第一章 十二幕
「はじめ!」
委員長が宣言した瞬間、ジョージは1つのこぶし大の氷塊を形成した。そのスピードは凄まじく、一瞬と捉えていい。しかしそれはライブラ式戦闘魔術ではなく、ジョージ個人の技能だ。
ジョージは氷塊を飛ばそうとしたが、その瞬間に氷は後ろに弾き飛ばされてしまった。
「お前、どうやって」
ジョージは驚きと怒りが混ざり合った表情でマリアを睨む。マリアは怖気づいて怯えるが、視線をジョージから離すことはしない。
ジョージは事態を偶然だと捉えて、再度同じことをくり返す。しかし結末まで同じことを繰り返した。再びジョージの氷塊は砕けて、儚くも地面に転がる。観客たちは異常な事態が起きていることを理解し始め、ざわつき始める。
「こいつ、狙ってるのか」
マリアの胸元では、フィオラが光を放っている。マリアの目はもう、怯えていない。
観客席で男が口に手を当て、異国語で呟く。
「(凄まじいな)」
この会場で異常事態を察知できているのは他にはジョージとマリア、ロゼッタとロイだ。
「ロールベルさん、何者なんだ」
ロイが呟いた。ユーリは状況が理解できていないが、何か起きていることは理解している。
「ロイくん、何が起きてるの?」
「ロールベルさんはおそらく、ライブラさんが高速で魔術を発動するよりも、より早く攻撃している。それで形成している段階の氷塊を撃ち落としてるんだ」
認められないジョージは再び同じことを繰り返した。もちろん結果も含めて。違うことは撃ち落とされるまでのタイミングが早くなっていることだ。
ジョージは動揺を隠せない。いわゆる早撃ちで遅れをとったことはないからだ。しかもただ攻撃するだけでなく、こちらの攻撃を迎撃する余裕まである。
「反射神経だけじゃない、相手のわずかな動きを読み取ってるとしか思えない。こんなの戦闘訓練を受けてないとできないよ」
「ロールベル家って……」
ユーリとロイはゆっくりとロゼッタを見る。疲れは残っているだろうが、息は整ったようだ。背筋を伸ばして椅子に座っている。マリアの戦闘には特に驚きもしておらず、我が主人を見よとばかりに誇らしげな雰囲気が伝わる。ユーリはその様子を訝しんでいる。
「リンクさん、やっぱりあなたとマリアって」
「先に言っておきますが」
ロゼッタはユーリの話を遮って話し始める。ユーリは固唾を飲んでロゼッタの話に耳を傾ける。
「ロールベル家で戦闘訓練などは行っていません」
「いや、そこじゃなくて」
ユーリの話を聞かずに、ロゼッタは話を続ける。
「ロイ様でしたか?先ほどマリア様が反射で相手を迎撃していると仰っていましたね」
「はい、ロイ・カニストです。戦闘訓練無しであんなことが可能ですか?」
「失礼、カニスト様。それは不可能だと思います」
ロゼッタは断言した。ロイとユーリは互いを見合わせたが、2人ともロゼッタの言っていることはわかっていない。
会場で異常事態を確認できているのはジョージとマリア、そしてロゼッタとロイだが、真に理解しているのはマリアとロゼッタだけだ。そしてジョージは攻撃を重ねては発射前に撃ち落とされることで、事態を理解しつつあった。
「まさかそんなことが、これならどうだ」
ジョージは複数の氷塊を形成することを試みる。戦闘魔術関係なく、単純な魔術だ。
しかしこれらはまだ未熟な大きさの段階で、同様に撃ち落とされてしまう。ジョージは事態を完全に理解した。無論、答え合わせができるわけでもないため、ジョージの中の確実性は完全ではないが、それでもジョージは確信した。
そしてこれを見たロイも同様に、自身の予想が間違っていたことに気付く。しかし、ならば何が起きているのかということに関しては、案じることができない。
「マリア様はこの3日をかけて、あのライブラ様の戦闘行動を予想されていたんですよ」
「は?」
ユーリとロイが余所見している間に、ロゼッタは日常会話に混ぜ込むように事実を話した。予想だにしていなかった結論に、ロイは口調を崩して反応してしまう。
「カニスト様は先ほど仰っていました。戦闘訓練無しで、相手のわずかな所作を見抜いて対処することなど不可能だと。私は戦闘に詳しくありませんが、おそらく不可能なのでしょうね。であれば前提が違うということです」
ジョージの目に映るマリアは、始まった時とは違う姿をしている。魔術の杖を、本来の杖のように自分を支えるように両手で強く握り、自信のなさを露呈させる猫背と伏目。こちらを見据えない瞳。
