知的で優しい彼女にも、今のスザンヌの惨めな気持ちを打ち明けることはできなかった。

 

 みんなが当たり前に持つ者をスザンヌは持たない。

 なにもなくてもいいよと言ってくれるのは家族だけで、間違っても絵本の王子様のような人なんて現れない。

 もう、夢なんて見ない。希望は持たない。

 そんな権利はスザンヌにはないということが、今日はよくわかった。


「特になにも、言われていません。王妃殿下にお茶に招待されたのですが、体調を崩されたようです。私も失礼します」


 不死鳥がなにもかもを見透かすような目でこちらを見る。その目をまっすぐに見返した。カロリーナとスザンヌの間を分かつように、風が吹き抜けていった。


 ◇◇


 十四歳になったスザンヌは貴族の通う学園に通い始めた。


 両親や兄は、学園に通わなくてもいいと言ってくれた。でも、この国で公爵家の娘として生きていきたかったら、卒業するしかない。歯を食いしばって三年間耐えるだけだ。


 教室でも食堂でも、スザンヌの席の周りはぽっかりと不自然に空いていた。もちろん、話しかける人もいない。

 

 なるべく人を避けるようにしているけど、廊下などで人と肩が触れ合ってしまうことがある。相手は不快そうな顔をして、無言で距離を取る。スザンヌも謝罪もせずに離れる。


「嫌だ。触れちゃった」

「近寄ったら穢れるわよ。気を付けなさいよ」

「聖獣が消されるかもしれないわよ」


 小声で交わされる会話を耳が拾ってしまう。


 学園に入学してもスザンヌの扱いは変わらない。直接暴力を振るわれたり、なにかを言われたりすることはない。まるで死病を持った病人のように忌避され、ただ遠巻きに噂されるだけだ。


 授業を受けて、食堂で食事を取り、授業後には図書室でさっと本を借りて早々に帰宅する。そんな日々を繰り返す。


 授業後や、休みの日には神殿に出かける。

 十歳の頃に王妃に呼び出された時に知り合った王太子妃のカロリーナが声をかけてくれたからだ。


 神殿で神官見習いの服に身を包み、祈りを捧げ、神殿を清め、雑用をこなす。


 神殿に併設されている養護施設には、親がいない子供だけではなく、聖獣関連で保護されている子供もいた。

 庶子が正妻の子より強い聖獣を召喚したり、高位貴族なのに弱い聖獣しか召喚できなかったり。そういった事情で虐待されたり、育児放棄されたりした子供をカロリーナ様は率先して保護していた。


 手伝いをしながら、召喚聖獣がいないのに態度の変わらなかった家族がいるスザンヌは恵まれているのだと思った。


 神殿は開放的な造りで、外からの風がよく通る気持ちのいい場所だ。

 学園と神殿を往復する毎日。それでも、ここでは息がしやすい気がした。


 仕事の合間に、神殿の最上階にある部屋の石造りの窓に腰掛ける。

 そこからは、街の景色が一望できた。いつも心地よい風が吹いている。


 スザンヌは、結婚も仕事をすることもできないだろう。


 いくら王族が聖獣差別を撤廃しようとしても、まだ世間の目は冷たい。

 王宮で侍女や文官として働くことはもちろん、家庭教師なども嫌がられるだろう。


 貴族は伴侶としてスザンヌを絶対に選ばない。正妻としても愛人としても。

自分の聖獣にどんな悪影響があるかわからないし、生まれた子供が聖獣を召喚できなかったら大変だ。それに、聖獣に悪影響があるリスクを乗り越えてでも、愛人にするほどの魅力もない。


 家族はいいと言ってくれているが、公爵家にこのまま居座るわけにはいかない。兄の婚約者の座は未だに空席だ。スザンヌが家を出ないと公爵家の血が途絶える。


 きっと、神殿入りするしかない……。

 自分の未来に、小さなため息が漏れる。


 なにか出来ないか必死だった。

 聖獣のいない自分を埋めたかったのかもしれない。

 誰かの役に立ちたい。人から求められたい。

 ちゃんと生きていていいって、この国にいていいって証明したかったのかもしれない。


 熱心に祈り、静かに働くスザンヌを、神殿の人々は受け入れてくれた。


 それで十分じゃないか。

 スザンヌは頭を一振りすると、仕事に戻るために立ち上がった。


 ◇◇


「いいなぁ……」


 もう、他人の聖獣を見てもうらやましいって気持ちは湧いてこないと思ったのに。


 聖獣魔法の実習時間。

 合同授業なため同じ学年の者が一堂に会している。広大な演習場で召喚聖獣の種類に分かれて演習をしているところだ。


 幼い頃から擦り切れるくらい見た聖獣図鑑。今も手の中に持っているこれが、聖獣への未練を現しているのかもしれない。王子様が出てくる絵本は公爵家の書庫に封印したというのに。


 この図鑑に載っている聖獣達が目の前にいる。近くでじっと見ていると嫌がられるので、遠くからそっと気配を消して見学している。


 肩に乗るネズミやうさぎやリスやきつね。

 傍らにいるライオンや豹や馬。


 この国に生まれた貴族なら、聖獣がいるのは当たり前で、自分を理解し共に戦ってくれる存在がうらやましくて仕方ない。


 ふいに、ぽっかりと空いている自分の両肩が虚しくなって、スザンヌは演習場を後にした。あてもなく歩いていると学舎の外れにある裏庭にたどり着いた。


 校舎の間にある中庭と違って、どこか寂れた雰囲気だ。

 中庭は雨風を通さず日の光だけを通すような魔道具が設置され、快適に保たれているし、季節の花が咲き乱れて美しく整えられている。それに対して、裏庭は雨風がしのげないし、景観も整っていないのであまり人気のない場所だ。


 今のスザンヌには裏庭がしっくりくる。

 大きな木の根元で、根の上に腰を下ろして本を広げた。スザンヌを歓迎するように、木の葉が揺れた。


「先客がいるのか……」


 低い声が落とされて顔を上げると、長身の男子生徒が立っていた。端正な顔立ちを台無しにするように、眉間に深い皺が刻まれている。


 同じ学年の生徒が聖獣魔法の実習時間に、こんな場所に来ることはない。彼は違う学年なのかもしれない。よく見ると、肩にも傍にも聖獣の姿がなくて、スザンヌは目を瞬かせた。聖獣召喚に失敗した人が他にもいたら、耳に入るはずだけど。


「あの、私、気配を消すのが得意で……。話しかけないので大丈夫ですよ」


 彼はしばらく思案顔でスザンヌの顔を見ていた。

 なんとなくいたたまれなくなって、立ち去ろうかと思った瞬間に彼が口を開いた。


「ふーん。まぁせっかく見つけた場所だし。じゃ、お互い干渉しないってことで」


 そう言うと、スザンヌのすぐそばの芝生の上で寝っ転がった。確かに日陰は大木の陰になるこの場所しかない。

 彼について気になる事は色々ある。それでも約束通り、彼から意識を外してスザンヌは再び本に目を落とした。


 しばらくすると、視界でなにか動くものがあることに気づいた。

 あれは、なーに?

