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第一章 八幕 前編

 男が2人向かい合って立っている。距離は20歩程度。

 1人は手を空けて、我流の構えなのか、半身で腰を落とし、身構えている。その双眸は相手を睨みつけている。

 1人は杖を携え、脱力して直立している。相手との位置に高低差はないというのに、傲岸不遜に文字通り相手を見下している。

 審判らしき人物は離れた位置に立ち、安全を確保している。この戦いに何があっても止める気は無いのだ。


「勇あるものに栄光を、両者悔いのないように」


委員長が高らかに宣言する。


「はじめ!」


しかし、決着が一瞬でつくわけではなかった。

動かなかったのだ、2人とも。観客は戸惑いを隠せない。大抵の決闘はフィオラの輝きから始まるからだ。


「なるほど」


ジョージは小さくため息をついた。


「出方を見る冷静さはあるか。というより、対策があるようだな」


ロイは構えを崩さず、集中している。会話する猶予が無いというより、動揺しているのだ。ロイもまた、観客同様にジョージが開始と同時に動くと考えていたから。

ロイにペースを崩す意図はなかったが、結果としてむしろペースを崩されたかたちになった。しかしジョージにその気はなかった。彼の不動は単に自信の現れだ。


「じゃあお望み通り先手を取ってやろう」


ジョージはそう言うと、ゆっくりと一歩目を踏み出す。

ロイに緊張が走る。予想が外れているなら、直ぐにでも攻めるべきだが動けない。攻撃に呼応して動くならいざ知らず、先手を取る時ほど戦闘時は動けないものだ。何せ距離があり、相手はムーリアリア。確実な間合いになるまで迂闊に動けなくなっている。


 ジョージが二歩目を着地させるとき、すぐに違和感に気づいたのはロイだった。着地していない、正しくは接地していないのだ。ジョージの後頭部でフィオラがぼんやり光を帯びる。

 ジョージはそのまま空で踏ん張り、三歩目を踏み出す。そして観衆はようやく気付いた。彼が階段を登るように空中を登っていることに。

 彼が階段を10段登り終える頃には、ロイが身体能力だけで跳躍しても、明らかに届かない位置にジョージは立っていた。同じ地表にいたときは、より高身長のロイが物理的に彼を見下ろしていた。しかし今は、ジョージは物理的に見下ろして、そして自分以外を見下している。


「浮遊魔術だ」


観客席からそのような声が少しずつ聞こえ始める。しかしマリアは、隣のユーリも気付かず、本人も自覚が無いほど小さく首を横に振った。この勝負、雲行きが怪しくなってきたとマリアは感じている。


 ジョージは観客席を満足気に見渡している。眼下のロイは文字通り眼中に無い。そして彼はゆっくりと後ろへ腰を下ろし、空中に腰かけてみせた。肘までついている。


「は?」


ロイは思わず声を漏らした。自分の運動を操作する彼にとってその様子は不自然だ。彼の運動操作は基本的に重心に作用し、運動中の体勢は自信の身体能力で何とかしなければならない。例を出せば、自分を直線移動させて飛び蹴りをする場合、蹴り自体は自分で行う必要がある。

 その常識からすれば空中に立つばかりか、腰かけ、あまつさえ肘をつくその体勢はあまりにバランスが悪く、身体機能だけで維持できるようなものには見えない。


「お前は5位かもしれんが、4位以上ならこれくらい理屈の読めないことは普通にやるぞ」


ジョージは頬杖をついて休憩の体制に入った。ロイの胸元でフィオラが光り、小さめの氷の盾が手元に現れる。背中には小さい炎の翼ができている。


「さて、まずは様子見だな」


ジョージが軽く杖を振ると、後頭部でフィオラが光る。先ほどのようなぼんやりとした光り方ではなく、はっきりと光っている。それはロイから見ると後光のようであり、ロイの脳裏にはおもわず、王の威光のようだという感想がよぎった。

 そしてジョージが座る空中の玉座の周辺で、火球と氷球が10個ずつ形成される。左右に同数形成され、円を描いて配置されている。それぞれがそれなりの大きさで、様子見という割りには高威力に見える。


