前編
「イン!頼む目を開けてくれ!」
「回復薬だ!飲め!飲んでくれ!」
「死んじゃやだー!」
「…え?」
地面に寝ている私を囲んで、皆が涙をボロボロと流しながら叫んでいる。
「うぷっ!?ちょ…大丈夫だから無理矢理回復薬を飲ませないでよ!」
「インー!」
「ちくしょう!」
「うわーん!」
「…話を聞いてよ」
なんだろうこの状況は?幼馴染の勇者のヒロは私の手の痛いくらいに握っていて、戦士のファイは回復アイテムを無理矢理私に飲ませようとして、魔法使いのマジはそばに立ったまま大泣きしている。
「みんな落ち着いて!とにかく私は大丈夫だから…」
ヒロの手を振り払って立ち上がった私は、自身の異常にようやく気付いた。
「え?」
まず目についたのは真っ赤になった地面。靴ごしに感じる感触から、真っ赤になっているのは地面にまき散らされた血なのだというのが分かった。そして私の着ている服のお腹の辺りに空いた大きな穴。その周辺も地面と同じように真っ赤に染まっているので、もしかしなくてもこの血は私のものなのだろう。
「ちょっ!?ヒール!ヒール!」
慌てて自分自身に回復魔法を使う。しかし痛みが引くような事は無く、いくら使っても私の体にはなんの変化も起こらなかった。
「…って、あれ?」
というか、回復魔法が効く効かないの以前に痛くない。空いた穴からお腹をさすってみたけど、すべすべとした手触りで傷一つ付いていないように感じる。
「…イン」
「なんでだよっ!」
「ぐずっ…」
そして異常はそれだけではない。私がこうして立ち上がっているのにも関わらず、皆は今だ地面に座り込んだまま泣き続けていた。
「…えぇっと、皆?」
それ以上言葉が出てこない。皆は一体どうしてしまったんだろうか?なんで私の声に反応しないで、私が見えていないかのようにしているんだろう。恐る恐る自分のほほを指でつまんでみたけどちゃんと痛い。痛いって事は夢じゃないって事だし、幽霊になったから見えなくなったという事でも無いと思う。
「…ねぇ」
今度はヒロの肩に手を伸ばし、掴んで軽く揺すってみる。
「うっ…ううぅ…」
やはり反応は無い。ヒロはそこに私の手があるように両手で空中を握り、泣き続けるだけだ。見た目は滑稽な事この上ないが、ヒロの表情が演技やふざけている訳では無い事を物語っている。
「…イン」
ファイはアイテムを使うのを諦め、地面に手を付いて四つ這いになっている。地面は私の血と回復薬、ファイの流した涙でとんでもない事になっていた。
「イン~…」
マジは地面にへたり込んで今も大粒の涙をボロボロとこぼしている。元々泣き虫な彼女だけど、こんなに泣いてるのを見たのは初めてだ。このままでは体中の水分を流しつくしてしまうのではないかと心配になってしまう。
「…本当に見えていないの?」
理解は出来ないけど…皆は私の事を死んだと思い込んでいて、さらに私の事を居ないもののように扱っている。私には見えていないけど、皆にとってはそこで大量の血を流して死んでいる私こそが本物なんだろう。
「どうしてこんな事に…」
自分がなんでこんな状況に陥っているのか、いくら思い出そうとしてもなぜか思い出せない。間近で覚えている事と言えば…山間の小さな村で困っている人達を助けた後、お礼の宴会に参加した事。そしてそのまま一晩を明かして、村人に見送られて次の村に向けて出発していたと思う。その後の事が思い出せないという事は、きっとその時に何かが起こってこうなったのだろう。
『あー…まさかこんなバグがあるとはね』
あまりの事に泣き出しそうになったその時、今まで聞いた事が無いような異質な声がどこからか聞こえて来た。
「誰!?」
『やあやあ、勇者のPTに所属していた僧侶のインで間違いないかな?僕はこの世界の神様だよ』
「…神様?」
周りを見渡しても誰も居ない。もしやと思って上を見上げても見えるのは青空と雲だけだった。
『そう。とりあえずごめんね、混乱してるでしょ?まず言いたいのは彼らは決してふざけている訳じゃ無く、本当に君の死を悲しんでいるという事だ。君は自分がどうして死んでしまったのか覚えているかな?』
「…いいえ」
『そっか。じゃあどうしてこうなったのか説明させてもらうね』
本当に神様なのかは置いておいて、説明をしてくれるのならありがたい。頭に直接響いてるようで気持ち悪いけど、今はこの声に耳を傾けてみよう。
『えーと…君達は昨日この近くの村をモンスターから守っていたよね?実はそいつは魔王軍の四天王の一人の配下だったみたいで、その四天王が報復にやってきたんだよ。その四天王相手に君達は精一杯の抵抗をするも敗北。四天王は君のお腹を串刺しにした後、君の仲間を「殺す価値も無い」とか言って放置して去っていった』
「…思い出した」
そうだ。四天王は今の私達では絶対に勝てるような相手じゃなくて、明らかに手を抜いていたのに一方的にやられてしまったんだった。そして去り際に「これでおあいこ」みたいな事を言って私の体を貫くような攻撃を…。
『思い出した?本来ならば君はそのまま死ぬ運命だったんだ。けど想定外のバグがあって死なないどころか回復して復活しちゃったんだ』
「バグって…なんなんですか?」
普通なら信じられない事だけど、これだけ異常な状況に陥れば逆に開き直ってしまう。こうなったら納得のいくまで説明して貰う為に、分からない事はどんどんと聞いていくしかない。
『バグはバグだよ。あー…神様のミスって思ってもらって良いかな?今回の場合は君が死んだ後パーティーから離脱して…ってこれじゃメタすぎるかな?さっきも言った通り、君は定められた運命から外れてしまったんだ』
説明する気があるのか無いのか…この声は微妙に煙に巻いたような言い方をしてくる。結局のところ、神様のミスで私は生き返ったと思って良いのだろうか?
