29話 空腹にカリカリじゃがいもチーズ
「まったく、こんなこと言っちゃあれだけどね、奥さまも奥さまだよ。てっきり私はルラもみんなと一緒にお昼を頂いたもんだとばかり思ってたんだ。」
ルラが朝から何も食べていないと知った乳母は眉毛を下げて同情した後、少し怒ったようにそう言った。
「えへへ·····」
テキパキと包丁を握った乳母の後ろ姿に、ルラはただ誤魔化すように笑いかけた。
トゥックにもっともっとしがみついていたかったけど、お腹空いてない?と指摘された途端にお腹の虫がぎゅるんと大きな鳴き声を立てたから、ルラは、すん、とすました顔で恥ずかしいのを隠しながら乳母のところにやってきたのだ。__のは、さっきまで。乳母の顔を見るとほんの少し泣きそうにり、そのすました顔もすぐに崩れてしまった。
続けて乳母が教えてくれた話によると、どうやら教会での集まりでは、当番制で軽食を準備するようになっていたらしい。つまりブラウン夫人も、ルラがいない間にお腹を満たしていたのだ。それを聞いたら追い打ちをかけるように悲しさが増し、もともとの頼りない笑顔はついに、なんとも覇気のない、口元だけの、引きつった笑顔になった。うっかり下を向いてしまうと、目から涙が落ちてしまいそうだ。
ルラは天井を見つめて、しばらく目を乾かそうと努めてみた。話を終えて静かになった乳母の方からはトントン、という包丁が台に当たる音がした。
そのうちに乳母の握ったフライパンからの香ばしい匂いが、ルラの小さな品のいい鼻をくすぐった。ルラは思わず目を瞑って鼻から大きく息を吸い込んだ。瞑った目の端には押し出された涙が溜まって、袖でぐい、と、力任せに拭い取った。そうしたらもう、幸せな気持ちがむくむくと沸き起こる。
(いい匂い…)
今朝のビスケットの甘く芳醇なチーズの香りとはまた違う、塩味の効いたカリカリチーズの匂いだ。グゥ、とお腹が小さく反応し、ルラは思わず頬をピンク色に染めた。ふいに涙がもうひと粒落ちてきたのを袖口で吸い取っていたら、「パンがちょうど無くてねぇ」と言う、乳母の独り言のような声が小さく聞こえた。
乳母が料理してくれているのは、細切りのじゃがいもとたっぷりのチーズ、それから塩コショウを混ぜたものだ。それをフライパンいっぱいに円く薄く敷いて、両面ともきつね色になるまでしっかり焼いている。
「さ、こんなもんしか出せないけど、とにかくお食べ。」
くるりと振り返った乳母がポン、とお皿にひっくり返すと、こんがりしたカリカリチーズがツヤツヤと輝いた。
「っいただきます!」
ルラはすぐさま左手でお皿を自分の方に取り寄せて、右手に構えていたフォークをぶすりと突き刺した。フォークと一緒に用意されていたナイフで切れば簡単に小さくなるけど、あえてフォークだけで円いままのを端から持ち上げて齧りつく。それほど早く口に入れたいのだ。
「っっっ、あっ、あつっ」
熱くて口の中が火傷しそうになったけど、喉の奥が早く飲み込んで、と急かしてきて、ルラはハフハフと舌の上であっちこっちに転がしながら、手抜きの咀嚼をし、ごっくん、と喉を通過させた。
熱い塊が、ゆっくりと喉から食道を通って胃の中に入っていった。
「熱いから、ゆっくり食べるんだよ、やけどしちゃうから。」
「はぁい」
そう返事を返しつつ、ルラは急いでもうひと齧りした。熱いけど、さっきよりも大丈夫だと感じた。おかげで今度はよく噛んで口中にじゃがいもとチーズを行き渡らせることが出来る。
「乳母さん、すっごくおいしい。」
飲み下す前からもう、3口目を夢中で齧った。
「慌てないで、まだ熱いだろう?ほら、お水だよ。」
目の前にトン、とコップが置かれ、乳母に心配そうな顔で覗き込まれたけど、ルラは首を横に振った。
「ううん、ちょうどいいの。熱いけど、すっごく熱くはなくて、すっごくおいしい。」
ルラは早口でそう返し、また夢中で齧っていく。
「え、そうかい?ならいいけど……」
そんなにすぐに食べ頃にになるもんかねぇ、と乳母は首を傾げたが、嬉しそうに食べるルラを見て、顔を綻ばせた。
「今日は後で肉が届くから、夜はとびきりおいしいシチューだよ。」
「っっ、ほんとう!?やったー!!」
ルラの分の肉を、こっそり多めに取っておいてやろうと乳母は思った。
□□□□□□
(さて、どうしようかな…)
ルラが美味しい食事している最中、その場所の遥か上空で、ティックは顎に手を添えながら首を捻った。
見下ろしたところで薄い何層もの雲が視界を遮っているし、家の中にいるんじゃ姿を確認できる訳もないのだけど、さっきから、目線はつい、下を向いてしまう。
今日はルラからのお許しもいただいたし、荒れくれたトゥックを宥める約束だって取り付けたから、もう十分だった筈なのだ。そう、つい、さっきまでは。
(くそっ、ルラがもう誤解を解いたのかどうかだけでも分かればいいのに)
ティックは、間違いなく警戒しているだろうトゥックの目を盗んで、再びルラ接触できるだろうかと考えた。
(…………無理だな。)
絶望的な気持ちになり、がっくりと項垂れた。
(くそっ、てか何でアイツはあんなに張り付いてるんだ?)
よく見知った相棒の理解できない行動に、むしゃくしゃする。
一瞬のうちにルラの背後にぴたりとくっついてしまうとか。。。?ふと、そういう事も考えた。
試しに何度も頭でシュミレーションを繰り返してみる。少しでも離れてくれたならば、こっちは落下なのだから速さは有利なはずだ。
(………いけるか?……いくか?)
仁王立ちで、遥か下の地面を睨む。
(あ〜、もうっ。どうにかなるだろっっ!!)




