第154話 クーコとミツキの場合2
ロータスが現場に戻って早速中型船をロープで連結するように指示を出しているのを、クーコとミツキは遠巻きに見ていた。
「なかなか柔軟な男でしたね」
ミツキのこれは発想力ではなく言動に対する評価だ。クーコも同じように感じたのか、概ね同意した。
「貴族派の筆頭としてやってきた男がこうも易々と平民に頭を下げるんじゃからな。そこにどういう心境の変化があったんじゃろうな」
幼少期には貴族派の筆頭として貴族主義の教育を受け、価値観を共有する派閥で青年期を過ごしていたともなれば、その思想が絶対的な正義だと根付いていたはずだ。もちろん、大人になって考えが変わるということもあるが、人格形成期に根付いたものを否定するのはそう容易ではない。
「これも主人殿の影響でしょうか」
「あくまで決定打になっただけじゃろ。時流に迎合できない者から淘汰されると悟ったんじゃな」
次期皇帝最有力である第一皇子が学生時代、有能な者ならば出自は問わないというスタンスをとっていたことは周知の事実だ。おまけに第二皇女のベネトナシュまで元平民に嫁いだともなれば、自分たちが時代の流れに逆行していると疑念が確信に変わっても不思議ではない。
「根底にあるものが否定されるというのは辛いですね……」
「そうならぬように多角的な視野を持つことが肝要じゃな。思想の似通るコミュニティに属すると一方的な意見に偏りがちじゃ。時には一歩引いて情勢と思想を擦り合わせ軌道修正する。せっかく集団に属しているのじゃから、あえて反対意見を提言し議論するでも良い。そうすることでただ同調しているだけでは気が付かなかった新たな一面も見えてくるじゃろう」
クーコは、議論に必要なのは同調ではなく対立意見だと持論を述べる。自分の意見に大勢が同調してくれるというのは心地いいものだが、それでは間違った方向に進んでいても修正の余地が生まれない。
「そういえば、タマモ様は対立意見も上手く使って議論をコントロールしますよね」
「まぁ特に答えがない題材の場合はそうじゃな。たとえば、帝国議会に平民を重用すべきかどうか、というような題材じゃと、賛成でも反対でもどちらの言い分も筋が通ってしまう。ならば片方に偏った過激な思想に囚われては最善の結果は得られないというわけじゃ。最も、過激な思想を掲げれば一部の熱狂的な信者は簡単に得られるがな」
「流石にそれが危ういのは私でも理解できますよ」
少数の信者の獲得のために万人を敵に回す危険性を孕んでいる。ある一定の社会的地位を得た者が他人に蹴落とされるという現象がどういった時に発生するか、それは恨みを買った時だ。人は味方でも敵でもない相手に対しては極めて無関心であるもので、そこで排斥という熱量の必要な行動に出る者はまずいない。なので味方を作る以上に敵を作らない行動が肝要になるわけだ。
「ま、何事もバランスじゃな」
クーコは数千年と人の社会に溶け込んできただけあって、答えのない問題の落とし所を探る経験が豊富だ。集団を率いる立場として小さな口論でも数百数千と仲裁していれば自然と引き出しも増えるというものだ。
この数世代とも言える長い年月の間クーコが淘汰されなかったのは、一つの問いに対して答えを一つに絞るのではなく、様々な立場でメリットとデメリットを抽出し、中立であるべき場面では中立を貫くバランス感覚に秀でていたからに他ならない。
「しかしトワを見れば分かる通り、どれだけ真面目に生きていても敵は現れる。これが人の世の難しいところじゃな。まぁトワに失敗があったとすれば、上の兄二人の両陣営ともを敵に回してしまったことじゃろう。どちらかの陣営に肩入れするなどすれば最悪な状況は防げたはずじゃ」
これで敵が半分になるうえに、肩入れされた方は王位継承のキーパーソンであるトワを守ることに精力を注ぐだろう。これで下手な謀略も防げたとクーコは語る。
「まぁしかしあやつはあれでいて清澄さを大切にしておるからな。処世術と分かっていても暗愚を持ち上げるのを嫌ったんじゃろ。道徳的には正しい行動じゃな」
「そんな政治家としては正しくないみたいな……。というか、政治に濁った水は付きものとか、泥水よりはマシとか、あの年でそんなタマモ様みたいなこと考えてたら嫌ですよ。それに、政治に関わる者が潔癖であるのはいいことではないですか」
「賄賂や腐敗政治が横行していたとしても国民は豊かで文化的な生活を送れていれば不満が少ないという話があってじゃな」
「うわぁ汚い大人……みんなに嫌われますよ?」
「む、それはいかんな」