 スザンヌの好奇心がむくむくと湧いてきた。

 彼の耳の辺りに、似合わない黒いモコモコした物体がある。

 髪飾りかイヤカフなどのアクセサリーの類だろうか?

 それにしては、なにやらモゾモゾと動いている気がする。


「……毛虫?」


 スザンヌのつぶやきを拾った彼の目がぱちっと開いた。瞳の色は、空よりも深いサファイア・ブルー。


「毛虫じゃねーよ。話しかけないって、約束じゃなかった?」


 上半身を起こして、気怠げに髪をかき混ぜる。

 

「ごめんなさい。独り言。ねぇ、毛虫じゃないなら、それはペット? それとも聖獣?」


 ぶっきらぼうだけど、怒りの気配はないことに勇気づけられて、つい質問してしまう。


「いちおう聖獣。なんなのかはわからない」


 ふはっと空気が漏れるような音を出して、彼が笑った。


「話しかけてんじゃん」


 とたんに近寄りがたい雰囲気が霧散して、空気が和らいだ。


「ごめん、だめかな?」


「今更。いいよ。なんか、君おもしろいし」


 そう言うと見定めるように、スザンヌをじっと見つめてくる。

 長い前髪の向こうに深い青の瞳がある。スザンヌより透き通った白さを持つ肌に、よく見ると青みがかっている黒髪が映える。鼻筋もきれいに通っているし、薄い唇の形も整っている。かなりの美形かもしれない。


 黒髪黒目で鋭利な雰囲気を持つ兄とどこか似ていた。

 だから、気安かったのかもしれない。額の間に皺が寄っていても。


 スザンヌもせめて彼くらい美しかったら、愛人にしてやろうって人がいたかもしれない。よくあるこげ茶の髪とぼんやりした緑の瞳の色の平凡な容姿じゃなかったら。


 スザンヌは美人ではないけど家族は皆、美形だ。美しさに免疫のあるスザンヌが気になるのは、彼より不思議な黒いモコモコの聖獣。


「触ってもいい?」


「俺の顔より聖獣なの?」


「顔? 大丈夫。寝ていたみたいだけど、寝ぐせもヨダレの跡もついていないよ。それより触っていい?」


 また、ふはって笑った。怖そうだけど、実は笑い上戸なのかもしれない。


「この訳分からない物体、怖くないのかよ」


「うん。あー……それより、私、聖獣召喚できなくて、あなたの聖獣に悪影響があるかもしれなくて……、その……」


 不思議な聖獣に興味を惹かれて、つい忘れていたけど、スザンヌは聖獣に害を及ぼすかもしれない存在だった。


「気にしない。聖獣なんてさ、訳分からないじゃん。そもそも。いつかみんな召喚できなくなったり、聖獣が消えたり、なんてことがあっても不思議じゃないだろ? 俺にはあんまり重要じゃないし。こんな中途半端な聖獣がいるせいで、家を追い出されたし……」


 彼から与えられた情報が、処理できなくてスザンヌは彼をまじまじと見た。

 

「あ、しゃべりすぎた。なんか、調子狂うな。触れるなら、触っていいよ」


 彼が耳元から黒いモコモコを摘まむと、手のひらの上に載せて差し出してくれた。


「ありがとう。触るね? よしよし」


 せっかく彼が差し出してくれたので、不思議な聖獣を指先でそっとなでる。

 黒いモコモコはゆっくりとした動きでスザンヌの指先を這い上がり、手の甲に収まった。


「かわいい! あったかいんだねぇ。重さもあって……」


 初めて聖獣と触れ合ったスザンヌから感嘆の声が上がる。


「かわいいか? ただの黒い毛むくじゃらで目も口もないじゃん」


 確かに彼の言うように、目も口も耳もなくて動物のカタチをしていない。それに虫かと思うくらい小さい。


「そいつがいるせいで、こっちは苦労してるんだけどな……」


 苦笑いする彼に、スザンヌから笑いがこぼれた。

 

 学園でもずっと一人ぼっちだと思っていた。

 スザンヌはもう、期待することを止めていた。

 なのに、留学生のジルヴェスター・キルヒシュラーガーとの出会いで、灰色だった毎日に色が付いた。


 ◇◇


「仕方なく、だ」


「ん?」


「そいつが君に懐いているから、仕方なくだ。一緒にいるのは」


「ふふふっ。わかっているよ」


 すっかりスザンヌに懐いてしまった彼の黒いモコモコの聖獣をなでる。

 聖獣の定位置はなぜかスザンヌの左肩だ。スザンヌがくつろいでいると、頭をハムハム甘噛みされるのもいつものこと。


 ジルヴェスターとの出会いから三ヵ月。

 学園ではクラスが同じだということもあり、ほとんど行動を共にしている。


 彼もスザンヌと同じくクラスメイトから遠巻きにされていた。

 彼の出身は、数年前、聖獣を詐称した事件に関わっていると言われる西の魔法大国だ。聖獣を神聖視するこの国の貴族は、事件を覚えていて彼の国に忌避感がある。

 さらに半分だけこの国の血が入っていて、召喚の儀式をせずに召喚された中途半端な聖獣がいるのも、彼が避けられる理由の一つだ。

 だから大国の侯爵令息であるにも関わらず、近寄る者はいないらしい。彼が不愛想でどこか人を寄せ付けない不機嫌なオーラを放っているせいもあるかもしれない。


 聖獣の大きさや種別で振り分けられるクラス分けで、同じ最下位のクラスに所属しているが、スザンヌは彼の存在に気づいていなかった。彼がほとんど授業をさぼっていて教室にいなかったせいだ。スザンヌがあまり周りを見ないようにしているせいもあるかもしれない。


