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第一章 第六幕

 友人が増えて数日経ったある日、マリアは朝から憂鬱だった。昨夜の勉強での不明点がどうしても解消できないのだ。

 現在の魔術学と物体運動の問題の一つ、魔術による浮遊である。魔術の基礎として、物体に運動させることが挙げられる。そしてそれは浮遊運動も例外ではない。デモンストレーションとして魔術で生成した熱を使って、同時に生成した氷塊を浮かせるという実演がしばしば行われる。

 しかし問題なのはこれを魔術師が自らに付与した場合、全ての魔術師が浮遊できるわけではないということだ。これは魔術が特殊技能であることの理由の一つである。自分で浮遊できる魔術師もいれば、できない者もいる。これは一種の実力の指標とされることがあるが、多様な魔術の中でこれだけができないからと、実力を低く評価すべきでないというのが最近の通説である。ちなみに他人を浮かせることは、物体同様に比較的容易にできる。

 マリアはこの問題に対して関心を持っている。魔術師が自らを浮かせることができないのはなぜか。

 マリアの思考は、魔術がイメージの世界とは言え、それは後天的な知識の欠如の話であって、先天的な感覚や才能の話ではないという思想に根ざしている。

この「魔術とは自然科学の一部で、経験や知識である」という主義主張はロールベル派とされている。ロールベルの名を冠しているが、マリアの先祖が提唱した考え方だ。

 対して、魔術は完全にイメージの世界であり、知識を身につけようが「どれだけイメージできるか」という先天的な能力に実力が依存するという思想をライブラ派という。ライブラ派はロールベル派誕生よりも後に生まれた思想で、「魔術とは自然科学とは一線を画す、新たに生まれた神秘に近いものであり、体系化できても、選ばれた人間にのみ可能な感覚の世界である」と考えている。

 実現できる現象に明らかに個人差がある際に、ホワイトボックス的に内容を追求するロールベル派と、才能としてブラックボックス化をするライブラ派。

 浮遊魔術が使える魔術師と使えない魔術師の差は研究されているが、相関はたった一つの要素しか発見されていない。それは魔術師としての実力だ。

 しかしこれは統計の観念から結論づけるには問題があるとされる。浮遊魔術が使えるからと言って、浮遊魔術が使える魔術師が優れているとは限らないからである。


 マリアはこの問題に対して昨晩、夜通し考えていた。

 ロールベル派の意見としては「魔術師が自分を浮かせることができないのは、自身の重心などの力学的状況を知らないことが原因」として結論づけている。これが一時期、浮遊魔術を実力の指標としていたことにつながった。

 ライブラ派として「魔術はイメージの世界なので、浮遊魔術を使えない人間には才能がない」と考えており、この思想が生み出す、ある種の選民思想は学会の癌となりつつある。しかし現状として、ライブラ派の意見を覆すだけの材料がなく、ライブラ派の言い分は現象だけ見ればかなり信憑性が高いのも事実だ。


 マリアの現状の考えとしては、これらのいずれとも違う。結論は未だ出ていないが。彼女は学生であると同時に、既に論文が学術誌に掲載され認められた研究者なのだ。しかし研究者とは共同研究者がいる事が一般的である。彼女が嫌われているわけではなく、これもまた彼女の実力が原因となってしまっている。

 噂の天才若手と共同研究すると、彼女ばかりが注目され、当人の実力に対して評判があがらないのだ。もちろん自分の成果を主張することは可能だが、革新的な内容であるほど主張の信憑性が落ちるという皮肉だ。結果的に彼女は単独での研究を余儀なくされているが、それは彼女の気質としては助かっているのだった。


 マリアは授業の教室へ向かう途中で、広場に大きな人だかりができていることに気づいた。ざわざわと野次馬たちが会話しており、ここだけで街中のようだ。

 マリアは素知らぬふりで通り過ぎようとしたが、彼女は最後尾に知人を見つけた。ラフな服装をしているユーリだ。他の野次馬が何人かの小さな集団で構成されているのに対して、ユーリは1人で立っている。


「ユーリ、おはよう」

「おはよう。また白シャツにシンプルスカートなの。たまには違うの着てみたら?」

「だって、朝に選ぶのが面倒だから」


ユーリは肩をすくめて理解できないと顔で表した。ため息も聞こえた気がするが、マリアは聞こえなかったことにした。

 マリアは人だかりの中を見ようとするが、人が多くて何も見えない。野次馬には特に男が多く、身長も足りない。


「これってなんの騒ぎなの?」

「よくわからないけど、ムーリアリア委員会の人と一緒に、男が何人かいたのを見た。とりあえず見てみてるだけ」

「また決闘騒ぎなんだ。私は最近この制度知ったけど、ユーリはいつから知ってるの?」


ユーリは持ち歩きの時計を見て時間を確認する。始業が近くなっても、人が減る様子はない。


「私も半年くらい前かな。昔は奥の決闘広場ってところでやってたらしいけど、最近になって色んな人が見る場所にも出てきたから」


マリアは特に何の感情もなく、適当に相槌を打った。マリアは決闘広場の存在も知らないため、ユーリがたまたまロイを紹介しなければ、卒業まで知ることはなかっただろう。


「おはよう」


頭の上から低い声が聞こえてきたため、2人は驚いた動物のように勢いよく振り返る。視線の先には腹部があり、目線を上げることで2人はようやく、それがロイであることに気づいた。

