第十九段:名に弓とる者ども(三)
三 安達太良なゆみの弥生
四季に対して鈍感になった。先祖を屠るために年月を費やしてきたことが、原因だ。
十二年前、姉が先祖に魂を消し去られ、身体を奪われた。僕は、村雲神社へ走り、姉を奪還する方法を求めた。祀られているシラクモノミコトは、先祖のしもべだと事前に調べていた。主のお付きならば、弱点も分かっているだろう。僕の望みを叶えられないなら、安達太良の術をもって「えうなき神」にするぞ、と脅せば、簡単に交渉成立した。実をいうと、僕は術を行使できない。札を持っていると見せかける策は、いみじくリスクが高かった。
駒を作ることから始めた。シラクモノミコトの設計図どおりに完成した五体を「擬者語シリーズ」とくくった。アヅサユミへ有効な呪いは「祓」。「祓」を宿した五人の娘を原作とした、パロディアンドロイド。名前は、原作と張り合えるものを採用した。この作業が、全工程の中で一番煩わしく、だが、久々に創作欲をかきたたせた。
駒の調整を重ね、能力値を割り振る。戦闘形態への変身が成功し、隊名を「グレートヒロインズ!」とした。思考パターンが異なり、集まれば五月蝿い機体らだ。生身の若い女と差が無いようであっても、僕の命令には必ず従った。実験の成功率が高く、雑用もこなせる。使える駒どもだった。
「祓」の行使者達「スーパーヒロインズ!」を味方に引き入れることも成功し、アヅサユミを殺せる……はずだった。僕がシラクモノミコトに利用されていたとは。どの時点で修正すれば良かったのか。過ぎ去ったことなので、つついても無駄なのだろうが。
暑くなれば、冷房が。寒い時は、暖房が。住まいにしていた職場の研究室は、常に快適な環境だった。通う時間が惜しいため実家を出たのだ。効きすぎて足の皮がむけそうになる床暖房と、田舎くさい遊園地にある冷凍庫の体験コーナーと勝負できる北の離れが、体質に合わなかった。幼い時、母の実家に引き取られて至れり尽くせりの生活に慣れた僕の、終の住処だ。
事務机にひじをつき、クラッカーをかじった。あの五人と共同生活していると、静かに酒に浸れない。赤い丸が目印のワインを、グラスぎりぎりまで注ぐ。とっておきは、いつも平田清香の胃に直行するのだ。佐久間音遠の卒業旅行で皆出払ってくれて、せいせいした。今日はひとり、広々と眠れる。
「雑魚寝は、子供がするものだと相場が決まっているのだ」
行き先は、明宮だ。抹茶が練り込まれたスパゲティに小倉あんと生クリームが山のように盛ってある品を、音遠がかねてより食べてみたかったそうだ。また、来月はこの陣堂女子大学の法学部に通う、元附属高校生・冬籠凍莉が入学祝いにコアラパフェを所望しているとのことだった。
「貯金をしていたか。つくづく思うが人間くさいな」
主に山川・フィギアルノ・豊子がアルバイトで稼いだと、隊長の天野うずめから聞いた。夏季・春季休暇にショッピングモールの催事販売員をしていたのだ。
「染めた髪と眼帯で、面接に落ちなかったことに驚くよ」
よほど人手が足りなかったのか、採用担当者が同じ穴の狢か。
「どうせなら、長旅でもしていけば良い」
ワインをミリ単位でちょっとずつ飲み、なゆみは窓を偶発的に見やった。ソメイヨシノの枝に、つぼみが点々とついている。
「卯月が近い……」
パソコン内の予定表に「弥生三十一日、卯月一日 終日 障り来襲」と入力してあった。
白い壁と黒い床の実験室にて「グレートヒロインズ!」の最終調整を、一昨日行った。シラクモノミコト由来の「呪い」で、研究室の地下に築いた実験用空間であった。
「『祓』の増幅機能、全員安定して起動できるようになったか」
計測装置の電源を落とし、安達太良なゆみは五人をひと通り観察した。装置は低い円柱の上に、五種類の「祓の陣」を刻印してある。
「これ、後でかなりおなかすいちゃうよね」
「同感やわァ。ハイカロリーな物を欲してまうんや。パティ三枚のバーガーを皿いっぱい食べたいわァ」
丸の陣には、うずめレッドがしゃがみ込んでいた。「読」の祓を行使するスーパーヒロインの擬者語である。下弦の三日月を描いた陣には、へそを惜しげもなく出した大女、せいかイエローが堂々と立っていた。「知」の祓を行使するスーパーヒロインの擬者語だ。
「……そう、フライドポテト、Lサイズ」
「技」の祓を表す三角形の陣で、ねおんブルーが膝を抱えてつぶやく。