 ジルヴェスターの聖獣も中途半端だが、彼がぽつりぽつりと語ってくれた話を聞くと、彼がどこか辛辣で、人を寄せ付けない雰囲気なのも仕方がないと思えた。


 ジルヴェスターの母親はこの国の貴族令嬢で、旅行に来ていた侯爵家当主が遊びで手を出して孕ませた。生まれた後にもて余され、生家の伯爵家によって侯爵家へと送られた。


 西の隣国にいて、聖獣召喚の儀式をしていないのに、八歳の頃に黒いモコモコが出現したらしい。

 初めはゴミなのかと思われたが、捨てても捨てても彼の頭に戻って来る。

 侯爵家でも呪いなのか魔法なのかと物議をかもしたが、それは彼の成長とともに少しずつ大きくなり、恐らく聖獣ではないかという結論に達した。


 そして、自分を捨てた母親のいる国に留学という名目で放り出された。貴族の通う学園を卒業して、成人の儀式をし、できればこちらの国に根付いて暮らしてほしいと言われて。

 実の母親は別の貴族家に後妻として入っており、彼のことは思い出したくもないという。隣国の侯爵家は金だけは出してくれているが、長期休暇も帰ることも許されていない。

 母親の実家も、彼の聖獣が中途半端であることを知ると縁を切ると宣言したそうだ。


 その話を聞いて、スザンヌに言えることはなにもなかった。ただひたすら、彼の黒いモコモコの聖獣をなで続けた。


 なにか一つでも違っていたら令息や令嬢が、群がっていたと思う。

 とても優秀で魔法も上手に扱えるし、外見も整っているのに。


 婚約者でもない二人が始終一緒にいることに、皆思うところはあるようだ。

 しかし聖獣のいないスザンヌと、歪な聖獣を持つジルヴェスターは腫れもののように扱われているから、その存在ごと無視されていた。


「スーって呼んでいい? スーも、ジルって呼んでほしい。ジルヴェスターって長いし、発音しにくいから」


 今日の予定でも告げるように淡々とした口調で告げられて、スザンヌはぽかんとした。


 ジルヴェスターは今までスザンヌの名を呼んだことすらない。いつも、君と言われていた。だからスザンヌもジルヴェスターの名前を呼んだことはない。なのに、名前呼びをすっとばして、愛称とは。

 

「……ダメか?」


 長いまつげを伏せて、せつなげにこちらを見つめてくるジルヴェスター。

 いつもはスザンヌの肩に乗って来る黒いモコモコも彼の肩で、なにかを訴えるようにこちらを見つめている。目はないくせに、そんな雰囲気を醸し出している。


 好ましいと思っている令息と、かわいい黒いモコモコ。

 断れる女なんていないよね?


「……うん」


 彼との距離が近づくほど、彼と離れる時辛くなるのに。

 スザンヌは彼の提案を受け入れた。


 ◇◇


「うーん、なんかカワウソっぽくない?」


「それにしては毛が長すぎないか?」


 聖獣魔法の実習時間はいつも二人揃ってさぼって、裏庭に来ている。


 聖獣がいないスザンヌがさぼるのはいいけど、ジルヴェスターがそれにつきあう必要はないと言ったことがある。


『俺はこの国に居つく気はないし、成人の儀式とか聖獣魔法とかどーでもいいから。スーと一緒に勉強とか魔法の練習しているほうがよっぽど有意義だよ』と返されたので、それ以降は暗黙の了解で、二人で過ごしている。


 いつもは勉強をしたり、魔法の練習をしたりしているが、今日は二人肩を並べて、ボロボロになったスザンヌの聖獣図鑑を見ている。


 ジルヴェスターの黒いモコモコの聖獣は、初めて会ったときは目も口も耳もなかったのに、いつのまにか動物のような風貌に成長していた。

 相変わらずスザンヌにべったりで、頭を食む所は変わっていないけど。


「でも、ぜったい大きくなったよね」


「それは間違いない」


 初めて会った時は、親指大だった。半年経った頃にはこぶし大になっていた。一年が経ち、今ではスザンヌの腕一本分くらいのサイズになっていた。


「むー」


「「?!」」


 動物の鳴き声というよりは、赤ちゃんがしゃべるような声がした。

 思わずスザンヌの肩にいる黒いモコモコを見る。


「今、鳴いた?」


「聖獣が鳴くなんて聞いたことないぞ」


「むーむー」


「むー? なんて言ってるのかな」


「むーむー」


 不思議な鳴き声を上げながら、スザンヌの頬にふわふわの体を摺り寄せる。


「ほら、むー。行くぞ。あんまりスーにべたべたするな」


 少し不機嫌そうな顔で、ジルヴェスターが黒いモコモコの首元を摘まんで、スザンヌから引きはがす。


「え? 名前にするの? 儀式の前に名前つけちゃっていいの?」


「この国のやり方とか儀式なんてくそくらえだよ。むーむー言ってるから、それが名前でいーだろ」


「えー適当! ……でも、むー君か。なんかかわいいかも」


 ジルヴェスターは両手で、カワウソのような生物に進化した聖獣をもて遊んでいる。


「やだなぁ、儀式」


 学園を卒業した後に行われる成人の儀式。

 その儀式で、王族や並みいる貴族達の前で自分の召喚した聖獣に名前を付け、聖獣と作り上げた唯一無二の聖獣魔法を披露する。

 決定的に自分がだめな人間だとわかる日。

 みんなは自分と聖獣の絆を確実なものとし、一皮むけるその日が、怖い。

 自分には聖獣がいないからっぽな人間で、なんの価値もないって突きつけられる日。


「聖獣なんていない国に行きたい」


 成人の儀式も嫌だけど、学園を卒業することを考えると気が重くなる。

 ジルヴェスターと聖獣のむー君のせいで、スザンヌは卒業を迎える日が憂鬱で仕方ない。

 授業後はジルヴェスターと過ごすようになったけど、休日には神殿に通っているし、神官の資格も取った。

 これは束の間の幸せだ。


「一緒に、行くか?」


「え?」


 思いのほか近くにあるジルヴェスターの空より深い青色の瞳を見つめる。


「スーは語学もできるし勉強もできるし、マナーも身に付いている。聖獣魔法以外のことをがんばってるじゃないか。基本属性の魔法も全部使えるようになったし」


「でも、むー君も立派になったし、ジルこそ、どこでも生きて行けるじゃない。披露する聖獣魔法によっては、この国で後ろ盾になってくれる貴族もいるかもしれないし、王宮で働けるかもしれないよ」


「俺はこの国に居つく気はないし、祖国にも帰らない。スーも、この国から出て行くことを真剣に考えてもいいんじゃないか?」


「でも、カロリーナ様に善くしてもらったのに……。それに家族と離れるのも……」


「このままだと、神殿で手伝いをするっていう飼い殺しみたいな状態になるだけじゃないか。あと、兄がいずれ結婚したら、肩身が狭くなるんじゃないか? 他の国なら、貴族令嬢でも働けるかもしれないし、結婚だってできるだろう。人生は長い。結婚も仕事もせず、神殿でずっと暮らす。スーは、それで本当にいいのか?」


「……」


「俺と一緒に行かないとしても考えてみろよ。スーがそうしたいなら、祖国か祖母の国なら伝手がある」


「わかった。真剣に考えてみる」


 自分さえ諦めてしまった未来をジルヴェスターが考えてくれたことで、スザンヌはもう一度、自分の将来に向き合ってみることにした。


 ジルヴェスターに助言されてから、学園の図書館や公爵家の書庫にこもって近隣の国について調べた。調べ始めると、スザンヌは子供の頃のようなわくわくする気持ちを思い出した。

