-或る少年の物語- その8
「むッッッッッッッ!?」
不意に少年の頭上から魔力の槍が降り注ぐ。
後ろに飛びのき攻撃をかわす。
「お前…不意打ちはせこくねぇかぁ~?」
少年はにやにやしながら倒れた魔人を見る。
「セントウニオイテヒキョウナドトオッシャルツモリカ?」
魔人はゆっくりと身体を起こしながら少年に問いかける。
「いや別に?ただなんか意外だっただけよ。魔人?とかでも賢く立ち回るんだなって。」
少年も軽口で魔人の言葉に返す。
「二回戦始まりってことでいいのかな?」
少年の眼光にはすでに鋭い光が戻っていた。
「イヤマサカ…、コノママツヅケテイタラオタガイタダデハスマナソウデス…。タダコノモリデハアバレテホシクナイノデス…。」
「えぇ…まじ?」
魔人からの突然の申し出に少年は拍子抜けする。と同時に魔人から奇妙な感覚を感じ取る。
「なんかそんなに嫌ならやめるけどよ…。そんなに強ぇなら力づくで止めればいいじゃねぇかよぉ?」
「アナタヲトメルトキニスデニコノモリハサラチニナッテイルカト…。ソレデハコマリマス。コノモリニハワタシノダイジナモノガアルノデスカラ…。」
「更地…ね。なかなか笑えるじゃんよ。じゃあその大事なものって?それで納得すればおれもやめるよ。そこまで言われたなんか気になるし。あと聞き取りにくいからその喋り方どうにかなんないの?」
「…。」
魔人はしばし考え仮面に手を翳すと無表情な仮面から微笑を浮かべた仮面に塗り替えた。
「イイデショウ…、ケイシキテキニモ要求をしているのは…、私なのですから。大事なものとは見てもらった方が早いでしょう。」
魔人が指をパチンッとならすと少年と魔人の足元から円形に地面がくりぬかれ浮かび上がる。
「おぉ…なかなか器用なことするなぁ。んで、俺が吹き飛ばした更地見下ろせってことか?」
「いえ、全く違います。」
魔人は冷静に返事をする。地面は上昇を止め、少年が残した爆心地を横目に平行移動を開始した。
「意外に風が気持ちいいな。日の光とかもゆっくり浴びるの久しぶりだわ。よく考えたらな。」
「…。」
少年の世間話にのらず、魔人は森をじっと眺めていた。
数刻後…
「なぁ、まだ着かねぇの?走った方が…おぉ?」
少年が小言をぼやき始めると同時に平行移動が止まる。
見下ろすと森の木々が不自然に消失した跡があり赤黒い陣が描かれていた。
「こりゃ…、魔法陣か?なんか禍々しい感じなのに危険な匂いはしないな…。ありゃなんだ…?」
直径50mほどの円形の魔法陣が眼下で存在感を放つ。怪しく煌々と揺らめく魔法陣をみて少年も目を丸くする。
「これは私が創りだしたものです。この地の魔力因子を吸収し少しずつ放出することでこの土地の魔力を循環させているのです。」
「ほぉ~…で、その目的は?なんかあるんだろ?」
「永久的な魔法陣の作成を目的としたものです。興味本位で創っただけだったのですがね。いつの間にか漏れ出ている魔力を糧に生態系が構築されていきました。それを見ていると私の魔法が生命の根源に触れているように感じるのです。殺人、略奪…魔法の歴史を見れば血塗られたものがほとんどです。生命の助けとなっているものはそのほんの一部の上澄みに過ぎません。ですが…」
「あ~いいって。自分の魔法が何かを壊すものじゃなくて何かを生み出すものに意図せずともなってたっってことだろ?そしてそれを俺が破壊していた…と。」
「そういうことです。なぜ守りたいと思ったのかはわかりませんがね。それでも私の大事なものであることは変わりません。すでに私の手から離れつつある魔法陣であっても。」
「魔人の心にも慈悲があるってか。俺にはよくわからんけど母性みたいなもんかね。ん…?離れつつあるってことは自分の魔法陣でも制御下にないってことか?」
「本来自己の魔力で創造した魔法陣ではあり得ません。完全ではないですが周囲の魔力因子を吸収しそれを原動力に魔力を行使し続けるというのは半永久的です。私が管理しなくても自立してこの森の安寧を保持するようにこの陣は働くでしょう。私がこの陣を止めるには破壊するしかすでに方法はないのです。」
「そういうことか。すげぇな。ここの魔獣は知性とかもあったみたいでよ。戦ってもなかなか退屈しなかったぞ。おれは壊すことにしか魔法を使ってねぇからよ。それでもこれはすごいってわかるぜ。」
少年は魔法陣を見下ろす魔人に頭を下げる。
「納得した!!ここではもう暴れたりしない!!悪かった!!」
「物分かりがいいですね…。」
「初めて対等に殴り合える奴がいて…、そいつが何か大事にしてるって思うとなんだろうな。これが羨ましいって感覚なのかね。おれはそんな大事にできるものがまだないからよ。だからなんか…、お前の大事にしてるものを壊したりしたくねぇなってなんとなく思ったんだよ。景色もきれいだしよ。」
徐々に太陽光が夕日に変わっていく。まっすぐな視線で少年は魔人をみた。そして、風になびく木々のせせらぎに耳を澄ませた。すでに少年も戦う意思はなくなっていた。だが自身が今感じている安寧や魔人に対する親愛を言語化することは今の少年には難しいものであった。
「ヴァク。俺の名前だ。」
少年は大樹を見ながら静かに名乗った。自分から相手に名乗るのはヴァクにとって初めての経験であった。またそれが今のヴァクにできる最大限の親愛の証でもあった。
「ヴァク…。申し訳ないが私には名前がない…。様々な土地で様々な呼び名で呼ばれています。大森林の悪魔…、仮面の魔人…、無貌の魔女…。どれも人々から恐れられ、忌み嫌われているものです。あなたも好きに呼んだらいい。私にとっては呼び名が一つ増えるだけなのですから。」
魔人もまた大樹を見て少年に言葉を紡ぐ。その言葉の裏には人々から忌み嫌われて、ほかの生物から恐れられて…、孤独に存在することを選んだ、それでもまだ何かに必要とされたかった魔人の無念を孕んでいた。
「そうなのか?お前、仮面の下は顔がないのか。無貌とまで言われてるしよ。」
「仮面の下ですか?そうですね。私の素顔はいつの間にか失くしてしまいました。たまに生き物と接するときも仮面で表情を作っています。仮面の下は特に何もありませんよ。ほら。」
魔人は仮面を外し少年の方を向く。その下には黒く無表情な顔を象った凹凸だけがあった。
「ほんとだ。仮面ない方が魔人っぽくていいじゃね。」
少年は無邪気に無表情の顔を見て笑った。
「怖くは…、ないのですか?」
「怖くねぇよ。それで別に何か変わるわけじゃないし。そうだなぁ。じゃぁお前はムガンだ。顔がないしちょっと不謹慎なくらいがちょうどいいだろ?」
ヴァクは仮面を外した魔人にそう笑いかけた。
「不謹慎…、ふふ…なんですかそれ。」
魔人はヴァクの突拍子もない呼び名に同じく笑って返した。
「でも…、今までで一番悪くない呼び名です。」
ムガンは大樹の方を見てそう呟いた。恐怖や嫌悪、そんな感情がまったくない呼び名を魔人は自身の内に刻んだ。仮面じゃない方がいい。そういわれたのはムガンにとって初めてのことであった。ヴァクがムガンを見ると夕日照らされた無表情の素顔が少しだけ微笑んだように見えた…。