第二十段:けふ咲く花の いやしけ吉事(よごと)(一)
一
空は爽快なまでに青く、陽射しと風はやわらかに、まさに行楽日和だった。
「私ったら、ツイているわねー。洗車したばかりだったのよ」
安達太良まゆみが愉快にハンドルを握る。
「ピカピカの愛車ヲ晴天ニ走らセルっテ、気持ちイーっスよネ」
最後部の座席で、与謝野・コスフィオレ・萌子改め、与謝野・コスフィオレ・明子が身を弾ませて言った。
「デスよネ、ふみセンパイ☆」
「…………ん?」
隣の大和ふみかが、観光案内を膝に下ろす。昨日、アルバイト先「石上書房」で買ったのだ。
「プチ旅行グラいハ読書ヤめテくだサイ! 明子のハナシ、聞イテなカッたっスよネー!?」
「ご、ごめん」
明子は観光案内を没収しようとしたが、カフェ・スイーツ特集に惹かれた。
「海とドーナツ! にゃ、ケーキバイキングも魅力アりマスな!」
記事に猫のような瞳を輝かせる明子に、前列の夏祭華火がうなった。
「もうちょいトーン落としてくれよ……寝かかってたんだぞ」
「ソーリーっス」
「……ったく、新歓合宿明けなんだっての。ってか、てめえだって進行役で泊まってただろ」
大きなあくびをして、華火は再び背もたれに寄りかかった。
「ごめんねー、行事済んだばかりだったのに」
「まゆみが謝るこたねえよ。集まれる日がここしかなかったんだからな」
「荷作り、合宿よりも、張り切っていた……です」
華火と同じ中央の席で、窓を眺めていた仁科唯音がぽつりとしゃべった。
「おい、バラすんじゃねえって」
唯音の青白い顔が、ややお茶目なものになっていた。妹分の親戚がかわいくてちょっかいを出したのだ。
「寝つけなくて、『羊数えられるかな?』を、使った……」
「だあーっ!」
羊を百五十一匹まで数えてくれる目覚まさなし時計「羊数えられるかな?」は、唯音の発明品である。
「遠足前夜アルあるデスな」
明子の言葉に、ふみかは頭にこんなものを描いた。華火が仰向けに布団へすっぽり入り、おめめをぱっちりさせて朝を待つ光景だ。
「ふみかっ、小学生みてえだなって思っただろ!?」
「ち、ちが、違うってば」
ラジオがかき消されるほど、楽しくやっている様を耳に、まゆみは助手席に声をかけた。
「本居さん、具合はいかが?」
礼儀正しく座っている本居夕陽は、いつも以上にのんびり答えた。
「全然酔っていないです。窓を全開にしてくださって、外の空気にあたっていますからぁ」
「リラックスしていいのよ。めいっぱい奥に腰かけて、足を伸ばしなさいな」
傍らの飴を夕陽にすすめる。遠慮しがちな学生だから、先にまゆみが口に放り込んでみせた。これなら、気兼ねしないだろう。
「はちみつ梅ですね。長いこと電車に乗る時、リュックに入れていくんですよぉ」
「そうだったの。私が物心ついた頃からあったわよ。甘いだけじゃなくて、喉がすっきりするのよね」
パッケージは今風に変更されているが、昔ながらの味だった。
「サラミいる人、挙手シテくだサーイ☆」
「んな脂ぎったもん、車内で食べっか!?」
「私、欲しい……です」
明子は一瞬、こわばった。底なしの胃袋を持つ唯音をひとまず満足させられるかひやっとしたのだ。
「華火ちゃん、私のならどうかな? 酢こんぶなんだけれど」
ふみかは赤いパーカーのポケットをごそごそさせて、細長い箱を出した。高齢者層なら懐かしむ、粉がまぶされた噛めば噛むほどおいしいおやつである。
「おっ、気が利くじゃねえか。いただきますっ!」
「えーと、先輩には強炭酸グミ、明子ちゃんにはがりがりいもぶ、ぶう……あ、ブーバッポンだ、そんな味あるよ」
「ふみセンパイ、おやつマスターじゃナイっスか!」
どおりで不自然におなかがふくれていたわけだ。
「海辺で食べようかな、ってね。かばんだと手間取るから服に詰めたんだ。夕陽ちゃんにも用意しているよ、レモンCタブレット」
「おおきにぃ」
「先生はカレーせんべいですよ」
運転席より白い袖が伸びた。親指を立てて「良し!」を示す。
「高速通るわよー、窓を閉めてね」
唯音と夕陽が扉横のボタンを押す。
♪ ピロピロピロピロ ピロピロピロピロ ♪
おやつを食している華火と明子に、ラジオが代わって車内を活気づけた。曲のリクエストが始まったところだ。
♪ ふよーん ふよーん ふよーん ふよーん ♪
ふみかは「なんだろう、牛が連れ去られそうな体が浮きあがっちゃう前奏」と思った。
♪ ふよふよピロピロ ふよふよピロピロピー ♪
『for you』
歌手とまゆみの声が重なった。次にジャカジャカ、ジャカジャカ規則的な間奏が流れる。
「ピーチ・レディっスよネ! お母サン振リ付ケ完コピしてマシた☆」
宇宙人との熱くもプラトニックな逢瀬を歌っている。