 本来スザンヌは好奇心旺盛で、外を駆け回るのが好きだった。新しいものや人に出会いたい。自分の力を試したい。そんな気持ちが溢れてきた。


 ◇◇


「近寄るな! わざとか!」


 どこか気持ちが浮足だっていたせいかもしれない。

 授業後にジルヴェスターと待ち合わせしていた図書室へ向かう途中に、人とぶつかってしまった。

 相手を見て、スザンヌは顔を青ざめさせる。 


「母上の言葉を真に受けて偶然を装って、近寄って来たんじゃないだろうな?」


 久々に会った第二王子は身長が伸びて中性的な美しさを花開かせていた。残念ながら、体が成長しても、中身は変わっていないらしい。


 第二王子も学園に通っていて、同じ学年だがクラスは違う。

 本来なら小型聖獣持ちの彼は最下位のクラスのはずだが、なにかの力が働いたのか最上位のクラスに在籍している。

 

 品行方正で優秀だと噂の第二王子は、聖獣のことになると理性が吹き飛ぶようだ。左肩に乗るシマリスをかばう手は震えている。かなりコンプレックスは深いようだ。


「一人、男を篭絡できたから調子に乗っているんじゃないですか?」


 第二王子の取り巻きの一人が、扇の向こうからスザンヌに侮蔑の視線を投げかける。傍らには、澄ました顔をした狼が控えている。


「ああ、あの不気味な黒い物体を召喚した男か。本人も半端者で、聖獣も半端な奴か……」

「彼は他国にいたから、あんな歪なものを召喚したのでしょう。いやね、不吉だわ」

「ある意味お似合いじゃなくて? 不吉な者同士仲良くしておとなしくしてくれるならいいんじゃない? やけになって事件を起こされたらたまらないわ」

「わたくし達の聖獣になにもしなければいいんだけど。聖獣がいないとか、奇形だなんて、想像もできないわ!」

 

 普段はスザンヌの存在など無視しているのに、ジルヴェスターと楽しそうに過ごしているのが気に食わないのか、第二王子がいて気が大きくなっているのか、取り巻き達が珍しく絡んできた。


 自分のことを言われるのは慣れている。でも、ジルヴェスターを貶められるのには我慢できなかった。


「殿下にぶつかってしまったのは私の不注意でした。申し訳ありません。でも、ジルヴェスターへの発言は取り消してください!」


 今まで、大人しくしていて無言を貫いていたスザンヌが叫ぶように言うと、場が静まり返った。


 次の瞬間、スザンヌの喉元に狼の大きく開いた口が迫っていた。

 鋭い牙に、歯と歯の間に滴る涎。


「……!!」


 スザンヌは無様に後ろに倒れ込んだ。

 床に体を打ち付けるかと思ったけど、ふわりとなにかに包まれる感触があって、倒れ込むことはなかった。

 聖獣を人を攻撃することには使えない。わかっていても、迫る牙に体の震えが止まらない。


 「殿下の御身、いつでもお守りいたしますわ」


 まるで正義のヒーローのように勝ち誇ったように宣言する令嬢。


「ありがとう。大丈夫だ。二人が問題を起こさないよう、学園側に監視するよう王家からも通達している。安心して学園生活を送って欲しい」


 スザンヌなどまるでそこに存在しないかのように、第二王子一行はその場を後にした。未だ震えて、床に座り込んだスザンヌをそのままにして。


 しばらく呼吸を整え、制服のスカートについた土埃を掃う。

 早く行かないと。

 ジルヴェスターが待っている。


 まだ震える足を叱咤して、図書室へ向かう。

 人気の少ない一角で静かに本を読む彼を見て、ほっとする。

 引きつる頬を両手で緩めるように、もみほぐす。


「ジル、今日はなにを読んでいるの?」


 顔を見られないように背後から近づく。


「スー、これ」


 ジルヴェスターから小さな包みを渡される。

 開けてみると、チョコレートがひとかけら入っていた。

 ジルヴェスターは顔に合わず、甘党だ。いつもチョコレートやキャンディを忍ばせている。

 

 スザンヌはそのまま、チョコレートを口に入れた。

 図書館は飲食禁止だから、こっそりと。

 

「おいしい……」


 ミルクチョコレートの優しい甘さがじんわり広がる。涙が出てきて、彼にバレないようにそっとぬぐった。


「スーの髪の毛もおいしそうだよね。こげ茶で艶々していて」


 なんの変哲もないスザンヌのこげ茶色の毛先を、指先でくるくるともてあそんでいる。

 ジルヴェスターの指先から、スザンヌの髪を伝ってむー君が首元までやってきて、頬にすり寄る。


 からっぽだったスザンヌをジルヴェスターとむー君は、あたたかい何かで満たしていってくれる。


 第二王子やその取り巻きよりひどいのはスザンヌなのかもしれない。

 スザンヌといることで、彼らが酷いことを言われても、離れることは考えられなかった。それが卒業までの間だったとしても。

 

