21話 近道の落下
「···っっいったーいっっっっ!!」
背中が熱い。燃えているんじゃないと思うくらい熱くて痛くて、ルラはびっくりして跳ね起きた。その拍子に、なぜか身体に掛けられていた布団がずり落ちた。
(あれ?布団?)
「え、痛い!?どこが??」
すぐさま反応したのはトゥックだった。背中を反りぎみに上半身を起こしたルラの傍らから、心配そうに身を乗り出している。
「え?トゥック····?え?え?どこって背中に決まって····」
急に起き上がったからかルラの頭はぐるぐる回って、起き上がっていられずに前に向かって倒れ、両足の上の布団に突っ伏した。
「どこ?背中のどこが痛いの?」
言いながら急いでルラのブラウスの背中側をめくりあげたトゥックは、次の瞬間、ハッと目を見張った。
─ルラの身体に掛けられた封印魔法は、仕掛けのようになっている。問題の刻み込まれた呪いのような印は背中にあり、最初の封印はこの印の『匂い』『気配』『視覚』の3つを遮断していて、そのそれぞれにはルラが自分の意思で外すことの出来る錠のような封印が掛けられていた。その上には印と封印魔法に使われている魔力を隠すための封印、そしてさらにその上には封印の為に複雑に書き込まれた魔方陣を覆い隠す目眩まし、そして最後にもう1度念のための目眩ましだ。
···なのだが、トゥックが今目にしているルラの背中には目眩ましやら魔力を隠しているものが全て剥がれた後の、ルラの意思による錠が残っているだけの剥き出しになった魔方陣がはっきりと現れていた。
トゥックが動けないでいると、ルラが気まずそうにもぞもぞと動いた。実は、ものすごい痛みだった記憶はあるのに、聞かれたらなぜか痛みが分からなくなってしまったのだ。
「···っ、とりあえず冷やそうか」
トゥックはルラの背中を擦るように撫でた。途端に、ひんやりプルプルとしたものがルラの背中全体を覆った。
「わ···気持ちいい。」
「ねぇ、何があったの?」
トゥックの問いに首を傾げながら、声が普段より低くてなんだか深刻そうに聞こえて、ルラはつい苦笑いした。
「····へへ、あのね、なんかやっぱり痛くないみたい。···夢だったのかな?」
「え?なんともないってこと?」
「うん····。」
ルラは再び上半身を起こしてみた。今度はゆっくりと。
改めて辺りを見回すと、見慣れた窓、壁、壁に付いた棚、吹き抜けた天井····。間違いなく自分が住んでる小屋の中で、ベッドの上だ。シーツからはみ出た藁まで、見覚えがある。
「私の、部屋だ·····」
「うん。そうだけど。」
トゥックは不安げにルラを見た。ルラは少し考え込み、慎重に、口に出してみた。
「····ねぇトゥック、もしかして、今が、朝なの?」
「え····、ルラ、もしかして覚えてないの?」
「あ····、ええと、」
目が覚めたようだった。ルラは目線を、パッとお腹の前で絡めていた自分の指に移した。──違うのだ。覚えている。ただもしかして、もしかして、夢だったら、と思っただけだった。
(だって····、トゥックはどうしていつも通りみたいにしてるんだろう····)
ルラはなんて言ったらいいのかかさっぱりかわからなくなっていた。
(トゥックに、なんでさっき私を··なんて言ったら、どうなっちゃうんだろう···。)
困ったルラがトゥックの様子をチラと覗いたら、トゥックはルラが何かしゃべり出すのをじっと待っているようだった。ルラは焦り、自分でも予想外なことを口に出していた。
「あ···ねぇ、トゥック、私····、私、私にもお母さんっているのかなぁ?」
「ん····?」
トゥックは思わず声を詰まらせた。一瞬、無意識にティーナの気を探り、そのときふと違和感を覚えたのだ。だけどそれは後回しにした。
「なんで今そんなことを?それより、本当に覚えてないの?さっきルラは小屋の前に倒れてたんだよ。それを僕が見つけたんだけど。」
(···トゥックは、本当に何も教えてくれないつもりなんだ···。)
ルラはますます分からなくなった。
「あ、あー····、えっと、そうだったんだ··。え、ええと、朝ご飯が豆のトマト煮込みだったことは覚えてるんだけど···、そ、そういば、しばらく『あの人』は忙しいみたいで、だからゆっくり食べていいよって、乳母さんが···」
「ルラ、」
「っ··え?」
「そんなに急いで喋らないで。ちょっと落ち着こう、ゆっくりでいいから、覚えているところまで教えてくれる?」
ついにルラは、トゥックの目が見れなくなってしまった。
「あ、あのねトゥック、私、よくわからないみたい。あっちの家を出て、気が着いたらここにいたみたい···。」
トゥックはもどかしく、ぎゅっと拳を握りしめた。封印が勝手に解けるなんてあり得ないからだ。でもルラの印の存在を知っているのは、ティーナと婆さん、それからティックの3名のみだ。 ティーナじゃない。婆さんは封印を解くとしてもこんなやり方はしない。····じゃあ、ティックは····?
···いや、ティックの訳がない、理由がないじゃないか、と思いつつも、トゥックは倒れているルラを抱き上げる時に僅かに感じたティックの気配を、今さらながらに思い出していた。そしてこの瞬間に、さっき後回しにしたティーナの違和感が急に腑に落ちた。というか、今までどうして気付かなかったのか、と歯がゆくなった。自分とティーナを繋ぐ物が既に消失しているのだ。
──何が、どうなってるんだ···?
◈◈◈◈◈少し前の話
どんよりとした曇り空の中で、ある1つの灰色の雲の後ろ側に一筋の亀裂が入り、その亀裂を押し広げるように2本の腕がぐぃ、と飛び出した。それからその隙間がみるみる広げられて·····
「···っっ!? っっぅわあぁぁっっっっっっ――――――――!!!」
悲鳴に近い叫び声は風の音にかき消されたが、声の主はなおも叫び続けた。
なぜかって、こんなに一気に落ちて行くものだとは予想していなかったからだ。近道なんてものじゃない。道が無いじゃないか。
その時、ちょうど亀裂の真下の山の中で狩りをしていた男がいた。キャンベルという名の男だ。キャンベルはうさぎを狙って弓を引いていた。息を殺し、何よりも音を立てない事に集中してゆっくりと歩み寄ろうとしていたその最中だ。突然バサバサバサッと葉が揺れたかと思うとパキパキ枝が折れる音、最後にドシンッと何かが落ちる音が聞こえた。当然ながら、うさぎの姿は一瞬にして視界から消えていた。
キャンベル自身も驚き慌て、最初はすぐさま逃げてしまいそうだった。魔物を疑ったからだ。だけど冷静になったら、1度覗いてみる価値はあるように思えた。恐怖心もあるがそれ以上に、ここ数ヶ月ろくな獲物が捕れていないせいで空っぽになっている懐の方が絶望に近い気がした。
(幸い落ちた時の音からして、魔物だとしても小型である可能性が高いじゃないか。)
キャンベルはどうにか自分を奮い立たせ、弓を構えたままバクバクうるさい心臓に静まれと念じながら、音のした方へとゆっくりと足を進めた。
だけど。木の陰から覗かせた視界に飛び込んできたのは身体中に葉っぱやら小枝やら泥やクモの巣をくっ付けた小さな男の子で、男の子は最初から全てを見ていたような顔をして、地面に尻餅をつけたまま、じっとこっちを窺っていた。
「な···、ど、どうした?け、怪我したのか?ひ、ひとりか?」
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