「私も完コピしているのよ。与謝野さん達の親御さんと同世代だもの。名曲なんだから! 披露したいけど、安全運転が大事!」
夕陽のまぶたの裏に、まゆみが体の線が目立つ銀のドレスを着て、分身と踊っている図が映った。
「ごちそうさまでしたっ! んで、もしも宇宙人とデートせざるをえなかったらよ、何星人にする?」
三つ折りにした懐紙(こんぶのお皿として使っていたらしい)の角をふみかに向けて、華火が訊いた。
「ええー、架空の星はありなの?」
「おうよっ、科学的根拠とかリアルな事情は無視なっ」
「それなら、おかき星人かな。小腹がすいたら顔などを割って食べさせてもらえそう」
ふみかの理想としては、ごませんべいだ。黒ごまだと花丸、白ごまはまだ自宅に残っているので避けてもらいたい。
「明子、冥王星人デス! ハデスとダークなデートに期待度マックス☆ 冥府ノ川ヲ、ゴンドラに揺らレテ……ひゃはー! いおりんセンパイは?」
「キューブ星人……」
真剣な理系大学院生に、ふみかと明子が呆然とした。
「昔、姉ちゃんが集めてたマスコットなんだ。磁石入りのサイコロみてえなやつ。縦横につなげてブロックぽく遊べてよ、シークレットがあったりして、全種揃えるのに東奔西走してたんだよなっ」
唯音が華火にうなずく。若干熱が込もり、素早い動作であった。
「本居さんは……ふふっ、難しい問いかけかしらね」
まゆみにウインクされた夕陽は、鼻を覆っていた清楚なハンカチを離した。
「どないしても、やもんね。鏡の星……普通の鏡やないねんよ、のぞいた人が想うものを映すんや」
「なるホド、ゆうセンパイの狙いガ分カリまシタよ。擬似デートっスな。彼氏サン役ハ、皆マデ言イまセン。明子ヲイジってクル憎き担任だトハ」
ふみかも後輩の担任を憎らしく思っていた。女子が虜になる理由が解せない。まゆみより年上の、立派なおじさんではないか。父親ぐらいの人に恋するか? ありえない……が、友をまったく応援しないのかと詰め寄られれば、答えを濁してしまう。
「夏祭さんも、じゃないの? 耳にされていたら、やきもちを焼かれるかもしれないわよー?」
学生四人の目が、同時に華火に集まる。一行で最年少、ぴかぴかの小学……否、大学一回生には許嫁がいた。
「あいつは……ちょいと『もしも』話した程度で嫉妬する小者じゃねえよ」
明子の「ひゅーひゅー」をはじめ、拍手が華火を囲んだ。
「まだ、結婚確実なわけじゃねえし。あたし、火星人なっ。タコっぽいやつっ!」
「どーしマスか? 空満市ノ若手議員っスよ、イツか市長ニ当選シテ、インタビュー時にプロポーズしチャっタら!?」
「婿選びに清き一票を? ってアホかっ!!」
ミニバンに笑いの花が咲き乱れた。
「場のノリで求婚とか、即、飛び蹴りして断ってやるっ!」
「賛否分かれる方法ね。私は……吹雪の中だった。主人の右半分が真っ白。予報では快晴だったのにねー、いつも私の大切な日に降るのよ」
「雨女、ではなく、雪女……ですか」
「仁科さんを凍らせちゃうわよ……、戯れ言ね!」
白妙の衣を召して銀世界を創るまゆみが頭に浮かばない者は、たぶん、いなかっただろう。
「あらー、いけない! 大和さん、後ろのボストンバッグを開けてもらえるかしら?」
「はい。え? これってもしかして」
上面に穴が控えめにある、六角形の木箱だった。
「おみくじですよね……。いけませんよ、いくら先祖が祀られているからって」
「さすがに村雲神社のは持ち出さないわよ。自前です。夜なべしたんだから」
振って、各自くじを引くよう指示された。まゆみの分は、最後に回ってきた夕陽が取っておいた。
「グループ分けのくじよ。まもなく到着する水族園では、二チームに分かれます。正午にうみがめ館・大水槽へ集合、それまでは自由! お昼は予約したから、案内するわね。赤のくじを引いた人は、だあれ?」
最年長の唯音が代表して、まゆみに伝えた。
「赤は大和さん、夏祭さん、本居さんね。チーム名つけてちょうだい」
「チーム・アフリカでいくかっ? 国旗の色だろ」
「チーム・レゲエか、ラスタ、はどないかなぁ」
「レゲエかっこいいな、ふみかは?」
「レゲエにしよう」
もう一方の、唯音、明子、まゆみは?
「ハイ、ハイ、ハーイ☆ アイスキャンディにシタいデース☆」
「おいしそうね。由来を聞かせてちょうだい」
「中学ノ国語デ、アイスキャンディ売りノお話、習ッタんデスよ、おばさんガ売ッてたアイスは、ホワイト・ブルー・ピンクでシタ。いおりんセンパイも読んだコトあるんデスよネー」
「……です」
まゆみがてのひらを合わせた。
「採用よ! チーム・レゲエとチーム・アイスキャンディ、水族園をつばらつばらにめぐりましょ!」
『ラジャー!』