「さて、どう出る」


ジョージが杖を小さく振り上げると、配置の円が回り始める。少しずつ加速し、ある程度の速さで定速になった。そして杖を振り下ろすと、円は回転し続けたまま、内側に到達したものから、ロイに向けて射出され始めた。かなりのスピードで、当たれば怪我は避けられない。

 ロイは自分に飛んでくる火球と氷塊の個数を数えながら、これを避けた。魔術を使わず身体能力だけで。狙いが外れて地面に衝突した氷塊が土煙を巻き上げる。

 ロイは10を数えたが、それでも攻撃は止まない。視線をジョージにやると回転している氷塊と火球は一定数を保っている。打ち出したそばから生成しているのだ。かなり高度な技術だが、ジョージは平然とこれをこなしている。

 ロイは感嘆せずにはいられなかった。マリア・ロールベルの実力に。ここまで全て作戦通りであるということに。


 時は少し遡る。中庭でロイたちは決闘の対策を練っていた。


「浮遊魔術を使い、一方的に物量で押してくると思います」


マリアは冷静に分析した。ロイやユーリとは目を合わさず、どこかと交信でもしているかのように斜め上を見ている。


「近づいてくることは織り込み済みでしょうから、そう簡単に接近戦には持ち込めないかと」

「なるほど」


ロイは頭を捻った。いかに接近戦に持ち込むか。


「僕も遠くから攻撃するのはどうかな。魔術で氷を飛ばしてもいいし、投擲にもある程度自信はあるけど」

「無理ですね」


マリアは間を置かずこれを否定した。思考に集中し、気を使ったコミュニケーションは捨てているようだ。


「相手が大した魔術反応を起こせないならまだしも、相手がムーリアリアとなると、それなりにフィオラに愛されている可能性が高いです。より高威力の遠距離攻撃を受けるか、物量でそのまま押し切られるかと」


ロイはもっともな正論に何も言い返せなかった。次はユーリが静かに手を挙げた。


「ロイくんが空を飛ぶのは?空中に浮き続ける浮遊魔術が使えなくても、外部から継続的にエネルギーを取り入れて、絶えず動き続ける。避けながら移動してれば接近できないかな」

「やったことないけど、できるかもしれない」


ロイとユーリの表情が明るくなるが、マリアは目を虚ろにしたまま、脳内でシミュレーションをする。


「やめた方がいい」


シミュレーションの結果は否定だった。


「物資運搬用魔術の研究結果だと、確か前後左右上下以外の運動、斜め方向への運動は一気に複雑さが増す。だから運搬時は横着しそうになっても、単純な運動を組み合わせた方が長く魔術を続けられる。これは脳にかかる負荷、集中力の低下を避ける上でも、参考にした方がいい」


魔術は周囲のエネルギーを活用するため、理論上時間制約を受けずに、長時間引き起こすことができる。しかし魔術師の体はそういうわけではない。魔術は頭脳労働のため、長時間使い続けることで脳の負荷を招く。その制約から無制限に魔術を行使し続けることはできない。


「じゃあ前後左右にロイくんが飛び続けるのは?」

「可能だけど、二つの理由から勧められない。

1つめはそんな単純な動きで攻撃を避けられるとは限らない。物量攻撃は単に威力だけじゃなく、攻撃量を増やすことも考えられる。簡単に避けられるとは思えない。

2つめは、空中で縦横無尽に加速すれば身体への負荷が一気に上がる。ロイくんの体がもつとは思えない」


マリアはこれを一息で言い切り、大きく息を吸い、そして吐いた。思考にエネルギーを集中するのをやめたようだ。


「なので一番無難なのは、できるだけ魔術を使わない純粋な身体能力だけで攻撃を避け続け、相手の持久力が切れるのを待つことかと思います」



 結局他に有効な作戦も出てこなかったので、ある意味の消極策に出たわけだが、少なくとも現状まではマリアの予想が当たっていた。


「時間稼ぎか、いつまでもつかな」


ジョージが杖を振るとフィオラが光を強め、円の回転速度が上がる。射出のスパンが短くなり、速度も上がっている。ロイが避けた先には既に次の攻撃が来ているような状況になっている。

