第一章 第四幕
ミレアコク大陸は中央南北に巨大な山脈が走る大陸で、広い心で見れば楕円形をしている。ムーリアスは大陸西方の主要国の1つであり、学術の制度をかなり早い段階で整備し、賢人の国として名を馳せている。
故に魔術の発展も早かった。マリアたちが通うムーリアス魔術大学は西方最古の魔術であり、西方のミリー地方全体から学生の志願が後を絶たない。
「ロイくんだったか、この時期の旬のものを教えてくれないか」
黒髪の青年はロイに尋ねた。マリアとユーリ、そしてロイと青年は、市場へ買い出しに来ていた。
ユーリが勉強を提案し、その準備のための買い出しだ。マリアは長丁場とわかってから、ずっと嫌そうな顔を浮かべたままだ。
時は少し遡る。ロイの決闘後、人もまばらになった段階で4人は広場にいた。
「突然申し訳ない。俺はジン・ランというものだ。アコク生まれで、今年から入学している」
決闘後に話しかけてきた黒髪の青年は自らをそう名乗った。西方の言葉は流暢だが、基礎的な文法で話しているせいか堅苦しく、違和感がある。
「その、こちらのこともよくわからないのと、決闘とやらも聞いておきたいんだそれに」
「西方魔術もよくわかっていない?」
口を開いたのはユーリだった。ユーリは腕を組んでジンの全身を眺め、何度か頷いた。袖が長く全体的にゆったりとした上着を羽織っており、見るからにミリー地方の様式とは異なっていた。
中に着ている服は西方のもののようだ。
ジンは「よくわかったな」と言うと、ユーリを見たまま少し困った様子を見せた。
「ユーリ・アナベル、ユーリでいいよ。こっちの喋る気が一切ないのがマリア・ロールベル。こっちの顔と性格に似合わず、武闘派なのがロイ・カニストね」
ユーリはジンの様子を察し、他の2人も含めて自己紹介した。マリアは斜め下を見て、よく見ないとわからない程度の愛想笑いを浮かべていた。
「あなたがロールベルさんか。お噂はかねがね」
「あ、ありがとうございます」
虫の羽音のような声量でマリアは謙遜した。
数秒気まずい空気が流れ、「そうだ」と言いながらユーリが手を叩いて静寂が破れる。
「私たちこのあと勉強会するけど、よかったら来る?」
ユーリの発言によりジンは付いてきた。彼の服装はよく目立ち、道中街中でジロジロ見られたが、彼が気にする様子はなかった。
「それにしてもアコク生まれの人なんて、初めて会ったよ」
ロイは旬の野菜を店の棚から取り出している。人よりも背が高いので、いちいち屈んでいて腰が痛くなりそうだ。
アコクとは大陸の東側に存在する統一国家だ。言うまでもなく、山脈以西のミリー地方の国家より広大な領土を持っている。中央山脈を超えたミリー地方とアコクでの文化交流は滅多にない。
「こっちでもミリー地方の人と会うことはない」
「その服はこっちで手に入れたの?」
「いや、ミリーの服は着るのが楽だから、こっちにも入ってくるんだ」
ロイとジンが日常会話で談笑するなか、少し離れたところでユーリとマリアが作戦会議をしている。
「なんで初対面のあの人も呼んだの!」
「交友関係が広まる良い機会でしょ」
ユーリは素っ気なく返しながら、生鮮食品を吟味している。選んだ食材を、マリアが持つカゴに放り込んでいく。
重量に比例して段々とかごが下がっていく。
「ジンくんはこっちのこともよくわからない人だから、初めから関係を作るにはすごくやりやすいと思うけどな」
「そうかな……話題に困る点では大変なんじゃないかと思うけど」
「話題に困らなければ話せるの?」
「それは……」
マリアは共通の話題を見つけて気さくに話す自分を想像したが、輪郭はぼやけて解像度も低かった。
ユーリがマリアの手からカゴを取り上げる。マリアが両手で持っていたカゴを、ユーリはすんなり片手で持ち上げている。
「兎にも角にも、マリアはまず人に関わるところからだよ。人慣れしないとね」
「捨て猫じゃないんだから……」
ユーリはマリアの言葉を無視して、ロイ達のもとへ歩いていく。マリアは歩きながら、話題をあらかじめ捻り出すことにした。
市場で買い物を終えたユーリたちは、街中を歩いている。石作りの昔からある建物が多い。背が高く、一階には飲食店などが入っている。街は賑わっているが、大学が近いせいか学生が多い。耳をすませば賑わいの喧騒は学校の愚痴と、週末の話題ばかりだ。
一方で4人は大した会話もなく歩いている。先頭をユーリが歩き、ジンが周囲を見回しながら、その後ろを素直についていっている。
マリアとロイが並んで歩いているが、マリアは喋る気がなさそうだ。沈黙に耐えかねたロイが口を開いた。
「そういえば、ロールベルさんってあのロールベル家なの?」
マリアはビクッと体を跳ねさせ、しばらく黙ってから「はい」と答えた。
「ロールベルというのはこの辺りでは有名な家なのか?」
ジンが振り返ってロイの顔を見上げる。黒い瞳と目が合い、ロイは少し喋ることができなかった。西方には黒い瞳の人種はまずいない。吸い込まれそうな影のような瞳を見て、気にも留めない少しの時間だが何も言えなかった。
ロイは気が付き、返事する。
「ロールベル家っていうのは、貴族とかではないんだけど、何故か名を残すことが多いんだ。あんまりいろんな分野に功績を残すもんだから、みんな自然と名前を覚えるくらい。あまりにも多いから1人の超人だと勘違いしている人もいるくらいだよ」