 しかし昨日の優しい目つきとは打って変わり、ひどく不機嫌に見える。眉間に皺が寄っており、口角も何かを吊るしたように下がっている。


「お、おはよう。何か嫌なことでもあったの?」


大抵のことは笑って流すか冷ややかに流すユーリが、狼狽している。これはかなり珍しく、マリアとしてはその衝撃の方が大きかった。


「あー、僕ちょっと朝弱くて。別に嫌なことがあったとかではないよ」


「そう」とだけユーリは言ってそれ以上触れなかった。言わんとすることが、マリアにはひしひしと伝わってきた。どうみても「ちょっと」ではない。


「というかこの人だかりは何?」

「け、決闘関連らしいです。人が多すぎて何が起きてるかはわからないですけど。カニストさんは何か知ってますか?」


「いや何も」とロイが言うと、すぐ前にいた学生が振り返った。


「お、ロイ・カニストだ」

「本当だ」


やがてその反応は伝播して行き、近くの学生が少しずつ振り返りはじめた。マリアたちは状況をうまく飲み込めないでた言い方になっていた。


「ロイ・カニストさん!いますか?」


集団の中央部から大きな呼びかけが聞こえる。その瞬間、集団は鳥が一斉に飛び立った後のように静かになった。


「はい、ここにいます」

「こちらまできてください」


ロイが返事をすると声の主は彼を呼びつけた。おそらくはムーリアリア委員会の者だろう。ロイは不機嫌な顔のまま、状況が飲み込めないままゆっくりと進み始める。

 集団は彼に道を開けるように左右に分かれていく。マリアたちはここぞとばかりにロイの背後をついて歩いている。ロイが高身長ゆえに集団の面々は呆気に取られつつあるが、それ以上にロイの表情が険しいことによる圧力があるからだろう。

 そしてロイは最後の人の壁を超えた。結果としてマリアとユーリは最前列に来た。中央には腕章をつけた人物が、ボードとペンを持って立っている。


「あれはムーリアリア委員会の人?」


マリアがユーリに小声で話しかける。周囲は普通の声量で話すのも憚られる静寂が立ちこめている。


「そう、腕章つけている人は委員会の中でも階級が上の人だよ」


委員会の中にも階級があり、決闘を開催する際などは管理の人物が必要である。


「ロイ・カニストさんですか?」

「そうですが」


腕章をつけた男性委員は小綺麗な格好をしており、育ちの良さが伺える。傍にも腕章をしている女性が立っており、静かに微笑んで会釈している。


「聞いたものと同じ、覇気のない顔だな」


そう喋ったのは委員を挟んで反対側にいる男だった。金髪で茶色い目をしている。髪は長く、肩あたりで一つにまとめている。顎を引き鋭く睨みつけているが、攻撃的な印象はなく、口元には微笑みを浮かべている。