それが今はどうだ。両手に握られた杖は、主人を認めるように身を預け、携えられている。戦闘の中で姿勢は最適化され、半身で直立、眼鏡越しの瞳はしっかりと敵を捉えている。先端は槍のように相手に向けられ、狙いをすましている。凛と立ち向かう女性の姿はかくも美しい。
「できるわけない!」
ロイがロゼッタに突っかかる。事実を認められないようだが、それはジョージが一番叫びたいことだろう。
「それをやろうとしたら、いつどうやって攻撃するかを予想することになる。あの速度を考えるなら、発動場所まで含めて。いくら天才でもそんなことできない!」
「マリア様は天才ではありませんよ」
ロゼッタは静かに、植物に語りかけるように諭す。
「この世で叡智を讃える言葉が、天才以上のものがないので、便宜上マリア様は天才と呼ばれているのです。マリア様の才覚は天才をとうに超越していらっしゃいます。マリア様はご自分をそう思っていらっしゃらないので、努力を惜しみません。それがあの方を、さらに先の段階へ押し上げる」
ロイとユーリはそれを聞いて何も言えなくなってしまった。マリアは2年の飛び級をしているが、それは制度上2年が上限だからである。彼女と交流のある学校教員たちは揃って、本来はもっと早く大学に行けるレベルであることを指摘してきた。
ジョージはこれまでに経験したことのない不快感と違和感に身体を支配されていた。無論、心も。自分の行動が全て読まれている。今の自分が掌握され、文字通り手のひらの上で踊る道化でしかないことに寒気がする。
「ふざけるな!」
戦闘魔術の十対円を展開しようとしたところ、また撃ち落とされてしまった。10個同時に撃ち落とされてしまえば、さすがに認めざるを得ない。
「天才か」
「違います」
動揺するジョージにマリアは淡々と語りかける。
「人に天賦の才なんてものはありません、私もあなたも凡人です。あるのはただの努力だけ。ライブラ派の方はしばしば才能を語りますが、私に言わせれば」
ジョージが叫びながら杖を振り十対円を作ろうとする。しかし、今度は攻撃を撃ち落とされることはなかった。そもそも何も起きなかったからである。マリアの胸元でフィオラが強く光を放っている。
マリアは杖を両手で持たず、脱力した片手で持ち、もう片方の手は何かを掴むように力が込められている。ジョージの魔術によるエネルギー変化に、逆のエネルギー変化をぶつけて相殺したのだ。
「あなたには努力が足りない」
ジョージの脳内が一気に澄み渡る。それは裏返った怒り。間違いなく分かり合えず、そして信じて疑わない己を踏み躙られた。そんな生き物に出会った時、人はその生き物を殺すしかなくなる。
ジョージは大きく息を吸った。澄んだ怒りで頭は冴えている。そしてマリアを分析する。
マリアは初め対応が早かったが、徐々に対応が速くなっていることにジョージは気がついた。彼女の態度も、少しずつ自信がついていくように変化した。ジョージは一つ仮説を立てる。
「乱撃」
ジョージが杖を振ると同時にいくつもの氷塊と火球が作られ始める。乱撃は名の通り、同時にいくつもの氷塊や火球を作って放つ技だ。そして特徴は、その発生箇所はランダムだということ。本人がその場で咄嗟に判断して場所が決まる。効率や合理性を排しており、徹底的に生成量と速度を重視している。ライブラ式戦闘魔術としては初歩で学ぶものだが、熟練者が使うとほぼ別物だ。
しかしジョージがマリアを見ると、既に同量の攻撃が用意されている。そして氷塊が形成されたあたりで、再び撃ち落とされてしまう。観客たちの反応は冷ややか、というよりも若干引いている。いくら観客と言えど、これほど立て続けに同じものを見せられれば、ジョージが圧倒されていることはわかる。しかしその絵面が映えないため、反応にも困っているのだ。
そんな空気感の中でジョージは、少し笑う。仮説の実証ができたからだ。
「マリア様の勝利を疑うわけではありませんが、あの男、なかなかやりますね」
ロゼッタがユーリたちに声をかける。
「そりゃムーリアリアですし、ライブラだし」
「ライブラ。なるほど、優秀なわけですね」
ロゼッタは顎に手を当て、考え込む。この先のマリアの苦戦を予想できてしまったのだ。