「名家なのか。しかも家系だけでなく実力が伴っているとはすごいな」
ジンはマリアの方へ振り返って伝える。マリアは目を見て話す気が無いので、ロイのような反応はしない。
「名家というわけでは無いです。何故か親戚や先祖が優秀な人が多くて、特別なことは何も」
「しかしマリアさんも飛び級2つの主席だと聞いている。俺はよくわからないが、論文も出したとか。そんな人に勉強を教わる機会が貰えたなんて、ありがたいことだよ」
ジンは少し微笑んでから、前を見た。話に耳だけ向けて聞いていたユーリ、そして一連のやり取りを見ていたロイは同じことを考えていた。
それはジンが女性人気が高そうだということだ。西方の人間はあまり素直に感情を向けることはなく、友人同士で褒めるというのは、積極的にはしない。視覚的に言えばロイからはジンの表情が見えていたが、単純に面が良いのだ。顔が整っていて、適度に女性を褒め、遠い異国の生まれ。ロマンス小説のようだ。
「あー、この人。後々女性のいざこざが絶対出てくるな」
「面白そうだから、噂話に敏感になっといた方がいいかもね」
同じような思いを胸中に浮かべ、2人は黙ることを決めた。
しばらく歩くと、アパートが立ち並ぶ地域にたどり着いた。建物の見た目は古いが、内装は点検や整備がされている。ある建物の前でユーリは立ち止まった。
「着いたよ」
ユーリがそう言い、3人は建物を見上げる。そこまで高層というわけでも無いが、ここは学生がよく住んでいるアパートだ。
「えっと、貸し部屋でもあるの?」
ロイがたずねると、ユーリは振り返って答える。
「私の家だけど」
ユーリがそう言うとマリアとロイが後退りした。ジンも多少驚いているが、拒否反応は見せていない。
「僕、ちょっと用事を思い出したから帰ろうかな」
「私もそう言えば、何かあった気がする」
2人は明後日の方向を見ながら、猛獣と対峙したかのように、ジリジリとゆっくり退がっていく。しかし猛獣と対峙した時の前提は距離があること。すでに近づいている彼らはユーリに手首を掴まれてしまった。
「ほら、女の人の家に上がり込むのって、あまり良くないかなって思うんだけど」
「そうそう。人の家って緊張するし、気を使うから。カニストさんが帰るなら勉強を教える人もいないし」
ユーリは無言で笑顔を浮かべて、圧をかけている。
「ジンくんも、女の人の家に上がるのは気が引けるんじゃないかな?」
ロイがそう言うと、ユーリはその笑顔のままジンの方を向く。そしてゆっくりと口を開き、たずねる。
「ジンくんも帰りたい?」
「確かに気が引けるというのはある。しかし、こちらの暮らしというのを見ておきたいし、他の場所よりプライベートな分、慣れれば緊張はしないと思うが」
ユーリはゆっくりと深く2回頷き、またマリアたちの方へ向き直る。まるで人形のようだ。
「2人が帰ったら、私とジンくんの2人になっちゃうな」
そう言われると、ロイは気まずそうな顔をして少し考える。それを見逃さないユーリはロイに目で訴える。
「行きます……」
ロイがそう絞り出すと、ユーリはロイの手を離した。マリアの手は離していない。
そして次はマリアの方を向く。
「よかったね、勉強を教える相手ができて」
「はい、嬉しいです……」
マリアからその言質を得たユーリは手を離した。そして3人はユーリに連れ添って、建物に入っていく。
ユーリが住んでいるのは建物の最上階、5階だ。マリアはだんだん息が上がっていき、登る間にマリアの荷物は少しずつ男性2人の手元に移っていった。登り切るころには手ぶらになっていた。肩が上下するほど息も上がっており、走ってきたのかと勘違いしそうになる。
「ロイくんはともかく、ジンくんも体力あるね」
歩きながら鍵を取り出し、ユーリは話す。
「アコクは兵役があって、去年までそこにいたんだ。体力には自信がある」
「え、ジンくんって何歳?」
一同驚いて立ち止まってしまった。マリアだけは息が上がって立ち止まっているのもあるが。
「今年で21歳だ」
この場の誰よりも年上だ。しかし童顔なのようでロイと同じ、あるいは年下くらいに見える。
「アコクってすごいな」
ユーリはそう呟くと鍵を開けた。
ユーリの部屋は小綺麗で、壁の一面は本棚になっていて、勉学に使いそうな机がある。本棚の反対側には小さめの黒板が吊るされており、何やらメモ書きがされている。
4人がギリギリ入るくらいのスペースに、ロイとジンがは本棚にもたれて床に座っている。手元には鉛筆と紙が持たれている。ユーリは学習机の前の椅子に座っている。学習机の上には紙ではなくお菓子が置いてある。
そしてマリアはというと黒板側にチョークを持って立っている。
「あの、いきなりこれなの?」
「だってジンくんが色々よくわかってないだろうから」
マリアが改めて正面を見ると、ジンが真剣な面持ちで座っている。ロイもこれを機に学び直そうと意気込んでいるような様子だ。
それもそのはず、マリアはそれに値する人物だ。これまでにマリアが発表した論文は一つだが、その発見は魔術に関連する各分野に影響を与えている。
彼らの真剣な様子を見て、マリアは自分も頑張らなければならないと、腹を決める。