 しかしロイはこれも軽々と避け続ける。肉体に疲労は溜まっていくが、それでもあと数時間は避け続けられるのでなかろうか。

 彼がここまで高い身体能力を持つのは、単に恵まれた体躯だからというだけではない。このご時世には珍しく、彼は肉体を鍛えることが趣味だからだ。さらには今となっては軽視されがちなスポーツの経歴も、実は彩られている。かなり狭い界隈ではあるがスポーツではロイ・カニストはそれなりの有名人だ。陸上競技で優れた成績を収めている。

 故に彼は恵まれた体躯を活かしたしなやかな動きができ、魔術をほぼ使わない戦闘行為が可能になっている。


「すごい、他に方法が無かったとは言え、人間ってこんなに動けるものなんだ」


ユーリが賛辞を送り、会場もざわついている。魔術の攻撃に対する対処と言えば、基本は魔術による防御だ。そんな中、現代人が忘れた、真の人の身体の躍動に、観衆は目を奪われている。

 これが予想外なのはジョージも同様だ。しかしこんなことは、殺そうとした虫が思ったより足が速いくらいの問題だ。その虫が自分を殺すことはない。

 

 最も早く違和感に気付いたのはマリアだった。ロイが攻撃を避ける過程でジョージの後ろ側に回り込んだ時、ジョージは腰かけた椅子のうえで、向きを変えて回転するように、立ち上がらずに向き直った。


「こうも単純だと眠くなるな」


そう言ってジョージは退屈そうに、目を閉じて大きな欠伸をした。ロイは避けながらその仕草を見逃さず、マリアも見逃さなかった。この時、ロイが薄く持っていた違和感は言語化できるほど強くなり、マリアは確信に変わっている。


「こいつまさか」

「魔術の行使でほとんど集中してない」


2人の脳裏に同じ結論がよぎった。今回の作戦はロイの肉体的持久力が、ジョージの魔術的持久力を上回るだろうという予想のもと実行されている。人間が走り続けて疲労困憊になるより先に、魔術を使い続けた魔術師が動けなくなるということは予想しやすいことである。それを覆すのは魔術と関係なく身体機関としての脳が、長時間の魔術行使に耐えられるような体質の者。あるいは尋常ではない魔術効率を引き出す者だ。後者はフィオラに愛されている必要があるが、マリアたちはジョージがどちらなのかを知ることはできない。


 ジョージの魔術は通常の魔術とは異なるものだ。彼の生まれ、ライブラ家は学者の名家であるが、元は異なる分野を生業にしていた。

 戦争が絶えて久しいミリー地方。だが決して人が歩き始めて一滴の血も流れなかったわけではない。遥か昔、この地域でも戦乱はあった。そしてライブラ家は元々、優れた軍人を輩出する家門であった。当時は魔術は未発見で、戦闘とはいわゆる鎧を着て武器を持ち、肉体で戦うものだった。

 しばらく経って平和の時代が訪れ、ライブラ家の生業は廃れつつあった時期、ちょうど魔術が発見された。そしてライブラ家からは学者が出るようになったが、彼らはある使命を背負っていた。当時の家長が立てた長期の計画。平和の世で魔術の闘争術を自分たちだけが持つことで、平和秩序に貢献できるように、魔術を研究せよと。

 そして考案されたのが、ライブラ式戦闘魔術。一家相伝、口外厳禁の技術である。それは学者として最も大成した人物が唱えた思想、ライブラ派を根底として作られている。

 技を体系化し、繰り返し鍛錬することで、複雑な技のイメージを作り上げ、そのイメージを呼び出すことで複雑な内容を抽象化できる。結果、魔術の効率を飛躍的に上げることができる。