同じように考えるジョージ。ロゼッタと違うのは口角が上がっていることだ。
「なるほど、そうやって予想してるのか」
ジョージは一つ仮説をたてた。
まずは疑問から。マリアはこの戦闘の一連の流れを、一つのシナリオとしてまとめているのかどうか。ジョージはこの可能性は低いと判断した。何秒後に、どこで何をするかを完全に予想しているとは考えられなかったからだ。そして思い返した。マリアの反応速度が徐々に速くなっていること、そして乱撃には対応がわずかに遅れたこと。
そしてジョージの選んだ選択は、停止だった。鳥の鳴き声、風の通る音、隣の人間の呼吸まで聞こえそうな沈黙。会場はまるで無人のような静けさだ。
観衆は達人特有の静けさと息を呑んで見守っていたが、少しずつ異変に気づき始める。拍子抜けという態度を取る者もいる。少しずつ息が緩くなっていく。しかしこの場においてむしろ、息が詰まっていく人間がいた。マリアである。マリアの呼吸は時間が経つほど浅くなり、視野も狭く、動揺を隠せなくなる。一筋の汗が流れ、そして滝のように増えていく。涙も流れそうなその表情は、先ほどの自信に満ちたものではなく、敗北を悟ったかのような、苦悶を浮かべている。
ジョージはマリアから目を離さず、わずかにも姿勢を崩さなかった。そしてマリアの姿勢や所作に意識を集中し、観察する。少しずつふらつき始める。ジョージはその瞬間を見逃さなかった。
瞬間、ジョージは少し離れた地面に大きな氷を発生させる。同時にマリアの胸元で強烈な光が放たれる。明らかに動転した叫び声を上げながら、マリアは魔術を発動する。
数秒後、会場は静まり返っている。何が起きたかわからなかったかではない。むしろわかり過ぎたからだ。
広場のいたるところが氷結し、決闘の場の地面は、消し炭になってわからないが、辛うじて残った可燃物が燃え残っている。それ以外のところは焼け焦げたり、不自然にもそれなりに大きな氷が発生している。その様はまさに地獄。
マリアは魔術を行使し、広場中の気体からエネルギーを奪い、広範囲の火炎放射を行った。炎は絨毯のように地面を覆った。まともに地に立つ人間なら焼き払うこともできるだろう。地に立つ人間なら。
「相変わらず凄まじい規模だが、さてマリア・ロールベル」
肩で息をするマリアの頭上から声がする。そう彼は天に立つ者。その顔は失った自信を取り戻し、不遜にマリアを見下ろしている。
「ここはまだ、お前の掌の上か?」
ジョージは見抜いていた。マリアは一つのシナリオに従って動いているわけではなく、ステップごとに分割し、ある程度分岐を許容して自分の行動を予測していると。故に分岐が絞られるほど対応が早くなり、知らない技の対応は僅かに遅れた。
それを破るには、極端な行動をとって分岐を増やしてやれば良い。だからジョージは静止して何もしなかった。予想外の行動によりマリアのシナリオの分岐は一気に広がり、マリアも動揺が隠せなくなっていった。そんな危うい集中状態に僅かに刺激を与えれば、爆発するのは必然。
マリアの顔は疲弊しきっており、膝に力も入らないようで、地面に膝をつけてしまう。マリアは力を振り絞る。物理的なものではなく、恐怖を振り払うための力を。
マリアはジョージに杖を向ける。胸元でフィオラが強い光を放つ。構図は全く同じ、ムーリアスの空に轟いた炎を放とうとした。しかし何も起きない。マリアは動揺を隠せなかった。そして瞬時に理解した。見上げた先で後光を背負った男が杖を向けていたからだ。
「確かにお前に力比べでは敵わないかもしれないが」
ジョージは勝利を確信し、観客にも聞こえる声量で饒舌に語る。
「こうやって周囲の空気に熱を与えたり奪ったりしていれば、まともに魔術は使えないだろ。さっきのエネルギーの支配とも言える所業は良い参考になったよ」
魔術は周囲の分子から運動のエネルギーを奪い熱として使うことが多い。そのためにはある程度、周囲の分子状態が平衡状態である必要がある。それを乱されれば支障をきたす。自身のさらなる成長に期待を隠せないようで、ジョージは喜んでいる。
「俺はお前のおかげでまた強くなった。確かに努力が足りなかったのかもな」
そんなことが土壇場でいきなりできるのは、どちらかと言えば天才の所業である。そしてマリアが杖を下ろすと同時に、ジョージも杖を下ろした。
「だがあえて言おうか。お前には才能が足りない」