特にテンマの周りにはミーナやフィーを筆頭に正義感の強い面子が揃っている。清廉潔白なんて世間を知らない子供の考えではあるが、少なくともその理想を体現する気概がないともなれば失望されるのは間違いない。それに最近はクーコの立場も村長という為政者からアロエなどの後進を育てる教職者方面へとシフトしている。教え導く者として道徳や倫理観も改めなければとクーコは反省した。
「流石にタマモ様でも教え子に嫌われるのは辛いですか」
「年寄りはな、自分を慕ってくれる若者がだんだん可愛い孫のように思えてくるんじゃよ。お主も経験あるじゃろ?」
「あぁっ! なんか分かってしまう!」
ミツキはまだ若いつもりだったのにとショックを受けるが、アロエやココットに対しての態度は誰が見ても完全に保護者だ。
「さて、アロエとココットにいつまでも留守番させておくわけにもいかんからな。ワシらも仕事するか」
帝国軍はなんとか日が変わる前に陣を展開することが出来た。しかし慣れない水上での作戦に兵士たちの士気は低く、精神的に疲弊しているのに揺れが気持ち悪くて眠れないとコンディションは最悪だった。
そんな中、前方で夜番をしていた兵士から異変を知らせる警鐘が鳴らされた。伝令が小型船を使い急いで本陣へと向かう。
「何事だ」
「敵襲です!」
「数は?」
「それが……暗くてよく見えませんでしたが、あまり多くはなそうです」
状況としては視認できる範囲に大型船は無く、20人程度が乗りそうな小型から中型の船が数隻近づいて来ていただけだった。伝令兵の情報が正しいなら流石にこのままゲリラ戦に移行するというのは考えにくい。
「降伏でないなら偵察か?」
戦場では投降して敵に庇護を求める者もいる。そういう者は分かりやすく降伏の意を示すのだが、今回はそれがないということで偵察部隊だろうとロータスは判断した。
「倒しますか?」
「わざわざ情報だけ盗られるのも癪か……しかし」
ここが船の上でなければ話は簡単だったが、やはり陸上とは勝手が違う。指示が通りにくいのはもちろん、仮に通ったとしても船の操作性に不安が残る。また、機動力で負けているので追撃したところで逃げられる可能性も高く、ただ陣形だけ乱されるという危険もあり安易に動くのは躊躇われた。
鶴翼から魚鱗など、布陣をすぐに変えられるほどの熟練度があるなら、あえて偽の情報を与える作戦もあったかもしれないが、その熟練度がない以上なるべく情報を与えないように敵を寄せ付けない振る舞いをするしかない。
「弓で迎撃せよ」
そうなると最も有効射程が長いのは長弓だ。狙いを定めずにただ飛ばすだけならば300メートル程度の飛距離が出る。これは純粋な黒魔道士の倍近くの射程であり、命中率の低さを補うために人数を用意し、弾幕を張ることで敵に流れ矢が命中する可能性を常に感じさせて精神的ストレスを与えることもできる。
ロータスが弓での迎撃を指示してから10分ほどが経過した。雨のように矢が飛んできているというのに、敵の小型船は進行も撤退もせずに停泊している。甲板でバタバタと忙しなく動いている人影は見えるのだが、ただ動いているだけで何もしてこない。
弓隊が気味が悪いと斉射を続けるのを見てクーコが動いた。
「のぉ、撃つのをやめた方がよいのではないか?」
「クーコ殿?」
攻撃を止めたほうが良いという指示にロータスは訝しむ。
「あれはおそらく案山子じゃよ。船室から絡繰で動かしているだけじゃ」
暗い上に距離があるため『夜眼』スキルだけでははっきりと見えてはいないが、敵の行動があまりにも不自然であったためにクーコはその結論に至った。この10分程度の時間でも数十人規模で斉射していたのでだいたい3000本は矢を無駄にしてしまった。対木造船において遠距離から火計による奇襲を仕掛けられる弓矢の価値は大きい。クーコが止めなければまだまだ貴重な矢を放出していただろう。
「撃ち方止め! 止め!」
帝国軍が攻撃を止めるとエレメンタリオ軍の船はそそくさと帰っていく。完全にしてやられたとロータスの苛立ちは大きい。初戦闘の影響か、ロータスだけでなく、どこか軍全体も浮き足だっているように思える。船を動かす権限を持っている部隊長が勝手に飛び出して行ってしまうのではないかという雰囲気もあった。
その状況を危ういと思ったクーコは、ロータスにしっかりせいと喝をいれる。
