01
灰色の髪の男は両目を見開いていた。
その死んだ魚の目の瞳孔を開き、同じように口まで閉じられなくなっている。
男の名はベレージといい、彼の隣では白いアデリーペンギンのヒナ鳥ミルキーが、ちょこまかと動きながら羽を振っていた。
彼らが慌てている理由は、今見えている光景のせいだった。
その目の前にあるものは、金髪ショートカットの小柄な女が、向かってきた男の集団を捕まえようと走り出している。
ショートパンツにロングブーツに、指の部分だけ切れているフィンガーグローブと、動きやすさ重視の格好を好む女の名はリズピースだ。
ベレージとミルキーはとある事情から、彼女のお供を任されている。
しかもリズピースには秘密があり、こんな街中で暴れて目立ってはいけないのだが――。
「おいやめろ、やめてくれ! そんな連中放っておけって! お前の正体がバレたらどうするんだよ!?」
ベレージが何を叫ぼうがミルキーがいくら鳴こうが、リズピースは嬉しそうに駆け出していく。
拳を強く握り、口元には笑み浮かべてだ。
これは大ごとになる前に止めなければと、ベレージはミルキーを抱えてリズピースを追いかける。
一方で自分たちに向かって走ってくる女を見た男の集団は、それぞれ武器を構えていた。
男の集団は布を顔に巻いて隠し、いかにも怪しい姿をしているだけあって慣れた手つきで、目の前に現れたリズピースへと武器を振るう。
彼女へ最初に仕掛けたのは剣を持った男だ。
その頭を叩き割ろうと剣が振り落とされたが、リズピースは先ほどよりもさらに笑ってみせる。
「遅いね。こんなんじゃボクには届かないよ!」
声を張り上げて剣を躱し、お返しとばかりに男の腹部へ膝蹴りを喰らわせる。
男の体がくの字に曲がる。
リズピースは、顔が下がったのを見逃さず、そこへハイキック。
その一撃で剣を持った男は吹き飛ばされていった。
「はい次ッ! ドンドン来なさいッ!」
リズピースは足を止めた男の集団に向かって片手を向け、すべての指を同時にクイクイと動かす。
一人倒したとはいえ、男たちは三人。
斧や槍を持ち、もう一人は弓に武器を持ち替えていた。
前衛に遊撃、後衛と何の合図もなく動き、挑発してきたリズピースと向かい合う。
危機的状況だというのに、リズピースの笑顔は変わらない。
むしろ、相手の息の合いっぷりにやる気を出している。
そこへようやくベレージとミルキーが追いついたが、リズピースと男たちは戦いながら移動していってしまう。
「ヤベーヤベーッ! こいつはマジでヤベーぞッ! 城下町では大人しくするようにキルミスの奴に言われてんだ! このままじゃ騒ぎを聞きつけた兵が来て見つかっちまうよ! そしたら俺はあの女に……うわぁぁぁッ! 早くなんとかしねぇとッ!」
青ざめた顔で声を荒げているベレージは、リズピースたちが動いているのを見て、再び彼女たちを追いかけようとしたが、ミルキーが何やら彼の肩で鳴いていた。
右手――いや右の羽を激しく振って、先ほどリズピースが倒した男に向けている。
ベレージは白いペンギンが何を知らせたいのかに気づき、男へと近寄った。
「こういう真似はもう卒業したんだけどなぁ……。でもナイスアイデアだぜ、ミルキー!」
戦斧を振るう男の攻撃を避け、続く突かれた槍を鉄を仕込んだ指ぬきフィンガーグローブで捌く。
多数を相手に一歩も引かない見事な動きだが、弓を引いた男の矢が彼女に向かって放たれた。
目の前にいる男二人に意識が向いているせいで、リズピースは飛んでくる矢に気づかない。
このまま突き刺さるかと思いきや、「キューッ!」というペンギンの鳴き声と同時に彼女に放たれた矢が別の矢によって弾かれた。
さらに別方向から飛んできた無数の矢が、リズピースを狙った弓矢を持った男を射抜く。
「よし、ビンゴ! なんとか当たったぞ!」
ベレージはガッツポーズを取り、彼の肩でミルキーが嬉しそうにはしゃいでいる。
倒れた男から弓矢を奪おうという白いペンギンの考えで、距離のあったリズピースの援護をしたのだ。
ベレージは、剣、、斧、弓、ナイフも武器ならばすべて使いこなすことができる男だった。
そのことを知っていたミルキーは、土壇場で思いついたのだ。
しかし、そうは言っても彼の実力は凡庸、平凡、普通といった言葉が並ぶ、お世辞にも優れているものとはいえない(先ほど矢を弾けたのも連発して射っていたから)。
男の集団はなかなかの実力者だ。
三人から二人になってもベレージが加勢に入っても、逆にリズピースの邪魔になりそうだった。
「むぅ。せっかくこの人たちの凄い連携を楽しんでたのにぃ」
リズピースは、援護したベレージに気がついて頬を膨らませていた。
いかにも「余計なことを……」と言いたそうな顔だ。
そんな彼女に向かって戦斧の男が突っ込んできたが、リズピース振り上げてがら空きになった胴体をミドルキックで打ち抜き、さらにそこから回し蹴りを顔面に喰らわせて完全に意識を刈り取る。
残り一人とリズピースが振り返ると、槍の男は斧の男とは違い、冷静に状況を見て動いていた。
槍の利点を活かし、彼女が反撃できない距離から突く。
「後ろだ、リズピースッ! 避けろ!」
ベレージとミルキーの声をかき消すように凄まじい刺突の嵐。
リズピースはなんとか避けるが、素手では槍の男の体まで攻撃が届かない。
それでも彼女には味方がいる。
側にベレージが来れば、今度は二対一で戦える状況になる。
そうすれば俄然有利になるが、彼女はそんなことは考えてもいなかった。
「電光一閃ッ!」
リズピースが声を張り上げると同時に、槍の男の体が吹き飛んだ。
彼女とは槍との距離を一瞬で縮め、縦拳による直突きで男を吹き飛ばしたのだ。
叫んだ技の通り、まるで稲妻の光。
これはリズピースが憧れた暗殺拳の使い手の技を、彼女が独学で覚えたものだった。
「ボクの名はエリザベス·ピースティンバー。すっごく楽しかった! 今度は邪魔なしでやりたいね」
「その名を口にすんなって言っただろうがッ!」
ベレージとミルキーが慌てて駆け寄って来る。
それもしょうがない。
なぜならば、リズピースの本当の名はこのピースティンバー王国の姫の名前――。
それはつまり彼女の正体は、この国のお姫さまということだ。
「ごめんごめん。技が決まるとつい名乗りたくなっちゃんだよね」
リズピースがテヘッと舌を出して謝ると、ベレージとミルキーはガクッと肩を落として大きくため息をついた。