 ◇◇


「聖獣魔法一辺倒って、すごい怖いことだけど。大丈夫なのかな、頭」


 魔法大国で育ったジルヴェスターにはこの国の聖獣魔法への思いの強さに、違和感があるのかもしれない。


 卒業と成人の儀式が迫って来て、今日は聖獣魔法についての座学の授業があった。授業が全て終わった後の人のいない教室に、ジルヴェスターのあきれたような声が響く。


「カロリーナ様も言っていたかも……」


 数年前、魔道具で聖獣をネズミからフェンリルに偽っていた男爵令嬢は聖獣魔法を披露する場で、普通の魔法を披露した。それを見抜ける者は誰もいなかったという。

 要するに聖獣魔法も普通の魔法も変わらないものだということだろう。

 王太子妃のカロリーナは、聖獣魔法も大事だが魔法も同じくらい鍛錬してほしいと思っていて、学園でも聖獣魔法の実習時間を削り、魔法の授業時間を増やしたという。


「聖獣だけで人の価値を計るなんてバカバカしい。見る目ないよな? まぁ、でも、そのおかげで……」


「うん? そうだね……」


 曖昧な返事をするだけで、その真意は聞けない。

 彼がスザンヌを評価しているのは、きっと毛玉のような聖獣を厭わないとか、話しやすいとかそんな意味合いだろう。


「ジルは基本属性の魔法以外にも使えるんだよね?」


「うん。闇魔法」


 火・水・風・土などの基本属性の魔法は誰でも使えるが、光や闇といった特殊魔法は生まれつきの素質がないと使えない。


「かっこいいなー。聖獣も髪の毛も黒だし、それっぽいね」


「……スーは変わってるよな」


 眩しいものを見るような目でスザンヌを見て、その手がなんの変哲もないふわふわのこげ茶の髪に触れて離れていった。


「そろそろ練習しに行く? ジルは基本属性の魔法は全部マスターしてるんだよね?」


 気持ちを切り替えるように、話題を変える。


「まぁ、腐っても魔法大国育ちだから」


「私なんて、得意なのが風魔法なくらいで……」


 スーが発動させた魔法で生じた風が、窓の外にある木々を揺らす。


「スーの魔法のがすごい」


「どこが?」


「爽やかな気持ちになる」


「爽やか? それってすごいの?」


「うん。嫌な気持ちとかもやもやした気持ちが全部、優しく薙ぎ払われる。人を攻撃しようとか一つも思ってない」


「うん。そうだったら、すごいね。そうだったら、いいなぁ……」


 地の底まで落ちた自尊心を、くるんでくれるようなジルヴェスターの言葉。優しいのは彼の方だ。


「あの、キルヒシュラーガー侯爵令息様」


 その時、教室の入り口からクラスの取りまとめをしている令息が顔を出した。走って来たのか顔色が悪い。


「担任の教師が、進路のことで話があると……」


「ん……ああ」


「待ってるから行ってきて」


 渋々立ち上がったジルヴェスターに、スザンヌの肩口にいるむー君は動く様子はない。


 むー君の柔らかい毛をなでながら、窓の外でそよぐ木々を眺める。


 まだ進路は決めていない。神官の資格は取ったけど、国外に出る選択肢を真剣に考えている。

 カロリーナ様と家族には伝えてある。卒業するまでに慌てて決めなくていいと言われている。時間がかかってもいいから、きちんと考えて選ぶようにと。


 ジルヴェスターとは一緒にいられないかもしれない。でもいつかスザンヌが自立したら、再会できるかもしれない。連絡先だけはちゃんと聞いておこう。


 もう卒業も成人の儀式も怖くない。どこか浮かれた気持ちで窓の外の空を見上げた。


 そこへ複数の足音がする。

 誰か忘れ物でも取りに来たのかと、顔を上げるとそこには違うクラスの高位貴族の令息がいた。


「スザンヌ」


 親しくもないのに、名前を呼びかけられて席を立った。出口を確認すると取り巻きの令息達に塞がれている。

 つかつかと近寄って来る男から逃げるようにすると簡単に壁際まで追い詰められる。


「逃げるなよ。昔は仲よく遊んだ仲だろう?」


 壁と彼に挟まれて、スザンヌは恐怖で身を固くした。

 確か幼い頃、王宮で一緒に勉強したり遊んだりした記憶がおぼろげにある。


「もうすぐ卒業だろ? お前はどうせ神殿に入るしか道がないんだろう?」


 声を上げなければと思うのに、喉が詰まったようになって、ただ首を横に振る事しかできない。

 スザンヌは無視されることには慣れていたけど、直接なにかを仕掛けられることに慣れていなかった。


「俺のところに来いよ。聖獣も呼べないお前を愛人にしてやるっていうんだからいい話だろう?」


 彼の手がスザンヌに伸びた瞬間、強い風が吹いて、彼が後ろに倒れ込む。


「ちっ。おい、窓を閉めろ!」


 出口にいた令息達が教室内に入り、バタバタと窓を閉めている。


「やっぱり、止めた方がいいんじゃないですか……。せっかくライオンを召喚できたのに。呪われるかもしれませんよ」


 令息達の一人が彼を助け起こしながら、小声で言う。


「そりゃ、不吉だけどさ。諦めるには惜しいだろ。顔と体は好みなんだよ」


 起き上がった彼から舐めるように全身を見られて、ぞっとする。

 じりじり近寄って来る彼と出口を見比べる。

 主人の内面を現すように、グルグルとヨダレを垂らして唸っているライオンの聖獣が怖い。この前、首元に迫った狼を思い出して身が竦む。


「どうせ、あの留学生とよろしくやっているんだろう。味見させろよ」


 逃げ出したスザンヌに、彼の腕が迫る。緊張から足がもつれて転んでしまった。


「むー君、助けて!!」


 やっと絞り出せたのは、情けないほど小さい声。

 その声に応えるように、肩に乗ったむー君の小さな口から黒い炎が吐き出された。

 それが迫って来ていた彼とライオンの聖獣を飲み込む。取り巻きの令息達から悲鳴が上がる。


「なんで、俺じゃなくて、こいつを呼ぶんだよ」


 床にへたり込むスザンヌを、いつもの体温が包む。


「え? ジル? むー君は何をしたの? 本当に燃やしちゃったの? この人、大丈夫?」


「物理的には大丈夫だけど、精神的にもつかなぁ?」


 振り向くと、ジルヴェスターが見たこともない意地悪な顔でにやりと笑う。


 黒い炎はしばらくするとぼんやりとした黒い霧になり、その中から彼とライオンが出てくる。確かにやけどを負っている様子もないし、体に害はなさそうだ。


「ひぃっ!!」スザンヌの背後を見て、彼は悲鳴を上げて、逃げて行った。

 ライオンの聖獣もしっぽを股の間にしまいこんで、主人の後を追う。


 いたずらが成功した子供の様に、くつくつとジルヴェスターが笑っている。

 初めて見る表情に、先ほどまで感じていた恐怖が消えていく。

 床にへたり込んだまま、ジルヴェスターの体温とむー君に頭を甘噛みされる感覚に身をゆだねる。


「あいつもだけど、お前らの家門もわかるから。スザンヌのロッセッティ公爵家から抗議文出すからな。無事、卒業できるのかな? 教師の呼び出しとか工作までして、スザンヌに手を出そうとして許されると思うなよ。聖獣がいなくても、公爵家の大事な令嬢だぞ」


 去り際を逃して、気配を消していた令息達にジルヴェスターが告げる。


「俺、闇魔法も得意なんだよねぇ。次、手を出したら……」


 声にならない悲鳴を上げて、取り巻きの令息達も散って行った。


「スー、大丈夫? ごめん、一人にして」


「うん。怖かったけど、落ち着いた。ジル、助けてくれてありがとう。むー君も」


 スザンヌを労わるように、頬にすり寄るむー君を、よしよしとなでると気持ちも落ち着いてきた。


「それにしても、あれは闇魔法……じゃないよね。いつの間に聖獣魔法を練り上げたの?」


 普通は、聖獣を召喚した子供の頃から自分の霊力を与えて交流を図り、絆を深めるところから始める。信頼関係ができてから、聖獣と協力して発動する独自の聖獣魔法を練り上げていく。

 聖獣魔法を練り上げるには、多大な労力と時間がかかるはずなのだが?

