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第二章 第一幕

 人間は大きく二種類に分けられる。という言葉から始まる言葉は随分と多いが、二種類というのは大したことでは無い。「ある特徴を持った一つの集合」と「それ以外」でいいのだから。それは例えば「天才とそれ以外」でもいいし、「マリア・ロールベルとそれ以外」でもいい。二種類に分けられるというのは、相反する二つの性質に分類できる時に初めて意味がある。

 ただしマリア・ロールベルとそれ以外という分類が大したことがないかは、必ずしもそうとは限らない。


 マリアはある日、普段と違う眼鏡、普段しない服装で大学に来ていた。そして忍びながら大学内を移動する。


「マリア?」


マリアはこれまであげたことのない大きな悲鳴を上げる。周囲が注目したときには、マリアは呼び主を連れてその場を立ち去っていた。


 「ユーリ」


肩で息をしながらマリアが声を漏らす。ユーリはケロッとしている。


「やっぱりマリアだ。珍しい格好してたからわからなかった」


流行りの細い縁の丸い眼鏡。髪を下ろし、帽子をかぶっている。服装はシャツにパンツを身につけている。メガネは大して変わらないが、特に服装がいつもと違う。


「珍しいね、大学くるなんて。二、三週間ぶりくらい?」

「そう、手続きがあって」


 二、三週間前。何があったかと言えば、マリアはこの大学の頂点になった。当時の決闘第1位、ムーリアリアの称号を持つジョージ・ライブラとの決闘に勝利し、1日にしてムーリアリアの称号を手に入れた。

 その制度の一環として授業免除があるため、以降マリアは大学にも行かず、研究にひたすら没頭していたのだ。通学のために確保していた住まいすらも手放して。

 しかしムーリアリアにも避けられないものはある。それは事務手続きである。ムーリアリア制度が大学の制度であることに対し、学務は法律の門番である。故にムーリアリア制度でどうこうできるものではないのだ。

 そして学務は学生に社会を教えるという大義名分のもと、過剰に制度に厳しい。期限厳守などは最たる例で、1秒たりともお目溢しはない。むしろ社会を経験した人間ほど、互いに寛容さを示すことの重要性を知っているため、かえって社会を知らないのではないかと言われてはいる。


「なんか……ムーリアリアの制度のための手続きがいるとかで督促状が来て。その手続きに来たの」

「それはわかったけど、なんでそんなひっそりしてるの?」


ユーリとマリアは人通りの少ないところを歩いている。マリアは挙動不審に周囲を見回している。変装を意識しすぎているマリアに対し、ユーリはラフで自然な服装だ。上がってきた気温のためか、涼しげな服になっている。


「実はカニストさんが決闘の2日後くらいに家に来て、お礼を言いに来たの。その時に聞いたんだけど、ムーリアリアが変わったからムーリアリアになるチャンスを狙ってる連中が動いてるって」

「そういうこと」


ユーリはしばらく顎に手を当て、考え込むと顔を上げる。


「断れば?」


彼女の正論にマリアは俯きながら気まずそうに顔を背ける。


「嫌なことを断れる性格ではないかも……」

「たしかに」


ユーリは特に否定せずに軽々と笑う。マリアは否定して欲しかったのだろうが、ユーリにとってマリアはそんな気を使うほど疎遠な友人ではない。

 俯きながら歩くマリアの視界の端で、ユーリの足が止まる。マリアが顔を上げるとユーリは正面を見据え、動かない。マリアも正面に目をやると、男が3人立っている。体格がよく、3人とも動きやすそうな服装をしている。