「こおり緑は、九州名物のしろくまパフェを頼みたいですのっ! をとめ坂の『スロゥプ』のトロピカルフラッペで我慢しても構いませんのっ!」
「フォンダンショコラとココアミルクレープもオススメだゼ★」
「速」の祓を表す星形の陣の真上で、こおりグリーンが背伸びまでして手を挙げた。それに便乗して、とよこピンクが追加注文する。「愛」の祓を表すハート型の陣には、黒い十字架の槍「ヴィヨンの未亡人」が横たえられていた。
「各自で食べに行けば済むだろう。なぜ僕に言うのか」
五人は矢継ぎ早に答える。
「まねーヲ節約しタイかラニ、決マッていルだロ★」
「博士に内部進学のお祝い、いただいていませんのっ!」
「…………油脂と、炭水化物が、不足」
「なにもあたいだけが食べるゆうてへんやんか。博士もお昼召し上がらなあかんやろォ?」
「あ、私は食堂のエビフライ丼で大丈夫だよ!」
なゆみは、前髪をかいた。最近、姉にもらったシャンプーで洗っている甲斐あって、少しつやが出てきた。
「早く済ませてくるのだ。後で支払う。レシートと交換の上でな」
五人ははしゃいで変身を解き、散り散りに実験室をあとにした。
「安達太良先生は、あんまり異性に興味ないんですか?」
同期の教員に、ふとそんなことを訊かれた。公私共に忙しく余裕が無いので、と返した記憶がある。あまりそっけなくしていたら人が寄りつかなくなる、父にしょっちゅう指摘された。事実を言っただけなのに、愛想がないと誤解される。この人は、誰に対してもフラットに接するので、勝手に傷付かれはしなかった。
「ええー。先生美人じゃないですか。スリムだから何着ても似合うと思いますし。よかったら、週末の婚活パーティーどうですか? 私ひとりだと、心細くて……」
そうなら行くな。お前の脳みそはまだ、お供を連れないと用を足すこともできない女子学生か。精神的に自立していない女が、パートナー探し? 笑わせる。もらい手が現れるわけないだろう。いたら、よほどの物好きか、メスなら拒まない類の野郎だな。
「遠慮します。あいにく翌日が学会ですので」
仕事用の笑顔を貼りつけて、なゆみは理由を明示して断った。そうですか、と表面上残念そうにして去るだろうと想定していたのだが。
「それなら、来週の合コンはいけそうですか? 府内の大学合同・若手教員限定ですよ。絶対モテますから!」
お前、代替案を出す場面を間違えていないか? 社会人になれる自信が持てなくて逃げの手段として大学院に進んだ人間だな。わりといるのだ、教員にいい子いい子されていたいぬるま湯修士課程卒が。多忙で色恋に現をぬかす暇は無い、が聞こえていなかったのか? 耳にコルク栓でも詰まっているのでは? お前と友好関係を結んだ覚えはまったく無いのだ。職場と学校は違う。雑談したければ今すぐ辞表を提出しろ。間借りカフェでも開いて、談笑しながらソイラテを作るか、グルテンフリーの菓子を焼いていろ。
「ごめんなさい。予定が入り過ぎていて、どこも難しいのです。悪いですが、他をあたっていただけますか」
笑みの光度を限界まで上げて、同期を暑苦しくさせてみる。父よ、大人の対応をしております。本当なら、泣かせていますが、この人と同じ土俵に立っても虚しいだけです。
「あー…………。無理そうですよね。なんか、変なおねがいしてしまいましたね。こちらこそ、すいません!」
やっと解放された。なゆみは、栄養ドリンクが欲しくなった。音遠か豊子に買わせるか。二人は、駄賃をやらなくても動いてくれる。
異性どころか、他人に興味を持てないのかもしれない。なゆみが思う人は、姉のまゆみぐらいだ。
十も歳が離れている姉は、『群書類従』を読み聞かせてくれた。通学以外は、怪しげな術の練習をしていてお話しできるのは寝る前だった。当主の名札をさげて威張っている風変わりな祖母に付き合ってやれる姉を、懐の広い人だと尊敬しつつ、一生姉を超えられやしない、と諦めてもいた。
祖母とおば達に言葉で虐げられていた。「体が弱い、術を行使できない、偽物の弓」なゆみを苛ませる「呪詛」だった。母の実家に引き取ってもらった最大の理由は、それだ。屋敷を離れる朝、祖母に「安達太良の汚点め」と吐き捨てるように言われ、電車に揺られている最中に思い返して、ひどく酔ってしまった。