 少なくともスザンヌの前でジルヴェスターとむー君が聖獣魔法の練習をしているのは見たことがない。


「ふふっ。最近、ちょっと思いついてね。成人の儀式、俺と一緒に行こ。こいつの晴れ姿を見てやってよ。完成したんだ。むーと俺の聖獣魔法。どんな魔法かは当日までナイショな」


 見惚れるようなほほ笑みを見せるジルヴェスターの横を、さやかな風が通り抜けていった。


 ◇◇


「全然、緊張してなさそうだねぇ」


 スザンヌの横で、スイーツをパクつくジルヴェスターにあきれた声を出す。

 

「うん。全然。だって失敗したところで、なんの害もないし」


 甘い物が苦手そうな顔をしているのに、皿に盛った小ぶりのケーキがどんどん口の中に吸いこまれていく。このままでは全種類制覇してしまうかもしれない。


「スーの髪やドレスが乱れるから」出された接近禁止令を守って、むー君は大人しくジルヴェスターの頭に乗っかっている。大きくなりすぎて、頭を覆ってしまっていて、前足は頭に添えられ、ちんまりとした後ろ足が肩に乗っている。


 むー君はちゃんと動物に見える。相変わらず毛並みは黒くてふさふさだけど、外側を向いた耳があり、目は小さくてつぶらで、鼻先が長くなったし、口もある。口元がもごもごしているので、ジルヴェスターの頭を甘噛みしているのだろう。


「ふふ。ふふふふっ」


 仏頂面をしたジルヴェスターが、動物の被り物をかぶっているように見える姿で、平然とケーキを食べ続けている。その姿に、スザンヌは笑いが止まらない。


「いつまで笑ってるんだ。ほら、この国はスイーツだけは絶品だから今のうちに食べておかないと」


 ジルヴェスターがスザンヌの好きなケーキを盛った皿を差し出す。

 その皿を受け取り、スザンヌも甘味を楽しむ。


 卒業式が終わり、成人の儀式が始まった。

 今年は第二王子の聖獣魔法のお披露目ということもあり、貴族の観覧者が山ほどいて、盛況なようだ。


 聖獣魔法のお披露目はすでに始まっていて、簡単に摘まめる料理やスイーツが並んでいる一角にほとんど人はいない。

 元々、スザンヌは遠巻きにされているし、さらに異様な様子のジルヴェスターと聖獣のおかげで、二人の周りはぽっかりと空間が空いている。おかげでゆっくりと過ごせる。


 西の魔法大国の侯爵令息であるジルヴェスターはトリを飾る第二王子の前。下位貴族から順に披露するので、順番が来るまで時間がある。

 

 今日のジルヴェスターは、光沢を抑えたこげ茶の三つ揃えで、タイなどの小物は緑色。頭をかじるむー君がいても、その格好良さは損なわれていない。

 スザンヌは家族と選んで用意した、パステルグリーンのドレスに身を包んでいる。


「ジルに一つ、告白していい?」


「ん? いいよ」


 皿に残っていたケーキを平らげると、給仕に自分とスザンヌの使っていた皿とフォークを渡す。


「どうした?」


「私、ジルが……ジルが家族に恵まれてなくて、結果的にこの国に留学してきてくれて良かったなって思ってたの。むー君が中途半端な聖獣で、出身国がちょっと問題を起こした国で、よかったなって。ジルがひねくれてて、不愛想で辛辣で良かったなって思ってたの」


 怖くて隣にある綺麗な青の瞳が、見られない。


「たぶん、時を戻せても、なにか力を持っていても、ジルを救わない。だって、ジルが今のジルじゃなかったら、私と仲良くしてくれなかった、たぶん。ごめんなさい。こんなこと今更」


 スザンヌもなぜ、楽しい気分の時にこんなことを言い出したのかわからない。

 でも、ジルヴェスターが優しくしてくれれば、してくれるほど。自分に気持ちを傾けてくれるほど、もやもやとした罪悪感に押しつぶされそうになっていた。


「スザンヌ」


 名前を呼ばれて、顔を見るといつものように柔らかい表情をしていた。


「お互い様だ。俺だってひどいことを思っていた。スーは綺麗でかわいくて、いい子だから、召喚聖獣がいたら、きっと俺なんて相手にされなかった。一人占めすることができなかった。だから、スーが辛い思いをしていたのは知ってるけど、良かったって思ってる。俺達、すごいシンクロしちゃってるね」


 スザンヌの好きな、ふはっと空気が漏れるような音と片頬だけ上がる笑顔。


「さー、そろそろ出番かな? スーの家族と一緒に近い所で見ていてよ」


 スザンヌをエスコートして、家族の元に連れて行くと、頭に乗せたままのむー君とともに玉座の前に歩き出した。


「ジルヴェスター・キルヒシュラーガー侯爵令息。聖獣の名を呼び、その絆を見せ、聖獣魔法を発動せよ」


 王の声が響くと、ジルヴェスターが一歩前に出る。

 その鋭い眼光と彼が頭に乗せる聖獣に、見物している貴族達が一歩退く。


「了解。むー。……んーとりあえず三分くらいで」


 不敬ともとられかねない簡潔な返事の後、むー君の口から黒い煙が吐き出されて会場を覆った。

 一瞬で目の前が真っ暗になる。場が一瞬にして静まり返る。 

 まるで別の世界に切り離されたかのよう。


 一瞬にも長い時間にも思えた時間の後、ぱっと暗闇が晴れた。

 観衆の反応は様々で、床に這いつくばって荒い息をしている者もいれば、スザンヌのように呆然としている人もいる。


 玉座に目をやると、王妃は崩れ落ちて、髪の毛をかきむしっている。

 第二王子は床に転がり、首元を押さえて泡を吹いてのたうち回っている。


「ヒール、皆の心身を癒せ」


 呆然とする王の代わりに、玉座の前に進み出た王太子のアルフォンソが自身の聖獣魔法を行使する。最弱生物であるハムスターの聖獣と彼は、人々を癒すことができる。


 暗闇に浸された人々に金粉が振りまかれ、それを浴びた者は正気を取り戻し、ほっと息をついている。


「この聖獣魔法は……」


 険しい表情をしたアルフォンソの瞳が、ジルヴェスターを射抜く。

 不安になったスザンヌは彼の元に駆け寄る。スザンヌを安心させるように頭を一撫ですると、アルフォンソに向き合った。


「悪夢を見せる聖獣魔法だよ」


 悪役のように唇の端を片方だけ上げるジルヴェスター。


「といっても、スザンヌが体験したことを体験させただけだ。自分が聖獣を召喚できなかった世界線を体験しただけの話。それもたった三分だ。まあ、スザンヌにひどいことをした奴ほど時間が長く感じるようにしたけどな。悪夢っていうか夢なんだけど。きっと、この国の奴らにとっては悪夢だろう? 聖獣召喚ができないって」


