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第一章 十五幕

「あなたのそれは浮遊魔術ではない」


キッパリと言い退けるマリアに、ジョージは眉をひそめる。観衆はざわめき、動揺を隠せていない。空中にいる彼の使っている技術が、浮遊魔術でなくてなんだというのか。


「この期に及んでそんな負け惜しみを言うとは思わなかったぞ。じゃあ今の俺は空中でどういう状態だというんだ」

「あなたの使っている魔術は、移動魔術の一種」

「頭悪いのかお前は。俺が動いているように見えるのか」

「いいえ、あなたは静止するという運動をしている」


事実、ジョージが使用しているのは浮遊魔術ではない。そしてジョージにはその自覚がない。


「恥をかかせると黙っていましたが、自覚がないようなら教えます。浮遊魔術とは重力を消すことで物体を浮かせる技術。そしてその特徴は重心に作用するということ。そして重力しか消していないから、横向きの力が加われば横に滑って行く」


マリアは構えを解いて杖をジョージに指す。そこに戦意がないことは明らかだ。ジョージは状況を理解し、その明晰な頭脳は結論に辿り着いている。


「しかしあなたは階段を登るように踏ん張りながら空を歩き、ありもしない椅子に腰掛け、向きを変える時も腰掛けたままだった。そして先ほど私に殴られたときあなたはどうなりましたか。落下したんですよ、横向きの力を加えられて」

「黙れ」


ジョージの小さな声は彼の耳にだけ届き、誰にも聞こえなかった。杖を持つ手に力が込められ、怒りに震える。


「これらの現象の共通点、それは底面があることです。あなたは底面と認識した箇所に、移動魔術と同じように力をかけて重力を打ち消していたのでは?」

「黙れ!」

「直感的に運用できる上に浮遊魔術よりも高度かつ有用ですが、浮遊魔術ではないことは確かです」


マリアは淡々と続ける。ジョージは怒りを隠そうともしていない。彼にとって魔術は誇りであり、唯一の拠り所でもある。しかも浮遊魔術という、ライブラ派が才能の基準とするものを覆された。


「そして戦う過程で気づいたことがあります。これはおそらくあなたに限った話ではありませんが、重心への移動魔術による空中の静止と浮遊魔術。これらの明確な違いはおそらく定義されていない」


マリアは淡々と、理路整然と語り続ける。これはもはや講義と言っても差し支えないだろう。あるいは研究発表だろうか。観衆も決闘を見物しているというよりは、一つの小さな、それでも確かに歴史を変える出来事の立会人になっていた。


「しかし両者には明確な違いがある。移動魔術が重力を打ち消すように鉛直方向に加速する魔術であることに対し、浮遊魔術はおそらく重力そのものを消し去る魔術。つまり移動魔術は正の魔術で、浮遊魔術は負の魔術です。これらを区別せず同じ技術として扱ったのが全ての間違いなんですよ」


 正の魔術と負の魔術。魔術は物質にエネルギーを与える行為と、物質からエネルギーを奪う行為に大別される。前者を正の、後者を負の魔術という。移動魔術と浮遊魔術をマリアの定義で区別するなら、この世で浮遊魔術とされているものの大半が移動魔術だ。

 今回はジョージが足など設置面に対して移動魔術を発動させていたから違いに気づかなかったものの、これが重心に発動させる移動魔術ならわからなかっただろう。


「あなたの技術はそれはそれで素晴らしいものです。直感的に使え、単純さゆえに魔術的な持久力の消費も少ない。しかし実運用機会の少なさゆえの欠点がある」


マリアは杖をジョージに向けて言い放つ。


「あなた、それを使っている間は動けないのでは?」


ジョージは思わず狼狽した。マリアの主張が全て腑に落ちてしまった。これまでの自分の全てを否定されたが、不思議と怒りや悲しみは湧かない。彼の胸中に湧くのは、不本意にも敬意だった。この短時間であらゆる事象の本質を見抜いた。自分が浮遊魔術と信じていながら、どこか納得しきれていなかった疑念の答えも出た。彼が抱えていたコンプレックスに似た弱点でさえも、彼女は見抜いていた。