「それはどうも。寝起きなんで本来の目つきじゃないですけどね。失礼ですがどなたですか?」


ロイがたずねると、男は怪訝そうな顔をした。純粋に嫌味なく驚いている。


「決闘に身を置いていて、俺のことを知らんとは変わり者だな」


困惑した表情のロイが視線を委員に送る。委員は気まずそうに軽く咳払いをして、答える。


「現ムーリアリアの、ジョージ・ライブラさんです」


ロイは一気に目が覚めた。マリアたちも状況を理解し驚いた様子を見せている。マリアは想定とは違う人物だったようだ。荒くれ者のような人物を想像していたのだろう。


「目が覚めたようだが、やはり覇気は無いな」


ロイは胸の高鳴りを隠せないでいる。目を輝かせ、拳に力が入る。口元からは笑みが溢れる。

それは憧れの座につく者との邂逅に、胸を躍らせる少年のようにも見えるが、その目には野心が宿っている。


「そのムーリアリアが何の用ですか」


ユーリは状況を整理したあとに、冷静に訊ねた。

しかしジョージは答える様子が無い。この静寂の中、聞こえないはずもなく、無視していることは明白だ。


「あくまで僕としか話さないと」

「用があるのはお前だ。そいつは決闘にも関わりがあるわけではない、非関係者だ。答える義理はない」

「では。何の用ですか?」


ユーリは今にも殴りかかりそうなほど笑顔を見せているが、マリアが一生懸命に制止した。


「この前、ウィリアム・オーニヤンと決闘しただろ。早い話がこっちの身内なんだよ」

「なんとご親族で」

「ちげぇよ子分的なやつだよ」


確かによく見ると、ジョージの後ろにはやけに態度の大きい男子学生が何名か立っている。その中にウィリアムの姿もあった。


「決闘とは言え、巻き添えで顔に泥塗られるのは気に食わねぇんだよ」

「誰も気づかないような小さな泥跳ねではないですか。少なくとも、僕はあなたと彼の関係は知らなかった」


ロイがそう言うとジョージは腰に手を当て、少し黙って天を仰いだ。マリアたちは彼が何をしたいのかはわからなかったが、彼の子分は少し怯えているかのように見える。

横柄な態度は崩れていないが、距離を取りたい様子が感じられる。

 ジョージはそのまま大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐きながら俯いた。長い髪で顔が隠れているが、さらに片手で顔を覆っているため、表情を見ることはできない。

 そしてジョージは顔を隠したまま舌打ちをする。子分たちが小動物のように体を緊張させた。彼がゆっくりと顔を上げるとその表情は憤怒に満ち、先ほどまでの余裕がある年上という印象は一切消えている。


「ムーリアリアがなぜ僅かな一滴でも不名誉を我慢しなければいけないんだ」


マリアはそこで、先ほどのジョージの行動が怒りを抑えるためのものだと思い至り、さらに驚愕した。この男は、あれほど長い時間怒りを抑え込み、それでいてこの憤怒なのだ。あまりにも傲慢、短気。しかし彼の実力が暴君としての振る舞いを裏打ちしているのだ。


「お前を打ち負かせば、顔の泥はねを我慢して、その事実から逃げる必要もない」


眼に怒りの炎を宿したまま、口元には怒りを浮かべて、ムーリアリアはゆっくりとロイに近づいていく。

2人は至近と言える距離になり、互いに目線を外していない。片や激しく目を睨みつけ、片や静かに眺めている。


「このジョージ・ライブラが、なぜお前から逃げる必要があると思う?」


一触即発という言葉があまりに合う、高圧力な空気が漂っている。おそらく服の端であれ髪の先端であれ、少しでも触れれば決闘でもない衝突が発生するだろう。その場の全員が雰囲気に呑まれ、委員ですら気圧されている。


「ということで」


嵐の隙間に手を叩く音が響く。ムーリアリア委員の後ろにいた女性が叩いたようで、男性委員の一歩後ろにいたところから前に出てくる。

重い雰囲気が一時的に和らぎ、ジョージとロイは互いに一歩だけ下がる。


「おそらくロイ・カニストさんは初めましてだね。私はエイリー・モーガン。ムーリアリア委員会委員長です」


かなり長い茶髪をかすかに揺らしながら彼女は名乗った。緩めの癖っ毛が大人のような印象を持たせる。スラリとした体型で、比べて見るとマリアやユーリが飛び級で入学していることがよくわかる。


「彼は副委員長ね。ムーリアリアが決闘するときは委員長が審判をするの。彼はここの立会人」


副委員長が軽く会釈するが、その顔には無表情が貼り付けられており、その分委員長の明るさが際立っている。


「理由は今聞いた通り、これもムーリアリアの特例だけど、ムーリアリアが決闘するときは本人に直接申し込まないといけないの。まぁムーリアリアはあまり学校に来ないから難しいんだけどね」


委員長は大人っぽい外見の割に雰囲気が軽く、手振りが多いせいで落ち着きも無いように見える。


「普通の決闘は断れるけど、ここはムーリアリア相手でも同じなの」

「断りませんよ」


ロイには初めて会う委員長も、さらに言えばジョージのことも見えていない。彼に見えているのはムーリアリアという地位のみだ。

家族に楽をさせたい、自分の学生生活を安定させたいという彼の理性的な願望と現状への不安は、戦闘という原始の才能が開花することで、最強の座を欲する野望が埋めていった。


「その勇猛果敢な姿勢は素晴らしいね!副委員長。手続きを」

「承知しました。時刻は本日の15時から決闘広場で問題ないですね?相手に要求する内容など、すべてを準備しておいてください」


そう言いながら副委員長は手元の紙に簡単に記録を書き込み、委員長に渡す。委員長が紙を2枚の封筒に入れて掲げた。


「ただいまこの場において、ムーリアリアと第5位、ロイ・カニストの決闘を宣言する! 場所は決闘広場、勇あるものに幸あらんことを!」


委員長がそう宣言すると、先ほどまで静まり返っていた聴衆は大きな歓声を上げた。声の規模から、先ほどまでよりも人数が増えていることがわかる。

あまりの熱気と声量にマリアとユーリはたじろいでいたが、マリアがふと視線をロイたちに移すと、彼らはお互いのことしか見ていなかった。

おそらくこの音に埋もれることなく、互いの声が聞き取れるだろう。彼らは彼らだけの世界にいるかのようだった。


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