 スザンヌを労わるように背をなでる。

 もう、スザンヌは聖獣がいないことをなんとも思っていないけど、気遣ってくれる気持ちがうれしくて顔がほころぶ。


「……そっか。むー君はバクだったのね」


 毛が長いからシルエットがわかりにくかったけど、顔が細長く、鼻が長いむー君はバクに見える。よく絵本の題材に使われていて、悪夢を食べてくれるという言い伝えがある。


「あれ? でも、バクって夢を食べるんじゃ?」


「むーは夢を食べられるし、夢を見せることもできる」


 スザンヌの独り言のような言葉をジルヴェスターが拾って答えてくれた。その問答が、シンとした空間に広がる。


「これまた、すごい力だな……」


 呆れたようなアルフォンソの声。

 ジルヴェスターがアルフォンソからふいに視線を外した。

 視線の先には、母親の実家の伯爵家の者達。くやしそうに彼の方を見ているが、立派に成長したジルヴェスターに縋るほど、プライドを捨ててはいないみたいだ。


「スー」


 奇妙な声がする。それはむー君の鳴き声に似ていた。


「スー、アノネ」


「むーくん、しゃべれるの?!」


 いつの間にジルヴェスターの頭から降りたのか、スザンヌの傍らまでトコトコ歩いてくる。


「ウン、スーのオカゲ」


 ジルヴェスターの放った規格外の聖獣魔法のショックから抜け出しきれていない人々から、うめき声のような悲鳴が漏れる。聖獣が言葉を話せるなんて聞いたことがない。


「スー、セイジュウいるヨ。ナマエ、ヨンデあげて」


「え?」


 スザンヌの聖獣?

 むー君はスザンヌの傍らのなにもないからっぽの空間を見つめている。


 ――見えないけど、傍にいてくれたの?


 そういえば、いつも風が吹いていたな。

 悲しい時も嬉しい時も、ピンチの時も。


「ウィンディーネ……?」


 ふわっと風が吹いたと思ったら、もわもわと霧が湧いてきた。


「えー? くらげ?」


 薄い緑色をした霧のようなものがまとまり、こぶし大の雲の形にまとまる。

 きちんと目や口らしきものがある。

 でも、ふわふわと漂う様子は海の不思議生物、クラゲにしか見えない。スザンヌも図鑑でしか見たことはないけど。

 むー君といいウィンディーネといい、なぜスザンヌの周りには奇妙な聖獣が現れるのだろうか?


「違うわよ! 風の妖精ヨ!」


「妖精? 聖獣じゃなくて?」


「うふふ。聖獣界には聖獣だけじゃなくて、妖精もいるのヨ♪」


 恐る恐る触るとふわふわのクッションのような感覚。


「妖精ってこう、人型で羽根が生えているのでは?」


 絵本で見たことのある幻想的な妖精の姿とあまりにもかけ離れている。


「外見にケチつけるのってさいてーヨ、スザンヌ」


「そうだね、ごめんね。かわいいね。なんで姿が見えなかったのかな?」


「アタシの力が強すぎたからヨ!!」


 ドヤ顔をしているけど、ふわもこの不思議物体。全然さまになっていないし、強くも見えない。

 スザンヌだけでなく、他の者達にもウィンディーネの声は聞こえているらしく場がざわめいている。

 それはそうだ。聖獣は獣のカタチをしているもの。言葉を話す妖精を召喚するなんて聞いたことがない。


「スザンヌ」


 先ほどのジルヴェスターの聖獣魔法から立ち直ったのか、第二王子がこちらに近づいてくる。至近距離に来たと思ったら、スザンヌに手を伸ばしてくる。


 さっと吹いた風によろめき、再び彼は床に倒れ込んだ。

 スザンヌは風魔法を使っていないので、ウィンディーネの力だろうか?


「スーに近寄るな」


 ジルヴェスターがスザンヌの肩を引き寄せた。

 スザンヌを守るように第二王子との間に、むー君とウィンディーネが立ちはだかる。全然、防御力はなさそうだが。


「……お前は僕と結婚するべきだ。そして、僕を支えるんだ。義姉さんのように……」


 床に転がる彼から呪詛のような言葉が紡がれる。


「お断りします」


 あまりにも酷い手のひら返しに驚く。彼はここまで落ちていたのだろうか?

 先ほどジルヴェスターの聖獣魔法で、スザンヌのように聖獣が召喚できないという体験をしてもなお、そんなことを言えるのか?


「お前も国のために尽くすべきだ……」


「嫌です」


 王の方を見ると、失神した王妃にかかりきりになっている。

 聖獣を持たない他国の王女には、この国の王妃というのは荷が重かったのかもしれない。

 王族としての心労は計り知れないが、王妃はかわいい息子のことしか考えていなかった。そのことをスザンヌは忘れていない。


 愛する王妃が溺愛する第二王子のために、王命を出す可能性はあるのだろうか?


「スザンヌ、結婚しよう」


 唐突なジルヴェスターの申し出。


「は?」


 真剣な表情のジルヴェスターの頭の上にはむー君が乗っていて、つぶらな瞳でこちらを見ている。


「結婚して、一緒にアムラヌ国に行こう」


 一瞬、ジルヴェスターとむー君と過ごす自分の姿が見えた。

 それを頭を一振りして追い払う。


「……ジル。……同情とか、仕方なく、とかなら辞めて欲しい。私のためかもしれないけど、結婚のことを軽々しく考えないでほしい」


 やっと出たのは、絞り出すような声。

 優しい彼のことだ。第二王子からスザンヌを守るために、そう言ってくれたに違いない。


「大丈夫。ちゃんと、好きだから」


 俯き気味に顔を伏せているせいで、長い前髪が目にかかる。

 でも、そこから覗く目はまっすぐにスザンヌを見ていた。


「そいつが懐いてるとか、仕方なくじゃない。スザンヌ、結婚しよう。一緒にアムラヌ国に行こう」


 スザンヌの肩に添えられたジルヴェスターの手が少し震えている。


「……うん」


 今まで告白どころか、甘い言葉すらささやいたことのない彼からのプロポーズをすんなりと受け入れることができた。


 スザンヌだって、随分前から彼のこと。

 スーと呼ばれる度に。

 他の人には辛辣で不愛想なのに、自分といる時だけ柔らかい表情をする彼に。

 友人にしては近い距離に。

 甘やかな気持ちを募らせてきた。 


 彼の気持ちと自分の気持ちは重なっていたのだ。その幸福を噛み締める。

 卒業したら切れると思っていた彼との関係。それが結婚という形で繋がっていく。


「なんの茶番を見せられているんだ」


 兄がぽつりとつぶやくと、両親のため息が聞こえた。


「後から、きちんと公爵家に挨拶に伺います」


 ジルヴェスターがスザンヌの家族の方に頭を下げる。


 スザンヌの未知の聖獣と、第二王子とジルヴェスターから立て続けにされたプロポーズ。呆けていた貴族達のざわめきが大きくなる。


「義姉さんにも勝る聖獣を持つお前が国を出るなんてありえない!! 貴族の義務だろう? その国の王族に仕えるのは! 俺と結婚して、この国のためにその力を使うべきだ!!」


 狂ったように叫ぶ第二王子を擁護するように、周りの貴族が声援を送る。規格外の聖獣を持つ二人を国外に出してなるものかという抗議の声も混じる。スザンヌは王侯貴族を冷めた目で眺めた。