「まぁそうカリカリするでない。お主の仕事は余裕の態度を見せて下を御することじゃ。実際、戦力ではまだまだこちらが圧倒しておる。現時点で本格的に開戦となれば、練度の差はあるが下手に攻撃しようとせず防衛に徹すれば十中八九負けん。向こうの狙いはちょっかいをかけて連携が乱れたところを叩くことじゃろう。おそらくエレメンタリオは今後も焦らしてくるじゃろうが、所詮は前哨戦じゃ、好きにやらせておけばよい」
「……良いのですか? それだと向こうは作戦成功と調子付くのでは?」
「ふむ。エレメンタリオの奴らもそうじゃが、どうやらお主も盛大な勘違いをしておるのぉ」
クーコは、エレメンタリオが作戦成功と調子に乗るのはむしろ致命的だと言う。
「あやつらの試算にはワシとミツキが考慮されておらん。逆に言えば、ワシらの存在を暴けなかった時点で作戦失敗じゃ。小競り合いなんぞ気にせず鷹揚に構えておれ」
三面作戦で帝国軍の兵力が分散されているからこそ勝負になるだけで、他二面を担当している連合軍のどちらかが撤退した時点でエレメンタリオ軍の勝利の目も消える。なのでエレメンタリオはいつまでもダラダラと小競り合いでポイントを稼ぐわけにもいかず、結局どこかのタイミングで総力戦を仕掛けなければならない。
その際に潜伏していたクーコやミツキの存在が罠になるのだ。今はひたすら我慢の時間だと、専守防衛を徹底させる。
そして2週間。兵士たちは船に慣れた者と、ノイローゼ気味な者で二極化してきた。その間にも小競り合いは何度か起こり、中には命令違反で飛び出していった部隊もあったが、案の定というべきか討ち取られた。
しかしその犠牲もあってか、そこから命令違反はなく当初の見立て通りに戦力は温存できている。
今日3回目の敵襲を知らせる鐘の音。経験の浅い帝国兵からは、「またか……」という声や「どうせ小競り合いして帰るんだろ?」とやる気に欠けた態度が目立った。
「お、おい! 襲撃に備えろ!」
見張りの兵士が見たのは、単縦陣に綺麗に並んだ数十もの軍船が猛スピードで迫ってくるという最悪の光景であった。本陣に伝令を出すよりも、交戦する方が早かった。
エレメンタリオ軍は輪陣形に並ぶ帝国軍に真正面からぶつかっていく。単縦陣で戦力を中央に固めているため局所的にはエレメンタリオが数的優位だった。このままエレメンタリオ軍が強引に中央をこじ開けるか、それとも帝国軍両翼による包囲が間に合うか、これで戦争の趨勢が決まると言っても過言ではない。なんなら作戦が作戦なだけに、今日中に決まってしまうかもしれない。
「頃合いじゃの、ミツキ」
「はい。『狐火』」
この重要局面でクーコとミツキが動いた。まずはミツキのスキルでエレメンタリオの軍船から前兆もなく火の手が上がる。
「う、うわぁ!」
「なんだぁ!?」
帆が燃えると船は推進力を失う。つまりそれはエレメンタリオ軍の武器であった展開速度を失うどころか、そもそも操縦困難となり船としての機能を失うのだ。
被害に遭っていない後続の船は、前の船を避けるように横方向へと大きく展開していく。
「なんじゃ、せっかく九尾になったというのにまだ仙狐時代のスキルを使っとるのか。いや、さては使いこなせとらんのじゃろ?」
「うっ……」
図星だったのでミツキは何も言い返せない。仙狐というのは妖狐の上位種にあたり、具体的には魔法スキルが使えるようになる五尾からがそうだ。その中でも狐火は早く覚える魔法である。
「まぁ、ワシも使うのはいつぶりかのぉ……」
クーコがそう言うと、目に見えるほど濃密な魔力が渦を巻きながら天高く伸びていった。その魔力の渦が天空に留まると、澄み渡った青空にどんどんと黒い雲が生み出されていく。その空間だけは嵐が吹き荒れているのか、たびたび稲妻が走っているのが観測された。
何かとんでもないことが起こっていると、両陣営の兵士たちはまるで時が止まったかのようにその様子を眺めていた。
「『天狐招雷』」
黒雲から全長数百メートルにも及ぶ白狐が出現すると、紫電を纏って空を飛び回る。種明かしをしてしまうと、『天狐招雷』は攻撃スキルではない。恐慌、錯乱などのバッドステータスを確率で付与するデバフスキルだ。精神力の低い者や状態異常耐性が低い者ほど効きやすい。
「うわぁぁぁ!!!」
「いやだ! 死にたくない!」
錯乱した兵士が一目散に川へと飛び込んでいく。装備を着たままでは溺れる危険もあるのだが、強迫観念にかられているためそんな思考は働かない。
「終わりじゃな」
全体の2割から3割ほどが川に飛び込んだか。クーコとミツキという存在を考慮せずとも勝率は半々といったところだったのにこんな大事な局面で2割も兵士が減ってしまったらもう立て直すのは不可能だ。
クーコは「もういいじゃろう」と言ってミツキと戦場を後にした。