「何か用?」


ユーリが目を逸らさず声をかけるとニヤニヤしながら男は近寄ってくる。マリアは逃げるように後退りするが、ユーリが袖を掴んで引き留めた。


「いや、人を探していてね。ムーリアリアの女の子なんだけど」

「君前も一緒にいたよね?」


マリアが隠れるようにユーリの背後に入ると、男たちは目を合わせて確信を得た。


「後ろの子、あまり見ない子だけど。もしかしてマリア・ロールベルか?」

「寄るんじゃねえよ」


笑いかけながらユーリは男たちに放った。男たちが不意を突かれたように立ち止まる。


「この子はうちの妹だよ、引っ込み思案でね。それより近寄るな、臭えんだよ」

「は?」


男の1人が怒りを抑えきれず一歩踏み出すと、ユーリの胸元のフィオラが一瞬、鋭く光る。すると前に出た男が呻き声を上げながらうずくまる。顔に当てた手をどけると、額に氷の角が生えている。


「寄るんじゃねえって言ってるだろ。次近づいたらキンタマ凍らせるからな」


ユーリの顔に凄みがみなぎっている。度胸があるという言葉がここまで似合うことも中々ないだろう。その言葉は脅しというより宣言だった。


「おい、こいつユーリ・アナベルだ。やめとこう」


後ろにいた比較的冷静な男が提案し、もう1人の男が負傷者に肩を貸す。怒りを隠せない様子だったが、男たちはその場を後にした。


「ユーリって、何者?」

「内緒」


ユーリはマリアに微笑みかけながら、歩みを進めた。


 ユーリは学務室の前で、カバンからお菓子を取り出して食べている。彼女のカバンは教科書類よりもお菓子の方が多いのだろう。その割に体型は華奢なのだから、世の女性は妬むしかないのだろう。彼女に友人がそれなりにいるのは、彼女に愛嬌というものが決定的に欠けているからだ。それを気に入って仲良くなろうという、奇特な人物は案外いるということだろう。

 二つ目に手をつけようとしたところで、萎びた野菜のようなマリアが部屋から出てくる。


「おつかれ。どうだった?」

「受付の女の人が説教するタイプで、もっと余裕持って申請しろって長々と……」


ユーリは苦虫を噛み潰したような顔をし、持っていた二つ目のお菓子をマリアに差し出した。


「大変だったね」

「今度からリンクに行ってもらおうかな……」


萎れたまま建物から出たマリアたちを待っていたのは、6名の男と2名の女だった。うち3名は、先ほどユーリが追い返した男たちだ。


「さっきぶりだな」


そう言ってしたり顔を浮かべるのは、先ほどユーリが角を生やした男だ。霜焼けでもしたのか、額が烙印のように赤くなっている。


「誰だっけ?妹に街を案内したいから用事ないんだけど」

「なんだと」


男がユーリに向かって行こうとしたところを、別の男が制する。ポケットに突っ込んだ片腕に女の1人がしがみついている。よほど自分の状況が誇らしいのか幸せなのか、悪意に満ちた微笑みを浮かべている。


「いやぁ、ごめんね。こっちのが失礼しちゃったみたいで」


男は柔らかい雰囲気を崩さずに言った。整った顔をしているが、愛嬌のある雰囲気が特徴的だ。体格はよく、背が高い。初めから強い嫌悪を持っていなければ、この男に微笑みかけられただけで照れてしまいそうだ。


「別にいいけど、何か用?」

「いや、用ってほどのことじゃないんだけどさ。後ろ子、マリア・ロールベルさんだよね?」


男が一歩踏み出すと、マリアはユーリの背後に隠れた。


「怖がらせたいわけじゃないんだ。ちょっと話をしたくてね」

「近づくな」


ユーリが鋭い目つきで男を睨みつける。臨戦体制に入っているが、男の取り巻きたちは何も心配している様子はない。むしろ何かを期待しているかのようだ。


「遅れたけど俺の名前はシュウ・ハリー。シュウでいいよ」

「聞いてない、近づくな」


シュウはユーリまで一歩というところで立ち止まり、ユーリの顎に手を添えた。


「気の強い女の子は嫌いじゃないけど、尽くす子の方が好かれるよ」


ユーリは震えながら動かずにいる。マリアは背後にいながら、自分ごとのように威圧を感じて震え始める。

 ユーリは震えている。これまでに感じたことのない強さの怒りを脳が処理しきれていないのだ。あと少し心拍数が上がればどこかの血管が切れそうだ。ユーリが殺意を抱いた瞬間、胸元でフィオラが光る。