「じゃあ…皆が私の事を見てくれないのはなんでなんですか?」
四天王との戦闘でボロボロのまま、皆はまだ私の死体を囲んで泣き続けている。手加減をされて生かされたとしても、そのダメージはそのままにしていいものでは無い。私の死を悼んでくれているのは嬉しいけども、こうなった以上早く村に引き返して体を休めて欲しい。
『それは君が運命から外れてしまったからだね。これから先、君はこの世界の運命に干渉する事は出来なくなっているよ』
「そんなっ!?」
『けどそれは彼らがこの世界の運命と密接に関係しているからなんだ』
この世界の運命?確かに私達は勇者PTとして魔王を倒すために旅をしてきたけど、同じように魔王を倒す為に勇者を名乗っている人は沢山居る。魔王を倒すのが世界の運命と関係するのなら、もしかして皆は将来的に魔王を倒せるくらい強くなるのだろうか?
『だから今後世界に影響を与える事が無さそうな…例えば、この近くにある村なんかなら普通に認知して貰えると思う。ただし…元勇者PTに居た僧侶のインではなく、勇者のPTに居た僧侶に似たインという名の僧侶としてだけどね』
「それは…どういう?」
世界に影響が無い場所なら認知して貰える?本当に私は、どういう存在になってしまっているのだろう?
『運命から外れるっていうのはそういう事だよ。君は昨日出発した村の人の名前を憶えているかな?彼らはこの先、ただ村を維持するためだけに生きる人がほとんどだろう。それは世界が滅亡するか救われるかには関係ない。例え滅んだとしても、一緒に世界が滅ぶ訳でも無い。運命への影響力が少ないとはこういう事さ』
「…つまり、私はただの一般人として生きるしかないと?」
『そのとおり。というか選択肢は無いよ。君はこれから世界の運命とは切り離された生き方しか出来ない。もし影響力がある人が近くに居ても自然と関係する事は無くなるし、極端になると彼らみたく認知する事すら不可能になる』
「………」
言葉が出てこない。突然突き付けられたこんな処遇を、どうして素直に受け取れるだろうか。今後皆は私の事を既に死んだ人間だと認知するし、もし認知されたとしてそれはよく似た赤の他人であって…私本人なのだと認知してくれる事は絶対にありえないという訳だ。
『まぁ、割り切って生きていくしかないね。というか死んだのに生きてるなんて運が良い方じゃないか。運命と関係無い所でなら普通の人間として…』
「…ヒール」
皆に向けてヒールを使う。別に気づいて欲しいとかそんな訳じゃ無い。こんな私の為に悲しんでくれてる皆が、傷だらけのままなのがいたたまれなかっただけだ。
「良かった、魔法はちゃんと効くんだね」
皆の傷が魔法で治った事に安堵する。傷が治った事自体に皆は何の反応もしなかったけど、少なくとも私がした事自体がまったく意味が無いという訳では無いみたいだ。
『そのくらいの事ならね。君がここで彼らを回復させようとさせまいと、どちらにしても彼らがさっきの傷で死ぬ事は無い。逆に君が彼らに危害を加えようとしても、致命的な事は無効化されてしまうよ』
「そんな事しません!影響があってもなくても…傷は痛いものなんです。それを少しでも軽くしてあげられるなら…そうだ!認知される事が無くても、こうしてこっそり回復をしてあげる事は出来る!少しでも皆の傷を治す事が出来るなら、一緒に旅を続ける事だって…」
『ええ~…』
あからさまに呆れた声が頭の中に響いてきた。私自身無茶苦茶な事を言ってるのは分かってるけど、神様がそんな声を上げるほどの事なんだ…。
『それでいいの?さっきも言ったけど意味無いよ?』
「いいんです。これまでずっと一緒に戦ってきたんですから、ここで私だけ抜けたくはない。気にならない小さな傷くらいしか治せなくても…それでいいんです」
『ふーん…まぁ、好きにしなよ。じゃあ僕はこれで、説明は済んだしね』
「はい。バグかなにかは知りませんが、こうして生き残れた事には感謝します」
『………』
神様らしき何かが居なくなったのを感じる。それにしても神様ってこんなにきさくな人だったのか…僧侶として教会で数え切れないほど祈りを捧げて来たけど、まさか本物と話せる日が来るとは思わなかった。次会う時は私が本当に死ぬ時だろうか?その時にはまた感謝の気持ちを伝えよう。
「…イン、ごめんな」
その呟きを聞いてヒロの方を見ると、ヒロは見えない私を両手で抱き上げていた。多分お姫様抱っこのようにしているのだろうけど、私からはただ両手を前にしているようにしか見えない。
「………」
「…イン」
ファイとマジも立ち上がり、皆はゆっくりと村に戻り始める。私は持っていたハンカチを水で濡らし、皆の顔を綺麗にしながら一緒に歩いて行く。どうせ気づかれる事が無いのなら、それを利用して手助け出来る事をやっていこう。例え取るに足らない、小さな事でも…。