 気づけば彼は拍手を送っていた。物理的に見下ろしていても、精神的は見下していなかった。


「素晴らしい、敬意を表するよ。それを踏まえてどうするんだ? また突撃して杖で殴るか?」


マリアは杖を両手で強く握る。それは決意によってであり恐怖ではない。


「いいえ、そんな体力は残っていません。でも動けないのであれば、こういうことができる」


雲の切れ間から光が差し込み、同時にフィオラが強く光る。毎度のことながらジョージは光の強さに驚かされる。ウンザリするほどの才能だ。これが努力を訴えるのだからタチが悪いことこの上ない。


「光?」


ジョージの脳裏を違和感が静かに通り過ぎる。不気味な隙間風のように音もなく、影を落としながら。ジョージはフィオラの発光に手を翳しながら、隙間からマリアを覗く。

 違和感。ジョージは自分が感じた違和感を考える。何かがおかしい、その直感は間違っていないという確信がある。そして思い出す。マリアが飛び去った方角を眺めた際、空は青く広がっていた。マリアが金属加工のために周辺一帯の水分を使い切ったからだ。そしてそれはしばらく戻らないはずだ。

 なぜマリアは雲の切れ間から照らされているのだろう。ジョージは急いで空を見上げる。彼は空に近い場所にいながら空のことをわかっていなかった。暗雲というほどではないが、分厚い雲が空を覆っている。

 記憶を辿る。いつから?


「気づきましたか」


マリアは杖を掲げながら声を上げる。


「こういう攻撃の方が効くとわかった以上、必要なのはエネルギー資源たる水でした」

「お前、やたら戻るのが遅いと思ったら」


マリアが遠くに飛び去ったのは、大きく動いて身体の負荷を抑えるためでも、強く殴るためでもなかった。


「人は高みに立てば天を支配できるというわけではないということですね」


雲が徐々に薄くなるにつれ、大きな影が太陽を遮る。マリアはこれを集めてきたのだ。マリアの足元に炎が絨毯のように広がり、ジョージの頭上の天が割れた。間からは水、巨大な水塊が魔王のように顔を覗かせていた。

 

「天を支配するのに、天に立つ必要はない」


ジョージはそれを、隕石か何かかと見誤った。決闘広場など丸ごと水没させられる物量だ。それでもジョージは動けない。なぜなら彼は空中に立っているからだ。


「委員は至急、対応準備!」


女性の大きな声が響く。マリアたちが目線を向けると委員長が手を上げている。観客席に制服を着た委員が現れ、観客席の中に布陣する。全員が杖を構えている。


「観客の避難は不要ですか?」


副委員長が心配そうにたずねる。観客を避難させる想定だったようだ。委員長は笑みを浮かべながら首を横に振る。


「副委員長。これは歴史の1ページになります。大学のではなくこの国の、いや世界かも。その目撃者は多ければ多いほどいい」


委員長の瞳の中で火花のような光が散っているような錯覚を、副委員長は覚えた。委員長は自身の異常事態を自覚している。脳が普段出さない物質を分泌し、よくない興奮の仕方をしている。しかし彼女は止まる気はなかった。熱狂の渦が心地よく、浸ったままでいたいのだ。


 マリアが杖から片手を離し、両手を掲げる。すると水塊はゆっくりと降下を始めた。実際にはそれなりのスピードだが、いかんせん規模が規模のため遅く見える。

 ジョージは頭の中で何ができるか考えている。氷にしてこなかったことが恨めしい。大質量の液体という破壊不可能なものを打ち消す手段が思いつかない。足元には対価の熱が炎となって退路を塞ぐ。


「不思議だ。案外悔しくはないんだな」


ジョージの心の中には充足感が満ちている。勝てど勝てど、満たされず渇き続ける心。仲間もいる、友もいる。愛はわからないが、自己愛ならある。彩られた過去、栄えある未来。なんてことはない、この男に必要だったのは目標だったのだ。歩くための道と目的地が必要だった。

