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アクアブレス。
高圧の水泡を発生させて包み込み、口から吹き出す――水に面した地域に住むモンスターが使う魔力を使用する技だ。
ベレージは若い頃に、船で冒険したときにこの技を見ていた。
見た目は無数の泡が口から吐き出されるため、シャボン玉の雨のようで幻想的だが。
その水泡に触れた途端、皮膚を溶けて吹き飛び、全身を包み込めば血塗れになる恐ろしい技だ。
「おいリズピース! 早くその女を連れて逃げろ! そいつはマジでヤベいんだよ!」
ベレージはキマイラの背に剣を突き刺したのはよかったが、抜けずに振り落とされた。
素手で怪物に向うわけにもいかず、彼は落ちていた盗賊らの武器――ナイフを拾って化け物へと突っ込む。
ベレージは、昔取った杵柄――大抵の武器を使用できる。
しかし、たかがナイフ一本で伝説上の怪物に向っていくなど、自殺行為もいいところだ。
「うおぉぉぉッ!」
それでもベレージは怯むことなく、ナイフの刃をキマイラの首へと突き刺し、キマイラにぶら下がるような形になっていた。
キマイラは喉に魚の骨が突き刺さったかのように、先ほどと同じく煩わしそうに暴れる。
今度は振り落とされない。
ベレージはそうナイフに力を込めながら、リズピースに向って叫ぶ。
「リズピースッ! これが最後のチャンスだぞ! 得意の暗殺拳ってヤツで早く決めてくれッ!」
仲間の必死の叫びを聞き、リズピースは構えを取った。
ゆっくりと両手両足を上下させ、ときに前へと踏み込んでは手を突き出し、ときに円を描くように回す。
まるで演舞のような動きを見せる。
さらに息を吐く時間は長く、吸い込むときは緩やかに――それを続けていくうちに、リズピースの顔は、とても戦いの場にいる者が見せるはずのない穏やかな表情になっていた。
「あんた……さっきからなにやってんだよ……? そんなことしてる場合じゃないだろッ!?」
ルノが声を荒げた。
当然だ。
彼女からしたら、仲間の危機を目の前にリズピースが踊っているようにしか見えない。
毒におかされた体を奮い立たせたルノは、「もういい」とばかりに鼻を鳴らすと、カトラスを杖代わりにして立ち上がる。
そして顔を強張らせ、再び剣を力強く握った。
「ボクがやるから、ルノは休んでて」
動きを止め、キマイラを見据えたリズピースが口を開いた。
ルノはリズピースの一挙一動が理解できず、苦しそうに睨み返すだけだったが、彼女の体が次第に光を放つのを見て動けずにいた。
先ほどの踊りの影響なのか。
ルノが言葉を失って立ち尽くしていると、リズピースはゆっくりと歩を進める。
「……鏡花閃空」
そう呟いた彼女から何人ものリズピースが見えていた。
ルノが幻でも見ているのかと思って目を擦ると、リズピースの姿はいつの間かキマイラの目の前に移動している。
「残像を出しながらの高速移動……? 今のは魔法なのか? ハハハ……あたい……毒のせいで頭がイカれちまったのかな……?」
キマイラの前に立ったリズピースは、化け物の首にナイフを突き刺し、そのままぶら下がっているベレージに声をかける。
「ありがとう、ベレージ。おかげで集中する時間ができたよ」
「礼はいいからさっさと倒しちまってくれよッ!」
「オッケー!」
キマイラは目の前に現れたリズピースを見据えると、首にベレージがぶら下がっているのも構わずに、彼女へ食らいつこうとした。
鋭い牙がリズピースの体を噛み砕こうと襲いかかる。
だが、リズピースはその場から動かない。
避けようとはせずに、中段打ち――いや、縦拳による直突きの構えを取る。
「電光一閃ッ!」
その叫びと共に、食らいつこうとしたキマイラの牙をリズピースの拳が砕いた。
鋼鉄さえも物ともしない怪物の歯を、彼女は力で粉々にしたのだ。
バラバラに飛散していく自分の牙の霧を浴びながら、キマイラが大きくよろめく。
その衝撃でベレージも吹き飛ばされたが、彼はなんとか転がって受け身を取り、慌ててリズピースとキマイラから離れていた。
キマイラは態勢を戻すと、再びリズピースに襲いかかろうとした。
しかし、彼女の姿は消えている。
一体どこへ行ったのかとライオンの頭を動かしていると、キマイラの尻尾である蛇が鳴いた。
首だけで振り返ると、そこには尻尾を掴んでいるリズピースの姿があった。
彼女は強引に蛇を引っ張ると、そのまま宙へと放る。
キマイラは無重力状態になったが、翼を広げてすぐにリズピースへと向かってきた。
「避けろッ! あんたなら余裕だろ!」
ルノが吠えるように叫んだが、リズピースは動かない。
キマイラはもう頭上。
また牙を砕いたように拳で殴りつける気なのか。
だが、先ほどの技は中段突き。
上から向かってくる相手に使えるわざではなさそうだったが――。
「オラァッ! これでも喰らいやがれッ!」
突然キマイラに向かって剣が飛んできた。
剣だけではない、ナイフに槍などともかくありったけの武器がキマイラの翼に突き刺さっていく。
武器を投げたのはベレージだった。
一本二本では大したダメージにはならなかっただろうが、さすがに何度も翼を傷つけられたことで、キマイラはよろめきながら着地する。
その場所には、目の前にリズピースが立っている。
「ベレージはやっぱり頼りになる。はぁぁぁ……剛山鉄壁ッ!」
並足を揃えて膝でしゃがみ、踏み出して背中からぶつかっていく。
大きさでいえばキマイラほうが何十倍もあるが、リズピースのその一撃で化け物は大きく吹き飛んでいった。
飛ばされたキマイラが倒れると、もう吠えることもなく、その場で完全に動かなくなった。
ルノがその光景を見て両目を見開き、ベレージは疲れ切ったか、腰から崩れる。
そしてリズピースは、動かなくなったキマイラを見て、ニッコリと微笑む。
「ボクの、いや、“ボクたち”勝ちだね」