 ジョージが使っている、10個ずつ氷塊と火球を作る技術も同様である。本来であれば氷塊と火球を作る魔術を10回行うわけだが、ジョージの意識としては1回分とはいかずとも、労力は2、3回分程度だろう。

 イメージを重視することで負担を軽減するという、ライブラ派思想を体現したかのような技術だが、実際これが可能になっている。ジョージはライブラ式戦闘魔術を継承すると決まった幼少期より、鍛錬を積み上げた。

 結果として彼はムーリアリアになり、自覚もあるほど傲岸不遜な振る舞いをするようになったが、自分の師には敬意を払い、先人からの戦闘技術に誇りを持っている。


十対円・二式(フォル・ニムロ)


ジョージが名前と技をイメージして杖を振るうと、氷塊と火球でできた円がもう一対生成され、元々あった円とつながって8の字で高速回転し始める。


「いつまで避けられるんだろうな!」


 ジョージが笑みをこぼしながら叫ぶ。ロイの頬に、運動ではない理由で汗が流れる。

 ジョージ杖を振ると、先ほどとは比にならない速度で氷塊と火球が飛んでくる。ロイは走ったり跳んだりして懸命に避けるが、継続的な攻撃を避けきれず、徐々に体をかすめ始める。そしてロイが宙返りして着地した瞬間、バランスを崩す。

 ロイの頭の中で2つの原因が瞬時に予測された。足の疲れ、単にバランスを崩した。しかし原因はいずれでもない。地面が濡れているのだ。これだけ氷と熱の塊をばら撒けば、氷が溶けるのは当然。しかし付近の地面に、狙いが外れた氷塊が転がるように、ほんの僅かに射出速度を落としたのは、ジョージの戦略だ。そしてこのあまりに大きな隙を見逃すムーリアリアではない。


春雷(レミローラ)


ジョージが杖を向けて心中で唱えると、氷が生成され、その後ろに炎が漂っている。氷の量に見合っていない大きさだ。そして炎が吹き消されたかのように消えた瞬間、氷も消えた。ロイの太ももに激痛が走る。思わず手で庇うと、そこには先ほど消えた氷があった。目にも止まらない速さで氷を飛ばしたようだ。


「足は封じた」


ジョージは全て予想通りだったのか、ひどく退屈そうな顔を浮かべ、試すようにロイを観察している。ロイは動かない足の痛みと敗北の予感をひしひしと感じながら、必死にわずかな勝利の可能性を探した。焦りに呼応するように鼓動が速くなる。


 そして大きな声で叫ぶ。言葉はなく、自分を必死に鼓舞しているが、それが冷静な判断でないことは明らかだ。

 ロイの背にある炎の翼が小さくなると、ロイは直上へ飛び上がった。真上に自分を加速したのだ。そして翼を使い切ってジョージに向かって突撃した。正面に氷の盾を構えながら。


十対円・一式(フォル・アードリ)


ジョージが杖を振ると、初めと同じ10対の氷と火球が生成され、射出された。ロイは盾で懸命に防ぐが、衝撃で腕が軋み、氷の盾にヒビが入る。ジョージが何かをイメージすると、鋭く尖った氷塊が生成され、共に生まれた火球のエネルギーで射出される。

 それは盾のヒビに深々と刺さり、盾を破壊した。ロイの表情が曇る。こんな方法で簡単に勝てるわけではないことは、彼自身がよくわかっていた。その上でこの方法しか思いつかないことが悔しかった。

 どうすればよかったのか。後続の攻撃が目の前で残酷なほど鮮明に見える。空中で移動手段もない。衝突寸前の氷塊と火球の嵐を目の前にして、彼の中で走馬灯のように後悔が駆け巡る。ロイは回避行動をできずに、一身に攻撃を受けた。墜落し、射られた鳥のようにぐったりとうなだれている。

 跪いており意識は失っていないが、全身に火傷と打撲痕がある。骨まで達していても不思議ではない。立ち上がらず、頭部にも攻撃を受けたろうことを考えると、脳震盪も起きているかもしれない。戦闘継続が困難なことは、誰の目にも明らかだ。

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