 これでまた強くなれる。敗北を前にして彼は、強く笑った。

 水はそのまま落下し、ジョージは怪物のような水の塊に飲み込まれる。落下した水の波が勢いよく観客席に押し寄せるが、委員たちが氷を作ってこれを防いでいる。

 排水口から少しずつ流れ出ていき、わずかではあるが減っていく。この日、大学中が水浸しになるのはまた別のお話。


 数十分経ち、水があらかたはけると、広場の中央には大の字で仰向けになるジョージの姿が見える。マリアは彼が呼吸していることを遠目に確認して安堵した。


「さて」


マリアは驚きのあまり猫のように飛び上がりそうになった。音もなく委員長がそばにいたからだ。


「おめでとうございます」


委員長が微笑みながらマリアの腕を掴み、高々と掲げる。


「勝者、マリア・ロールベル!」


瞬間、空気が震えるかのような歓声が響く。大学周辺の決闘事情など把握していない人の耳にも届くほどに。


「マリア!」


マリアが振り返ると女性が抱きついてくる。ユーリが涙目になりながら顔を上げる。


「すごい!よく頑張ったよ、こんなことできるなんて」


普段の素っ気ない様子からは想像もつかない笑顔だ。マリアは感動よりも不信感が優ってしまい、返す笑顔がやや引きつる。


「あ、ありがとう」

「マリアさん」


後ろから少し遅れ、ロイとロゼッタが歩いてくる。ジョージはマリアと握手を交わしながら、深く頭を下げる。


「本当に、本当にありがとう。この恩は忘れない」

「気にしないでください、私が始めたことなので」


そう言われながらもロイは頭を上げない。小さな声でずっと感謝を呟いている。


「リンクも、ありがとうね。自転車ダメにしちゃった」

「私は構いませんよ。自転車も借りる時点で性能向上版が作られ始めていましたし」


観客は彼女に惜しみない賞賛の言葉を向けて止まなかった。ムーリアリア。所詮学生の遊びかもしれないが、それでも彼らにとってそれは最高の栄誉なのだ。


 それを失ってなお、笑う男がいる。


「負けたのに嬉しいの?」


委員長は寝転ぶ元ムーリアリアに話しかける。横に立って、少し寂しそうにマリアたちを眺める。


「嬉しいさ。俺はまだ強くなれる。まぁエリーとの約束は破っちまったかもしれないけど」

「ジョーとそんな約束してたっけ?」


ジョージは起き上がり、驚いた顔でエイリーを見る。エイリーは心底何のことかわからないという顔でジョージを見る。


「え、本当にしてた?」

「まぁ、5歳くらいだったから覚えてないか」

「それは覚えてるよ」


エイリーは心当たりがあるようで、何かを思い出す。ジョージは訳が分からないという顔をしている。


「あれでしょ、最強になったら恋人になってくれってやつ」

「覚えてるじゃねえか。性格悪いな」

「まさか本気でやってるとは思わないじゃん」


エイリーは口に手を当てて鈴のように笑った。ジョージは不貞腐れながらマリアたちの方を見る。ユーリはマリアの手を握りながら飛び跳ねているし、ロイはまだ頭を上げない。


「ていうか、ジョーなら私は」

「まぁ、またムーリアリアになるからちょっと待っててくれよ」


エイリーは笑顔を貼り付けたまま、ジョージの方を見る。圧が全く隠せていない。


「待っててくれよ、エリー」


ジョージはマリアたちを眺めている。エイリーはため息をついて、また笑った。


「大学のうちにね」

「おう」


 マリアはハイになったようで拳を高く掲げる。勝ち誇っている。内心嬉しくてたまらないのだ。観客も応えるように歓声を上げる。

 これで授業を受けなくていい、就職も気にしなくていい。安寧と勉学に満ちた、充実したキャンパスライフ、いやライブが待っている。

 しかしこのとき彼女は知る由もない。絶対王者の敗北により、彼女のもとにトラブルが舞い込むことを。

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