姉の手紙には、『萬葉集』の和歌がいつも文末に添えてあった。歌の前には「癒詠」、「治詠」、「養詠」など書いていた。姉は僕に術をかけていたようだ。安達太良の術は、和歌に詠まれている物事を現実に起こす。どこまでも幸せに暮らしている姉は、僕が体の療養のためだけに別居したと認識していた。姉は、祖母達の本性を見たことがなく、あることさえ気がついていない。「いみじくいつき育ててくださる親族」なのだ、次期当主・安達太良まゆみにとっては。僕は、願いとほんの少しの妬みを抱いた。姉が人をとことん「善なる者」「優しい者」だと信頼して生きてほしい。…………先に産まれていて、術が使えていたならば、僕は悪口を浴びせられずにまともな大人に成長できただろうに。だが、そうなっていたら姉が僕の立場に置かれてしまって、心に深い傷が刻まれたまま生涯を送ることになる。考えてはならないのだ。僕は別にどうなってもこれまでのように耐えられる。姉が苦しむことが、僕にとって「あってはいけない」ものであり、一番痛ましく感じるのだ。
「…………飲めば忘れられるとは、限らないのだな」
クラッカーの箱をしまい、残ったワインを流しに捨てた。慣れないひとり酒をしたせいだ。
「ふっ。騒ぎの中でなめていた方が、楽だったか」
服のファスナーを半分下げ、寝床に倒れ込んだ。近くのホームセンターで購入した超軽量ふとん六組を、独り占めした。大の字になっても、はみ出ない。おそらくエスペラントだと思われるお経じみた文句、刺激的なのであろう夢を見て繰り出される殴る蹴るの暴行、小さな身体のくせして大きないびき、噛みつき、寝ながら読まれて放置された複数のハードカバー本に邪魔されず。快適な睡眠は、千金を得るよりも嬉しい。明日は、学会でカモフラージュした墓参りだ。起きたら潔斎しよう。この校舎は、パウダールーム付きだ。
「何だ、真弓か」
父の墓前で、丸坊主でラガーシャツの男に出くわした。やうやう見れば、姉の旦那だった。
「ご無沙汰しています、なゆみさん」
わざと聞こえやすく舌打ちをしてやる。お前ごときに「なゆみ」と呼ばれたくない。
「父の恩を忘れて、墓荒らしにでもしに来たのかと」
「誤解ですよ。今日、まゆみさんを迎えに来訪した機会に、先生にお線香を」
臆している姿が、余計に腹立った。柔道家のような剛健な体格をしているくせに、僕に対して毎回おどおどしている。間違いなく生物学上、男なのだろうな?
「掃除もしたのか。師匠を二の次にしておいて、殊勝なことなのだ。それだから、姉さんに逃げられるのではないか?」
「厭だなあ。まゆみさんは、千鶴さんに弓を習いに帰ったんですよ。敗北を許してはならない試合が有るのだとか」
「そうか」
母を「おかあさん」にしなかったことだけは、良しとしよう。なるほど、姉はこいつに仔細を話さなかったのだな。賢明な判断だ。
「水を……、水を、流しに行きますね」
雑巾をバケツの縁にかけて、姉を取った奴は早足でいなくなった。
「疾く疾く去ね、真弓」
「あらー、なゆみちゃんたら。春彦さん、でしょ」
反射的に回れ右をすると、姉が手を振っていた。
「ねえね……姉さん」
「私も真弓姓なんだから、ちゃんと名前で呼びなさいな。あなたのお義兄さんよ」
「僕は姉さんの妹、それだけだ」
鼻を斜め上にして、なゆみは断言した。
「山茱萸、お父様の好きだった花よ。春彦さんが探してくれたの」
花瓶に生けたのは、真弓だったのか。また、くさい気遣いをやってくれたものだ。
「花言葉は、『耐久』だ。お父さんの生き様そのものなのだ……」
「そうね。常に忍ぶ人だった」
線香を足して、姉は数珠をかけて合掌した。白のアンサンブルが、気品を引き立てている。黒のパンタロンスーツで簡単に済ませてしまった自分を恥じた。
「…………姉さんは、責められることは一切ないよ」
親を蘇らせて、何が「人を外れた行い」だ。いみじく阿呆な神が定めたに違いない。
「お父さんは、生き直したくなかったのか? せっかくねえねがこの世に戻したのに」
「きっと、命の尊さを教えてくださったのよ。私に、人間らしさを捨てさせないためにね」
姉は、悔しくないのか。しがみついてでも、黄泉に行かせないように止めれば、望みが成就したのではないか。
「私がアヅサユミを喚んだから、五人のかわいい教え子に出会えた。そして、共にこの世を守るために戦う。咎を悔やんではいないわ」
ぶれない目が、僕をつかんだ。やはり、ねえねには勝てない。
「なゆみちゃん、私達を支えてちょうだい。あなたの隊員にも、よろしくね」
僕からかける言葉は、決まっている。
「僕達がついているからには、勝利は堅いのだ」




