第135話 火種
帝国はヘルヘイムドラゴン装備の完成を全世界に向けて大々的に公表した。この発表に対して速やかにリアクションを起こしたのが、帝国の西方に位置する聖国だった。
曰く、宵闇は太古の時代に邪神とその配下が使っていた悪しき産物であり、即刻封印する必要があるそうだ。また、これに従わない場合は帝国を神敵認定するという声明を出した。
「そんな曰く付きの物じゃないだろ」
「宵闇は500年ほど前に聖国が高い金を出して冒険者から購入した装備じゃからな。そんな装備を帝国が所有しているのが面白くないんじゃろ」
あぁ……つまりいちゃもんをつけてきたってことね。
「そんな要求突っぱねちゃえばいいんじゃないの?」
「もちろんそのつもりさ。けど、聖国を敵に回すのも面倒なんだよねぇ」
「聖国ってそんなにヤバいのか?」
以前アロエの教科書を見せてもらったことがあるが、帝国とその周辺諸国を比較すると、帝国は建国期時代の武力によって統治されてきた名残もあり、軍事に優れていると書かれていた。一方で聖国の国土も人口も帝国の3分の1以下、しかし軍事力だけみれば僅差だという。
「信者からの献金が武器に変わるからねぇ」
「聖国はミルカルトル教の総本山ですからね。ミルカルトル教の教えは帝国だけでなく、王国や、王国よりも更に北にある公国にも広まっていますので、毎年のように莫大な資金が獲得できます。そしてもう一つ厄介なのは、聖国から神敵と認定されると帝国が孤立する可能性があることです」
トワは地図を取り出すと、帝国とその近隣諸国の位置を指し示す。なるほど、近隣諸国を巻き込んだ戦争になった場合、南は山脈が走っているから気にする必要はないけどそれでも三面作戦を強いられるということか。確かにいくら精強な帝国軍でも苦しいものがあるだろう。
「ミルカルトル教では信徒の魂は死後救済され、邪神や邪教徒たちの魂は終わり無き闇を彷徨い永久の苦しみを味わうとされているからねぇ。敬虔な信徒は邪教徒認定されないよう帝国を裏切るだろう。テロに発展する危険もある」
「そうなるともはや信徒というより狂信者だな」
これは日本人だったらだいたいの人が俺と同じなんだろうけど、信仰心とか言われてもあんまりピンと来ないんだよな。いや、毎年新年には初詣に行って盆には墓参りもしてたから、神様とか仏様とかの存在を信じていないわけじゃないんだけど、日常で宗教色を感じないと言えば伝わるだろうか。例えばクリスマス、老若男女問わず誰でも知っているイベントだけど、ほとんどの人はミサに行かないし、そもそも本家の風習を知っているかどうかすら怪しい。
要するに日本人っていうのは宗教観がざっくばらんとしているんだよな。世界的に見たらその方が珍しいみたいで、歴史を紐解けば宗教が関連したテロ行為は度々起こっている。
「テロを擁護するつもりはないが、死後の世界という得体の知れないモノじゃからこそ、そこで幸せでありたいと願うのは仕方のないことじゃ。そういった者にとっては、信じるという行為そのものが精神的な支柱になっておるんじゃ」
「あぁ、信じる者は救われるってやつか」
「言い得て妙じゃな」
そういえばこれって元々は聖書の言葉だっけ。そうやって考えてみると、大衆心理を理解しているフレーズだな。だからこそプロパガンダとしても優れているというわけか。
「そんな感心してもいられないんだよねぇ。死を恐れていたはずの人間が、信仰心だけで死兵となって向かって来るんだよ? 宗教というか、もはや洗脳と言ってもいい代物だよ」
おおい、そんな言いにくいことをハッキリと。というか、外では言うなよ?
「ナアシュ姉様はミルカルトル教が嫌いなのですか?」
「うーん。好き嫌いとかではなくボクは研究者だからねぇ。自分の目で見たものしか信じないことにしているんだ。せめて仮説を立てて欲しいけど、仮説を立てたところで検証が出来ないから信じようがないのさ」
なるほど、実にベネトナシュらしい理由だ。
「国は違えど、私たちは政治に携わる立場ですからね。今生きている人を救うためには、理想ではなく現実を見る必要があるんです」
2人の場合は信じる信じない以前の問題だった。確かに一国の王女(皇女)が他国の宗教に傾倒してたらヤバいよな。
「私やフィーは子供の頃は村の教会でミルカルトル教の司祭から勉強を教わっていたな」
「信仰心とかは芽生えなかったけどね〜。まぁでも、影響を受けている部分は確かにあるかもしれないね」
「私も孤児院でシスターから教わりました。戦争になったら、シスターさんも敵になっちゃうんですよね」
長年孤児院で生活していたアロエにとって、シスターさんは母であり姉のような存在だ。そんなシスターさんと敵対することを考えてアロエは泣きそうになってしまう。
「冒険者にもミルカルトル教の信者はそこそこいる。人より死が近くにあるというのもそうだが、そもそも冒険者は孤児院出身の者も少なくないからな」
「知り合いが傭兵として聖国側で参加してる可能性もあるんだよね〜。ちょっと気が滅入るなぁ〜」
冒険者はギルドを通して依頼を受けることを主な生業としているが、実はもう一つ稼ぎ方がある。それは傭兵として戦に参加することだ。フットワークが軽く、国に縛られない冒険者だからこそ隣国にでも駆け付けることが出来る。国家間の情勢を把握し有事に備えることが兵士の役割だとしたら、冒険者は備えた上で勝ち馬に乗るのが肝要だ。
トワとベネトナシュの2人は、帝国vs聖国連合という対戦カードなら、後者を選ぶ者の方が多いだろうと予測した。
「戦争は避けられないのか?」
「聖国も周辺諸国を仲間に引き入れる算段がついてるみたいだからねぇ。まぁ、帝国は過去に侵略戦争で領土を拡大してきたから、色々な恨みを買っているのさ。例えば、帝国領の東部を流れるエレメンタリオ川を越え、更に東にあるエレメンタリア連合国。当時の帝国に抵抗するために結ばれた小国の同盟だが、そのまま連合国という形になって残っている。戦争になれば間違いなく聖国に協力するだろうねぇ」
ベネトナシュが言うには、もともとそのエレメンタリオ川の近辺は帝国領ではなく、戦争後の停戦条約によって割譲された土地だそうだ。そういう背景もあり数百年が経った今でもその禍根が残っているらしい。
「なので現皇帝であるヴァレンス陛下は王国との友好関係を強く意識されていました。ベネトナシュ様が私の兄とお見合いをすることになったのはそのためです。まぁその婚約も結局ご破産になりましたが」
あぁ、前に教えてくれたベネトナシュがお見合いパーティに白衣を着て登場したってやつか。
「正直こうなるとやっちゃってるよねぇ」
いや軽いな。ヴァレンスからしたら皇女を差し出すなんて最大限の礼を尽くしたつもりなのに、当の本人がこれだからヴァレンスも頭抱えただろうな。
「アロエのこともありますし、王国は静観するよう父に掛け合ってみましょう」
俺もなんだかんだ王国でお世話になった人もいるし、そういう人たちが戦火に巻き込まれるのは避けたいから賛成だ。
「それなら急いだほうがいいんじゃないか?」
「そうそう。聖国が王国に干渉してくる前にね」
そうだな。兵は拙速を尊ぶというし、なんなら交渉ごとは結局トワやベネトナシュに任せるんだからあとはパッションで乗り切ろう。
そうと決まれば、俺は全員を引き連れて王国にあるトワの私室にテレポートした。




