第一章 第一幕
「聖なる事象は突き詰めていくと、無から有を生み出していることにたどり着く」
教師は教壇の教科書をめくる。真面目に話を聞いている学生は多いが、それはこの科目が必修だからである。
「故に魔術は、あくまで無から相反する概念を分裂させているに過ぎず、聖事象とは言えない」
そして入り口から遠い教室の端には、うつらうつらと頭を揺らす生徒がいる。
「ロールベル!天才の君には私の授業は退屈だろうが、授業態度も評価に響くことを忘れるなよ」
名を呼ばれ、生徒が目を覚ます。小さい声で何やら言っているが、誰もが喋らない無音の教室でも、まるで聞き取れない。
「ロールベル、何か言い訳が?」
「あ、いえ。無いです、すいません以後気をつけます」
教師と目を合わさず、挙動不審に彼女は答えた。彼女はやる気がないのではなく、昨夜に徹夜で魔術書を読み漁ったせいで寝不足なのだ。眼鏡で少し隠れているが、目の下のクマが何よりそれを物語っている。
「よろしい。では改めて、西方魔術学基礎を進めよう」
授業後の昼休み、マリアは人の少ない中庭で彼女はサンドイッチをもそもそと食べている。遠くからは学生たちの賑やかな声が聞こえてくる。
「やっちゃったなぁ」
結局彼女は午前中の授業の大半で眠りこけてしまった。しかし誰も彼女への評価を下げることはない。
「マリア」と視界の外から声を掛けられる。マリアが視線を上げると、女子学生がカゴを持って立っている。カゴの中にはパンとハムとフルーツがある。
「ユーリ。お昼持ってきてるなら誘ったのに」
「これは売店で買ったの。食堂に行こうとしたら、誰かさんが数十秒で食べ切れるサンドイッチを、何分もかけて食べてるから、ご一緒しようと思って」
マリアは慌ててサンドイッチを口に詰め込み、ユーリが座るスペースを作った。
「何をそんなに落ち込んでるの、授業中いっぱい寝ちゃったこと?」
マリアは手を滑らせ、水筒の紅茶を飲もうとして軽く火傷した。手をさすりながらマリアは続ける。
「だってあんなことしてしまったら……」
「してしまったら?」
「もっと嫌われちゃう……既に浮いてるのに」
マリアは水筒の蓋を閉めながら言った。ユーリはハムとフルーツを切っている。
「私だけ年下だし、会話下手すぎて友達できずに2年になってしまったし……」
「何回も言ってるけどさ、マリアは別に嫌われてるわけじゃないよ。みんなマリアに興味津々だし」
ユーリは切り落としたハムとフルーツをパンに乗せる。これは一般的な食べ方ではなく、彼女独自の食べ方だ。そして誰も真似しない。
「確かにみんなは20なのにあなたは18歳。話しづらいだろうけど、私は19でもみんなと話せてる」
ユーリはパンにかぶりついて、口いっぱいに頬張る。美味しそうな顔をしているわけでもないが、悪い味はしていなさそうだ。
「つまり問題はマリアが話せなくなっちゃうことでしょう?」
マリアは苦い記憶を思い出す。忘れもしない入学式の日。大学の講堂にて、一堂に会した同学年658名。マリアは主席のスピーチを請け負った。みんなが注目していた。飛び級で合格した17歳の天才魔術師のスピーチに。
「ムーリアス魔術大学にご入学のみなさん、おめでとうございます」
緊張したマリアはまるで上から目線で在校生のようなスピーチをしてしまったのだ。マリアは頭が真っ白になってしまい、その後のスピーチの記憶はない。記録としては、初めの内容を特に訂正することもなく、感情が無いかのように続きの原稿を読み上げたらしい。それ故に周囲からマリアへの評価は、年下で飛び級進学してきた生意気な奴、というものになった。
当然マリアに話しかける者はいないので、緊張ゆえの言動ということを知る者もいなかった。しかしこの評価は初めの頃だけのものとなった。
周囲がマリアの実力に気付き始めたからだ。マリアは別に卑怯な手段を使って進学してきたわけではない。真っ当に実力があるのだ。したがって周囲からの評価は「実力が伴っていない生意気な奴」というものから、「態度が悪いが認めざるを得ない天才」になってしまった。周囲からの畏怖を集めたマリアは余計に孤立し、まともな友人はユーリだけになってしまった。
「みんな私が話しかけると気まずそうにするんだよ……」
「自信なさそうな割に実力があるから変に嫌味なんだよね」
ユーリはパンを食べ切り、指を少し舐めた。そして何か考えごとをするかのように上を見る。
「ロイくんっているじゃん。あの人なら友達になってくれそうじゃない?」
マリアは少し下を見て考える。指を組んでいじって、ポーズを時々変えながらしばらく考えて、口を開いた。
「誰だっけ?」