「聖獣召喚に失敗した後は、死病にかかった病人みたいに遠ざけていましたよね? 害があり、不吉なものとして」


 スザンヌの小さな声は、なぜか会場の隅々の人まで聞くことができた。まるで風が耳元まで届けたように。


「それなのに、今更?」


 スザンヌはこてりと首をかしげる。


「聖獣を持たないからと、忌み嫌われ存在を無視されていたのに。風の妖精持ちだとわかったとたん、王族と結婚して、王侯貴族のために力を使えと?」


「……僕なら、こんなちっぽけな聖獣じゃなかったら、兄上のためにどれだけでも力を使うよ!! お前さえいれば、兄上と義姉上のような完璧な王族に僕はなれるんだ!!」 


 ギラギラとした目でこちらを見る第二王子には話がちっとも通じない。肩に佇むシマリスの聖獣はどこか悲しそうな眼をして彼を見ている。

 玉座を見ると、王は表情を消してこちらを静かに見ている。

 不肖の息子の暴走を止める気はないようだ。むしろ、世論を彼の方に持っていきたいのかもしれない。


「ヒール。鎮静させよ」


 歩み寄ってきた王太子のアルフォンソが、第二王子の頭に手を乗せると、彼の体から力が抜けて床に崩れ落ちた。


「スザンヌ嬢、すまない。甘やかしすぎたようだ」


「止めるのが遅くなって、ごめんなさい。彼の考えをもみ消せないように、公言させたかったの。王家の恥となってもね。あなた達の結婚も国外移住も認めるわ」


 第二王子を止めに来た王太子夫婦を見る。王は苦い物を飲み込んだような顔をしている。世代交代の日は近いのかもしれない。


「皆の者も勘違いしないでほしい。貴族が国や王族に尽くすのは義務ではない。王が国を治めるために尽力するから、貴族がついてくるんだ。自分勝手に振る舞っていたら誰も付いてこない」


 王より王族としての風格のあるアルフォンソの言葉は重い。


「兄上は、恵まれているからそんなことが言えるんだ。カロリーナ義姉様にかばってもらって、支えてもらって……。なんで僕にはそういう存在がいないんですか? 求めてはいけないんですか? スザンヌは僕と結婚して、この国に尽くすべきだ……」


 まだ意識はあるのか、ぐずぐずと泣きながら、今度は抱きおこしてくれたアルフォンソに食って掛かっている。


「ロッセッティ公爵家はスザンヌと第二王子の結婚をお断りします」


 いつもは穏やかな父が声を張り上げて、第二王子に宣言した。

 母と兄もスザンヌとジルヴェスターを囲むように背面に立っている。

 兄は王太子の側近兼護衛として働いているが、スザンヌのために今日は仕事を休んでいる。聖獣がいてもいなくても、いつもスザンヌを思ってくれる頼もしい存在。


「スザンヌが希少な聖獣持ちだろうと、聖獣がいなかろうと大事な娘なのでね。うちの婿はジルヴェスターだ」


「カロリーナ様、私、この国が嫌いなわけじゃないんですよ。家族も大好きだし」


 戦意を失っている第二王子ではなく、話が一番通じそうなカロリーナに話しかける。


「この国が嫌で出て行くのではなくて、新しい環境に身を置きたいんです。彼と一緒に聖獣が当たり前じゃない世界を見てみたいんです」


 スザンヌは周りを見回した。

 この国にいたら、手のひら返しが始まるだろう。そうしたら、また人々に失望し気持ちが落ち込むだろう。

 そうなるくらいなら、新しい環境でまっさらな自分で始めたい。これまで散々迷惑をかけてきた家族にも、ゆっくり過ごしてほしい。


「スザンヌちゃんが心地よく過ごせる国には、まだまだ遠いってことね……」


「ありがとうございます。カロリーナ様はずっと態度が変わりませんでしたね。カロリーナ様がいる国なら信じてもいいかなって思うんです。また、ジルヴェスターと遊びに来ます!」


「これだけは受け取ってくれる? この羽を握って、相手を思い浮かべれば、声が届くわ。一方通行だけどね」


 赤く輝く羽根を差し出される。


「わぁ……。ありがとうございます。私も、私もえーと、聖獣魔法を練り上げるので、ピンチの時には呼んでください!」


「頼もしいわね。スザンヌちゃんが暮らしたいって思える国になるよう、私もがんばるわ」


「カロリーナ様はわかっていたんですか? 私にウィンディーネがついていることを」


「この子は、審判を下すことしかできないわ。悪い人をあぶりだすことしかできないの。真実を見られるわけじゃないのよ」


 さみしそうに笑うカロリーナ。


「でも、ごめんなさいね、下心はあったの。予感はあった。あなたはからっぽなんかじゃなくて、とてつもなく大きなものを秘めているんじゃないかって。第二王子と私達のように支え合ってくれないかな、なんて期待はあったの。でも、どんなに横槍が入っても運命みたいなものは変えられないのかもしれないわね……」


 肩にとまる不死鳥の表情は変わらない。


「言葉を話す風の妖精――聞いたことがない未知の聖獣。スザンヌちゃんには守護してくれる存在が必要だから、私が名乗り出たいところだけど……。魔王みたいな彼がいるからどこに行っても大丈夫そうね」


「ええ、ご心配なく。俺はスーが聖獣を持たなくても愛しているので」


 身を乗り出すようにしていきさつを見守っていた貴族達が、彼の顔を見て蒼ざめている。


「アイシテル」この言葉の破壊力よ。

 プロポーズや甘い言葉を次々に浴びせられて、ジルヴェスターの本気を思い知る。表情の変わらない顔の下に、スザンヌと同じ思いを隠していたのだ。


「むーもいるし、ウィンディーネもいるし、バカなことを考える奴はもういないと思うけど、いつでも受けて立つよ?」


 彼の隣で、むー君がシャーっと威嚇するような鳴き声をあげている。


「涙もおいしいね、スーは」


 感情が混線して、いつのまにか零れていた涙をウィンディーネがふわふわの本体でぬぐってくれている。


「ところで、ウィンディーネはなにができるの?」


「さぁ、なんだろうネ?」


「ははっ、ゆっくりでいいんじゃないか? さぁ、行こう」


 ジルヴェスターから差し出された手に、スザンヌも手を重ねる。


 スザンヌ・ロッセッティは運がいい。

 あたたかい家族がいて、聖獣がいなくてもいても自分を認めてくれる最愛の人がいる。そして黒いバクの聖獣と緑のもこもこの風の妖精も。

 そして逃げるためではなく、わくわくする未来のために国を出る。


 からっぽじゃなくなったスザンヌは奇妙な聖獣達と、どこか歪だけど、いつもスザンヌを大事にしてくれるジルヴェスターと新たなる道へと踏み出した。

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