 しかしシュウのどこも氷結しなかった。ユーリは少しだけ冷えた頭で状況を察した。


「悪いけど俺は決闘の序列、第二位なんだ。この前のムーリアリア決定戦はすごく参考になったよ。新しいムーリアリアと、話をしてもいいかい?」


シュウは自分の周囲の空気のエネルギーを適当にかき回すことで、ユーリの魔術を無効化したのだ。ジョージやマリアがやったことを真似したのだろう。腰のあたりにフィオラが挿さっていて、ぼんやりと光っている。


「あ、あの」

「ん?」


マリアがユーリの背から顔を覗かせてシュウに声をかける。


「私が話すので、手を、離してください」


マリアが目を泳がせながら言うと、シュウは両手を上げて一歩下がる。笑みを浮かべてはいるが、その瞳はマリアを慎重に観察している。


「初めまして、マリア・ロールベルさん。三年のシュウ・ハリーって言うんだ。よろしく」

「初めましてハリーさん。ご用件を端的にお願いします」


ユーリへの害ある行為が気つけになったのか、マリアは怯えながらも毅然とした態度を取ることができた。ユーリの背に添える汗には緊張の汗が滲む。


「じゃあ端的に。俺と決闘してくれないかな」

「お断りします」


マリアは戸を閉めるように言い放った。目線が合わず挙動不審だが、堂々としている。


「うーん。情報と違うなぁ、結構しっかりしてるんだね。マリアちゃん」


一気に距離を詰めるシュウに驚いたのか、マリアは目を見開いてシュウに視線を向ける。

 嫌なタイプだが整った顔をしているというのがマリアの感想だった。実際シュウ・ハリーの女性人気は高い。ある種の神々しさを持ちながら、荒々しい独善的な性格のジョージと違う。親しげな態度で接してくる話し方、優れた体格、筋肉もついている。見た目にも気を使っているようだ。


「聞いていたより強いね。というよりは、友達を守ろうと必死なのかな。優しいね」

「いえ、私はそんなんじゃ……」


マリアが秀でていない分野というものは、決して少なくない。運動は人並み、例えば学問も法学については門外漢だ。しかしマリアが明らかに人より劣ることは他にある。

 他者との関わり、とりわけ恋愛である。マリアの外見の美醜の問題ではない。そもそも他者との関わりが苦手なのだから、恋愛関係を築けというのは難題というものだ。

 何が言いたいかというと、マリアは異性からの恋愛的なアプローチに不慣れ、有体に言えば絆されやすいのだ。


「いやいや、すごくいいことだと思うよ。人としての魅力というか、僕はそういう人と戦いたいと思ってたんだ。実は君が戦闘狂のような奇人なら、戦わずにおこうと思っていた。だけど会ってみたら君はすごく優しくて可愛くて、気高い。何も命のやり取りや暴力の駆け引きをしようってんじゃないんだ。お互いの魔術の知見を交流しながら、信仰を深められると嬉しいな」


ペラペラと、あらかじめ練習したかのように次々と言葉が出てくる。感情を乗せた言葉は演技を感じさせないが、冷静に端から見れば胡散臭さは消せていない。では当事者のマリアはどうだろうか。

 マリアは動揺しつつも、シュウに心を許し始めていた。誰も触れることのなかったマリアの心の中の虚構に、肯定的な言葉を注ぐ彼に。彼と分かりあうために、互いを高め合うためなら、決闘してもいいかもと思う程度には心を開き始めていた。


「こっちの言葉がよくわからなくても、今のが上っ面の言葉というのはわかるぞ。基礎的な文法や単語ばかりだからな」


日陰から現れた男は黒い髪、黒い目をしている。口元には微笑を浮かべ、気配や足音もなく近づいていた。


「そういう男がタイプなのかい、ムーリアリアさんは」

「ランくん」


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